禅の心 加島祥造さんの詩(1,2)

 加島祥造さんの次のようなよい詩に出会いました。加島さん(1923-)は「タオ(道:筆者)ヒアナウ」(Parco出版)、「タオ―老子」(筑摩書房)などの著者。老子や荘子の思想に造詣が深い人です。ヒアナウは「今ここに」という禅の思想とも共通するものがありますね。以下の詩は、禅の心をわかりやすく表したもののように思えますので、ご紹介します。

 (1)受け入れる(小学館より)

 受けいれる

 すると優しい気持ちに 還る

 受けいれる

 すると 固くこわばっていた体に 柔らかさが戻る

 受けいれる

 すると 自分の心が 意外に広いと気づく 心が広いから 受けいれるんじゃないよ 受けいれると 広がるんだ

 受けいれる

 すると 許すということがわかりだす 許すということを知ってから 受けいれるんじゃあないよ

 受けいれる

 すると 人の気持ちがわかってくる 人の気持ちがわかって 受けいれるんじゃあないよ

 受けいれる すると 受けいれなかった自分が 小さく見える

 受けいれる

 すると 自分の根にある 明るさに気づく 悲しみを受けいれるとき 苦しみを受けいれるとき 「受けいれる」ことの 本当の価値を知る

 喜びが 悲しみに変わったとき 柔らかに受けいれる すると、新しい展開が始まる 悲しみを受けいれる 苦しみを受けいれる 恐ろしさを受けいれる くやしさを受けいれる― そんなことできないと思う自分を 受けいれてみるといい そうする自分は 悲しみや苦しみの外にいる 恐ろしさやくやしさの外にいる

 受けいれる

 いまの自分 ダメな自分 愚かな自分 恥ずかしい自分を受けいれる そしてかわいがってやる

 受けいれる

 すると勇気がわくよ 小さな自分なりの 勇気がね

 受けいれる

 たっぷりと喜んで生きる人 悲しみや怒りを 受け入れる たっぷりりと生きる人は 死を受けいれる

 受けいれない癖のついた人は 喜びも受けいれなくなる 一つのことを うれしい気持ちで受けいれる すると次のこともうれしい ひとつのことを 悲しい気持ちで受けとる すると 次のこともその次のことも 悲しくなる

 受けいれる

 それは両方の手のひらを開いた姿勢だ 共に生きよう、という共存のジェスチャーだ

 受けいれない それは両方のこぶしを握り固めた姿勢だ 他者を締め出し 入ってきたら戦う構えだ

 受けいれる

 陰と陽を 善と悪を 美と醜を 安心と恐怖を 喜びと悲しみを― 両方を受け入れるとき 道が見えてくる 片方だけ受けいれるのは 両方とも見えないってことだよ

 受けいれる

 それをいやいやすると 奴隷になる

 すすんでやるときは 主人だ (以下は版権にも関わりますので略します)

筆者のコメント:これの気持ちが心の底からわかって意識せずにできるようになればそれは一種の悟りでしょう。

 (2)求めない(小学館より)

求めない―

すると

簡素な暮らしになる

求めない―

すると

いまじゅうぶんに持っていると気づく

求めない―

すると

いま持っているものが

いきいきとしてくる

求めない―

すると

それでも案外

生きてゆけると知る

求めない―

すると

改めて

人間は求めるものだと知る

求めない―

すると

キョロキョロしていた自分が

可笑しくなる

求めない―

すると

ちょっとはずかしくなるよ

あんなクダラヌものを求めていたのか、と

求めない―

すると

心が静かになる

求めない―

すると

楽な呼吸になるよ

・・・・・・

求めない―

すると

体ばかりか心も

ゆったりしてくる

求めない―

すると

心が広くなる

求めない―

すると

ひとに気がねしなくなる

求めない―

すると

自分の好きなことができるようになる

求めない―

すると

恐怖感が消えてゆく

求めない―

すると

心が澄んでくる

求めない―

すると悲しみが消えてゆく

求めない―

すると

時がゆっくり流れ始める

求めない―

すると

心に平和が広がる             (以下著作権の問題があり省略)

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