テイクナットハン師

テイクナット・ハン師

 テイクナットハン師(1926~)はベトナム出身の禅僧(註1)。フランスとのインドシナ戦争、アメリカとの戦い、そして南北ベトナム戦争と、長い間「明日の命もわからない」時代の渦中にあった人です。しかし常にどちらの勢力にも属さず、非暴力を訴え続けました。そのため、北ベトナムによる統一後も国を追われ、現在はフランスの農村にプラムビレッジ(すももの里)と呼ばれる修養の場を開きました。今では毎年、世界中から多くの人が修行とリトリート(自分を見つめ直す)を受けに訪れています。驚くべきことに、そこではイスラエルとパレスチナの人々も一堂に会しているのです。ハン師は「行動する仏教」運動を実践しています。

 2003年、2011年には、アメリカの連邦議会にて瞑想を指導。2006年にはパリのユネスコ本部で講演を行い、2007年には、ハノイにてユネスコ主催の国際ウェーサカ祭(釈迦誕生日祭)に基調講演。2009年にはメルボルンの万国宗教会議で講演。2011年、カリフォルニアのGoogle本社(註2)で1日マインドフルネス(以前お話ししました:筆者)によるリトリートの指導を行う。2012年、ウェストミンスターの英国議会および北アイルランド議会に招かれ、慈悲と非暴力のメッセージを伝えたなどなど、最も世界的に活動している禅師です。1995年4月には来日し、約20日間、日本各地でリトリート瞑想会、講演会を行いました。

 NHKでも何度もその活動が紹介されましたので、お名前をご存知の読者も多いと思います。筆者が一番印象的だったのは、ハン師がロサンゼルスの拠点でリトリートを行っているとき、ある中年のベトナム帰還兵が訪れ、助けを求めました。その人はベトナム戦の最中、ある村を通った時、突然待ち伏せ攻撃され、親しい戦友を殺されてしまったと言うのです。復讐の思いに駆られた彼は、サンドイッチに毒を入れ、さりげなく村に置いてきました。隠れて見ていると子供たちがそれを見付け、喜んで食べたところたちまち苦しみだし、ついに死んでしまったのです。冷静になってみると彼はやったことの罪におののき、以来帰国後の今日まで苦しみ続けていると告白したのです。

 ハン師は静かにただ、「これから少しでも世の中に奉仕しなさい」と言いました。よろしいですか、ベトナムはハン師の母国です。そこの何の罪もない子供たちが殺されたのです。普通の人だったら血が逆流する思いでしょう。しかしハン師は憎しみに対して愛を以て返したのです。過酷なベトナム戦争で、憎しみを持って憎しみに返したら憎しみは消えないことを身に沁みて知らされたのでしょう。ハン師は言っています「アメリカがベトコン(ベトナム共産党員)を弾圧したために共産党員が増えたのです」と。

 これが禅なのです。これがハン師がアメリカ連邦議会、ユネスコ、英国連邦議会など、世界各国に招かれ、平和について講演を依頼される理由なのです。

註1ベトナムは、周辺のタイやミャンマーがいわゆる南伝仏教の国であるのに対し、ベトナムは中国から禅が伝わりました。
註2 最先端企業であるだけに成果を常に要求される厳しい世界だけに、社員の心の癒しに対する願いは切実なのでしょう。
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後記:2014年11月、フランスにて重篤な脳出血で倒れ昏睡状態に陥りましたが、言語に障害が残るものの奇跡的な回復を見せ、2015年4月にはプラムヴィレッジに帰還。現在は、訪問医の指導と弟子たちによる24時間体制のケアの元、リハビリに励んでいらっしゃいます。

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