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人間原理

人間原理

 人間が知ることのできるこの宇宙(ユニバース)以外にもたくさんの宇宙があると考えている科学者は少なくありません(マルチバース説)。「そこには人間と同じような知的生命体も存在しうる」と考えている人もいるでしょう。しかし、最近の宇宙物理学によれば、個々の宇宙の構造はそれぞれまったく違うと考えられているのです。というより、この私たちのいるユニバースこそ、それらの中で奇跡的存在なのです。アインシュタインの一般相対性原理で示された「宇宙定数(その宇宙を成り立たせている基本的な単位)」の値が、私たちのユニバースについては奇跡的に人間が存在するのに適しているのです。さらに物質の基本単位である素粒子の数や種類も、他の宇宙では違うかもしれないのです。以前お話したように、このユニバースで、現在知られている素粒子は17種(18種)あることが知られています。それぞれの性質や意義は、今後の研究によってますます明らかにされて行くでしょう。しかし、なぜ17個なのか、なぜそれぞれがそれぞれの性質を持っているのかは、永遠にわからないのです。生命についても同様です。遺伝子DNA塩基の種類が4つで、たんぱく質を構成するアミノ酸が20種類であることはわかっていますが、なぜそれぞれ4種と20種となっているのかについても「神が決めた」としか言いようがないのです。筆者が、筆者のグループが突き止めたあるたんぱく質遺伝子の構造をながめているとき、突然「生命は神が造れらえた」と感じたことは、お話しました。

 一方、近年、この銀河系にも地球型惑星の発見が相次いでいます。あるいはそこには人間のような知的生命体もいるかもしれないとの期待もあります。この太陽系にも土星の衛星エンケラドスやタイタンにも生命が存在する可能性が言われています。しかし、間違えてはいけません。地球外生命の存在と、人間のような知的生命体の存在とはまったく別の問題なのです。以前お話したように、地球上で知的生命が生まれたのは奇跡としか考えられないのです。人間のような高等生物が生まれたのは、水が液体の状態で存在しうる、地球が太陽からの距離の100±1~2%のごく限られた範囲にあること、月という衛星がちょうど良い位置にあったことなど、偶然に偶然が重なったからです。地球が火星ほどの大きさだったら、大気は宇宙へ拡散してしまいます。

 「神は自分の業を客観的に知るために人間をお造りになった」という考えがあります。
そしてまさにこのユニバースが造られてから138億年経った今、人間は生命の秘密や、宇宙の構造をつぎつぎに明らかにしているのです。138億年という気の遠くなりそうな時間の、わずかここ100年のことです。驚嘆すべきことではありませんか。

 このユニバース宇宙の基本方程式は4つあると考えられています。そのうち3つまではすでに明らかにされました。「あれが最後の一つだ」という山の頂に立とうとしています。しかし、あと一息というところまでまで来てみたら、その先、はるかかなたまで真理の平原は広がっていたのです。

 筆者が以前このブログでお話したように、人間は一兆分の一の一兆分の一のそのまた一兆分の一というような信じられないような偶然が重なってできたのです。「人間を生み出すために地球はでき、この宇宙はすべてその背景である」これを人間原理と言います。筆者が「宇宙も人間も神が造られた」と言うのはたしかに論理の飛躍です。「わからないところで神を持ち出すのはずるい」と言う人もいるでしょう。しかし筆者には「神がお造りになった」としか考えられないのです。
 

踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです(続)

踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです(続)

 遠藤周作さんの「沈黙」が映画化され、キリスト教関係者の中で大きな話題になっています(筆者は映画は未見ですので、原著と差があるかどうかはわかりません)。筆者は前回、「『沈黙』は『神も仏もあるものか』と、棄教的言葉を吐いた遠藤さんが、その罪におののき、自らを正当化するために書いたフィクションです」とお話しました。ロドリゴ司祭が聖像を踏んだという行為の是非を云々したキリスト教学的論述ではではないことはおわかりいただけたと思います。

