心頭滅却すれば火もまた涼し(1,2)

その1

 碧巌録(註1)・第四十三則 「洞山無寒暑」の本則

僧洞山(註2)に問う、「寒暑到来、如何が回避せん」。

山云く、「何ぞ無寒暑のところに、向って去らざる」。

僧云く、「如何なるかこれ無寒暑の処」。

山云く、「寒時は闍黎(じゃり)を寒殺し、熱時は闍黎(じゃり)を熱殺す」。

註1 圜悟著の公案集と解説。1125年成立。雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)が百則の公案を選んだものに、著者が垂示(序論的批評)・著語(じゃくご、部分的短評)・評唱(全体的評釈)を加えたもの。臨済宗で最も重要な書とされる。

註2洞山良价(807‐869)曹洞宗の開祖。六祖慧能→青原行思→石頭希遷→薬山惟儼→雲巌曇晟→山良价→山本寂という錚々たる系譜です。

 伝統的に、以下のように解釈されています。すなわち、

僧「生死の一大事に直面した時、どのようにすればその問題を解決できるのでしょうか」

洞山「生死・煩悩を超えた世界に行ったら良いではないか」

僧「どのようにすれば生死を超えた世界に行くことができるのですか」

洞山「生きる時は徹底して生き、死ぬ時は尽天地に死に切るまでだ」

これが有名な快川和尚(註3)の心頭滅却すれば火も自づと涼しにつながると言います。

註3 快川和尚(1502‐1582山梨県恵林寺住職。織田信忠軍に敗れた武田方の家臣を匿い、引渡し要求を拒否した。そのため恵林寺は織田氏による焼討ちに会い、快川は一山の僧とともに山門楼上で焼死した。そのとき、有名な「安禅不必須山水 心頭滅却火自涼」(安禅必ずしも山水を須(もち)ひ(い)ず、心頭滅却すれば火も自づと涼し)の時世を残したと言われています(快川の作でなく快川と問答した僧・高山の語とも)。「安禅必ずしも山水を須(もち)ひず」とは、じっくり坐禅をするには、山中や、水辺の静かな環境でなくともよいという意味。

その2

 たしかに「生死・煩悩を超えた世界に行ったら良いではないか。生きる時は徹底して生き、死ぬ時は尽天地に死に切るまでだ」はすばらしい言葉ですね。心頭滅却すれば火もまた涼しもしかり。しかし、よほどの高僧でなければ「他人事」でしょう。「心頭を滅却したが熱かった」は筆者の皮肉です。

筆者はこの言葉を別様に解釈しています。

 筆者は最近、一人の友人と一緒に飲むことを止めました。中学・高校の同期生で、別の大学卒業後、上級公務員になった人です。先年50年ぶりに再会し、一ヶ月に1回のハイペースで飲み会をしてきました。ただ、徐々に彼との話し合いが重荷になってきました。彼の話がことごとくネガテイブだったからです。彼の公務員人生が決して満足できるものでなかったことが原因のように思えました。飲み会を重ねるごとに打ち解けたのでしょう。ますます本音を出し、ネガテイブ度は増していきました。

 禅を学んで来た者にとって、「こだわらないこと」が大切な心であることはもちろんわかっています。筆者は生命科学の研究者として生きてきました。そのモチベーションの核となるものは「真昼の晴天に向かってファンファーレを鳴らすような心」だと思っています。そういう筆者はどうしてもこの友人のネガテイブ思考には付いて行けなくなったのです。

 彼を受け入れないことは、以前のブログ「無門関・平常是道」で書いた 瑩山の「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」の言葉とちょうど逆の思想ですね。それでも、彼との飲み会を続けることは、禅の心である寛容さとか忍耐の埒外になると思ったのです。そんな時、碧巌録の「洞山無寒暑」を読み直して、寒時は闍黎(じゃり)を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺すの言葉と再会したのです。以前から、公案の解釈は、人によってさまざまであっていいと思っています。今回はこの言葉を「暑かったら暑くないように、寒かったら寒くないように」と解釈しました。

 もちろん彼との付き合い自体は変わりません。今年も年賀状のやり取りしましたし、今後何かの機会に出会ったときにもこだわりなく話せると思います。

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