龍樹の「空」と禅の「空」は異なる(2の1-3)

龍樹の空と禅の空とは異なる(2-1)ブッダの思想

 以前から筆者は、「ブッダの教えは、思想と言うより、もっと日常的な知恵に違いない。ブッダご自身の教えがどんなものだったかもよくわからない」と。わずかに窺い知れるのが、初期仏典(パーリ語仏典)の、しかも、スッタニパータなど、その一部に過ぎないと思います。いつもお話しているように、その後のいわゆる大乗経典類(般若経、華厳経、法華経、涅槃経など)は、すべてブッダの考えを大幅に拡大してきた、ほとんど別の思想なのです。
 いつもお話していますように、中村元博士(1912‐1999)はインド古代のサンスクリット語やパーリ語を初め、チベット語、ドイツ語にも精通し、仏教はもちろん西洋哲学に関する驚くべき学識を蓄えた、碩学という敬称がピッタリの学者でした。とくに今からお話する「スッタニパータ」などの初期仏典を初めて邦訳したわが国の仏教学史上からも特質すべき人です。筆者など、東京大学印度哲学梵文学(サンスクリット、パーリ語)科が、印度哲学・印度文学専修課程と改称された(s38)理由の一つが、中村博士による精力的な研究によって、後任の学者たちのやることがなくなったからではないかと、いさささか穿った見方をしています。
 以下、「スッタニパータ(註1)」の内容について、ブッダの教えそのものがどんなものだったかを、中村元博士訳の「ブッダのことば」(岩波文庫)を基にお話します。

1)第一 蛇の章 七 賤しい人
〇足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、仕事に秩序。諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。
2)第一 小なる章 四 こよなき幸せ
〇諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること―これがこよなき幸せである。
〇父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと―これがこよなき幸せである。
2)第三 おおいなる章 第八節「矢」
 子供を亡くしてなげき悲しみ、7日間も食事をしない人を気遣って釈迦は、
〇この世における人々の命は、定まった相(すがた)なく、どれだけ生きるか解らない。惨(いた)ましく、短くて、苦悩をともなっている。
〇生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。
〇熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は、死なねばならぬ。彼らにはつねに死の怖れがある。
〇たとえば陶工のつくった土の器が終にはすべて破壊されてしまうように、人々の命もまたそのとおりである。
〇このように世間の人々は死と老いとによって害(そこな)われる。それゆえに賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。
〇迷妄にとらわれ自己を害なっている人が、もし泣き悲しんで何らかの利を得ることをことがあるならば、賢者もそうするがよかろう。
〇人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる・・・。

筆者のコメント:いかがでしょうか、素朴な教えですが、じっくり味わいたい言葉ですね。

註1インド古語パーリ語で「経典」の意味。ブッダは古マガダ語で話していたと言われています。

龍樹の「空」と禅の「空」は異なる(2-2)

 前回お話したように、ブッダ以降のインドの哲学者たちは、ブッダの、いわば「生活の知恵」を「縁起」とか、「無常」などの思想へと発酵させました。中村元博士も、「ブッダのことば」(岩波文庫)の中で、

・・・ブッダは仏教思想などというものを作ろうとしたのではない・・・

と言っています。その通りだと思います。

 「空思想」についても同様です。龍樹(ナーガールジュナ、AD150-250頃、つまりブッダの死後600年以上後のインドの哲学者。当時、すでに大乗経典類のあるものは創出されています)が批判したのは、大乗仏教以前の部派の一つ、説一切有部による「法(ダルマ、原理)は厳然として存在する(ですね)」という主張に対するものです。当時、これは重要な問題でした。龍樹は、「『すべてのものは縁によって成り立っているから、縁がなくなればバラバラになる(縁起)。そして、すべてのものは変化する(無常)』がブッダの思想の根本であるから、法ですら固定的ではない」と言ったのです。「人生は無常である」というような卑俗な(?)問題などが論点になるはずがありませんね。
 龍樹のこの考えは、当時の論争に決着を付けたと考えられ、以後大乗仏教は大きく発展しました。そして、「縁起」「無常」「空」は、大乗仏教の根本原理とされてきたのです。しかし、これこそ、筆者が言う仏教の問題点なのです。つまり、龍樹の「空思想」は禅の「空思想」とはまったく別のものなのです。「空」を大部分の現代の禅師(註3)や仏教解説者の言葉で説明すれば「あらゆるものは縁によって生じ、常に変化しているから実体はない(悩みとか苦しみも同様である)」となります。禅を解説するのに、龍樹の「空」思想を持ち出してどうするのでしょう。