 元上智大学教授の教父J.S.O’Learyさんが「福音宣教」7月号(オリエンス宗教研究所)に、次のような寄稿をしています。そしてO’Learyさんは「踏んだ」ロドリゴ司祭の行為を肯定し、「殉教の放棄こそがより高い殉教である」とちょっと筆者にはわかりにくい結論しています。
 「沈黙」の受け取り方は、キリスト者によってさまざまでしょう。中には激しい言葉で相手を非難することもあるようです。「殉教の地」九州の天草地方では「禁書」とされたり、アイルランドのある司教は、映画の上映に抗議したと言います。言うまでもなく、遠藤さんの著作やその映像化作品に対する評価は、信者一人ひとりの「思い」ですから、本来、誰もそれをとやかく言うべきことではないでしょう。ただ、まさに踏み絵を踏まんとするシーンでキリストが、「私がこの世に来たのは人々によって踏まれるためである」がきわめ重要な踏むことの「正当化」の鍵として使われているのには大いに疑問があります。それがキリストの言葉としてはだれも証することが出来ないからです。ここに遠藤さんの「自己弁護のための作為」があると、筆者は考えます。O’Learyさんはさらに、
 ・・・ロドリゴ司祭は、今やユダ(註1)と同じレベルであり・・・キリストに近く、キリストのゆるしの「宝」を運ぶにふさわしい人なのです。キリストのイメージとユダのイメージの重ね合わせは、遠藤の小説における逆説的核心へと私たちを導いています。仏教的パラドックス「山は山に非ず。故に山は山である」はロドリゴの内に反映しています。禅の言葉「仏に逢うては仏を殺せ」は、ここにおいて「キリストに逢うてはキリストを踏め」ということになっているのです(下線筆者)・・・

と言っています。筆者が今回問題にしているのはここなのです。O’Learyさんの専門は「キリスト教と仏教との対話」および、「キリスト教と二十世紀の文学」とあります。しかし、O’Learyさんは上記の仏教思想を正しく理解していないのです。すなわち、まず「山は山に非ず。故に山は山である」は別に逆説ではありません。その正しい意味はすでにこのブログシリーズでお話しました。つぎに、「仏に逢うては仏を殺し」は、「祖に逢うては祖を殺せ」と続く臨済の言葉ですが、「仏(教)とはなにかを追求し尽しても、それにこだわっていはいけない」という意味なのです。O’Learyさんのように「司祭は司祭に非ず、故に司祭である」とか、「キリストに逢うてはキリストを踏め」と結びつけるのはとんでもない間違いだということがお分かりいただけるでしょう。このように仏教の研究者の中には、あちこちで学んだ語句を適当に結びつけて自説のサポートにする人が多いことに注意しなければなりません。

 以上、筆者は、ロドリゴ司祭の「踏み絵行為」についての遠藤さんの著書の内容のキリスト教学的是非についてはなにも言っていません。ただ、遠藤さんのこの創作態度と、O’Learyさんの論説の矛盾についてのみ疑問を呈しているのです。踏むかどうかなど、教条ではなく、自分自身がそういう状況になってみなければ絶対にわからないでしょう。そうでない場合の議論など、単なる空論だと思います。
註1 ユダはご承知のように、キリストを裏切って磔刑へと追いやった人物ですが、キリストがそれを許したことが、かえって後世のキリスト者への大きな福音となっているようです。それゆえO’Learyさんがここでユダの背信とロドリゴの棄教行為とを重ね合わせているのでしょう。

読者からのご質問(2-1,2)

読者からのご質問(2‐1)

 この読者から、続けて下記のご質問をいただきました。①-⑤すべてほぼ同じ趣旨ですからまとめてお話します。どれも誠実な内容で、的確だと思います。よく勉強もしておられます。他の読者のご参考にもなると思いますので、紹介させていただきます。なお、前にも同じ方からご質問をいただき、以前のブログで筆者の考えをお話してあります。参考にして下さい。長くなりますので二回に分けてお話します。

