法華経と道元、良寛さん、賢治(1,2)

法華経と道元、良寛さん、道元(1)

 はじめに

 「法華経」は初期大乗経典(般若経、法華経、維摩経、無量寿経、阿弥陀経)の一つであり、紀元1世紀から紀元3世紀までに成立したとされています。現代でも法華宗系統の宗派では「釈迦が最後にお説きになった最高の経典」と考える人が多いです。しかし、前にも書きましたが、この経典は釈迦の思想とはほとんど無関係です。現在でも法華経を根本経典とする宗派は、日蓮宗、創価学会、立正佼成会、顕正会など数多くあり、信者(世帯)数は1600万人以上に上ります。

 筆者は30数年前に初めて法華経を読んだとき、「???」と思いました。「法華経はすばらしい」「法華経はすばらしい」と書いてあるばかりで、なかなか本題に入らないからです。結局本題はよくわかりませんでした。たとえば源氏物語の中に「源氏物語はすばらしい」「源氏物語はすばらしい」と書いてり、源氏物語の本文がなかったら、やっぱり変でしょう?そうしているうちに、すでに同じようなことを言っている人がいることを知りました。

法華経は効能書きばかりで中身がない薬のようなもの

 江戸時代の学者富永仲基は、「法華経一部、只讃言のみ、仏を讃めたたえるか、自画自賛する言葉だけで教理らしきものは説かれていない。経と名づけるに値しない」と言っています(註1)。さらに、平田篤胤(1776-1843、 古神道の復活に寄与した人。以前お話した「勝五郎再生記聞」の著者 註2)も、「みな能書きばかりで、かんじんの丸薬がありはせぬもの」と言っています。

註1「出定後語」(日本思想大系43・富永仲基・山片蟠桃)の作者。のちほど改めてお話します。

註2「出定笑語」。富永仲基の「出定後語」をもじったもの。両著についての検討は菅野博史氏の東洋大学紀要に詳しい:https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/15718.pdf

 一方、現代の尾崎正覚さんは、「仏教学者の中には、『法華経そのものは、仏が広大な功徳を持つ有り難いお経を説いたと述べるだけで、説かれた筈の肝心の経の内容については何も説かず、恰も薬の効能書きだけで中身のない空虚な経だ』と言う者もいる。然しそれは正に彼等が仏法を知らないことを自ら暴露するものである」と言っていますが・・・。

 その後筆者は、敬愛する良寛さんや道元禅師が深く「法華経」に傾倒していることを知りました。「正法眼蔵」には別巻として「法華転法華」の巻がありますし、良寛さんには、「法華転」と「法華讃」という、文字通り「法華経」を礼賛した詩があることもわかりました。・・・と聞けば看過することはできないと、再びできるだけ精密に「法華経」を学び直しました。これからのシリーズはそれを基にしています。

 まず、本題に入る前に、皆さんにぜひ確認して置いていただきたいことがあります。それは「法華経」は釈迦の思想とはほとんど無関係だということです。「法華経」は、上述のように、いわゆる大乗経典の一つであり、釈迦の死後数百年も経ってから成立した経典です。つまり、釈迦の思想はそのごく一部にしか残っていないのです。これを「大乗非仏説」と言い、大乗教典類が成立したころから言われていました。そして、現在ではほとんど定説になっていますが、それを初めて体系立てて述べたのは江戸中期の学者富永仲基(1715-1746)です。仏教の経典のすべてを集めたものを一切経(大蔵経とも)と言い、約5000巻あります。富永がそれをすべて読破したかどうかはわかりませんが、「さまざまな経典は、必ずそれ以前の考えを乗り越えるものとして成立した」という、「加上説」を唱えました(前出「出定後語」)。それ以前は、経典はすべて釈迦が説いたものだと言われていましたから、後代、だんだん積み重ね(増広)られて行ったと看破した富永は恐るべき天才と言えるでしょう。道元はもちろん「法華経は釈尊が直接お説きになったものだ」と確信していたでしょう。良寛さんは、富永より50年くらい後の人ですが、当時の国情から考えれば、富永の考えは知らなかったと思います。

