良寛さんの浄土信仰

 良寛さんは、曹洞宗本山の永平寺より厳しいことで知られた備中玉島圓通寺で10年わたる厳しい修行をし、印可を得た人です。いうまでもなく自力本願ですね。ところが、驚くべきことに故郷へ帰ってからは浄土宗の他力本願の歌を数多く詠んでいます。

かにかくに ものな思いそ 弥陀仏(みだぶつ)の                                本の誓いの あるにまかせて                                         本の誓い:弥陀の本願、つまり衆生をお救いくださると誓われたこと

我ながら うれしくもあるか 御ほとけの                                         います御国(みくに)に 行(ゆ)くと思へば

愚かなる 身こそなかなか うれしけれ                                 弥陀の誓いに 会ふと思えば                                      なかなか:かえって

待たれにし 身にしありせば いまよりは                                     かにもかくにも 弥陀のまにまに                                        待たれにし:命の終わりを待っている。 まにまに:心のままにまかせよう

極楽に 我が父母は おはすらむ                                       今日膝もとへ 行くと思へば     

草の庵(いほ)に 寝ても覚めても 申すこと                                       南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 これについて野積良寛研究所の本間明さんは、・・・その背景には、越後、特に平野部には浄土真宗の信者が多いこと、晩年に身を寄せていた木村家が熱心な浄土真宗の信仰の篤い信者であったことも影響しているでしょう・・・ 良寛は、貧しい農民が真に救われるためには、菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう(註1)では限界があり、ひたすら南無阿弥陀仏と唱え、一心に阿弥陀仏を信じる教えは尊いものと考え、他力本願的な魂の救済という方法に徐々に傾倒していった可能性もあります。阿弥陀仏にすがることで、救われ、来世は極楽に行くことができるという教えの方が、庶民に安心を与え、庶民の魂を救済する方法としては、より現実的と考えるようになったのかもしれません・・・と言っています(以上野積良寛研究所HPから)。

筆者のコメント:筆者は、本間さんのこの考えに対して異論があります。本間さんは真摯な良寛さん研究者だと思います。ただ、本間さんが言う 「阿弥陀仏にすがることで、救われ、来世は極楽に行くことができるという教えの方が、庶民に安心を与え、庶民の魂を救済する方法としては、より現実的と考えるようになったのかもしれません」とは思えないのです。以前のブログ「道元・良寛さん・宮沢賢治と法華経」でお話したように、良寛さんは、長い仏教修行遍歴の結果、おのずと釈迦仏教から、神仏の存在を前提とするヴェーダ信仰に回帰したのだと思うのです。釈迦仏教にはヴェーダ信仰で言う神(仏)の概念はありません。釈迦以降数百年に及ぶ仏教研究の成果として、浄土思想や法華経思想が生まれたのです。浄土思想では、「ただ南無阿弥陀仏と唱えれば仏(神)によって救われる」と言うのです。法然は「弥陀の本願」という、釈迦仏教とは正反対の思想に至りました。これが、筆者が「法然は釈迦と並ぶ偉大な思想家である」という所以です。

註1菩薩の実践する衆生を導く四つの方法
 布施(施しをする)
 愛語(慈愛の言葉をかける)
 利行(他を利益する行い)
 同事(他と同化すること)

 良寛さんは、浄土信仰に傾倒する以前から、越後の人たちに実践していたことですね。別に四摂法に限界を感じたからではないでしょう。ちなみに「正法眼蔵」にも 「菩提薩埵四摂法巻」があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です