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禅は世界を救う(1-4)

禅は世界を救う(1)資本主義の終焉

 水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)がベストセラーになっています。水野氏はあのリーマンショックを予言した人として知られています。同書に書かれた水野氏の指摘はまことにもっともで、改めて18世紀以来の資本主義・競争社会がもうどうしようもなくなっていることを実感します。
水野氏の指摘、すなわち、資本主義が破綻しかかっている理由は以下の二つです。

 1)ゼロ金利:資本主義の基幹は投資による金利(水野氏の言う利潤率。以下同じ)の獲得ですが、ゼロ金利ではそれが成り立たない。10年国債の利回りはアメリカ、日本、イギリス、ドイツ、フランスなどの先進国はすべて2%台またはそれ以下です(アメリカ2.11、イギリス1.78、フランス0.87、ドイツ0.50、日本はわずか0.234、2016年1月現在)。つまり資本主義そのものが破綻に瀕しているのです。
 2)市場の縮小:もう一つの資本主義の基幹であるモノを作って売るための市場が消滅しかかっていることです。これまでは富を開発途上国(周辺国)から中心国へ集める方式(蒐集:搾取ですね)で成り立っていました。植民地政策や、戦争を伴う帝国主義政策がその代表的な手段でした。それにより先進国の15%の人々が、残りの85%から資源を安く輸入して、その利益を享受してきたのです。ところが最近インド、ブラジル、南アフリカ、インドネシアなど、かっての周辺国の発展ぶりには目を見張ります。今、中国などが最後に残された周辺国アフリカへの進出に躍起になっています。しかしそれもやがて行き着くところへ行って終わるでしょう。以上、周辺国が急速に減少し、富を中心国へ集める方式は終ります。

 つまり、資本主義はもう拡大する余地がないのです。なのに無理を重ねて経済成長を目指す(アベノミクス政策はまさにそれです)ことにより、富が一部の富裕層に集中し、中間層(私たち一般市民)が没落する形で民主主義が破壊され、未来世代が受け取るべき利益もエネルギーもことごとく食いつぶし、巨大な債務とともに、エネルギー危機や環境危機という人類の存続を脅かす負債も残そうとしていると言うのです。

 きわめて説得力がある説ですね。「では資本主義の終焉、つまり世界の危機を回避する方法はあるのか」との質問に対して水野氏は「わからない」と答えています。水野氏は解決の可能性は「多くの富の否定」、「搾取の廃絶」、「政府の政策による市場のコントロール」と言っています。しかし、近代資本主義思想で凝り固まった人間社会で、前の二つが達成できるはずがありません。水野氏が「わからない」と言うのはもっともなのです。しかし産業革命以来300年近く続いて来た政治・経済、そして思想の根本、大潮流が消えて無くなろうとしている時、「わからない」で済むはずがありませんね。
 是が非でも世界の人間の価値観が変わらなければならないのです。そして禅こそ世界を救う価値観なのだ、と筆者は考えます。

禅は世界を救う(2)憎しみからの解放

 このブログでは、最初から禅中心のお話を進めるのではなく、浄土の教えなど、他の大乗仏教、そして観念論哲学、スピリチュアリズム、さらには現代の世界情勢から経済問題など、さまざまな方面から筆者の考えをお伝えして行くつもりです。それらを収斂させて行き、力の及ぶ限り、「禅思想の要諦とはなにか」についてお話したいと思っています。そして最後に、なぜ禅思想が世界を救う次世代の価値観となるか、人間を苦しみから救う指針となり得るのかについて論究したいと考えておりました。しかし、現代社会はゆっくりしてはいられないほどの危機に直面しているようです。そこで順序を変更して、なぜ禅が世界を救う次世代の価値観となるかを先にお話したいと思います。その第一項が「禅は世界を救う(1)」でした。今回はその続編です。

 今回のテーマは「憎しみからの解放」です。
 今、シリア、イラク、リビア、エジプト、アフガニスタン、フィリピン、インドネシア、そしてアフリカのさまざまな国で、宗教や信条の違いによる憎しみが蔓延しています。憎しみが憎しみを呼ぶ恐ろしい時代ですね。是が非でも何とかしなければなりません。一番の被害者は宗教とも信条とも関わりのない一般大衆や子供たちだからです。なんとしても「別の価値観があるのだ。それは禅思想だ」ということを世界中の人々が知らなければならないと思います。

