浄土の教えの誤解「正法眼蔵・生死)」

その1)
 先日、筆者の友人がすごい剣幕で(古い友人ですから)筆者を批判しました。筆者のブログ「『浄土の教えを誤解しています』を読んで」と言うのです。筆者は、「ある有名な浄土の教えを信奉する人が『無量寿経は宝の山である』と言っているのを聞いて、唖然とした」と書きました。上記の筆者の友人はそこを批判しているのです。彼も定年後熱心に日本仏教について勉強を始め、すでにたくさんの関連書を読んでいました。宗教には無関心の別の友人もいる席でしたので、何も反論せず、ただ「どうして法然や親鸞の真意がわからないのだろう」と思っていました。

 以前のブログで、「浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)の中身は何もない」とお話しました。浄土の教えを説いた法然は、論理の基盤を善導の「観経疏」に置きました。「観経疏」は言わば「こじつけ」の書です(詳しくは以前の関連ブログをお読みください)。法然がそれを論拠としたのには理由があるのです。法然は「ただ仏を信じ、南無阿弥陀仏と唱えなさい」と言いたかっただけなのです。それでもとにかく「思想」ですから、一応論理体系としての体裁を取らなければならなかったのです。それゆえ「観経疏」を体裁上の論拠としたのでしょう。読者はこの論法を知って「おかしい」と思わねばならないのです。さすがに親鸞は法然の考えを正しく理解し、「たとえ私が法然の考えを信じたばかりに地獄へ落ちようと悔いはない」と言ったのです。有名な「地獄は一条住みかぞかし(歎異抄)」ですね。

 親鸞の「教行信証」についても、同じです。なに一つ重要なことは書いてありません。浄土真宗の中興の祖と言われる蓮如(1415‐1499親鸞より200年後の人です)は「教行信証」の一部を抜粋して「正信偈」を作りました。筆者の実家の宗旨は浄土真宗で、法事と言うとそれを読誦します。小学生の時お寺に集まってその練習をしました。今でもその一節・・・印度西天四輪家 中夏日域之高僧・・・などが自然に口を突くことがよくあります。じつに口調がよく、リズム感もすばらしいのです。まったく蓮如は大したプロデューサーだと思います。ちなみに彼は5人の夫人に27人の子を生ませ、それぞれを有名寺院の後継者に送り込んで一大宗派を作り上げた、呆れるばかりの人です。

 「歎異抄」についても同様で、以前にも書きましたように、あれは「(親鸞の住む京の都を遠く離れた関東の弟子たちが)師の教えに勝手な解釈(異)をしている」と歎く弟子唯円の書なのです。たいしたことは書いてないのです。本願寺の書庫でそれを見付けた蓮如は驚いて「禁書」としました。なにしろそこには「親鸞の弟子など一人もいない」と書いてあるのですから、一大浄土真宗王国を築いた蓮如があわてたのは当然でしょう。

 仏教は厳しい自力本願を修行の根本とします。釈迦自身の教えは、現実生活に即した穏やかなものです。しかし、釈迦滅後、すでに初期仏教の時代から修行はどんどん厳しくなって行きました。後代の真言密教や禅など「修行第一」ですね。そこへ法然が出て「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」との「他力本願」を説いたのです。釈迦以降の仏教史を様々に読み進んで行きますと、法然の思想がいかに革新的かがわかります。

 法然の教えはただ一つ、「仏(神)に対する絶対的な信頼」です。 キリスト教と同じですね。すばらしい思想なのです。「歎異抄」を高く評価する人には、西田幾多郎、三木清、倉田百三とロマン・ロランなどたくさんいます。これら「浄土の教え」や「歎異抄」を信奉する人達が早くこのことに気付き、法然や親鸞の思想の原点に戻って欲しいのです。

その2)禅思想の究極には絶対神がある(道元「正法眼蔵・生死)

 前回、秋田県の玉川温泉に集まる末期ガンを宣告された人たちの声をご紹介しました。自分の力ではどうしようもないこともあります。事件や事故で大切な肉親を失った人も同様でしょう。悲しくて辛いのは想像に余りあります。しかし、苦しさや辛さをいつまでも引きずるのは、体にも障るはず。よく使われる「それでは亡くなった人が浮ばれないから」という言葉は、長い間に培われた人間の知恵でしょう。
 
道元は人間の生死について、すばらしい言葉を残しています。「正法眼蔵 生死(しょうじ)巻」別巻5で、
 ・・・(生死は)厭うことなかれ、願うことなかれ。この生死は、すなはち仏の御いのち(命)なり、これを厭い捨てんとすれば、すなはち 仏の御いのち(命)を失なわんとするなり。これに留(と)どまりて、生死に執著すれば、これも仏の命を失うなり。仏のありさまを留どむるなり。厭うことなく、慕うことなき、このときはじめて、仏の心にいる。ただし心をもて測ることなかれ、言葉をもて言うことなかれ。ただわが身をも心をも、放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに従いもてゆくとき、力をも入れず、心をも費やさずして、生死 を離れ仏となる。誰の人か、心に滞るべき・・・

