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神罰はあるか-辻正信の場合

 以前のブログで、「神も仏もあるものか」と言った瀬戸内寂聴や、津波に大勢の人が巻き込まれて死ぬのを目の当たりにし岩手県の某寺の住職を「宗教者としての資格はない」と批判しました。これらの人は論外でしょう。

 今回は「神罰はあるか」について考えを述べます。もちろん筆者には神の御心などわかりませんが、これまでの経験からある程度の忖度をすることはできます。まず、基本的には一人一人の人間がどのように困難を切り抜けてゆくかを慈愛の眼をもって見守っていて下さっているのだと思います。それが人間がこの世に生まれてきた意味だと思うからです。たとえゴール寸前であろうと、倒れたマラソン選手に手を貸せば失格になることを皆さんもよくご存じの通りです。

  筆者は、神が人間に罰を与えられることはないと考えています。もちろん神の御心など伺い知ることはできません。上記のように、「神は人間の行いを見守るだけだ」と思っています。人間の人生が、神の御心に近づくための修行だととらえていますから、神が御手を貸すことなどありえないのです。ある優れた霊能者を通じて「ヒトラーには神罰があるか」と聞いたところ、「ない」との答えだったと、何かの本で読んだことがあります。理由は、ヒトラー一人の罪ではなく、当時多くのドイツ人が熱狂的に支持していたからと。

 太平洋戦争の日本の戦犯は、連合軍が代わって断罪しました。「最後の一機に乗って私も必ず突っ込む」と繰り返しながら「最後の一機」を断った陸軍の菅原道大や、「敵前逃亡」した海軍の富永恭司などの中将は「軍人の風上にも置けない卑劣漢だ」との評価はすでに定着していますね。一方、杉山元大将、大西滝次郎中将、宇垣纒中将、岡村基春大佐(桜花特攻隊司令)などはそれなりの責任を取っています。インパール作戦の首謀者牟田口廉也中将は、戦後それなりに反省していたようです(註1)。しかし、辻にはそれがまったくありませんでした。天をも恐れない人間だったのです。

 しかし、筆者にも「さすがに彼を神は許されなかった」と思う人間がいます。それは元日本陸軍参謀の辻政信 です。辻正信(1902-1968、最終階級は大佐)は、旧軍人のなかで、軍事作戦指導では「作戦の神様」「軍の神様」と讃えられたと言う人も多かったようです。しかし、上司の服部卓四郎と共に、ノモンハン事件、マレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガタルカナル島の戦いなどの悲惨な敗戦の張本人です。

 筆者は長年、あの無謀な太平洋戦争がなぜ起こり、悲惨な結果になったのかを調べてきました。軍人官僚たちの重大な責任はもちろんですが、なにか日本人の体質-今でも変わることがない-が絡んでいるとしか思えないからです。そして筆者なりに得た結論の一つが、辻正信です。

 辻の責任は上記のノモンハン事件やガダルカナル作戦の失敗だけではありません。知る人ぞ知るシンガポール華僑大量粛清事件の主犯だったことです。すなわち、開戦直後シンガポールに進駐した辻らは、華僑の若手が母国中国へ支援を行っていることを突き止め、 粛清することにしたのです

 この敵性華僑処断案は、作戦主任参謀の辻と朝枝繁春中佐が起草し、山下奉文司令官が決裁したものとなっていますが、実際には辻が企画・主導したと多くの関係者が証言しています。「抗日分子」の選別は、事前に取り決めた名簿に照合する方法で厳密に行われていたわけではなく、辻が現場を訪れて「シンガポールの人口を半分にするつもりでやれ」と指示を飛ばし、外見や人相からそれらしい人物を適当に選び出し、多数の無関係のシンガポール華僑が殺害されたのです。死者の数は日本人の証言で4000-5000人、中国側は5万人と言っています。これだけでも辻はB級戦犯として処刑されるべきでしょう。