 以前のブログ「禅とは何か」の中でテイクナットハン師の活動についてご紹介しました。テイクナットハン師(1926~)はベトナム出身の禅僧です。ハン師の思想と実践はマインドフルネス(気づき)です。マインドフルネスとは、

 ・・・国家同士、民族、異なる宗教、宗派、さまざまな組織、家族間であれ、まず対立する一方が、自らの怒りや恐怖をはっきりと認識し、その上で慈愛をもって相手の言い分に耳を傾けよう。お互い、長い恨みの歴史があり、不信や疑心暗鬼も生じているはず。また、話し合いの途中でも思わず暴言を吐き、相手の話を途中で遮ることも必ずあるでしょう。しかし、まず自分の心を見つめ直し、怒りや不信の根に「気付こう」・・・

と言うのです。
 ハン師はアメリカでのリトリート(癒しの場)で、ベトナム戦争に従軍し、自ら犯した罪の大きさに苦しんでいるアメリカ軍元兵士の相談を受けました。その元兵士は「ベトナム兵の待ち伏せ攻撃に会い、眼の前で仲間を殺された。その仕返しにサンドイッチに毒を仕込んで村の入り口に置いておいた。隠れて見ていたら子供たちが喜んで食べ、苦しんで死んでしまった」と言うのです。ハン師の母国の子供たちなのです。しかしハン師は静かに言ったそうです「これからの人生を、人のために尽くしなさい」と。なんとすごいことではありませんか。

 前述のように、ハン師は禅僧です。禅の心でその兵士にアドバイスしたのです。ハン師の思想と実践は、いわゆる南伝仏教(註1)の「気付き」を基本とします。それについてはいずれお話します。
註1 インドでは仏教はスリランカからタイ、ビルマ、ベトナムなどへと伝わった、いわゆる南伝仏教と、西域から中国、朝鮮を通ってわが国に広まった北伝仏教に分かれます

禅は世界を救う(3)テイクナットハン師の実践(2)

 以前のブログ「禅とは何か(3)」でヴェトナム出身の禅僧テイクナットハン師の思想と実践についてお話しました。
 今回はハン師の思想の原点である南伝仏教についてもう少し詳しくお話します。中国やチベット、日本へ伝わった北伝仏教が、釈迦の教えから大きく変貌した、いわゆる大乗仏教であるのに対し、スリランカや、タイ、ミャンマー、ヴェトナムへと伝わった南伝仏教は、釈迦の教えを色濃く残しているとされています。釈迦の死後、初期仏教教団は上座部と大衆(だいじゅ)部に分裂し、そのうちの上座部が現在の南伝仏教へと続いています。テーラワーダ仏教とも言います。その根本経典はいわゆるパーリ仏典です。釈迦の教えが死後まもなく高弟たちによって整理されたものです。成文化されたのは数百年後ですが、その間の口伝の途中で変化することはほとんどなかったと思われます。口伝は覚えやすいように詩形式でしたから、ちょうど現代の大乗仏教の僧侶たちが多くの経典を正確に伝えていることからも推定されます。
 南伝仏教の基本は気づきにあります。気づきを一言で言いますと、「いま自分は何を考えているか、何をしているか」に気づくことです。どんな人でも普通、自分の考えていること、していることなどに気づかないものです。しかしそれぞれに注意を払えと言うのです。釈迦は「それを積み重ねることによって涅槃に達することができる」と教えています。
 気づきを修法としたものが気づきの瞑想、ヴィッパサナー瞑想です。
この修行法は禅の瞑想法とはまったく異なります。 簡単に言いますと、

 私は幸せでありますように・・・から始まって、
 私の親しい人々が幸せでありますように・・・
 生きとし生けるものが幸せでありますように・・・
 私の嫌いな人々も幸せでありますように・・・
 私を嫌っている人々も幸せでありますように・・・

