岸根卓郎氏批判について-田中善積様(追伸1)

 以前、読者の田中善積様から、筆者が岸根卓郎氏の考え「意識は量子論で説明できる」を批判したのを読んでいただいて、「岸根先生が真面目に量子物理学を一般人でも分かるように書かれたものを、一刀両断して切り捨てるようにご批判されています。「道」を求めている方の態度として、いかがなものでしょうか」とのご指摘がありました(筆者の回答を含めて、詳しくは以前のブログをお読みください)。

 真面目なご質問ですから、もう少し詳しくお話します。まず、コペンハーゲン解釈とは、量子の不思議な性質に関するもので、

「量子(光子や電子やニュートリノやクォークなどの素粒子)の物理状態は波と粒子の状態が重ね合わさっている。そして観測されると粒子として確定される(波束の収縮)」

という考えです。N.ボーアやW.ハイゼンベルグの理論を基礎としています。その他にもさまざまな解釈があり、その一つが意思説です。意思説には「観測されると」の個所を「人間の意思によって観測しようとすると」と飛躍したところに問題があるのです。さらに、岸根氏がよく使う量子のゆらぎ現象(註2)も「あたかもテレパシーのようだ」と、やはり「人間の意思に似ている」と見なすのです。このように、複数の検証不可能な仮定の積み重ねに基づいており、科学理論としての要件を満たしてはいません。しかも、有力な反証(実験結果!註1)もあるのです。

 このように、岸根氏の論説は、文字通り砂上の楼閣なのです。けっして筆者の判断は、田中様がおっしゃるような「岸根先生が真面目に量子物理学を一般人でも分かるように書かれたものを、一刀両断切り捨てるようにご批判されています」などではないことがおわかりいただけるでしょう。

 現在有力視されているもう一つの考えは、多世界解釈というもので、観測者の世界が枝分かれするとみる立場です。1957年、H.エバレット(1930-1982)が提案しました。A(たとえば波)とB(たとえば粒子)、2つの状態の重ね合わせを観測すると、観測者はAを見た分身とBを見た分身に分かれる、と考えます。ハーバード大の理論物理学者マックス・テグマーク(1967-)もこの考えを支持しています(参考文献1)。

註1 量子コンピューターにおいて、外部から侵入した光子や電子の影響によって量子ビットの状態が確定してしまう量子エラーは人間の意思とは無関係に生じることなど。

註2 2つの電子を実験的に一つに重ね合わせると、必ず一方は右回り、他方は左回りに自転している。それぞれを北と南に放出し、十分に遠くまで離れた時点で、北に置いてあった観測装置を用いて、飛んできた電子の自転を調べる。仮にそれが右回りだったとすると、南へ飛んで行ったもう片方の電子は左回りである。それは観測しなくてもわかっているということが実験的に証明されています。あたかも一方の電子が他方の電子に瞬間的なテレパシーを送ったように思える不思議な現象です。

参考文献1「数学的宇宙」谷本昌幸訳(講談社)

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