オーム判決-長谷川和広さん

オーム死刑囚の刑執行は国による大量殺人か

 読者の「凡愚さん」から転写していただいた、長谷川和宏さん「オウムの物真似」(「全作家」114号2019)についての筆者の感想です。以下は「凡愚さん」のご厚意に報いるために書きました。筆者は以前、「オーム死刑に対する村上春樹氏の論理」と題して、「死刑制度は反対、しかしオーム容疑者の死刑は賛成」という村上氏の論理のいい加減さを批判するブログを書きました。なお、紙面の制約上、長谷川氏の意見を一部割愛して示します。

 結論から先にいますと、長谷川氏は「オーム死刑囚13人の刑執行は、オームのジェノサイド(大量殺人)を日本は国家がモノ真似した」と言うのです。

 (長谷川)・・・人間による復讐では、全く同程度の復讐は不可能であり、冤罪もまた避けられず、悲嘆と怒りと憎しみの連鎖は人の心を荒廃させる。

筆者のコメント:オームの容疑者が死刑されても、日本人の心は決して荒廃しませんでした。それは読者の皆さんご自身がおわかりのはずです。

 (長谷川)・・・聖書に「自ら復讐することなかれ。神の怒りにまかせよ。主曰わく、『復讐するは我にあり、我これを報いん』」(ロマ書12・19)とある。『我』は当局でも当事者でもなく、神であった。わたしが復讐する!・・・釈迦は言う。「人の身を得ること難く、身を得るも寿(いのち)ある難し」「殺す勿(なか)れ。殺させしむる勿れ」(「ダンマパダ」182/129)・・・。 

筆者のコメント神はいかなる罪を犯した人間に対しても復讐なされることはありません。この聖書の言葉は誤りか、訳者が間違っています。ブッダは、後述する「闇サイト殺人事件」の犯人をも「死刑にするな」とおっしゃるでしょうか。「殺人鬼」と言われた男です

 (長谷川)・・・被害当事者の「殺された者をもう一度私どもの許に返して欲しい」との異口同音は、加害者の死を!の願いがたとえ叶っても、その加害者の死は、殺された被害者やその被害と釣り合わない事を示している。「人の命は何ものにも代え難い」と痛感させられているのに、被害当事者が「加害者に死を」と願うのは、かけがえのない人の命の絶対的な重みを自ら掘り崩し、被害者の命の重みをも相対的に切り下げはしまいか・・・。

筆者のコメント:まったく論理のすり替えとしか言いようがないでしょう。筆者の反論は下記の「そもそも法に則った死刑と、テロル等による虐殺を同列に扱う考え方がおかしい」に尽きます。「闇サイト殺人事件」は筆者の勤務先のすぐ近くで起った衝撃的事件でしたので、裁判の経過はよく知っています。母一人娘一人の大切な家庭を壊されたお母さんは、「3人の犯人のうち2人目(堀〇)が最高裁判決で逆転無期懲役になったのは絶対に承服できない」と言っていました(1人目は死刑。3人目は自首したため無期懲役で確定。「自首すれば死刑にならないから」と言っていました。死刑制度はちゃんと抑止力になっているのです)。彼らは「殺さないで」と命乞いしている被害者をハンマーで撲殺したのです。その後堀〇は、別の殺人(2人)・同未遂(1人)事件が発覚し、その裁判で最終的に死刑が確定しました!「殺人鬼」だったのです。詳しくはja.wikipedia.org/wiki/闇サイト殺人事件で。

筆者のコメント:筆者の反論は下記の「そもそも法に則った死刑と、テロル等による虐殺を同列に扱う考え方がおかしい」に尽きるでしょう。「闇サイト殺人事件」は筆者の勤務先のすぐ近くで起った衝撃的事件でしたので、裁判の経過はよく知っています。母一人娘一人の大切な家庭を壊されたお母さんは、「3人の犯人のうち2人目(堀〇)が最高裁判決で逆転無期懲役になったのは絶対に承服できない」と言っていました(3人目は自首したため無期懲役で確定。「自首すれば死刑にならないから」と言っていました。死刑制度はちゃんと抑止力になっているのです)。「殺さないで」と命乞いしている被害者をハンマーで撲殺し、遺体を山に捨てたのです。その後堀〇は、別の殺人(2人)・同未遂(1人)事件が発覚し、その裁判で最終的に死刑が確定しました!「殺人鬼」だったのです。詳しくはja.wikipedia.org/wiki/闇サイト殺人事件で。

 (長谷川)犯罪被害者支援フォーラムの弁護士は「理不尽な犯罪を許さない、被害者の無念を救いたいという大臣の強い姿勢に対して支持する」と述べ、また、「そもそも法に則った死刑と、テロル等による虐殺を同列に扱う考え方がおかしい」というツイートした。しかし、御坊哲(ごぼうてつ)は「不殺生戒と死刑制度は矛盾しない」と言う僧侶に対し、「『より多くの命を生かすためには、一人の人間を殺してもよい』ということ」だから、「倫理というものが全て功利主義に還元されてしまう。死刑制度に賛成することによって、公権力による殺人に加担しているわけで、これはお釈迦様の『殺生することに関わるな』という言葉に明らかに背いている」(ブログ禅的哲学2014.8.1)と主張していた・・・ 

(長谷川)オウムが国家を真似たのか。国家がオウムを真似たのか。その国家はオウム真理教の再審請求中の十人も含めた教組幹部を、二日間で十三人処刑した・・・。

筆者のコメント:結局、長谷川氏の論説は、マスコミがよくやる「初めに結論ありき、後からいろいろな人の意見を論拠として挙げる」に尽きるでしょう。そもそも筆者はいろいろな理由を挙げる人の論説は信じません。必ず「理由の後付け」になっているからです。もう一つ、日本人の80%が死刑制度に賛成していること、仏教国スリランカではいったん廃止した死刑制度を復活したという重大な事実を長谷川氏は引用していません。

 最後になりましたが、死刑制度反対を主張する弁護士グループに対して「あなたの肉親が理不尽に殺されてもその主張を続けますか」という声なき声があります。筆者もそう思います。筆者の死刑制度賛成の論理はシンプルなのです。

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