ご質問1「(公案の)庭前の拍樹子」について:「(神名龍子の考えをここで当てはめると)「自分と柏樹はそれぞれ、出会うことにより同時に現れる。自分は柏樹と出会うことにより現れる。その自分とは、万物同根のそれである。柏樹に出会ってはじめて自分はある。「主体としての私=実体としての私」を抜きにした「無我の私」となる」となろうかと思います。中野さんの「柏樹は私が見て(体験して)はじめて現れる(現成する)」と似通っているように思われます。柏樹はあらゆるものの一例でしょう。神名龍子と中野さんとの違いは、一つあげれば、神名は柏樹と自分は同時に現れるとしていますが、中野さんは柏樹が現れるとしています。この差をどう取ればよいのでしょうか。
お答え:神名さんの著書は読んではいませんが、この点については、おそらく筆者の考えと同じでしょう。「柏樹が現れる時に私も現われる」です。強調点の違いです。禅で言う「体験」にも、もちろん「私」はあります。正確に言いますと体験の主観的側面が「私」で、客観的側面が「対象物(モノ)」なのです。禅では「私が悟れば自然も悟る」と言います。つまり、私と自然(対象物(モノ))は本来、対立するものではないのです。

ご質問2:中野さんは「「私がモノを見るという一瞬の体験こそ真相だ」というモノゴトの観かたです。一瞬の体験には一切の判断はありません。」、「・・・見る(聞く・・・)という、今、ここの一瞬の体験にこそモノゴトの真実が現れるのです。過去は消えた、未来もない。あるのは今この一瞬だけなのです。「生き方」の問題などではなく、事実そのものを言っているのです」、「「体験(現象)が起こるのは、今ここでの一瞬であり、ものごとはその時だけ現われる」、だから「生とは、一瞬一瞬の「今ここ」の生(なま)の体験の連続」であるとおっしゃられています。「禅は無我の実現がねらいなのです」(長泉寺矢口住職「丙丁童子来求火」のお話)とすると、中野さんお説では、びっくりしたときや、いきなりや、荘厳さに打たれて我を忘れたときや、鼻をつねられた〔百丈)ときばかりではなく、生きている人は凡夫であれ、禅僧であれ、いつでもつねに、無我(みる主体が消える)が実現し、悟りに至るところにいるのだ、ということになりませんか。それとも「モノゴトのみかたには、「見かた」と「観かた」の二つがあり、「見たモノと観たモノを一如とする」ことが、モノゴトの真実の姿を知るために必要だと言うのです。」が理解できてないからでしょうか。

お答え:矢口さん(存じ上げませんが)のおっしゃる「生きている人は凡夫であれ、禅僧であれ、いつでもつねに、無我(みる主体が消える)が実現し、悟りに至るところにいるのだ」は誤りです。凡夫(そう言う表現の是非はさておき)や、未熟の禅僧は稀に「無我」の状態になるのです。ふだんは「見ている」のですね。すぐれた芸術家や科学者は「無我」の状態になる機会が多く、「観ている」のです。悟りに至った禅僧はいつでも「無我」の状態になれるとお考え下さい。
 さらに、長泉寺矢口さんのおっしゃっている「禅は無我の実現がねらいなのです」は正しくありません。禅では「自我(自己)」も否定しません。「見たモノと観たモノを一如とする」ために必要だからです。すぐれた禅僧はそれらを自在に一如にすることが出来ます。

ご質問3 中野さんは「 「空思想」とは、「私がいてモノを見る」という、これまでのモノの見かたとは異なり、「私がモノを見るという体験こそが真実だ」とくり返しお話してきました。「モノを見る」という体験は一瞬です。良いとか悪いとか、きれいだとか汚いという価値の判断は入り込む余地はありません。まずここが大切な点です。そして、体験は一瞬ですから、「限りなくゼロに近い一瞬の連続が人生だ」とも言います。」と書いておられました。
 まず、中野さんのおっしゃる「体験」とは何を指すのでしょうか。次に、誰にとっても、体験は一瞬であり、その一瞬の連続が人生ならば、凡夫にも未熟な禅僧にも、その人生は一瞬の体験の連続ですから、つまり、『私」の入る余地はなく無我の体験の連続ということになりませんか。ところが私〔凡夫〕の人生はと言えば、妄想の連続です。思いや考え事や価値判断の連続といってもいいほどです。この二つの事柄は、矛盾ではありませんか。私の人生は、一瞬の体験の連続ではないのですか。