と念ずるのです(詳しくはヴィッパサナー瞑想でお調べください)。筆者が下線で示したように、私が嫌いな人にでも、私を嫌っている人に対しても、その幸せを祈るのです。それゆえ「慈悲の瞑想」とも称します。これで、前回お話した、ハン師の実践、
「・・・国家同士、民族、異なる宗教、宗派、さまざまな組織、家族間であれ、まず対立する一方が、自らの怒りや恐怖をはっきりと認識し、その上で慈愛をもって相手の言い分に耳を傾けようと言うのです。お互い、長い恨みの歴史があり、不信や疑心暗鬼も生じているはずです。また、話し合いの途中でも思わず暴言を吐き、相手の話を途中で遮ることも必ずあるでしょう。しかし、まず自分の心を見つめ直し、怒りや不信の根に「気づこう」と言うのです。その上で、相手の言葉尻に捉われることなく、最後まで相手の話を聞き、共感できるところは共感しようと言うのです・・・」
がおわかりいただけるでしょう。たしかに、怒り狂っている時、悲しみに沈んでいる時にはそのことに気づいていないのです。それに気づくことが怒りや悲しみを逃れ、正しい人の道へと戻る有効な方法だ、と言うのです。驚くべきことにハン師のフランスにある道場(プラムヴィレッジ:スモモの里)では、イスラエルとパレスチナの人々が一堂に集まって、このリトリート(癒し)を受けているのです。このような試みは他にはまったくないでしょう。アフリカや中東諸国、アフガニスタンやパキスタンで起こっている紛争を解決する最も有効な方法ではないでしょうか。公式な場で議論するよりはるかに現実的ですね。
 禅がどれほど大きな可能性を持っているかの例証でしょう。

禅は世界を救う(4)良寛さんの生き方
 
 良寛さん(1758-1831)は越後出雲崎の庄屋の家に生まれましたが、思うところあって18歳のとき備中(岡山県)玉島の曹洞宗圓通寺に入り、10年にわたる厳しい修行の後、印可(免許)を受けた人です。将来どこかの寺の住職にもなれる肩書ですが、その道へは進まず、以後10年間消息がわからなくなりました。おそらく厳しい修行を重ねつつ、各地の高僧を訪ね、教えを聞いたのでしょう。当時の禅僧たちの堕落振りに失望したとの詩が残っています。そして39歳のとき故郷に帰り、よく知られた「子供たちと手まりやかくれんぼをする生活」になりました。その生活は次の歌に表れています。
この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし
 村人から「お経も読まずに遊んでばかりいる」と咎められた時、「私はこういう人間です」と答えたと言います。しかし実際は生活そのものが修行だったのです。筆者は良寛さんは道元以来の禅を極めた人だと考えています。それは、残された漢詩や短歌から窺い知れるのです。
 
 生涯、身を立つるに懶く 立身だの出世だのに心を労するのがいやで
 騰々、天真に任す    すべて天のなすままに任せて来た。
 嚢中、三升の米     この頭陀袋の中には乞食でもらって来た米が三升あるだけ。 炉辺、一束の薪     炉辺には一束の薪のみ。
 誰か問わん、迷悟の跡 迷いだの悟りだのということは知らん
 何ぞ知らん、名利の塵 まして名声だの利得などは問題ではない。
 夜雨、草庵の裡(うち) 夜の雨がしとしとと降る草庵にあって、
 双脚、等間に伸ばす 二本の脚をのびのびと伸ばし、それだけで満ち足りている。

すなわち、立派な地位にも付かなくても、美味しいものも食べず、きれいな衣服を着なくても、十分充実した人生を送れることを体現した人なのです。

 わが国の、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は年間300-500万トンにも上ると言います。見過ごせないのはその半分が家庭から出ることです。まさに「飽食の時代」ですね。世界の貧しい国々の食糧事情を考えればとても許されないことでしょう。

 私たちは良寛さんのような生きる原点に戻らなければならないのではないでしょうか。これが禅の心なのです。

道元「正法眼蔵」(1)

          中野禅塾だより(2016/1/11)

「正法眼蔵」(1)
 有名な道元禅師(1200-1254)の主著(87巻)ですね。日本古典の中で最も難解なものの一つと言われています。「禅はわかったか、分からないかの世界」だからでしょう。禅師が解説書を書くのは極めてまれです。「正法眼蔵」のハイライトはなんといっても「現成公案編」でしょう。道元は、

 ・・・・・・たき木(薪)、はひ(灰)となる、さらにかへりて(返りて)たき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさき(先)と見取すべらかず。知るべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪にならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆえに不生という。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。これゆえに不滅という。生も一時のくらゐ(位)なり、死も一時のゐなり、たとへば冬と春との如し。冬の春となるをおもはず、春の夏となるといはぬなり・・・・・・

