夢想国師「夢中問答」(1)

 「夢中問答」は夢窓国師(疎石1275~1351)と足利直義(1306~1352)の問答集で、1342年に出版。夢想国師は、道元より少し後の人で、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔う(註1)ため創建した天竜寺の住職。室町時代を代表する禅師でした。しかし、残された言行記録は少なく、筆者には国師の禅境がよくわかりませんでした。

 この「夢中問答」からは、直義が禅仏教を深く学び、座禅修行をしていたことがわかります。夢窓国師は臨済宗の僧侶で、後醍醐天皇、足利尊氏・直義兄弟など、当時の錚々たる人たちから深く帰依されていました。さらに出版者は大高重成(註1)です。

 筆者はこれまで足利直義には良い印象は持っていませんでした。なぜなら、足利尊氏の実弟として室町幕府開府の立役者でありながら、重臣高師直一族を滅ぼし、さらに兄尊氏と対立し、不利になると、こともあろうに南朝と和睦して対抗しました(註2)。さらに南朝と再び不和になると、後醍醐天皇の皇子護良親王を殺すなど、一見、およそ節操のない一生を送った人だからです。これら一連の騒動は感応の擾乱と呼ばれ、あまりのやりきれなさに、あの司馬遼太郎でさえ途中で筆を折ったと言われれています。

註1 尊氏は後醍醐天皇を滅ぼした、いわば張本人であり、天竜寺の創建は、あまりにも見え透いたパフォーマンスであることがわかります。さらに大高重成は直義に滅ぼされた有力武将高師直の一族ですから、いわば敵のために出版したのです。これだけでも当時の情勢の泥沼振りがわかりますね。

註2兄の尊氏でさえ、後に南朝と手を打ちました。南北朝が統一されるのはようやく3代義満になってからで、「明徳の和約」と言われています(1392)。それも北朝系と南朝系から交互に天皇を出すという約束を反故にした汚いやり方でしたが。

 しかし、筆者は、今では尊氏や直義の生き方が理解できます。そうせざるを得なかった「時代」だったのでしょう。南北朝に続く室町時代も、6代将軍義教が暗殺され、一大名に過ぎない山名氏が11か国を支配するなど異常な時代でした。それに続く応仁の乱も11年続いた泥沼闘争でした。将軍義教を殺したの播磨の赤松満祐で、その後幕府によって滅ぼされました。そして後南朝最後の尊秀王(18歳)、忠義王(17歳)を暗殺して神璽を奪ったのは、吉野に潜り込んだ赤松の遺臣でした(長禄の変1457)。それによって当初の約束通り赤松氏は復活したのです。徳川家康は、これら前代の政治状況を大いに参考にして、大名や天皇・貴族を支配する苛烈な体制を敷いたのです。それが260年以上続いた江戸幕府の成功の要因なのですね。

 尊氏も直義も、あのようなやりきれない状況だったからこそ、夢窓国師に教えを乞うたのでしょう。それほど彼らの人生にとって禅を学ぶことは切実な問題だったのです。筆者は今では彼らの人間らしさがよくわかり、親しみを憶えます。

 そこで筆者は改めて「夢中問答」を深く学び、読者の皆さんにそのエッセンスをお伝え出来たらと思います

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