お答え:まず、「体験」とは、「見た体験」、「聞いた体験」・・・です。「凡夫」(あなたにとって適切な表現かどうかは別でしょうが、便宜上ここでも使わせていただきます)は、「体験」するとすかさず判断(あなたのおっしゃる妄想)を入れてしまいます。つまり、凡夫の「一瞬」の体験は一瞬ではなく二段階です。すぐれた禅僧は、妄想へ行く前に「体験」のままで止めてしまうのです。「純粋な体験」「体験そのもの」なのです。そこが凡夫の「体験」とすぐれた禅僧の「体験」との違いです。それゆえ、「純粋体験」における「私」は、凡夫の「私」とは違うのです。「純粋体験」における「私」は、筆者の言う「本当の我(私)」なのです。禅僧が人生を掛けて修行するのは、「本当の我(私)」を引き出し、その眼でモノゴトを観るためです。

読者からのご質問(2-2)

ご質問4 私が「意」にこだわるのは、たとえば、井上貫道さんは、「坐禅は眠ったら坐禅にならぬ」とおっしゃるように、自分を見極めようとするには、眠っていない「意」が必要ですが、無我の状態に入ったとき、その「意」とは何を〔意識だけでは答えになりません〕さすのか、よく分からないからです。また、スマナサーラさんは、『刺激論』で「眼耳鼻舌身意に色声香味触法が触れた瞬間、たとえば眼に色形が入った瞬間、妄想を展開させずに、「見えた」と、そこでストップしたらどうなるでしょうか? 何の妄想も、何の主観も、何の煩悩も生まれてこないのです。それで心がすごく穏やかになるのです。悟った人は、ここでストップします。妄想には行きません。悟った人に煩悩が無いというのは、眼が見えないとか耳が聞こえないとか、何も感じないということとはまったく違います。悟った人は常に目覚めて、ものごとを鋭く観察していますから、誰よりも鋭く聞こえていますし、鋭く見えています。ただ妄想には行かないのです。」と言っていますが、六根に入っている「意」、「つねに目覚めている」意識、妄想に行かない「意」とは何か、何がどういう働きをしているのか、どういう状態なのか、いまいちよく分からないからです。スマナサーラさんの「意門」論も読みましたが、私の疑問は払拭されませんでした。つまり、無我の「意」って何だろう、という疑問です〔無我といえども、「意」が無くなることはないのではないでしょうか)。
 中野さんの「意」論をお聞かせ下さいませんか。無我の意は「法」をどのように”味わう”のでしょうか。

お答え:まず、A・スマラサーナさんはテーラワーダ仏教の長老ですね。日本語がお上手です。スマラサーナさんの考えは、たぶん私の考えと基本的には同じでしょう。ご質問(3)でもお答えしましたように、「つねに目覚めている意識、妄想に行かない意識」とは、「本当の我」の意識です。それは自己意識(顕在意識)とは異なり、その奥にある意識とお考え下さい。「体験」を妄想に行かせずに止めると、自己意識(顕在意識)と「本当の我」の意識が重なるのです。そうするとモノゴトが正しく観えるのです。「本当の我」の意識は神の意識、仏教で言う阿弥陀如来の意識です。「本当の我」の意識(あなたのおっしゃっている「無我の意)は法そのものを味わうことが出来ます。と言うより「法」そのものです。「本当の我」の意識に従って生きる・・・、それが悟りの世界です。そして悟りの世界は苦しみや悲しみを乗り越えた平安の世界です。

ご質問5『見たもの」とは、自己意識による認識でしょう。では、無我になれば、何がどのようにものごとを認識しているのでしょうか。それとも、認識していない? 認識していなければ、一如〔同じではないが、別ものでもない、一つの如し)もないのではありませんか。また、「観たもの」とは、何が何をどのように「観る」のでしょうか。またまた、「観る」とはどういう状態を指すのでしょうか。ご教示を是非賜りたく存じます。
 以上、私には自己意識のからをかぶった自分と無我の自分の二重構造で、禅は修行により、この自己意識の殻を脱ぎ捨てる蝉の脱皮のようにも感じられます。私の疑問はこの4つに集約されそうです。他にお尋ねできそうな人がおりません。中野さんには誠にご迷惑でしょうが、ご教示賜りますれば、幸甚に存じます。よろしくお願い申し上げます。

