無門関・平常是道(1,2)

(その2‐1)

 公案集「無門関・第十九則」に「平常是道」(びょうじょうぜどう)があります。「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)という言葉は特に有名ですが、この公案(註1)から出ている禅語です。

本則
南泉、因(ちな)みに趙州問う、如何なるか是れ道。
泉云く、平常心是れ道。
州云く、環って趣向すべきや否や。
泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖(そむ)く。
州云く、擬せずんば争(いか)でか是れ道なるを知らん。
泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶(なお)大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。州云く、言下に頓悟す。

唐代の趙州(778 – 897)と師匠の南泉(いずれもすぐれた禅師)との問答です(以下筆者簡訳)

趙州「道(悟り:筆者)とはどんなものですか」

南泉「ふだんの心が道である」
趙州「それをめざして修行すればよろしいのでしょうか」

南泉「目ざそうとすると、すぐに外れる」

趙州「目ざさなかったら、たどり着けないではないでしょうか」

南泉「道は知るとか、知らないとかいうことではない。頭で考えることではない。言うに言えない心境だ。そこを無理にああだこうだと云うことなどできない。悟りとは、ちょうど澄み切った大空のようで、広々とした心境だ」

趙州はただちにに悟った。

 後進の私たちには心躍る場面ですね。「平常心」とは、普通考えれば「目の前に何が現われても動じない心」でしょう。しかし、これでは当然すぎて禅語とは言えませんね。実はもっと深い意味があるのです。それについては次回お話します。ちなみに、曹洞宗総持寺を開いた瑩山禅師が師匠の義介禅師(永平寺三祖)から平常心の意義を問われたとき、瑩山は「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す(註2)」と答えたと言います。「一切のことにこだわりを持たない」という意味でしょう。よく知られた大切な言葉だと思います。この語によって瑩山 印可(悟りの証明)を受けました。

註1「無門関」は南宋の無門慧開(1183-1260)がによって著された公案集。 彼は古今の禅者達の間に交わされた問答商量の中から48則を選び、評唱(感想)・頌(詩)を付けたもの。修行者が目指す悟りやその悟境の指標になるためのものです。

註2この言葉の前に、瑩山は師匠から平常心の意味を問われて「黒漆の崑崙・夜裏に走る(真黒な玉が暗闇を走る)」と答えています。「そのように見分けがつかない、つまり思量分別を超えた境地」と言いたいのでしょう。

じつは「無門関・第十九則・平常是道」は本則につづいて、(無門による詩)として、

春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり、若もし閑事の心頭に挂(か)かる無くんば、便すなわち是れ人間(じんかん)の好時節

と言うのです。「春には様々な花が咲き、秋は月、夏の涼風、冬の雪。もしつまらぬ事柄を心にかけることがなければ、人生はまさに幸せの日々である」という意味でしょう。道元は「春は花、夏ほととぎす秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」と詠っています。人間の悩みとは関わりなく季節は移り変わってゆくと言うのですね。

(その2‐2)

 しかし、無門はつぎに痛烈な一喝をくらわしています。じつは次の一句こそ重要だと筆者は考えます。すなわち、最後の評唱(感想)で、

趙州たとえ悟り去るも、さらに参ずること三十年にして始めて得るべし

と。その通りですね。「もしつまらぬ事柄を心にかけることがなければ」・・・そんなことはだれでもわかっています。しかし、それができずに悩み、苦しみ、迷うのが人生ですね。趙州は南泉師匠とのこのやり取りですべてを悟ったのではないはず。「たしかに大切なことがパッとわかったけれど、本当に自分の血肉になるのにはその後30年の修行が必要だっただろう」と言っているのです。 段落

 ためしにネットで調べてみて下さい。ほとんどの解説ではまでしか触れていません。えらいお坊さんにそう言われれば「なるほど」と感銘を受けるかもしれません。しかし、家へ帰れば忘れてしまうのです。そこが問題なのです。マルクスが「宗教は麻薬である」と言ったのはそういう意味なのでしょう。心の底から理解しなければ、一時の痛み止めで終わってしまうのです。

頓悟と漸悟

 これは有名な言葉です。豁然大悟(かつぜんたいご)は禅を学ぶ者の憧れですね。頓悟(パッとすべてがわかる)のことです。古来、禅では「頓悟か漸悟(徐々にわかる)か」は重要な課題です。筆者は「たしかにある思想がパッとわかることがとても重要である。しかしそれを全身で理解するにはそれからの長い修行が必要なのだ」と思います。完全な頓悟などないはずです。


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