と言っています。この文章について、近年出版された石井恭二氏「現代文正法眼蔵」(河出書房新社)の解釈は、
・・・生が死になると云わないのは、存在という現象は空であって実体がないのだという理にかなったことである・・・こうしたことから、仏法では、実体のない生を現象として不生というのである。死が生とならないことも、仏法によって現れる全現象の中のことである。それゆえに死にも実体がないからこれを不滅と云うのである。実体のないものに滅があるはずもないから、死は不滅と云うほかはない。生と死は対立していない。つまりは、生も時に等しい現象である。死も時に等しい現象である。たとえば冬と春とのようなもの。人は冬が春になるとは思わない。春が夏になるとは云わないのだ(下線筆者)・・・

筆者はすぐに取り寄せて読んでみました。しかし、よくわかりませんでした。じつは、現成公案とは「モノはあるべきようにある(公案)。そして見て(聞いて、嗅いで、味わって、触って)初めて現れる(現成)という意味、つまり、これこそ筆者の言う空理論なのです。なのに石井氏は「(存在という現象は)であって・・・」と解釈しています。これでは解釈になっていません。まずとはなにかを説明しなければなりません。石井の空理論の解釈と筆者の解釈は違うのかも知れません。

筆者訳を示しますと、
 ・・・薪が燃えて灰になるとか、薪は先、灰はのち、生きているものが死ぬ、と考えるのは普通の見方である。しかし正しい観方によれば、薪とか灰とか云う物があるのではなく、「私達がそれらを観る」という体験そのものがあるだけで、それが真の実在なのだ。だから、薪を観る体験も、灰を観る体験も、その一瞬、「今」だけだ。その時が過ぎればそれらの体験は直ちに消えるのは当然だ。だから生とは、一瞬一瞬の「今ここ」の生(なま)の体験の連続であり、死も同様の体験なのだ。つまり、死と生とは別の体験なのだ。春は春の体験、夏は夏の体験と同じことだ・・・
いかがでしょうか。

禅語(1,2)「枯木龍吟」「無我」

          中野禅塾だより (2016/1/8)
禅語について(1)
 
 禅語というものがあります。禅のエッセンスを熟語にして、色紙や掛け軸にしたものです。これからお話しする枯木龍吟とか、柳緑花紅がよく知られていますね。今、禅が静かなブームだと言います。先日もテレビ番組「今こそ実践 禅の生活」で、禅を実生活に生かして救われたケースが紹介されていました。一例を挙げますと、Aさんは、59歳の時心筋梗塞で死線をさまよい、将来に大きな不安を感じ、「私はもうダメだ。私にはこれからの人生は無理だ」と弱気になったとか。しかし、禅語枯木龍吟に出会い、「病気を治して頑張っていこう。生きて人のためになることも可能だ。生きるんだ!」と大きな勇気が湧いたと言っていました。62歳で定年となり、さまざまな地域活動(街歩きサークル、合唱、生涯学習)のリーダーとして活躍し、74歳の現在も元気で、手帳のスケジュール表は一杯でした。まことに結構で、ご同慶の至りでです。Aさんの人生の転機となった、禅語枯木龍吟をAさんは、「枯木でなければできない役割がある(歳取った私でなければできない役割がある)と受け取ったからだ」そうです。
 しかし本当の意味はまったく別なのです。Aさんがこの禅語に出合って心機一転されたのは結構なことですが・・・(それにしてもAさんは自分を枯れ木だとは!)。以下は道元の「正法眼蔵 第六十一巻 龍吟(わざわざこういう巻を設けているのです)」にある文章です。筆者抄訳で示しますと、

・・・・・・舒州投子山慈濟大師にある僧が質問した。僧:枯れ木は龍吟を奏でるでしょうか。慈濟大師:私の仏道においては、ドクロの瞳が大いなる法を説いている・・・外道(仏教徒以外の人、道元の言葉は厳しい:筆者)の言うところの枯れ木は、釈尊の言う枯れ木とは意味がまったく異なる。外道は枯れ木を朽木だと言う。それでは朽木が龍吟をかなでるはずがない。巡り来る春に逢うはずがない・・・・・・仏祖の言う枯木は枯れ海に等しい。海が枯れるのも、木が枯れるのも等しいのだ。木は枯れても春に逢うのだ。今ある山も海も空も枯木と同じなのだ。萌え出る芽にそよぐも風の音も枯木の龍吟と同じなのだ・・・・・・

と述べています。つまり「枯木が風に静かに鳴る音やどくろの黒い目の色(エキセントリックな表現ですが、禅ではよくこういう言い方をします)など、自然のあらゆるものはそのまま仏の姿、仏法そのものの表れだ」と言うのです。こういう話を聞くと、筆者はすぐ蘇東坡(中国北宋の人)の「渓声山色」を思い出します。「悟りを開いてみると、谷川の音、山のたたずまいすべてが仏法の表れだとわかった」という感動的な詩です。

