心と魂(1)養老孟子さんと玄侑宗久さん(1‐2)

養老孟子さん・玄侑宗久さん(1)

 今回から宗教を考える上でとても大切な「心と魂」についてお話します。以下は、養老孟子さんと玄侑宗久さんの「脳と魂」筑摩書房(ちくま文庫)基づきます。養老さんは元東京大学医学部解剖学教授。ベストセラー「バカの壁」の著者として知られています。玄侑(橋本)さんは臨済宗福聚寺住職で芥川賞作家。「般若心経」(ちくま書房)など。
 この興味ある会談の目的は二つあるようです。すなわち、1)脳と心は対応するか、そして2)魂とは何かです。
養老:「心臓の細胞は一つだけ取り出しても拍動を始めます」(以下文庫版p223)
玄侑:そこまでいっちゃうと何か訊きたくなっちゃうことがあるんですけどね。やっぱり物質そのものが記憶したり、自発的に動くっていうふうにはなかなか考えにくいということですよね。だいたい物質そのものは次々入れ替わってるわけですし、たとえばDNAを構成している塩基だって、熱にも酸にも弱いから変成しやすい。そんなものに、永続する記憶が入ってるとは……。

筆者のコメント:神経細胞が「心」に関わるかどうかを念頭に入れての発言でしょう。もちろん玄侑さんは否定的なはず。「何か訊きたくなっちゃう」とはそういうことで、この心臓細胞のケースは心穏やかではないでしょう。一つの細胞が心臓そのものの働きを再現しているのですから、脳の神経細胞一つが記憶を担うことを否定しきれなくなってしまうからです。一方、「DNAは変性しやすく、そんなものに永続する記憶が入るとは・・・」は、生命科学を知らない人の発言です。DNAは生体内ではきわめて安定で、何かの原因で壊れればすぐに修復機構が働くのです。玄侑さんはここでも仏教の基本思想と言われる「縁起の法則」を取り入れているのです。
養老:(物質そのものが記憶したり、自発的に動く可能性について)いや。だからそうは思ってないです。
玄侑:その記憶するとか自発的に動くというところに……先生はやっぱりあれですよね。科学の立場だから、口が裂けても「魂」とは、言いたくない。
養老:いや。だから言いたくないっていうよりも、魂の定義が出来ないんです。僕の場合はそれなりに定義するんですよ。システムとしか言いようがないんですよ。われわれは実際には物質の塊なんだけど、いわゆる石ころとは全く遠いますよね。死体を考えていただいたらわかるんで、死体はわれわれと全く同じ物質で出来ているんです。ところが片方は生きていて、片方は生きてない。だからその違いはなんだ、と。・・・システムという言葉でごまかしているのはわかっているんだけど、要するに表現がないんですよ・・・

筆者のコメント:玄侑さんは、人間を生かしているのは「魂」だと言いたいのでしょう。しかし養老さんは「魂というものが定義できない」とかわしています。正直な言葉でしょう。しかし、生きている人間と死体との違いは。はっきりしています。生きるためには、常にエネルギーの供給と、それによる動的物質代謝が必要なのです。心肺が停止すればそれができなくなるのです。やはり養老さんは生命科学者と言うより、生きていない器官や組織を研究する静的な解剖学者だったと思います。
玄侑:先生は「生きているシステム」っておっしゃってますよね。
養老:そうです「生きているシステムって言うけど、それは実は何だ」って言われると、「細胞の連携だよ」とまず、言う。「じゃ、その細胞の連携って何だ」って言ったら「最もよく出来たシステム。以上終わり」って、言うしかないんですよ。

筆者のコメント:「以上終わり」としか言いようがないでしょう。「死んだシステム」というものはありません。生きものを生かさせておくのには「いのち」とか、「魂」という要素を入れなければならないはず。筆者は「生き物は神が造られ、生かさせていただいてるのは神のエネルギーだ」と、確信しています。メカニズムはの解明は今後の問題ですが、そうだとしかいいようがないのです。

養老孟司さん・玄侑宗久さん(2)