 筆者は最初、この道元の教えを読んで驚きました。道元は禅の悟りに至っていたはずですから、当然、自力で生死の問題も達観していたと思っていたのです。ところが、実際には道元は他力の人だったのです。しかし、ほとんどの人は他力の意味を誤解していると思います。他力とは、「神さま(仏さま)助けて下さい」とは違うのです。もちろん、重い病気の場合、悔いのない治療は受けなければなりません。しかし、それは過剰診療ではありません。筆者の知人に、末期ガンの御主人を治すため、財産のすべてを使ってしまった人がいます。それでも亡くなりました。

 「最後は、神さま(仏さま)にお任せしよう」と道元は言っているのです。筆者の友人が言っていました「末期ガンの知人のお見舞いに行ったところ、まったくいつもと変わらない態度で本を読んでいた」と。その人は敬虔なクリスチャンだったそうです。「長崎の鐘」の著者永井隆博士は、長崎医大の放射線科の医師でした。当時のX線装置は不完全で、治療中に放射線が漏れ、医師や技師たちは深刻な放射線障害を受けるのがめずらしくなかったようです。永井博士は原爆に曝される前すでに、職業病としてX線障害を受けていたとか。夫人にそれを告白すると、夫人は「すべて神さまの思し召しどおりに」と答えたそうです。「神を心から信じる」とはそういうことなのだと思います。

筆者が「無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経などは単なるお話で、法然や親鸞の教えの真意は別にある」と言っていますのはそういう意味なのです。

浄土の教えの誤解(2その3)

 最近、「アメージンググレース(驚くべき神の恵み)」の演奏を聞き、あらためて感動しました。作詞はイギリスのジョン・ニュートン(1725‐1804)。彼はクリスチャンの家庭で育ちましたが、後に黒人奴隷貿易に携わり、多くの富を蓄えました。しかしあるとき、別の航海で船が嵐に遭い、転覆の危険に陥ったのです。彼は必死に神に祈り、救われたました。ニュートンはこれを転機とし、その後船を降り、勉学して牧師となったのです。そして多額の献金を重ね、自分が得た富を社会に還元しました。彼が作ったこの詩には、犯した罪に対する悔恨と、にも拘らず赦し賜うた神の愛に対する深い感謝が歌われています。アメリカ人に最も愛されている讃美歌です(筆者訳)。

驚くべき(神の)恵み(なんと甘美な響きよ)、
私のようなどうしようもない者も救って下さった。
かっては道に迷っていたが、今は神に見い出され、
今まで神の恵みが見えなかったが、今は見える。
神の恵みが私に恐れることを教え、
その恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じてから
多くの危険、苦しみと誘惑があったが、
私はいま辿り着いた。
神の恵みが、ここまで私を無事に導いて下さった。
さらに私を神の元に導てくれるだろう。
神は私に約束して下さった。
神の御言葉は私の希望である。
彼は私の御盾となり、分身となって下さる。
私の命が続く限り。
そうです。この心と肉体が滅び、
私の命が終わっても、
神の御許で得るものがある。
それは、喜びと平和の命です・・・・・・

 これが本当の信仰だと思います。

 法然の思想の真髄がわかったのは、親鸞と唯円などわずかな弟子だけだったでしょう。もちろん今日でも同じです。以前京都の本願寺へ行ったとき、壮麗な堂宇群に驚きました。法然や親鸞の死後500年、子孫たちは江戸幕府の権力機構の一端を担い、絶対的な力と富を作り上げたのです。いま日本の浄土系宗派(他の宗派ももちろんですが)が滅びつつあるのは明らかです。法然の真意もわからず、きらびやかな僧衣をまとい、儀式も説法も形式に流れ続けてきた当然の結果でしょう。そんなものは何もいらないのです。ただ心から「南無阿弥陀仏」と唱え、仏の愛を信じればいいのです。

「浄土の教えの誤解「正法眼蔵・生死)」」への2件のフィードバック

  1. ご見解をありがとうございます。なむあみだぶつとお念仏を唱えるのは、特に木魚を叩きながらの浄土宗には、大勢がそうしているのが奇妙な感じがしたんですが、法然の教えは素晴らしいのですね。お念仏を唱える他力本願、どうかなーと思ってたんですが、私も少しやってみようかと思います。

    1. 理解していただいてうれしく思います。法然は釈迦の教え(自力ですね)さえ乗り越えて他力、つまり信仰の本質を説いた大思想家だと思います。「南無阿弥陀仏」の音が大切なのです。それについてはいずれまとめてお話します。

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