Aさんの理解とはまったくちがうことがおわかりいただけるでしょう。拙著「禅を生活に生かす」には、このように自己流の解釈をしている人がいかに多いかを書きました。やはり正しい意味を知り、深い意味を味わうことが大切でしょう。ちなみに禅では生半可な解釈を「生悟り」と言って厳しく戒めています。

禅語について(2)
「無我」

「無我」は禅だけでなく仏教の中心思想の一つです。しかし、これまで多くの僧侶や宗教学者や評論家が誤って解釈してきました。すなわち「無我とは我欲を捨て去ることだ」と言うのです。「我欲は棄てなさい。自分を苦しめるだけです」という「教え」は誰でもが納得しやすいので「なるほど」と思わせるのでしょう。つまり、人は自分の欲望やエゴに振り回されている。「よい学校に入って、倒産の恐れのない有名会社に就職し、豊かな人生を送りたい・・・」、しかし、その代償として過酷な競争や、毎日夜遅くまでの就業など、心に余裕のない生活を送らざるをえないのが現代人の姿でしょう。そして「こんな人生で良いのだろうか」と感じている人も多いでしょう。しかし、そんな教えを聞いて救われた気持ちになるのは一時のはず。家へ帰ればすぐに過酷な現実が待っており、いやおうなしにそれに向き合わなければならないからです。

 道元は「正法眼蔵・現成公案編」で、
 ・・・佛道をならふ(習う)といふは、自己をならふなり、自己をならふというは自己をわするる(忘るる)なり、自己をわするるというは、萬法に証せらるるなり、萬法に証せらるるといふは、自己の身心、および他己の身心をして脱落せしむるなり・・・
と述べています。よく知られた一節ですね。これをある人が、
・・・仏道(真の道)を学ぶというのは、自己を習い知るということである。自己を習い知るとは、自己を完全に忘れ去ることである。自己を忘れ去るとは、自分が空になって、空になった自己が万法によって保証されることだ。万法に証されるということは、自己の身心も、他己(自分以外の人)身心も脱落(とつらく)せしめ、空になって、それが法によって保持されることだ(下線筆者)・・・
と解釈しています。「空」などの言葉を使ってもっともらしいですね。しかし、道元の教えはこれとはまったく違うのです。
 
 筆者の解釈は、
・・・仏道を習う、つまり仏法に従った正しいものの観かたとは、体験の世界なのだ。自己はそれ自身独立してはありえない。他己(自分以外のモノやコト)によってあらしめられる、他己があって初めて自己もある。しかし、純粋な体験とは、観るものなくして観る行為(現象)そのものなのだ。そこでは、行為だけがあり、もうその主体である私は(他己も)ないのだ。しかも、一つの体験に留まっていてはいけない。それをたゆみなく続けていくことこそ、真の仏道なのだ・・・
です。つまり「空」の理論を説いているのです。いかがでしょうか。
「空とは体験である」とお話しました。純粋な体験の世界には我(われ)、つまり、観る主体は消えているという意味なのです。それが本当の「無我」の意味です。「エゴを棄てる」などという意味ではないのです。我欲とはまったく関係ありません。

 禅のキーワードを正しく理解しないで禅がわかるはずがありませんね。「無我」を「我欲」などとするのは安直な解釈なのです。いまもっとも必要なことは、これまでの僧侶や宗教家のこういう解説を棄てて、禅の原点に戻って学び直すことだと思います。

禅の公案(1, 2)

 禅の公案(1)

 禅でよく言われる「不立文字・直指人心」とは、禅は文字を通じて伝えるのではなく、直接弟子の心に伝える、という意味です。初祖達磨大師、二祖慧可など、初期の指導者たちの言葉がよく伝わっていないのはそのためでしょう。しかし、その後どうしてもそれだけでは不十分であり、六祖慧能(638-713)の頃からは悟りを促す重要な言葉やエピソードが記録されるようになりました。それらをまとめたものが「公案集」であり、「無門関」「従容録(「碧巌録」と重なる部分が多い)」、臨済宗の祖臨済の言葉を弟子達がまとめた「臨済録」などが有名です。「公案が理解できると仏祖(釈迦)や祖師の思想に直接つながる」とも言われます。ちなみに「公案に答えはない」と書いている人がいましたが、それは誤りです。「禅問答」と混同しているのでしょう。「公案は解説するものではない」と言われます。修行を積んだ僧を悟りに導く最後のひと押しとも言いますから、いわば上級者のためのものですね。解釈を示してしまったら「不立文字・直指人心」の精神に反するからです。以下に、印象的な公案について幾つか感想を述べます。

