佐野洋子さんの死生観(1,2)

佐野洋子さんの死生観(1)

 絵本作家でエッセイストの佐野洋子さん(1938‐2010)の大人の絵本(挿絵は北村裕花)のことは、NHK番組「ヨーコさんの言葉」で知りました。単行本「ヨーコさんの言葉 それが何ぼのことだ」(講談社)になり、早速読みました。その中にとても感動的な一章があり、ご紹介します(少し多くの部分を引用させていただきますが、本の売れ行きにマイナスでなく、プラスになることを願っています)。

フツーに死ぬ

 医者はレントゲン写真をビューアーにはさんで、
 少し沈痛な面持ちをしていた
 「ガンですね。一週間かもう少しもつか」
 フネ(愛猫:筆者註)を連れて帰った。
 フネはじっとめをつぶって 置いたままの姿勢だった。
 そばに水を置いてスーパーに行った。
 一番高いかんずめを十個買った。
 白身の魚のあまりのうまさに、
 パクパク食べてガンがだまされるかもしれん。
 レバーなんぞペロペロ食べたら、もしかしたら ガンも負けるかもしれん。
 高いったって安いものだ。
 しかし奇跡は起こらないだろうとも思う。
 小さな皿にスプーン一さじをとり分けて
 フネの鼻さきに持って行った。
 匂いをかいでフネは一さじ分を食べた。
 私は勇んでもう一さじを入れた。
 フネは口を閉じたまま私の目を見た。
 「ねえ、食べな」と私は言った。
 フネは私の目を見ながら
 舌を出して白身を一回だけなめた。
 私の声に一生懸命こたえようとしている。
 お前こんないい子だったのか、知らんかった。
 ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
 なんと偉いものだろう。
 時々そっと目を開くと、
 遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。
 静かな諦念がその目にあった。
 一週間、私はドキドキハラハラ浮わついていたのに、
 フネは部屋の隅で、ただただ 
 静かに同じ姿勢で、かすかに腹を波打たせているだけだった。
 見るたびに、偉いなー、人間はダメだなー、と感心した。
 二週間過ぎると、風呂場のタイルにうずくまるようになった。
 熱があって 冷たい所に行きたいのか、暗いところで 邪魔されたくないのか。
 ちょうど一月たった。 フネは部屋の隅にいた。クエッと変な声がした。
 ふり返ると少し足を動かしている。
 ああ、びっくりした、死んだかと思ったよ。
二秒もたたないうちに、またクエッと声がして、フネは死んだ。
全然びっくりしなかった。
私はフネを見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。
この小さな生き物の、
生き物の宿命である死を
そのまま受け入れている目に
ひるんだ。
その静寂さの前に恥じた。
私がフネだったら、わめいて
うめいて、その苦痛を呪うに違いなかった。
私はフネのように、死にたいと思った。
人間は月まで出かけることが出来ても、
フネのようには死ねない。
フネはフツーに死んだ。

感動的なお話しですね。しかし、これはウソだと思います。犬や猫など、人間以外の生き物には死の不安はないと筆者は考えます。危険を避ける本能はあると思いますが。ウソと言って悪ければ文学です。文学では人を救うことはできません。猫の死生観と言うより佐野さん自身の死生観でしょう。佐野さんはたしかにきっぱりとした人生観をお持ちの方です。それについては次回お話します。

佐野洋子さんの死生観(2)

 筆者の年齢になりますと、友人達が集まったとき、よく死生観の話が出ます。同年代の人たちの訃報が次つぎに来ますし、わが身にも色々不具合が出てくるからでしょう。中には「僕はもういつ死んでも後悔はない」と言う人がいます。しかし筆者は心の中で即座に「ウソだ」と思います。もちろんニコニコと聞いていますが・・・。そのときになってみなければわからないと思うからです。高名な禅師仙厓が死の間際に「死にとうない」と言って弟子たちを驚かせた有名な話があります。

