ふだん気にも留めなくても、人間には生きる意欲・張りがどれほど大切か、筆者は何度も目の当たりにする機会がありました。その一例が、筆者の勤めていた大学の他の研究室の教授です。穏やかで優れた方で、研究室には活気があふれていましたが、ある時、最愛の息子さんを亡くされました。十八歳そこそこの不幸なオートバイ事故でした。それまではよく言う、風邪もひいたこともないようなお元気な方でしたが、それ以来、明らかに生きる意欲を無くし、わずか2年後には幽冥境を異にされました。そんな例を幾人も間近で見ています。
どんな人でも、一生の内には、辛いことや苦しいことがあるのは当然でしょう。中学時代の友人たちが集まったとき、筆者が「みんなそれぞれいろいろなことがあって、穏やかな今日に至ったのだね」と言ったところ、ある女性に「私は今そういう時です」と・・・困りました。なんでも娘さんのご主人が重いガンだとか(けっきょく、1年も経たずに亡くなったそうです。まだ小学生の娘を残して)その女性には最近も会いましたが、もう昔通り元気そうでした。もともと明るい人だったのです。
さまざまな人を見ていますと、人は苦しい状況になると、その対応が二つのタイプに分かれることがわかります。一つは、上述の女性のように辛いことは時間とともに忘れて元気を取り戻すタイプ。そういう人が多いのは事実です。マルチタレントだった森繁久彌さんが「人間の素晴らしい能力は忘れることです」と言っていました。いい言葉ですね。もう一つのタイプはマイナス思考になる人です。一度そうなると、次々にマイナス思考、すなわち、負のループに入るのです。そして身体も衰えていくのです。間違いなく。
筆者は長年、医学の研究を続けてきて、人間の命を守るシステムの巧妙さに驚くことがしばしばでした。しかし最近その考えを改めなければならなくなりました。気力がとても大切なのです。若いときは相当落ち込んでも回復します。しかし、歳を取ると気力が落ちると身体も「もろに」衰えるのです。
筆者にはすばらしい別の友人がいます。長年、工務関係の中企業の経営者でした。上級公務員としての将来を捨てて、早くに亡くなったお父さんの跡を継いだ人です。何十年も「このプロジェクトが終わったら次はどんな仕事を請け負えるか」と、眠れない夜が続いてきたとか。従業員の生活が掛かっているのです。「もし倒産すればその町には居られなくなる」と。みんなその町の住民だからでしょう。彼の言う経営の要諦は「ただ忍耐です」。それを50年間立派に続けて来られたのですから感動します。そんな過酷な人生ですから、体にも影響がないはずがありません。今では厳密な健康管理が必要だとか。それでも実に明るいのです。いつもニコニコしながら、そういう厳しい人生をさりげなく話す人なのです。今は経営から引退しましたが、なにかと関わっているそうです。話していると「彼なしには経営が円滑にいかない」ことがよくわかります。社長が暗い顔を見せたり、他人の批判ばかりしていたら、従業員のやる気が無くなるのは当然でしょう。彼の明るい性格と生きる意欲の源はそこにあるようです。
結局、どういう人生を送るかはその人次第でしょう。いつまでも世を恨み、知らず知らずにマイナス思考の人になるか・・・そういう人からは周囲が離れます・・・そして生きる意欲を無くして行く人。一方、過去は過去と割り切り、現実は現実として受け入れ、明るく前進し続ける人。空思想の実践者ですね。困難な状況になったとき、負のスパイラルに陥らないように頑張ることは誰にでもできることなのです。そういう自分に気付き、方向を変えればいいのです。歯を喰いしばってでも。
筆者も今ご紹介した人たちと同年代です。こういうことをお話する資格があると思いますが・・・。