1) 趙州狗子(じょうしゅうくし)
「無門関」(岩波文庫)第一則です。著者無門慧開はこの公案を「無門関」の初めに置きました。そして四十八則それぞれについて「評唱」と「頌」を付けました。「評唱」とはコメント、「頌」とは会得した時の感動を詩にしたものです。いずれも回答ではありません。この公案はまた「無字の公案」と言われ、禅宗、特に臨済宗の看話禅では修行者の第一関門としてまず課せられます。次の趙州(778-897、120歳!)は唐時代の高僧です。

趙州和尚、因(ちなみ)に僧問う、「狗子(くし)に環(かえ)って仏性有りや也(ま)た無しや」(趙)州云く、「無」
(趙州禅師に、ある時、一僧が、「狗子(犬)に仏性が有りますか、無いのですか」と尋ねた。趙州は「無」と答えた。)
この僧は「一切衆生悉有仏性」(涅槃経にある、一切のものには仏の本性があるとの意味です)」との文言が常識だと分かってた上で尋ねたのです。ですから趙州が「無い」と答えたのを、「犬には仏性がない」と解釈してはどうにもなりません。「有るとか無い」の問題ではないという意味なのです。なにより「従容録」第十八則でも、趙州は同じ質問に対して「有」と答えています。ただし、さまざまな禅師が言うように「絶対無」と解釈してはまた迷路に入ってしまいます。
 無門慧開は「評唱」で、
 ・・・「参禅は須(すべか)らく祖師の関を透(とお)るべし。妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す(筆者訳:禅に参じようと思うなら、何としても禅を伝えた祖師達が設けた関門を透過しなければならない。これがその一つである)」・・・「通身に箇(こ)の疑団を起こして箇の無の字に参ぜよ。昼夜提撕(ていぜい)して、虚無(きょむ)の会(え)を作(な)すこと莫(なか)れ、有無の会を作(な)すこと莫(なか)れ (筆者訳:全身を疑いの塊にして、昼も夜もこの無の一字の意味を理解せよ。この無を決して虚無だとか有無だとかいうようなことと理解してはならない)」
と言っています。筆者はこの有名な公案を以前から知っており、いろいろな人の解説を読みましたが、納得できるものはありませんでした。ある人は「ただひたすら無の意味を考えよ」と解釈しています(その通りに書いてあるのですが)が、そんなことが続けられるとは思いません。しかし、ある時その意味が「アッ」とわかりました。禅をできるだけ広く深く学んでいれば、いつかおのずとわかることだと思います。頭で知っていたことが腑に落ちるということは、禅ではとても大切だと思います。もちろん無は空とはまったく違います

禅の公案(2)

庭前柏樹(子(「無門関」三十七則より)

    趙州、因みに僧問う、「如何なるか是れ祖師西来(せいらい)の意(註1)」
    州云く、「庭前の柏樹子(はくじゅし)」。
   (ある僧が趙州に聞いた。「祖師がわざわざインドから来られた意味は何でしょうか」
  趙州和尚は、「庭前の柏樹子(註2)」と応えた)

  この問答の原典「趙州録」(「趙州録提唱」福島慶道著 春秋社)によると、僧は趙州の
  答えに満足せず、
  「和尚、境(きょう)を将(もっ)て人に示すこと莫(な)かれ」
  趙州云く、「我れ境を将て人に示さず」
  僧問う。「如何なるか是れ祖師西来意」
  州云く「庭前の柏樹子」
(「和尚、境《外境、つまり自己の対象物:禅独特の表現》なんかで示しても分かりません。もっと精神的な内容を持つ言葉で説明して下さい」と趙州に抗議した。そして同じ質問を繰り返したが、趙州は「あの柏の樹じゃ」と答えた)

