良寛さん法華転・法華讃(6)

 筆者の感想

 要するに法華経の主旨は1)諸法実相(自然のすべては仏の姿や声の現われであること、2)人にはすべて仏としての本性があることでしょう。たしかにとても大切なことですね。道元や良寛さんが法華経を尊重していることや、「正法眼蔵」に法華経の思想がたくさん入っていることから禅と法華経には深いつながりがあることは容易に想像されます。

 しかし筆者は法華経を知る前からこれらのことを実感していました。すなわち、
 1)筆者は生命科学の研究に従事していたあるとき、遺伝子DNAの構造をながめていて、突然「いのちは神(仏)が造られた」と直感しました。生命だけではありません。山も川も、宇宙のすべてが神によって造られたにちがいないのです。法華経で言う「諸法実相」ですね。
 2)「造られた」ということは、裏を返せばそのまま私たちは神(仏)だということです。神につながる「本当の我(霊魂)」が人間の本体であると筆者は考えるのです。このことはこのブログシリーズでなんどもお話しました。神(仏)がお造りになった人間を愛おしみになるのは当然でしょう。母親が我が子を本能的に愛するように。これが本当の他力思想なのです。法然は、浄土三部経などで得た知識からではなく、直観的にこのことを理解したのでしょう。私たちはこのことをはっきりと認識し、ただただ、神仏の恩寵に感謝すればいいのです。法華経で言う「人間の本性は仏(神)」ですね。

 神仏は殺人の罪を犯した者さえ、そして自死した者でも救って下さるのです。よく、自死した者は煉獄に落とされ、永久に救われないという話がありますが、そんなはずはありません。それでは「すべての人を救う」という神仏の御心に反するからです。それはたんなる警告、仏教で言う抑止(おくし)に過ぎません。輪廻転生、つまりくりかえされる生まれ変わりが心の成長のためだとすれば、まあ「一回休み」でしょう。

 このように、法華経はたしかに優れた経典ですが、「特別な経典」ではないと筆者は考えています。日本には法華経に依拠する新々宗教がいくつかあります。以前それらについて調べてみたことがありますが、相互の攻撃があまりに過激であることを知り、調査をあきらめました。

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