 その後の戦争裁判で、山下奉文大将は死刑、虐殺に反対して中止を進言した河村参郎司令官と、やはり虐殺に反対した大石隊長の2名が現場の指揮官としての虐殺の責任をとられて戦犯として処刑されました。辻は当然、重要な戦争犯罪人になるはずだったのですが、行方をくらましました。そして国内外を潜伏し、5年後戦犯追及の収束を見届けた後、姿を現しました。その間の経緯は「潜行三千里」としてベストセラーとなりました(註1)。その後、政治家に転身し衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を歴任しました。戦後、国会議員になっていた辻を取材した人に、当時文芸春秋の記者だった半藤一利さんがいます。辻に面会してみると眼光炯々、自分の主張を大声でとうとうと述べ、他人の意見などには絶対耳を傾けない辻を見て、半藤さんは「これこそ絶対悪だ」と思ったそうです。

 辻は結局ラオスで行方不明になりました。死因には諸説がありますが、その一つにCIAによる暗殺説があります。その後公開されたCIAの機密文書によると、CIAを始めとするアメリカの情報機関は戦後、辻や服部卓四郎らに接近しました。彼らを利用しようと考えたからです。しかし、辻を「政治においても情報工作においても性格と経験のなさから無価値である」「機会があるならばためらいもせずに第三次世界大戦を起こすような男」と酷評しています。問題は、現在でも「潜行三千里」は再刊され、生地の加賀市には銅像が建ち、生家が保存されるなど、辻の亡霊崇拝は今でも消えていないことなのです。

 以上が、辻こそ、「神が許さない人間ではないか」と筆者が考える根拠です。いえ、じつは筆者の本音は、あの傲慢な性格ゆえに、「人間に殺された」と思うのですが。

註1 牟田口は戦後悲惨なインパール作戦の責任を追及するジャーナリストたちを次々に訪ね、自分は間違っていなかったと主張しました。その様子は鬼気迫るものがあったとの証言があります。さらに、自分を正当化する大部の著作を国立国会図書館へ寄贈しています。後のジャーナリスト高木俊朗さん、半藤一利さんなどの詳細な検証がなかったら、牟田口の罪は忘れ去られていたかもしれないのです。

「無門関」第二十八則 久響龍潭 自分に気づく

本則(筆者訳)

 龍潭和尚のところに、ある時徳山(註1)が教えを乞いにやって来た。議論は白熱し、そのうち夜になった。龍潭は、「夜もだいぶ更けてきたからそろそろ山を下りた方がよいのではなかろうか」と言った。徳山は、簾を上げて外に出ようとした。ところが外が引き返して来て「もう外は真っ暗です」と言った。龍潭和尚は紙燭(明かり)を渡してやった。 徳山がそれを受け取った時、龍潭はプッと灯を吹き消した。 徳山は、この時、「ハッ」と悟り、深々と頭を下げた。 

筆者のコメント:山川宗玄師の「無門関提唱」(春秋社)には、徳山がどこをどう感じて悟ったのかという肝心なことが書いてありません。それでは私たちの参考にはなりませんね。筆者の考えでは、徳山は「ハッと」と自分に気づいたのでしょう。読者の皆さんは「自分に気づいているのはあたりまではないか」とおっしゃるも知れません。しかし、よく考えてみてください。私たちはふだん、自意識はあっても本当の自分には気づいていないものなのです。このことは禅ではとても大切なことです。

 徳山は龍潭のところへ来る前には金剛経の学者として自他共に許す学者だったのです。そのため、教えを乞うて来た裏に「龍潭なにするものぞ」という思いがあったのでしょう。そのため議論が白熱化したのです。それを十分に感じ取っていた龍潭師が「そんなものは単なる知識であって、禅の知恵として身につかない」と行動で示したのでしょう。徳山が後に自分が持ってきた法華経の研究書を全部燃やしてしまったことが何よりの証拠です。

筆者も長年禅を学び、「無門関」などの解釈を試みてきましたので、身につまされる話です。頭でわかることと、全身でわかることとはまったく別なのです。

本則は続きます。

龍潭は「お前さん一体どうしたんじゃ」と言った。

徳山は、「今日から私は龍潭師や世の老師達が言われることを疑いません」と言った(以下略)。

山川師の解釈:「直指人心見性成仏」を今後私は少しも疑いません。誰でも直ちに仏になる。一気に悟りの世界に行く。本当に自分の世界をグッとつかむ。仏の心こそ、本来の自分なのだと。