 友人の一人がガンの生検を受けたときの気持を話してくれました。「検査結果は来週お話しますので、家族の方と一緒に来てください」と看護婦さんに言われたとき、「いや一人で大丈夫ですと言った。たとえガンと宣告されても絶対に動揺などしないとの自信があったからだ」と。「それでもぜひ」と言われて、「まあ、相手の立場もあるだろうから」と、次の週に奥さんを連れて行ったそうです。「結果は白だったけど、ひょっとしたら自分一人で行ってガン宣告を受けたら、帰りの電車ではどうだったかなー」と言っていました。そのへんが正直なところでしょう。

 じつは佐野さん御自身が乳ガンになり、7年後に亡くなられました。

 佐野さんは「死ぬ気まんまん」(光文社)で、
 ・・・「何よりも命が大事だというのはおかしい。私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ」と。そしてガンの脳への転移を医師から告げられると、「これで老後の心配がなくなった」。ガンが大腿骨にまで転移して痛いので、這うように病院に行ってもタバコは止めなかった。病院はもちろん禁煙だから帰りのタクシーで吸負うと思っていたが、タクシーも禁煙だったため、病院帰りに新車のジャガーを買った。車にさえ乗れば右足は動くから、自分の車でたばこを吸うためにである・・・「余命はあと2年です」と言われた時「これで老後の心配な無くなった」。「2年間の治療費はどれぐらいになりますか」と聞くと、「一千万円くらいでしょう」と言われ、「それくらいの値段のジャガーを買った」・・・
 これらの言葉はそのまま佐野さんの心を表わしたものだと思います。佐野さんは最後に骨髄にまでガンが転移して、「あまりの痛さにパジャマのひもを柱に縛り付けた。そうしなければ2階まで這い上がって行ってベランダから谷へ身を投げるかもしれないから」だ。そういう自分さえ客観的に眺めていた人なのです。まったくすごい人です。
 それは、いくつかの著作を読めばわかります。ちなみに「最後に『クエッ』と言って死んだのは愛猫のフネではなく、2年間寝たきりだったお父さんでした。

 ある、筆者の著書に関連して開いていただいた集まりで、「あなたの死生観は何ですか」と聞かれたことがあります。批判的な響きがありましたので、適当に答えておきました。しかし、親友にさえ言わないことを初対面の人間に言うはずがありません。筆者の心の奥底の問題ですし、第一、そのときになってみなければわからないからです。
 よく言われることですが、ガンが宣告された人はまず、「そんなはずがない」と、いろいろな別の病院へ行く。検査が進んで、だんだん本物のガンだとわかると、「神も仏もあるものか」「どうして私だけが」と怒る。次に「あと10年生かして下さい」というように神と取引する。さまざまな本を読んだり、新興宗教を尋ねたりする。そしていよいよダメだとなると、うつになり、最後に静かな諦めが来るそうです。(EC・ロス「死ぬ瞬間」読売新聞社)。ただ、前述の佐野洋子さんは、「私にはそういうのがぜんぜん当てはまらない」と言う。
  作家であり、僧侶でもある瀬戸内寂聴さんが、病気で激しい痛みが続いた時、「神も仏もあるものか」とテレビで公言したことがあります。驚いたNHKの渡辺あゆみアナウンサーが「でもあなたは僧侶ですし、仏教の教えについての講演や本もたくさん出していらっしゃるではないですか」と聞くと、「私は小説家ですから」と切り返していました。ことほどさように、筆者は小説家の死生観など信じていません。そのことは、吉村昭や津村節子さんを例として、以前に書きました。
 一方、佐野洋子さんの人間観は、これらの人とは次元が違うようです。「死ぬというのは当然のことだ。みんな仲よく元気に死にましょう」と言うのですから。
佐野さんは言います。
 ・・・どんなに冷静沈着な人でも、頭で考えることと気持ちの底の底は自分でもわからないのだ。
 その時にならないとわからないのだ。
 奥さんも医者もわからなかったのだ。
患者の言葉の向こう側の言葉でないものは、その時が来ないとわからない。
理性や言葉は圧倒的な現実の前に、そんなに強くないのだ・・・

筆者もまったく同感です。

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