 一方、筆者の「空」の解釈では「見る(聞く、嗅ぐ、味わう、触る)一瞬の体験こそがモノゴトの真実の姿である。そこにはモノゴトがあるとか無いとかは問題にされない。(それゆえ悩みとか苦しみなどの判断はない)」となります。

 筆者が禅を学ぼうと初めて手にした本が、近代の有名なM禅師の上記の「空」解釈でした。その結果、「そんな理屈は納得できない」と、禅から離れました。40年後に再び学び始め、5年以上かかって納得できたのが上記の解釈です。

 どちらの考えを了とするかは、もちろん読者一人ひとりの皆さん自身です。

註3 筆者のブログの読者のお一人、岩村宗康さんは、臨済宗のあるお寺の御住職とか。岩村さんは禅と、西田幾多郎の思想との関連性をお気づきになり、それがとてもよかったと思います。そこで次回は、岩村さんが参考にしていらっしゃる西田博士の「善の研究」と禅との関連性についてお話します。

龍樹の「空」と禅の「空」は異なる(2-3)禅と観念論哲学

 以下は、拙著「禅を正しく、わかりやすく」でお話した内容です。

 西田幾太郎(1870-1945)は、わが国初の本格的な哲学者といわれ、「西田哲学」という、今でも個人名で呼ばれる独自の思想体系を確立しました。西田には「善の研究」(岩波文庫)という、旧制高校生に広く読まれた著書があります。それを端緒とする西田の思想のエッセンスは、

・・・我々が実際に感覚しているもの、それが物自身である。たとえば、色を見、音を聞く刹那、まだこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいう。少しも思慮分別を加えない、真に経験そのままをいい、このとき、見る者(主)と見られる物(客)が同一の状態である。そして、この直接(直覚的)経験こそ物や心の認知の基礎である。」という。それを「直接経験」とか「純粋経験」とか「意識現象」と名付けた。それによると、この世の中のあらゆる実在、草木も石も山も、動物も植物も人も、その精神もすべて我々の意識現象、すなわち純粋経験(直接経験)の事実あるのみであり、客観的物質世界というのは単に思惟の要求より出た仮定に過ぎない・・・

というものです。いかがでしょうか。まさに禅の「空思想」ですね。 龍樹の「空」思想とは違います。
 
 西田幾多郎(1870-1945)は金沢の出身。同郷の鈴木大拙(1870-1966)の親友で、お互いに禅を学び、坐禅修行に励みました。両者が深く影響し合っていることは鈴木本人が言っています。その通りでしょう。筆者など、西田の「善の研究」は「禅の研究」と言ってもいいと思っています。おそらく同じような思想に達し、鈴木は「禅」として、西田は哲学としたのでしょう。
 じつは大変興味深いことに、西田と同じような考えがすでにドイツ観念論哲学としてありました。すなわち西田自身が言っていますように、彼がその思想を確立する以前に、カント(1724‐1804)、フィヒテ(1762-1814)やヘーゲル(1770-1831)らの先人達の成果があったのです(くわしくは拙著「禅を正しく、わかりやすく」パレード出版をご参照ください)。西田は謙虚にその旨を述べていますが、彼はすでに高校生時代からそういう考えを持っていたと言いますから、やはりすばらしいですね(註4)。

 東洋の禅と西洋の哲学が同じ思想に達したのは、別に驚くことではないようにも思います。一つの「モノゴトの観かた」ですから。「私がいてモノを見る」という唯物論的モノゴトの見方は、カント以降、18‐19世紀にイギリスから始まった産業革命、すなわちモノを重視する時代からですから。それにしても初代達磨大師が中国へ来て禅を広めたのは5世紀から6世紀のことです。一方、カントが観念論哲学を言い出したのは18世紀、つまり、達磨大師の1300年も後のことですから、いかに東洋思想が素晴らしいかおわかりいただけるでしょう。

註4 拙著「続・禅を正しくわかりやすく」で、「モノゴトを観る(聞く、嗅ぐ、味わう、触る)という一瞬の体験こそが真実の姿である」ことを現代物理学の視点から詳しくお話ししました。ご参照いただければ幸いです。

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