般若心経解釈:佐々木閑さん、玄侑宗久さん

般若心経解釈 佐々木閑さん(1)

 佐々木閑さんは臨済宗系の花園大学教授。先頃のNHK「100分で名著」で4回にわたって般若心経の解説をしていらっしゃいました。40年にわたり般若心経の研究をしてきた人です。まず、般若心経の中心思想である「空(くう)」について、色(肉体:註1)、受(外界からの刺激を感じ取る感受の働き)、想(いろいろな考えをあれやこれやと組み上げたり、壊したりする構想の働き)、行(なにかを行おうと考える意思の働き)、識(あらゆる心的作用のベースとなる、認識の働き)などの五蘊はすべて「空」‐実体のないものとしました。五蘊はたまたま寄り集まったモノに過ぎずないこと、すべてのモノは変化し、相互の関係で成り立っているからだと言います。

註1 佐々木さんは「色」を「本当は木や石なども含めて外界にある物質全般を指しますが、ここではとりあえず人間の肉体のことと考えたほうがわかりやすいでしょう」と言っています。つまり、すべてのモノは実体を持たない架空の存在であると言うのです。

筆者のコメント:すべてのモノは常に変化し、それらは相互の関係において成り立つとの佐々木さんの解釈は、それぞれ、無常縁起という、釈迦がお説きになった基本的な思想と言われるものに則ったもので、これまでの仏教学者の手法を一歩も出てはいません。佐々木さんは五蘊の解釈自体を間違えていると思います。それは、著名な中村元博士や鈴木大拙博士も同様で、
・・・存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いた・・・(中村博士の解釈。下線筆者)
と解釈しています。筆者は以前のブログで、「存在するモノには五つの構成要素があるという意味ではなく、人間の認識作用のことを言っているのです。それをモノの有る無しにまで拡大してしまったことが、そもそもの誤りなのです」とお話しました。すなわち筆者の解釈では、

 色蘊 –  人間の肉体、つまり認識作用
 受蘊  -  見る、聞く、嗅ぐ、味わう、皮膚感覚などの知覚
 想蘊  - 「あっ!きれい」と判断する価値基準
 行蘊  - 「バラを取りたい」という気持ち
 識蘊  – 「バラだ」と認識する知識

 つまり、受蘊で感覚したものをを識蘊が「バラだ」と識別し、想蘊が「きれいだ」と判断して行蘊が「あれを取りたい」と思う。つまり五蘊とは、人間の認識作用(見て聞いて・・・判断し、行動する)を意味しているのです。これで筆者の言っている「空とはモノゴトの観かたである」と通じることがおわかりでしょう。モノの有る無しのことを言っているのではないのです。第一、色即是空・・・に続く受想行識亦復如是の部分をどう考えるのでしょう。「モノにも知覚や認識や感性がある」ことになってしまうのです。だれでも「おかしい」と思うでしょう。中村元博士、鈴木大拙博士などの錚々たる仏教学者、そして佐々木さんも基本的なところの解釈をまちがえていると思うのです。

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