筆者のコメント:山川師のおっしゃることはよくわかります。しかし、そんなことは無門関28則にはどこにも書いてありません。

註1徳山宣鑑(780-865)唐代の禅師。徳山の三十棒として名高い。修行僧たちに問を与え、答えられないと棒で三十回も叩いたと言う。

体露金風-悩みから眼を上げる

「碧巌録」第二十七則にある話です。
 僧、雲門(註1)に問う、「樹(き)凋(しぼみ)葉落つる時如何(いかん)」。門云(もんいわく)「体露金風(註2)」。

:晩秋になって樹々の葉が枯れて落ちます。その時は一体どう思いますか、と一人の僧が質問した。雲門禅師はすかさず「体露金風」と答えた。体露とは、山も川も人も見えるものすべてが神仏の御業(みわざ)の表われだということ。金風とは心地よい秋風のこと。つまり、「見渡す限り晴れ渡った大空のもと、ここちよい秋風が颯々と渡って行くではないか」と答えているのです。端的には雲門の返事は「何をゴチャゴチャ言ってるんだ」でしょう。修行僧たちはしばしば、真面目に、しかし、どうしようもないことを言うのです。

 道元禅師の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」の歌は、道元の禅境の極致と考えられています。まさに体露金風の心境でしょう(歌集「傘松道詠」の内にある「本来面目」と題するものです)。
 良寛さんにも「形見とて 何残すらん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」の歌があります。筆者は良寛さんこそ道元の真の後継者と考えています。この歌は道元禅師の歌が元になっていることはまちがいないでしょう。

 私事ですが、筆者は63歳で第1回目の定年になりました。その1年ほど前、「来年4月1日から、一体何をすればよいのか」と気付き、愕然となりました。それまで40年間仕事をし続けてきたのですから、突然その日を境にして線路が切れて谷底へ落ちてゆくような気がしたのです。幸いにも第2の職が見つかり、それも楽しかったのですが、70歳で2回目の定年を迎えました。そのことを伝えたとき、友人が言った「これからは毎日が日曜日だね」との言葉が胸に突き刺さりました。もちろん友人に他意がないことはわかっていましたが・・・。「一日作(な)さざれば一日食らわず」を知っています。百丈懐海(ひゃくじょうえかい749-814唐代の禅師)の言葉です。禅を学ぶ者ならだれでも知っており、それだけに友人のこの言葉はこたえました。

 筆者はまた、近年喜寿を越えましたが、近頃友人たちが次々に亡くなって行きます。また、油断のならない病気にかかる同輩、後輩も多いのです。年齢を感じざるを得ません。しかし、筆者は、この体露金風の禅語を知ったとき、「ハッ」としました。体は老いても人間の魂は光り輝いているのです。

 大切な家族を失った人、津波や豪雨で家ばかりか、生活の基盤まで失った人、リストラにあった人、怖い病気を持っている人、社会的な地位の上下、収入の多寡に悩む人、失恋や受験の失敗・・・。すべての人にとっても同様なのです。どんな状況になろうとも、ふと目を上げれば、見えるものすべてが神の御業によるものであり、澄み切った青空に爽やかな秋風が渡っているのです。禅では凝り固まった心を「つと」逸らすことをよく教えます。「天行健なり」という言葉があります。尊敬する三島海雲さん(カルピス飲料KKの創業者)の言葉です。

 禅の精神とはこういうものなのです。

註1 雲門文偃(うんもんぶんえん846-949唐代の禅師)「日々是好日」の禅語が有名。良いことも悪いことも、取り巻く現実を徹底して見据えた上で、ここに今、実際に生きて在ることの感謝を知る。そうすれば毎日が好日であるという意味でしょう。

註2体露とは、全体の露現。中国の五行説(宇宙の万物はすべて木・火・土・金・水の五行によって生成されるという説)で、秋が金に当たることから、金風とは秋風のことです。

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オーム死刑・村上春樹さんに対する疑問

(1)  2018年7月にオウム真理教の死刑囚13人の刑が執行されました。以下の筆者の意見は、 そのすぐ後に投稿された作家の村上春樹さんの意見に対する疑問として述べたものです。これまで公表しないでおきましたが、あれから1年3か月を経た今、お話させていただきます。

