筆者が垣間見た精神世界(2)

筆者が垣間見た精神世界(2)

 30数年前、筆者はある問題を抱えて、某神道系教団の門をたたきました。そこでやっていただいたのが、浄化灌頂供養(以下「供養」)という最高の修法でした。その教団では、主に問題の解決を先祖に求めます。先祖の誰かが「強い想い」を残して死んだとき、子孫の誰かに「解決してほしい」とのメッセージを伝えたいと、さまざまな「問題」を起こすと言うのです。そのため、あらかじめ家系図をできるだけくわしく書いて来るように、との指示がありました。そこで筆者はもちろん、家内の先祖たちも含めて、それぞれの町や村の役場を通して遡りました。ちなみに現在の戸籍法では明治初年以降の記録が残されています。

 さて、その家系図を携えて「供養」の場に臨みますと、教祖に加えて、霊能力の高い幹部職員が同席していました。調査が始まってすぐ、その幹部職員が「おかしいな、こんなところに先祖(の霊)がワッと出てきている」と言いました。「おかしい」と言ったのは、家系図の端のほうを指さしていたからです。筆者はすぐその理由がわかりました。それは家内の方の家系図だったからで、図が混み合っていたため、筆者の家系図と混同されたのです。
 じつは家内は3人姉妹の長女で、いずれも他家へ嫁ぎ、昔風に言えば家が絶えてしまうことになっていたのです。筆者は結婚の時、義父から「後を継いでくれないか」との依頼がありました。筆者は「名前よりも中身」の主義でしたから、すぐに「いいですよ」と答えました。しかしその後、実弟から「兄貴は長男だ。実家のことは全部自分がやるから養子には行かないでくれ」と頼まれたのです。筆者は「それもそうだ」と考え、養子の話はお断りしました。「供養」のさい、家内の先祖の霊がワッと出てきたのは、家系が絶えることへの心配からだったのです。家内の先祖は、東北地方の某藩の藩士で、江戸時代初めの築城のさい「竿奉行」という重要な役職を果たした人物(200石)です。ネットにも載っています。家内はその15代目でした。

 そこで筆者の代わりに、下の息子を養子(15代目)としました。小学校3年生の時でした。卒業して中学に入る時、学校から「〇〇君は中野(筆者の姓)と届けられていますが、戸籍上は△△(家内の姓)となっています。できれば戸籍通りにしてほしいのですが」という依頼がありました。息子の気持ちを聞いてみますと、「おれ中学までは中野で行き、高校に入ったら△△になる。友達にもそう言って置く」と言い、その通りに決着しました。ちなみに、筆者の当初の問題も解決しました。

 それから30年、今では恐竜好きの16代目もでき、順調に家系は維持されています。先年には家内の実家に伝来した陣羽織と裃を、先祖が書いた「由緒書き(各代の人物の事跡をまとめたもの。藩の指示によって提出した公式な書類の写し)」とともに、家内の先祖の霊たちが眠る東北某市の博物館へ寄贈しました。そこへ行けばいつでも展示を見ることができます。ただ、墓地は遠く、お参りに行くのは「せめて3年に1回」となっています。よくある話です。
 筆者の家系も孫(男子)が2人でき、先祖たちも安心しているでしょう。ただ、息子一家は遠くに住んでおり、今後ちゃんと供養を続けてくれるか気掛かりです。それまでに、せいぜいこの世に「思い」を残さないように禅の修行を続けていきます。
いかがでしょうか。こういうこともあるのです。

「筆者が垣間見た精神世界(2)」への2件のフィードバック

  1. すばらしい体験ですね。すごく面白いです。私も見てもらいたくなりました。どうしたらいいんでしょうか?

    1. 早速、反響があり、喜んでいます。ただ、35年も前のことで、すでに代替わりしていますので、その教団の現在の実力がわかりません。ちょっと検討させてください。こういうことはその教団の実力や真心を見極めてから相談することがとても大切です。

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