一期一会

 有名な言葉ですね。ネットで引いてみますとほとんど茶の湯心得とされています。すなわち、「どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきこと」と。元来は利休の言葉とされ、高弟の山上宗二が、「茶湯者覚悟十躰」に、「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏(かしこまる)ベシ」という一文を残しています。ネットにはさらに、「一期はもと仏教語であり、人が生まれてから死ぬまでの間、すなわち一生を指す」とあります。利休が禅にも造詣が深いことは以前お話しました。

 臨済宗・黄檗宗の公式ホームページ「臨黄ネット」には、

 ・・・江戸幕府の大老職、井伊直弼よりも、石州流の茶人「宗観」として名を知られ、著書「一会集」に、同様の言葉が書かれていることが紹介され、つづいて

 ・・・たとえ同じ人に幾度会う事があっても、いま、この時の出会いは再び回って来ない、一生涯、ただ一度限りの出会いであるゆえ、一回一回の出会いを大切に命がけで臨まなければならないというのです。何も茶の湯だけではありません。私達の人生もまた然りです。思えば、出会いの連続が私達の毎日の人生です。父と母と兄弟と、妻と主人と子供と孫と友人と、同僚と上司と部下達と! 否、人間だけではありません。犬や馬の動物、木や草の植物、この世に存在するすべての物との出会いです。たとえ毎日毎日の親子の仲でも夫婦の仲でもその出会いが、一期一会と合点出来たら、自分の在り方、他とのかかわり合い方が自然と今までとは違ってくるはずです。私達の人生、一期一会の連続です。戻っては来ません。あだやおろそかに過ごせましょうか・・・

とあります。たしかに誰の心にも染み入る人生の大切な要諦ですね。ことほどさように、「一期一会」は、禅語の一つと言っていいと思います。しかし、いわば当然のことで、これで禅語と言えるか、ですね。

 筆者は最近、これは「空」思想を端的に表わす言葉だと気づきました。何度も繰り返しますように、「空とは、見る・聞く、味わう・嗅ぐ、触るの一瞬の体験であり、人生とは一瞬の体験の限りない連続だ」と思うからです。以前お話した、弓の中西政次師が「空とは真の実在だ」と言うのと共通するものがあります。禅では師匠が弟子に答えを教えることはありません。あくまでもヒントを与え、弟子に気づかせることを大切にするからです。一期一会は、利休が感得した茶の湯での奥義ですが、ふつう言われているこの言葉の解釈は、茶の湯での応用であり(それも重要ですが)、本義は禅の要諦のヒントなのだと思います。

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