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 作家の村上春樹さんが、今夏突然執行されたオーム真理教幹部に対する一斉死刑執行の直後、毎日新聞に次のような寄稿をしています。公平性を期すため、そのまま再録させていただきます。ちなみに村上さんは著作活動の一環として、一部の裁判も傍聴していました。毎日新聞(2018/7/29)の記事、

 「オーム真理教被告死刑執行について「事件終わってない。胸の中の鈍いおもり」

 七月二十六日に、七月六日に続いて二度目の死刑執行が一斉におこなわれ、これで死刑判決を受けた元オウム真理教信者の十三人、すべてが処刑されたことになる。実にあっという間のできごとだった。 

 一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている。人を殺すのは重い罪だし、当然その罪は償われなくてはならない。しかし人が人を殺すのと、体制=制度が人を殺すのとでは、その意味あいは根本的に異なってくるはずだ。そして死が究極の償いの形であるとう考え方は、世界的な視野から見て、もはやコンセンサスでなくなりつつある。また冤罪事件の数の驚くべき多さは、現今の司法システムが過ちを犯す可能性を──技術的にせよ原理的にせよ──排除しきれないことを示している。そういう意味では死刑は、文字通り致死的な危険性を含んだ制度であると言ってもいいだろう。 

 しかしその一方で、「アンダーグラウンド」という本を書く過程で、丸一年かけて地下鉄サリン・ガスの被害者や、亡くなられた方の遺族をインタビューし、その人々の味わわれた悲しみや苦しみ、感じておられる怒りを実際に目の前にしてきた僕としては、「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。「この犯人はとても赦すことができない。一刻も早く死刑を執行してほしい」という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる。その事件に遭遇することによってとても多くの人々が──多少の差こそあれ──人生の進路を変えられてしまったのだ。有形無形、様々な意味合いにおいてもう元には戻れないと感じて居られる方も少なからずおられるはずだ。

 筆者はこの記事を読んでとても違和感を感じました。「一体あなたは死刑制度に反対なのですか賛成なのですか」と。要するに村上さんの発言の主旨は「総論反対各論賛成」でしょう。法には「この案件については反対、別の案件については賛成」などという虫の良い解釈はないのです。個々の案件についての審議は裁判官や裁判員が行い、その上で死刑に該当するかどうかが判断されているのです。村上さんのような個人が「個々の案件」について判断するのはナンセンスでしょう。

 村上さんは世界的な読者を持ち、毎年ノーベル賞が期待される著名な作家ですね。しかし筆者は村上さんのこの論説を読んで失望しました。「この人の思想の根本はこの程度のものか」と。

(2)死刑制度存廃の問題は、オーム事件を待つまでもなく、筆者のブログの重要な課題です。

 わが国で死刑制度反対を唱える人たちの主要なキャッチフレーズは「先進国で死刑制度を持っているのは日本と米国だけだ。その米国各州でも死刑制度廃止が進んでいる」というものです。しかしこの論理には大きなごまかしがあるのです。現在死刑制度を持っているのは、大国インドや中国(毎年2000人以上:筆者)、そして韓国があります。それゆえ、確かに世界全体で見た場合、死刑廃止国・執行停止国の合計は139カ国、残置国は58カ国となっていますが、世界人口の半分は死刑制度賛成なのです。さらに、70年代半ばに死刑を廃止したカナダは、国民の60%から70%が死刑制度の復活を望んでおり、国民の3分の2から4分の3が、死刑制度を希望していると言います。さらに70年代半ばに死刑を廃止したカナダは、国民の60%から70%が死刑制度の復活を望んでおり、イギリスでも国民の3分の2から4分の3が、死刑制度を希望しています。さらに戦後死刑制度を廃止し、近年死刑反対運動を国際的に主導しているイタリアですら、国民の半数が死刑の再開を望んでおり、1981年に死刑が廃止されたフランスは、大多数の国民が死刑制度を支持していると言われています(以上、アムネステイインターナショナル調査から)。

