剣禅一如

剣禅一如

前回の「弓と禅」で、弓術の上達は禅の境地と密接の関連していることをお話しました。剣も禅と深く関わっていることは「剣禅一如」としてよく知られていますね。あの勝海舟も、
 ・・・この座禅と剣術とがおれの土台となって、後年大層ためになった。(徳川幕府)瓦解の時分、万死の境を出入して、つひに一生を全うしたのは、全くこの二つの功であった・・・(「氷川清話」)と回顧しています。剣の道の上達に禅を重視したのは他にも柳生宗矩や山岡鉄舟が知られています。今回は沢庵和尚が柳生宗矩に教えた禅の心をご紹介します。沢庵より柳生宗矩への書簡「不動智神妙録」(タチバナ教養文庫)

 ・・・住は止まると申す義理にて候。止まると申すは何事に付けても其(その)事に心を止まるを申し候。貴殿の兵法にて申し候らはば、向こうより切る太刀を一目見て、そのままにてそこにて合わんと思へば、向こうの太刀にそのまま心が止まりて、手前の働きが抜け候て、向こうの人に切られ候。是を止まると申し候・・・敵に我が心を置けば、敵に心をとられ候間、我が身にも心を置くべからず。・・・仏法には、此の止まる心を迷いと申し候。不動とはうごかずといふ文字にて候。智は智慧の智にて候。不動と申し候ても、石や木のやうに、無性なる義理にてはなく候。向こうへも左へも右へも十方八方へ心の動き度(た)きやうに働きながら、卒度も止まらぬ心を不動智と申し候。・・・動転せぬとは物毎(ものごと)に留まらぬ事にて候。物一目見て、其の心を止めぬを不動と申し候。・・・何処なりとも、一所に心を置けば、余の方の用は皆欠けるなり。しからば則ち心は何処に置くべきぞ。我答えて曰く、何処にも置かねば、我が身一ぱいに行き渡りて、全体にひろ(広)ごりてある程に、手の入る時は手の用を叶(かな)へ、足の入る時は足の用を叶へ、目の入る時は目の用を叶へ、其の入る所々に行き渡りてある程に、その入る所々の用を叶ふるなり。万一もし一所に定めて心を置くならば、一所に取られて用を欠くべきなり。思案すれば思案に取らるる程に、思案をも分別をも残さず、心をば総身に捨て置き、所々に止めずして、其の所々にあって用をば外さず叶べし・・・

筆者の感想:柳生宗矩や勝海舟、山岡鉄舟はいずれも戦国時代や幕末動乱期を過ごした人たちですから、剣に上達しなければそのまま命に係わったでしょう。勝海舟は3度も危ない目に遭ったと言っています。その一つに、あの坂本龍馬が護衛に付けた岡田以蔵(人切り以蔵ですね)が突然現れた刺客を直ちに切り捨てた事件があったと言います。勝は剣の達人でありながら人を殺すことが大きらいだった人ですから、「岡田君それはよくないよ」と言ったところ、「でもああしなかったら先生は殺されていらでしょう」と反論され、「ギャフンとなった」と言っています(「氷川清話」)。
 その意味で前回お話した、中西政次さんなど、現代に生きた弓道家とはくらべものにならないほど厳しい鍛錬だったでしょう。

 沢庵(1573-1646、臨済宗の僧)の言葉は、剣における禅の心として「一瞬たりとも相手の剣や自分に心を留めるな」と言っていますね。その通りだと思います。すぐれた禅師は心をどこかに留めることはありません。筆者も剣道をやったことがあります。その経験からしますと、もちろん相手の一瞬のすきに乗じて打ちますが、じつはその時が一番危ないのです。たとえば面を打てばこちらの胴は空いてしまいますから。ですから、打つときは常に半分の余裕を持たなければならないのです。「残心」と言いますとよく、「お互いに剣を交えてすれ違った後、じっとしている」と思われていますが、そうではありません。打つ瞬間も必ず心の余裕を残すことです。もちろん、一々そんなことを考えて戦っているのではありません。常に、無意識に「考えなくても体が反応する」ように、繰り返しくりかえし鍛錬するのです。ですから心は常に「無」なのです。沢庵和尚の言うことが納得できます。

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