 追って「法華経」の内容についてくわしくお話しますが、「法華経」は釈迦の思想とはほとんど無関係だとすれば、道元も良寛さんの考えもよほど変更を余儀なくされるでしょう。それでも道元は「法華経は経典の王である(「正法眼蔵 帰依仏法僧宝巻」」と言えるかどうかですね。

法華経と道元、良寛さん、賢治(2)

 まず、「法華」とは法(宇宙真理)の華(花)という意味で、「法華経」はそこからつけた名前です。「法華経がまずあって」ということではありません。前回お話したように、「法華経」のような大乗経典類は、それまでの初期仏教(部派仏教とも)に対する批判から成立しました。それまでの初期仏教では、修行者自身がお寺などに籠り、ひたすら自己の悟りをめざして瞑想などをしていました。「それでは大衆のためにはならない」と、「自未得度先度他」(たとえ自分が悟りを得られる前でも、他の人の悟りへの道を助ける)を重視して大乗の教えが発達したのです。それは現代でも、法華宗の信者たちが、ともすれば強引に折伏する態度によく表れています。
 「法華経」の崇拝者たち(道元ですら)が、初期仏教のことを「小乗」と称していますが、以上の経緯から名付けた貶称(バカにした言葉)なのです。筆者は大乗経典も尊重していますが、まず釈迦自身の思想をぜひ知りたいと思っています。その意味で、釈迦の思想そのものを色濃く残していると言われる初期仏教の経典(パーリ語経典類)に強い関心を持っています。
 たしかに釈迦は傑出した思想家でしたが、古来インドには哲学的国民性があり、釈迦以降にも沢山のすぐれた思想家が出ています。「法華経」などの大乗経典類の作者は知られていませんが、釈迦に劣らないほど優れた人だったのでしょう。その人たちが大乗仏教を盛んにする一方、現代ではむしろ、仏教とは異なるヒンズー教などが主流を占める原因となっているのです。これらの事情をよく念頭に置いて「法華経」を学んでいただきたいのです。

 法華経とは

 「法華経」には四つの大きな論点があると思います。第一が、「初期仏教にはない最高の教えを説いている」とする点で、一乗の教えとか、阿耨多羅三藐三菩提、あるいは無上正等覚と呼ばれるものです。第二は、「すべての人には仏性(仏となれる素質)があるというものです。第三が、「善悪、美醜、貧富など、一切の対立概念がない」こと、そして第四が上で述べた「自未得度先度他」の思想です。

 では「法華経」で説く最高の教えとはなにか。じつは、「それは最高の悟りに達した者だけがわかる」と言うのです。すなわち、

「法華経方便品」には、

 ・・・舎利佛よ、要約して言うならば、計り知れないほど多くの、しかも未だかつて示さなかった教えを、仏はことごとく身に付けている。止めよう。舎利佛よ。再びこの教えを説く意思はない。理由は何故かというと、仏が身に付けているこの教えは、第一に優れ、類のない、理解しがたい教えであるからだ。ただ仏と仏だけが、あらゆる事物や現象や存在の、あるがままの真実の姿かたちを、究めつくすことができるのだ(下線筆者)・・・

最後の下線は、よく知られた漢訳の「唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相」です。そして「如来寿量品」には、

 ・・・三界に住む者が三界を見るようなことではない・・・

とあります。つまり、「三界(欲界・色界・無色界)を輪廻するお前たち衆生が見る世界とは違う」と言っているのです。
                           (以上、日蓮宗精勤山西鶴寺 加藤康成師訳)

 まったく、「あれだけ重要な経典だ、重要な経典と言っていながら、いい加減にしてくれ」と言いたいですね。それが筆者が最初に読んだとき「???」と思ったところなのですが、道元や良寛さんはちゃんと読み取っているのです。以下、道元の「正法眼蔵」や良寛さんの「法華讃」を参考にして筆者が理解できたところをお話します。結論から言いますと、最高の悟りに達した者が見るこの世の姿と、大衆の見る世界とはまったく違うのです。そして、「法華経」はやはりすばらしい経典だったのです。

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