1)「もし死後の世界があることが実証されれば」は、「もし地球外にも人間のような知的生命があることがわかれば」と並んで人間の意識に革命が起こるとお話しました。今回は、その内、生まれ変わり現象についてお話します。
生まれ変わり現象や、臨死体験、あるいは死後の世界などについて研究すれば、日本の大学ではほとんど受け入れられないでしょう。しかし米国では、それらをまじめな研究として承認されています。米バージニア大学医学部のイアン・スティーブンソン教授や、その後を継いだJ.B.タッカー教授は、1967年以来、前世の記憶を持つ子供たちへの聞き取りを進め、現在までに世界40か国で2600例以上を収集しています。一方、日本では、中部大学教授大門正幸さんが研究をしています(註1)。次のケースは、イアン・スティーブンソン教授の研究の端緒になった有名な日本の「勝五郎」のケースです。
武蔵国多摩郡中野村(現在の東京都八王子市東中野)の農家、小谷田源蔵の息子として生まれる。文政5年(1822)のある夜、突然家族に「自分はもとは程久保村(現日野市程久保)の藤蔵という子どもで、6歳の時に痘瘡で亡くなった」と言い、あの世に行ってから生まれ変わるまでのことを語った。語った話が実際に程久保村で起こった話そのものであり、村に行かなければ分からない話を知っていたということでその当時大騒ぎとなり、「ほどくぼ小僧」と呼ばれるようになった。話は江戸まで知れわたり、神道家・思想家の平田篤胤は勝五郎を自分の屋敷に招き、聞き取った内容を以下のように「勝五郎再生記聞」という書物にまとめている。
・・・・武州中野村の小谷田源蔵の息子・勝五郎が8歳の時、「おまへはもと何処(いずこ)の誰(た)が子にてこちの家へ生まれ来たれる」と、兄と姉に聞いたことに始まりました。何を言っているんだと思った兄と姉は「そちは知りて居れるか」と返すと、「我はよく知れり。本は程窪村の久兵衛といふ人の子に藤蔵といひし者なり」と答えたという。この一件が、たちまち両親と祖母に知られることとなり、自分の前世は、武州程久保村の須崎久兵衛の子・藤蔵である。母の名はしづ、父の久兵衛は死んで、後に「半四郎」というもの(義父)が来て自分をかわいがってくれたが、6歳の時に藤蔵は疱瘡にかかり死んで、この家の母のお腹に入って生まれたと語りました。この当時、勝五郎は祖母と一緒に寝ていました。夜毎に程久保村の半四郎の家に連れて行ってくれと祖母にねだるようになります。とは言っても、子どもの言うこと、あやしく思った祖母がそれなら詳しく話しなさいと生まれてくる前の話を聞きました。
勝五郎の話によると、藤蔵が死んで、魂が身体から抜け出た。家に帰ったが、話しかけても誰も答えてくれなかった。その後、白く長い髭を生やした仙人のような黒い着物を着た翁と会い、あの世で3年(実際は5年)ほど暮らしていた。翁に小谷田家まで連れてこられ、「あれなる家に入りて生まれよ」と言われ、竈(かまど)のところで家の様子を伺っていた。その時に、母が家計を助けるために奉公に出る話を父としているのを聞いたという。この話は、祖母も知らない両親の間でしか知りえない情報でした。それだけに勝五郎の生まれ変わりの話は、次第に本当かもしれないと父母も思うようになりました。そこで、程久保村をよく知っている者に「久兵衛という人を知らないか」と聞いたところ、勝五郎の前生「藤蔵」家は実在するといいます。文政6年1月20日、ついに祖母と勝五郎は「藤蔵」の家を訪ねました。藤蔵の母のしづと義父の半四郎が在宅しており、勝五郎を見て藤蔵によく似ているといい喜んだといいます。また、勝五郎は、はじめて訪れた家であるにもかかわらず、家の中や家の周辺のこともよく知っていて、みんなを驚かせました・・・・。
「生まれ変わり」のさまざまなケースについては、以下の文献をお読みください。
文献1)「前世を記憶する子供たち」イアン・スチーブンソン著笠原敏雄訳(日本教文社)
2)大門正幸「生まれ変わりを科学する」(桜の花出版)
3)同上「なぜ人は生まれ、そして死ぬのか」(宝島社)
4)森田健「生まれ変わりの村①-④」(河出書房新社)
2)大門さんのように「生まれ変わりはある」と考えている人たちには「思い込み」があるようです。なにより問題なのは、大門さんたちは、生まれ変わりの過去の人物を特定できなかったケースを切り捨てていることです。大門さんも「前はイギリスのお料理屋さんの子供だった」という日本人トモ君のケースを紹介しています(文献5)。トモ君のたっての願いに応じたお父さんがイギリスへ連れて行きました。しかし、どうしてもトモ君の家は見付からなかったのです。大門さんはそこでその話を打ち切っています。ではトモ君の記憶には不確かな部分があったため?筆者はそうではないと思います。次のケースをお読みください。
ある「私は阪神淡路大震災で亡くなった」と言っていた日本の少女がいます。大震災後わずか数年のことでしたし、「淡路島のある港で、橋が見えて、家は鮮魚店だった」というふうに、その記憶はきわめて具体的でした。そこでレポーターがそれらしい土地を探してみましたが、どうしても見付からなかったのです。これらの事実から、「生まれ変わり」とは別の解釈ができます。つまり、「亡くなった人の意識がどこか(の次元)に残っていて、それがその少女の意識に入り込んだ」とも考えられるのです。このように過去生を特定できなかったケースはいくらもあります。
大門さんらは、人間の本性は魂(意識)であり、死後生まれ変わるという考えが浸透すれば死の恐怖は無くなる」と言っています(文献3)。そういう人もいると思います。しかし前回お話したように、筆者は数年前、ガンの疑いがあるためと生検を受けました。そのとき「ガン、そして死・・・・」という言葉が頭をよぎりました。しかし「生まれ変わるから不安はない」という考えはまったく浮かびませんでした。なんの助けにもならなかったのです。「なるようになる」これが筆者の、いわば死生感です。
大門さんはまた、・・・・国、人種、宗教を越えた生まれ変わりの実例が存在する。自分も次の人生で国、人種、宗教を越えた生まれ変わる可能性に思いを馳せることができれば、これらの違いに基づく対立は大幅に減るのではないか・・・・過去生で異性だった可能性について想像することができれば、女性蔑視に起因する事件や出来事は大きく減るのではないか・・・・「生まれ変わり現象や臨死体験についてのまじめな研究が集まって大きな流れになり、やがて人間観や世界観の大きな転換が起こる。その胎動が鳴り響き始めているのが現在であると思われてならない」と言っています(文献3)。しかし、筆者はとても期待できません。今ロシアがウクライナを侵攻していること、中国のウイグルでの蛮行を見て、ロシアやア中国の人々このようなパラダイムシフトが起こると思いますか?ソ連崩壊というきわめて深刻ななダメージを受けたにもかかわらず、ロシア人の意識は変わっていないのです。逆に100年前に戻っているのです。中国についても同じです。イスラエルとパレスチナの紛争についても、彼らの相互不信がこのパラダイムシフトで解けると思いますか?イスラエルという国が無くなることなど永遠にありえないのです。
「死んだらどうなるの」について、筆者は「霊があることは確信していますが、それは単に神の世界があることを知るきっかけに過ぎません」と書きました。つまり、生まれ変わり現象や臨死体験の問題は重視していないのです。別に大門さんらの考えを否定している訳ではありませんが。
文献5 池川明「前世を記憶する日本の子どもたち」ソレイユ出版