 これらの理由から、筆者は日本の「先進国で死刑制度を持っているのは日本と米国だけだ。その米国各州でも死刑制度廃止が進んでいる」などというごまかしがとても嫌いです。ちなみに世論調査によると、わが国でも80%以上の人が死刑制度を支持しています。さらに、死刑制度に反対する人たちは「重大犯罪の抑止力にはならないから」と言っていますが、支持する人達は「遺族感情を重んじて」というのが主な理由です。よくわかりますね。

 「闇サイト殺人」という驚くべき事件があったのは筆者の家の近くでした。被害者は母一人子一人の家庭で、上品な感じのお母さんが「無期懲役になった二人にも極刑を」と言っていたのが印象的でした(ちなみに主犯のみが死刑)。知人に、「裁判員裁判の担当死者に選ばれたくなかったら『私は死刑制度に反対ですから』と言えばいい」と言う人がいました。筆者はこのお母さんの例を挙げて「そんなことは絶対に理由にしてはいけない」と諭しました。

 村上春樹氏は高名な人ですから、新聞に寄稿すれば即採用されるでしょう。それに対し私たち一般大衆の意見が取り上げることなどごくまれでしょう。筆者は「高名さゆえにマスコミというメデイアを通じて、影響力のありうる『個人的意見』を述べることは許されない」と思うのです。

怒りは自分も傷つける

 家族ぐるみの付き合いをしていた年上の友人が5年前に亡くなり、遺族の兄弟間で、遺産をめぐってバトルが続いています。父親の土地は兄が相続しました。もちろん法的には兄弟ともに土地を相続する権利はあります。しかし、父親は、弟が義父の多額の遺産を受け継いでいるという事情を斟酌して、財産のない兄に土地を与えたのでしょう。弟は、義父が亡くなり、以前から父親の土地に移転して家を建てていたため、賃貸料無しにそのまま住み続けることが、暗黙のうちに了解されていました。

 しかし、そこがトラブルの元になったのです。兄は「これは俺の土地だ」の意識がだんだん強くなり、「〇〇万円やるから出ていけ」と。そんな金額で建物(2階建て)を解体し、新たに土地を買って移転できるはずもなく、結局そのままずるずるになり、今日に至っています。それが10年近く続いたのです。父親の書斎も残り、アパートを建て、娘の自宅を新築したといっても、もともと700坪もあるのです。30坪の弟の家などあっても許容の範囲ではないか。筆者は以前から友人である父親の判断を尊重していましたから、兄弟間のバトルでは終始弟を支持し、兄には「君は欲深だ」という態度を取り続けていました(口には出しませんが)。

 ところが最近、新たに市の道路が通ることになり、弟邸の土地にも一部掛かる計画だとわかりました。そこでバトルが再燃し、とうとう双方の怒りが一触即発の状態になったのです。限度を超え、言ってはならないことまで言い合うに至りました。長年の付き合いで、双方から筆者のところへ訴えが来ました。友人の霊は悲しんでいるでしょう。今日お話したいのは、その後のできごとです。

 「あわや」の事態から約一か月たった最近、兄を見てその激ヤセぶりに驚きました。人違いかと思ったほどです。しかもその家内は入院しているとか。すぐにお見舞いに行ってみますと、本人は「精神的に・・・」と言っていました。兄夫婦の怒りや恨みは結局自分に返ってきたのです。筆者も後悔しました。あのとき「兄が欲深だからだ」と強く思ったことをです。たとえ正しいと思っても、「黒白をはっきり言ってはいけない」のですね。居丈高に振りかざしていいような正義などはないのです。仲裁してみて、こういう場合、双方が必死になって、へ理屈を付けてでも自分を正当化するものだということもわかりました。どっちもどっちです。禅では理屈をとても嫌います。「正義」などと言うものもないのです。

 問題を解決する道は一つしかないと思います。どちらかが冷静になって自分の主張を少し引っ込めることです。怒りや恨みなど、どこかで断ち切らなければいけないのです。ほんの少しの勇気をもって、こだわりを捨てなければならないのです。こだわらないことは禅の基礎です。そして、欲深いことは、仏教で言う貪(むさぼり)瞋痴の三毒の一つです。

 以前、「このままでは死ぬまで憎み合うことになるのではないか」という筆者の友人たちのことをお話しました。憎しみを残して死ぬことは、霊的に言っても、とてもいけないことなのです。