岸根卓郎氏批判について-読者のコメント

読者のコメント(14)

 読者の田中様から以下のコメントがありました。筆者の感想とともにご紹介します。  

・・・真理は常に少数者から始まります。地動説も当時はとんでもない考えだったでしょう。岸根先生が真面目に量子物理学を一般人でも分かるように書かれたものを、一刀両断切り捨てるようにご批判されています。「道」を求めている方の態度として、いかがなものでしょうか。「『見えるもの』を通じて『見えないもの』を見るのであるともいはれる」。これは湯川秀樹氏の『存在の理法』(189ページ)の1節です。量子物理学の世界は「オカルト」の世界かもしれません。言葉で説明できない世界を言葉で説明しなければいけない。だから、同じような言葉を繰り返さざるを得ないと思います。そういう苦しみを感じませんか。岸根先生の『見えない世界を科学する』は古本でプレミアムがついています。多くの人が何か大切なことを感じでいるのだと思います。

田中様  礼儀をわきまえた誠実なご意見を嬉しく思います(そうでない人も時々いるものですから)。岸根氏の論説は量子の不思議な性質についてのコペンハーゲン解釈の上に成り立っています。それが岸根氏の自説に都合の良い恣意的なものであることは、筆者の検証ときちんと比較していただければお分かりいただけるはずです。量子物理学の世界は確かに理解が困難ですが、決してオカルトではありません。また、古本にプレミアが付こうと著書の価値とは関係ありませんし、湯川博士の方法論がこのケースにも当てはまるかどうかも、別の話です。
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 他の読者にとっても興味ある問題だと思いますので、追加させていただきます。私たちの常識では理解し難い現象があると、神や霊魂に結び付けたくなる人が少なくないようです。岸根氏は素粒子の不思議な性質をそれらに結び付けました。一方、ダークマター(暗黒物質)やダークエネルギー(暗黒エネルギー)を「それだ」とする人たちもいます。宇宙全体の物質エネルギーのうち、74%がダークエネルギー、22%がダークマターが占め、残りのわずか4%を銀河や塵が占めると言われています。銀河や塵のように光や電波を出さないため、ほとんど性質が不明の物質です。その本体については未知の素粒子説などさまざまな考えが提出されています。ただ、  筆者が尊敬する臨済宗の禅師山川宗玄師は、「仏法とは言葉では表現できないもの。ちょうどダークマターのようであり、ダークマターの中に山や川や私たち人間がいて、さまざまな現象を引き起こしている」と言っています。そして「ダークマターが物質でないことは、仏法は言葉では表現できないことの例えとしてふさわしい」とも言っています。しかし、それはちがいます。山川師は物理学科出身だそうですが、ダークマターには質量があることがわかっており、立派な物質です(註1)。たんに、私たちが宇宙を観測している手段である光や電波を出さないために観測できないだけです。  ことほどさように、私たちのこれまでの常識では説明できにくい現象は、しばしば神や霊魂の本体だとされるのです。いずれあらためてお話ししますが、この世のすべての物質-もちろん素粒子も含みます-は神の被造物ですから、岸根氏の言うような神が素粒子であるはずはありません。 註1光子には質量はありませんが間違いなく素粒子の一種です。つまり、質量の有無は物質であることの絶対条件ではありませんが、質量があるものが物質であることはまちがいいないのです。

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