 註1 つまり禅とは何か、仏法の本質とは何かという重要な意味です。
 註2 柏餅の柏のことではなく、ヒノキ科の柏槙(びゃくしん)のことです。

ある人の解説では:
 ・・・この僧は心と境とを対立的に見ての問いです。趙州和尚の消息は、心と境と一体一枚、心境一如、天地ヒタ一枚、禅師の心には境など存在しないのです。庭前の柏樹子、ただただ、庭前の柏樹子です。祖師西来意だの、禅だの、仏だの、悟りだのという小理屈は捨て切って、柏樹子に成り切った絶対的な境涯を趙州和尚は示そうとしているのです。この消息は釈迦、達磨といえども窺い知る事の出来ない、兎の毛ほどの思慮分別も差し挟む事の出来ない徹底的な「無心」の心です・・・
とあります。こういう解釈が多いのですが、間違いです。おそらく「境」という字にとらわれて、前回枯木龍吟のところでもお話した「自己と境が一体である」と同じ公案だと解釈してしまったのでしょう。第一、「無門関」では、「境」という言葉は使われていません。正しい意味は、次の拈華微笑と同じなのです。ちなみに「天地ヒタ一枚」はあの澤木興道師の口癖です。影響を受けた人は多いのです。

拈華微笑(ねんげみしょう )
 禅では有名な言葉で、「無門関」第六則に「世尊拈華」として出てきます。
 臨済宗・黄檗宗公式ホームページ「臨黄ネット」(山田無文著作集より引用とあります)では、
 ・・・一般に「インドの霊鷲山上で釈迦が黙って華を拈(ひね)ったところ、大衆はその意味を理解することができなかったが、迦葉だけがその意味を理解して破顔微笑したため、迦葉に禅の法門を伝えたという」とか、「言葉を使わないで、心から心へ伝えること」と解釈されています・・・

このように、「以心伝心」との解釈が多いのですが、それでは公案にはなりませんね。無門は「評唱」でこの公案の一般的な解釈に疑問を呈しています。筆者も同感です。上記の「庭前の拍樹子と同じだ」をヒントに考えてみてください。

日本大乗仏教の衰退

     日本大乗仏教の衰退(1)

 後ほどお話しする、「空思想」の発展型である唯識思想は、法相宗として薬師寺・興福寺などに伝えられました。一方、華厳思想に基づく華厳宗は東大寺がその総本山です。
 聖武天皇が鑑真和上をわざわざ唐から招いたのは、よく言われるような、日本の仏教を盛んにするためだけではありませんでした(註)。すなわち、奈良の上記など寺院勢力が増すとともに、僧侶が政治も口を出すようになり、天皇の施策上侮りがたい勢力になったからです。聖武天皇はそれに対抗するため唐から鑑真を招いたのです(最初から鑑真和上を考えていたわけではないようです)。その名目は鑑真が授戒(受ける僧から言えば受戒)、すなわち僧になるための儀式のエキスパートだったからです。これは正式に僧として認可されるための免許ですから、既存の奈良の大寺院の僧と言えども、それを受けないものは公式な僧として認められないことになり、大問題でした。聖武天皇の意図はこうして達成されたのです。しかしこの目論見は鑑真の死後、既存仏教の反発により唐招提寺は衰えてしまいました。
 こうして薬師寺、興福寺、東大寺等の奈良仏教が再び勢力を張るようになりました。しかし、平安時代に入るとそれらの寺院は急速に衰えてしまったのです。その最大の理由が、桓武天皇による平安遷都です。平安遷都にも聖武天皇と同じ深い政治的意図がありました。すなわち桓武天皇は奈良仏教勢力に対抗するため、遷都と言う大パフォーマンスを行ったのです。それは大成功でした。以後、奈良仏教は衰退してしまったからです。
 
 わが国の仏教を考える上で、このような視点はとても大切だと筆者は考えます。このような構図はエジプトの王と神官たちとの関係も同じで、あのツタンカーメンの父アメンホテプ4世は大胆な宗教改革(多神教であったエジプトをアテンを唯一神とするアマルナの改革)を行いました。これによって神官たちの権力は大きく後退しました。

註 授(受)戒:仏教で新たに僧尼となる者は、戒律を遵守することを誓う儀式のことです。戒律のうち自分で自分に誓うものを「戒」といい、僧集団内での規則を「律」と言います。日本に仏教が伝来した当初は自分で自分に授戒する自誓授戒が盛んでした。しかし、奈良時代に入るとそれをないがしろにする者たちが徐々に幅を利かせたと言います。そこで10人以上の僧尼の前で儀式を行う方式の授戒の制度化を主張する声が強まった。栄叡と普照は、授戒できる僧10人を招請するため唐へ渡り、戒律の僧として高名だった鑑真のもとを訪れた・・・これがこれまでの通説です。

