無と空(森正弘さん)

 森正弘さん(1927- 東京工業大学名誉教授・名古屋大学工学部卒)はロボット工学者。ロボットコンテストの創案者。臨済宗の師家について30年来指導を受け座禅を続けた。「仏教新論」佼成出版社・「今を生きて行く力『六波羅蜜』」教育評論社・「親子のための仏教入門ー我慢が楽しくなる技術」幻冬舎〈幻冬舎新書〉など仏教関係の著作も多い。筆者と同じ大学の出身ということもあり、「非まじめのすすめ : ゴミを砂金にする発想」(講談社)など、古くからの愛読者です。

 NHK「心の時代・二つを一つにする」では仏教の「価値の三性の理」に基づきお話をしていました。「三性の理」とは、人の性には善性、悪性、および善でも悪でもない中性の無記(むき)の3種の性があるという考えです。森さんは、「善人と悪人とを対立して考えるべきではなく、価値判断をしない無記という性質がある。たとえば昔、説教強盗という者がいた。強盗に入って家人を縛り付けたのち、『こんな戸締りではダメだ』と説教した犯人です。逮捕された後、専門的知識(?)生かして各地を講演して回った(註1)。このように、一人の人間の中に善と悪がある。よく善悪は表裏とか、人間の性は善が70%、悪が30%という人がいるが、そうではなく、善悪が融合している。それが本性だ」と言っています。そしてそれを「二元対立論的一原論」と名付けています。森さんはさらに「言葉で言うと対立になる。無記とは仏法(真理)であり、言葉では言えないもの、それを仏教ではとかと言う」とおっしゃっています。さらに、「知識を増やす、複雑化する、言葉が大切などの、現在養われている陽の頭と、今後絶対に必要な、観察力や直観力を養う、単純化が重要、体験が大切などの陰の頭の二つを合わせた向こうに、いま有名な般若心経の般若の知恵がある。それはこの放送で解説できるような簡単なものではない」と。

 しかし、これの解釈は間違っていると思います。第一に、無と空とはまったく別の概念です。それだけでも森さんの解釈は正しくないことは明らかです。それがわからなければ「般若心経」はわかるはずがありません。「般若心経」は「色」と「空」が不一不異であること、つまり「色即是空・空即是色」が中心テーマだからです。筆者による「般若心経」の解釈はすでにお話しました(「禅をただしくわかりやすく」パレード社をご参照ください)。森さんは「無とか空は言葉では言えないもの」とおっしゃっていますが、筆者は「空」の解釈についても何度もこのブログシリーズで言葉でお話しています。キリスト教では「はじめに言葉ありき」と言います。それには深い意味があるのです。「神が光あれとおっしゃったら光ができた」の言葉の通りなのです。真理は言葉なのです。宇宙原理が言葉で表現できないはずがありません。第一、無記とは、「言葉で言い表せない」ではなくて、「釈迦がある問いに対して、回答・言及を避けたこと」を言うのです。

 また、森さんが言う陽の頭・陰の頭とは、いわゆる左脳と右脳のことでしょう。別に目新しい考えではありません。ちゃんとした人ならだれでも両方使っているはずです。さらにそれを般若の知恵と言うのは飛躍があり過ぎです。

 加えて、森さんは「学生たちが夢中になってロボットを作っている状態は三味(ざんまい)だ」と言っていますが、禅で言う三味の真の意味は別なのです。三昧とは、深い瞑想のことであり、頭は働かせていない状態です。脳波の形が全然違うのです。

 前記のように、森さんは30年来、臨済宗の師家の指導を受け、座禅も続けてきたそうですが、30年やろうと40年やろうと同じなのです。禅はわかったか、わからないかの世界と言われるのはこのことです。

註1大正末年から昭和4まで東京市(当時)で強盗・強姦の犯行を重ね、立ち去り際に被害者に防犯の注意をした。服役後は自らの体験を元に各地で防犯講演を行った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です