オーム真理教の闇と光‐野田成人さん

 オーム真理教事件が私たちに衝撃を与えたのは、その独善的な信念(?)ばかりでなく、東大医学部卒の医者や、一流大学出身の優れた研究者の卵など、前途有望な若者たちが数多く入信していたことでしょう。オーム真理教を否定するのは簡単です。しかし、少なくともその活動の初期については、よく考えてみる価値があります。死刑になった13人の一人、広瀬健一は、早稲田大学大学院修士課程修了。国際学会に出した論文が当時の世界のトップサイエンスであると評価された、将来を期待された研究者でした。彼は人生を深く悩み、その答えを麻原の書に見出したと言っています。野田成人さんは東大理学部の学生時代に入信。元幹部でしたが麻原路線と対立して除名され、オーム崩壊後アーレフの代表になったが、そこからも除名。その後著した「革命か戦争か」(サイゾー出版)は、オームを内側から見たものとして重要です。

 その種の著書には強い自己弁護や正当化があるのは当然でしょう。「革命か戦争か」という書名自体にそれが表れていますね。しかし、私たちを納得させる部分もあります。そこには、

・・・・オームに入信した若者(私〈野田氏〉もその一人)は当時のバブルの真っ只中の日本に生き甲斐や幸福を見いだせず、逆に豊かさを捨てた禁欲生活に希望を追い求めました。オームという宗教団体は、物質的豊かさを求める資本主義という光、その強烈な光の裏側に強いコントラストを伴って生まれた影であると私は捉えています・・・・物質的な豊かさだけでなく、人間の生き甲斐、生きる意味合い・生存の意味合いを持たせられるだけの精神的豊かさ、これが現代日本にあったら、オームに若者が集まる必然性はなく、よって事件は起凝りえなかったのではないか・・・・オーム事件は崩壊しつつあるグローバル資本主義社会への警鐘であった・・・・

筆者のコメント:野田氏の言う「バブルの真っ只中の日本に生き甲斐や幸福を見いだせず、逆に豊かさを捨てた禁欲生活に希望を追い求めた」の一条は重要ですね。野田氏以外にもそういう人はたくさんいたと思います。野田氏は「東大理科I類のトップで(自分で言うか!)物理学科へ進むことができた。しかし、『将来ノーベル賞を取る』という子供の時からの強烈な夢などとても果たせない自分の実力の限界を知った」と。やがて野田氏は精神世界に興味を持つようになり、麻原の理論に傾倒した。そして、涙を流して反対する母親を説得して東大を退学し、オームに入信した。「解脱」という価値観と「人類救済」というテーマは私の中に確固たる意味を持っていた・・・・。

 自分の実力にそぐわない途方もない夢を持って生きてきた人間が、その限界を知った結果、じつは、彼自身の問題とはまったく関係のない「社会が間違っているんだ」とすり替えるケースは、精神病理学の分野ではいくらもあるケースなのです。ごく最近でも、中学時代から「東大医学部へ行くんだ」と思い込んでいた少年が、とても行けない自分の実力の限界に気付き、東大入試のさい、まったく関係のない受験生を傷つけた事件がありました。以前のブログでお話した宮本祖豊師も、受験につまずいたのが宗教の道に入った理由だと言いますが、それを自分の心の問題としたことが成田氏とちがうところで、正しい信仰の道を歩んだ理由でしょう。

 しかも本書の主題である「麻原の理念より麻原(グル)自身を絶対視し、それ以外の価値観、そして社会を敵としてテロ行為を行うグルイズムと、お金という価値観がすべての他の価値観や文化を飲み込んで最後は戦争になる資本主義との同一性云々」は都合の良い自己弁護でしょう。グルイズムと資本主義の問題など、何の関係もありません。

 以上、野田氏のこの著者が強い自己弁護と正当化に満ちていることは、筆者の予想通りでした。それでも、オームから除名されたおかげで死刑にならなくてよかったです。

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