 養老:細胞はまさにシステムなんです。じゃあ、その細胞っていうシステムがどうやって出来たかっていうと、科学はわかんねえって言うしかないんですね。

筆者のコメント:それではこの討論は終わってしまいますね。筆者は「魂」とか「いのち」という要素を入れても科学に反するとは思いません。たんに未解決であるだけなのです。そんな例は科学にはめずらしくありません。あのニュートンでさえ、ニュートン物理学だけでは説明できない現象(素粒子の世界)があることに気付いていたのです。

玄侑:私も、今仏教が認められつつある中でも、やっぱりここは言ったらまずいかなと思ってるとこなんですよね。現在の仏教各宗派も、ほとんどこの問題については触れないようにしている。いわば科学と同じスタンスをとろうとしてるわけです。そこに新興宗教が起こってくる最大の穴があるんだと思います。初期仏教はこの問題を避けてはいないんですが。

筆者のコメント:玄侑さんは、「システムを作って働かせているのは魂です」と言いたいのかもしれません。ブッダが魂というものがあるかどうかについては答えなかったのは、仏教各宗派の基本的了解事項です。玄侑さんも日本仏教の僧侶としてはそう言わざるを得ないでしょう。筆者も仏教を学んでいますが、別にブッダの考えには執われていません。むしろ魂というものをを認める、それ以前のヴェーダ信仰に共感を覚えます。

玄侑:よく、「魂ってあるのか ないのか」って訊かれたりするわけですよね。お釈迦様は訊かれても答えなかったわけですね。仏教は、「ある」とも「ない」とも考えていないんですよ。どう考えるかっていうと、観測者と、観測される対象と、その周辺の無数の縁による相互関係的な出来事だというわけですね。だから、「ある」ということが起こることもあるし、起こらないこともあるのであって、「ある」か「ない」かということではないと。すべては出来事というふうに考える。
筆者のコメント:玄侑さんは、「仏教では(すべてのものやことは)縁によって生じていると考えるから、魂も「ものではなくてことだ」と言っているのですね。例の「縁起説」です。しかし、ブッダはそもそも「魂というものについて考えるな」と言っているのですから、縁起のものであろうとなかろうと魂については触れていないのです。玄侑さんの拡大解釈でしょう。

養老:それはまさに、私が言ったシステム論です。多数の要素が複雑に絡み合って、ある動きをしている。それは一定であると思えば一定だし、絶えず変化してると思えば変化してるしね。そんなこと言ったら何も言ってることにならないって、近代科学は言うんだ。なんだ禅問答かって・・・(中略)・・・
玄侑:先生のおっしゃる「生きているシステム」は、仏教で言う「空」なんですね。「空」っていうのは実際、概念化することが不可能なものですから、なかなか難しいんですけど。そして科学が相手にするのが「色」ですよね・・・量子が粒子であり、波であることは、もうすでに「色」では収まらないんです。
養老:もう「色」の世界を外れちゃってますよね。むしろ「空」になっちゃったなあ。

筆者のコメント:玄侑さんの、「生きているシステムは、仏教で言う空なんですね」には驚きます。筆者は空思想ははっきりと概念化できると、このブログシリーズで繰り返しお話しています。さらに、量子が粒子であり波であろうと「色」は「色」です。というより、「色」とは対象のモノではなく、見る自分と、見られるモノとの関係、つまり「空理論」とは別の認識論ですから。さらに以前、NHKテレビ「100分で名著・般若心経」で、司会者が「『空』の意味が(玄侑さんの説明を聞いても)わからない」と言ったところ、玄侑さんは「般若心経で大切なのは、意識しなくても読める状態です」と言っていました。つまり、「空とは忘我の状態を指す」と言うのでしょう。違うと思います。司会者も不満足そうでした。

まとめ
 結局、養老さんは「脳はシステムであり、それ以上はわからない」、つまり、脳と心は対応するかどうかわからないと言っています。一方、玄侑さんは仏教僧侶として「魂がある」とは言えないのです。要するにこの会談の目的に対する回答は得られなかったのです。

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