 こうして平安遷都から1200年、奈良仏教が日本人の思想や文化に与えた影響はほとんどありませんでした。ご存知のように現在は観光寺院としてだけ有名です。

 今度の東日本大震災にあたって、遺族達をなんとか勇気付けようと、奈良の有名寺院の僧たちが次々に被災地に派遣されました。しかし、その試みはほとんど挫折したのです。NHK特集で、その心情を涙ながらに吐露していた僧は、薬師寺の衆生済度を担当する青年部のエリート僧でした。この僧の同僚が説いていた「般若心経」の解釈は明らかに間違いでした。東日本大震災は、はからずもわが国の奈良仏教の衰退を如実に示したのです。

 日本大乗仏教の衰退(2)浄土思想の衰退

 以前「歎異抄には新しい思想はない」とお話しました。文字通り「親鸞の教えを勝手に解釈するようになった不肖の弟子たちを歎く」内容に過ぎないからです。
 法然の「選択本願念仏集」や「一枚起請文」にはまさしく法然思想の神髄「ただ南無阿弥陀仏と唱えよ」と書かれています。親鸞の「教行信証」にはそれを超えるものは何一つあません。たしかに法然は世界仏教史の中でも画期的な位置を占めています。親鸞の凄さは法然の教えをいじらしいほど固く信じていたことにあります。浄土真宗をさらに堕落させたのは八世蓮如(1415-1499)です。蓮如は生涯に5度婚姻し、男子13人、女子14人の子をもうけ、男子は新しい寺の開基としたり、有名寺院の後継者として送り込む一方、女子はやはり有名寺院の住職の妻としました。さらに重大なことは、蓮如は上記の我が子たちを中心に構築する巨大な宗教団を作り、下記のように法事などの催行を独占して莫大な財政基盤を確立しました。さらに蓮如は親鸞の「教行信証」の一部を「正信偈」という短い経文(?、内容はありません)に仕立て、信者が毎日唱誦するものとしました。なんだか現代のAKB48グループ経営会社のようなアイデアですね。

 後年、蓮如は本願寺の書庫で「歎異抄」を見つけ、
 ・・・寺や僧侶に対して、たとえ一枚の紙やほんのわずかな金銭を寄進することすらなくても、本願の働きにすべてお任せして、深い信心を頂くなら、それこそ本願のお心に叶うことでありましょう(第十八条 筆者訳、下線も)・・・とか、
 ・・・親鸞には一人も弟子などおりません(第六条 同)・・・
と書いてあるのを見て大変驚き、末尾に「妄りに読ませはいけない」と書き加えたのは、蓮如のやったことが、親鸞の教えとあまりに違うからでしょう。

 さらにこの浄土真宗教団の巨大化の追い風になったのは江戸幕府の「寺請制度(檀家制度)」でした。宗教統制が目的の権力機構で、民衆は何れかの寺院を菩提寺としてその檀家となる事を義務付けるものでした。それによりキリスト教を禁制として、信徒に対し改宗を強制しました。それまでの民衆の葬式は一般に村社会が執り行うものでしたが、檀家制度の制定以降、僧侶による葬式が定まったのです。そして檀家制度は、寺院に権威と収入を保証しました。さらに妻帯が認められ、職業は世襲化されました。そのため僧侶とその家族は、当時としてはきわめて恵まれた生活を送れるようになったのです。さらに寺僧たちは無学文盲が多かった村社会においては教養も高く、特権階級となって行きました。僧侶たちの仏教を深く学ぶ意欲が低下して行ったのは自然の成り行きでしょう。そしてついに葬式仏教と化したのも当然でしょう。現在、東西両本願寺の門徒は1200万と公称し、その頂点に立つ本願寺門跡は貴族化しました。わが国最後の貴族はここにいるのです。
 明治になって寺請制度が廃止されると、寺が徐々に衰退して行ったのは驚くことではありません。今日、わが国では家族が分散して先祖供養も満足にされないため無縁墓が増え、葬儀は専門会社によって代行さるようになりました。それどころか最近ではネットによる僧侶の派遣事業も始まり、寺の経営上大きな脅威となっています。基盤であった葬儀や法事すら寺の手を離れ始めているのです。

 東日本大震災の遺族を慰めるため派遣されたエリート僧たちが挫折感を味わったとお話しました。浄土真宗でも同様だったのです。筆者は法然や親鸞の思想はすばらしいと考えています。その原点に戻って教えを説き、人々を救わなくてはなくては寺の将来はないのです。