(1)鈴木秀子シスター(1932-)聖心女子大学教授(日本近代文学)を経て、国際コミュニオン学会名誉会長。全国および海外からの招聘、要望に応えて、「人生の意味」を聴衆とともに考える講演会、ワークショップで、さまざまな指導に当たっていらっしゃいます。「純潔」「清貧」「従順」の三つを誓ってシスターになられました。「純潔」の誓いにより、一生涯独身生活を守り、身も心もすべて神の国の建設のために捧げるのです。
「自分を生き抜く聖書のことば」(海竜社)、「死にゆく者との対話」(文藝春秋)、「あなたは、あなたのままでいてください」(アスコム)、「あなたは生まれたときから完璧な存在なのです」(文藝春秋)など著書多数。
(以下はNHK「明日も晴れ、人生レシピ・苦しみを幸せに変える」の放送から)
鈴木さんの活動の一つに「死を間近にした人への癒し」があります。枕元で手を取りながら「吐く息とともに心配や不安が全部外へ出て行きます」「過ぎ去ったことはすべて許されます」と言って死への恐怖から解放してくださいます。鈴木さんは「一人の人生の、それに振り回されず終わりというのはこの世を卒業し、向こうの世に生まれ変わって行くすばらしいチャンスだ」との、独自の死生観をお持ちで、そのきっかけは47歳の時、階段から落ちて5時間も意識不明になったときの臨死体験に基づきます。 ・・・取り巻いている全体が金白色のすばらしい光に満ちていて、立っている私は満たされている。ああ、無条件の愛とはこういうものだと、とても強く感じた(註1)・・・
鈴木さんの言葉はどれ一つをとっても胸に響きます。
・・・病気とは苦しくて先がすごく不安になりますね。だけれどもその体験があなたを幸せに導いてくれます・・・よく「私の病気を治すために祈ってください」と言う方がありますが、私は「病気を直してください」とは祈りません。苦しみが無くなることがその人にとって果たしていいのかどうかわからないからです。その苦しみを通して、その人が人間として成長してゆくため、いまそれらに出会っているのかもしれない。「それを乗り越える力を与えてください」と祈ります・・・。
・・・迷うことも苦しむことも人間として当たり前ですが、そういうことを通して神さまが導いてくださり、すべてよく計らっていて下さると私は確信しております。ともかくその時に沸き起こってくる感情を認めながら、その感情に振り回されず、一つ一つの出来事に対処するのが一番とわたしは考えます・・・すべて起こることには意義がある、だから悲観せず、最悪とは考えずに、その気持ちを受け止めながら、今日一日を精一杯生きて行くことが大切です・・・
・・・自分自身と良い絆を築く、これが幸せになる第一の法則と確信しています。あなたが自分を叱りつけたり、なんであんなバカなことをしたんだろう」とか言って自分を責めたりしていると、他の人との人間関係も悪くなります。あなたが「また私を責め始めている」と気付いたら、このマジックワードを思い出してください。「意外と私は・・・」と言うんです。「意外と私は頑張ったじゃないか」「意外と私はみんなに感謝されているじゃなないか」・・・そういう自分の良いところを引き出してみてください・・・。
鈴木さんは一年に一回、北海道で9日間、ただ一人で「沈黙の黙想」をなさいます。日常を離れ、静かに神に祈り続けることで「苦しむ人のために祈り続けるエネルギーが生まれてくる」と言っていらっしゃいます。
鈴木さんのところへは、全国から相談のメールや手紙、あるいは直接訪ねてくる人がいます。その一人に7年前、娘を自死で亡くしたお母さんが来ました。「母親として失格ではないか」と苦しみ、3年間はほとんど寝たきりだったという。「鈴木さんに苦しさを話したいだけ話すと、ようやく少し楽になった」と。鈴木さんは「そのあなたの苦しみと救われた体験を私の会でお話になりませんか」と言うのに応えると、鈴木さんは「後で多くの皆さんから、『勇気をいただいた』との反応があったじゃないですか。あなたが想像しないところでたくさんの人が勇気をもらっている。(お嬢さんの自死という)出来事があって今のあなたがある。お嬢さんは素晴らしいものを贈られましたね。天国からお母さんにすばらしい働きかけをしているのです」。お母さんは「そう言われればそんな気にもなります」と。
(2)一生涯「純潔」「清貧」「従順」の誓いを守って生きて行くことは、部外者には信じられないほどの覚悟と実践でしょう。鈴木さんは13歳の時終戦を迎え、今まで、校長や教頭、すべての先生たちが「登校した時必ず天皇陛下のご真影にご挨拶しなさい」と教えて来ました。しかし(終戦の年)夏休みが終わって学校へ行ってみると、一人遅れてきた子がいた。窓から見ているとある先生が「あのバカはまだあんなことをしてる」と、せせら笑った。それを聞いて私の心にあった大切なものが一気に粉々になりました・・・」。「その空洞を埋めたのが、その後入学した聖心女子大学で同級生の曽野綾子さんから聞いた次の言葉でした・・・戦時中、シスターの一人が神についてお話していると、憲兵たちが乗り込んできて「キリスト教などデタラメだ」と言って講義を中止させた。しかし憲兵たちが引き上げると、シスターは、すぐに元の話にもどった」。キリスト者の心の中心軸は少しもぶれることがなかったのですね(註2)。
筆者のコメント:鈴木さんのご活躍はただただ頭が下がります。強い信念をもって神を信頼されている方ならではのお言葉と行動でしょう。ただし、死を間近にした患者へ、「吐く息とともに心配や不安が全部外へ出て行きます」「過ぎ去ったことはすべて許されます」との言葉は霊的な観点から言えば誤りです。誤りを伝えてやすらぎを得させるのは、やはり正しい道とは思えません。筆者でしたら、「あなたがこれまでひどいことを言ったり、ひどい仕打ちをした人に許しを乞いなさい」「あなたを生かしてくださっている神に感謝しなさい」「あなたを許し、愛して下さったたくさんの人に感謝しなさい」「自分を心から認め、許しなさい」と伝えるでしょう。また、「(自死をした)お嬢さんが天国からお母さんにすばらしい働きかけをしている」かどうかも筆者にはわかりません。お母さんの「そう言われればそんな気もします」が正直な感想でしょう。しかし、お母さんが、それまでのただただ自分を責める生き方から、「他人に聞いていただこう」と前向きになったのは間違いないでしょう。
註1 鈴木さんの「臨死体験が神の存在を確信させた」かどうかについては、異論もあります。「脳の中に組み込まれていた生存本能としての記憶に過ぎない」という人たちもいるのです。
註2 鈴木さんは「日本人には中心軸を持っている人が少ない」と言っています。まったく同感で、今度のコロナウイルス騒ぎなど、その好例でしょう。