お答え:少しも迷惑ではありません。あなたは無我を正しく理解されてないのでは?無我とは、「我がない」ではなく、「自我(自己)意識」はないが「本当の我(あなたのおっしゃる無我の自分?)」はあるのです。無我になれば「本当の我」がモノゴトを認識しています。ご質問(4)でもお答えしましたが、「本当の我」の意識は自我(自己)意識とは異なり、その奥にある意識です。「体験」を妄想に行かせずに止めると、自我(自己)意識と「本当の我」の意識が重なるのです。あなたのおっしゃる「自己意識の殻をかぶった自分と無我の自分の二重構造で、禅は修行により、この自己意識の殻を脱ぎ捨てる蝉の脱皮」は正しいと思います。
 一方、さらい重要なことは、禅では自我(自己)意識で認識したモノゴトと「本当の我」の意識が認識したモノゴトを「一如として観る」と言います。とても大切なことですから、このブログで追々お話して行きます。がんばってフォローして行ってください。

 初めて読者の方とキャッチボールが出来たような気がして筆者も嬉しく思います。

 以上、筆者もあなたも禅のモノゴトの観かたを言葉で表現しています。それがわかっても頭で理解することであり、「体得」することとは別です。あなたのおっしゃるように、それを「体得」するには修行が必要です。筆者は毎日修行を欠かしません。

神の存在と死後の世界(1,2)

神は実在されます(1)

 筆者がこのブログシリーズを書いてきて、「宗教とは」をお話するキーポイントは、神と死後の世界の実在について、筆者がどう受け止めているかをお伝えすることだと感じています。さまざまな悲しみや苦しみの渦中にある人たちにとって、神や死後世界の存在を「受け止められない」とか、「そこがわかれば」と言う人は多いはずです。筆者は、そこが最大のキーポイントだと思っています。
 以前お話したように、筆者は神の実在を確信しています。筆者は生命科学の研究者として生きてきました。その過程で、たくさんの人たちの協力で、あるたんぱく質の遺伝子構造を明らかにすることが出来ました。そのたんぱく質は酵素の一種で、各種のアミノ酸が重合したものです。まずそのたんぱく質を精製し、次いでアミノ酸の配列順序を明らかにしました。それを基にそのアミノ酸配列を決める遺伝子DNAの構造を推定しました。今度はそれを同じ構造を持つDNAを人工合成し、それを鋳型としてたんぱく質を合成しました。そしてそのたんぱく質の機能を調べてみますと、まさしく元の酵素たんぱく質の働きが再現できたのです。その遺伝子の構造を眺めている時、突然「生命は神が造られた」との考えが浮かびました。そのときは別に、神の存在について考えていたのではありません。「ハッ」と、「生命は神によって造られた」と確信したのです。

 生命だけではありません。じつは山も川も、それどころか宇宙も、その元になっている素粒子も、ダークマターもダークエネルギーも神が造られたと思っているのです。宇宙は138億年前のある、ある場所でビッグバンという大爆発が起こって始まったことは、今では疑う人はいません。しかし、よく考えてみますと、そのとき宇宙は無かったのです。なにもないところであることが起こったのです。ここにすでに絶対矛盾がありますね。それからはるかに時が経過して、地球上に私たち知的生命が存在しています。しかし、地球上で知的生命が生まれたのも奇跡としか考えられないのです。人間のような高等生物が生まれたのは水が液体の状態で存在しうる、地球が太陽からの距離の100±1~2%のごく限られた範囲にあったこと、月という衛星がちょうどいい位置にあったことなど、偶然に偶然が重なったからです(註1)。

註1 地球が火星ほどの大きさだったら、大気は宇宙へ拡散してしまいます。ビッグバンから人類の誕生に至る出来事がすべて、奇跡としか思えないハプニングの連鎖によって起こったという筆者の考えの根拠については、いずれくわしくお話します・・・。

 いま、宇宙物理学も急速な進歩を遂げています。しかし、科学がどれほど進歩しようと宇宙や生命が生まれた仕組みがわかるだけで、なぜその仕組みができたのかまでは不可知なのです。たとえば、現在17種の素粒子が知られています(最近18番目の粒子の存在の可能性が出てきました)。しかし、なぜ17種類で、なぜそれらの粒子がそれぞれの性質を持たねばならなかったのかなど、永遠に「説明しかできない」でしょう
 筆者はこのブログシリーズで、これまで、筆者自身が体験したことに限定し、神と死後の世界についてお話してきました。しかし、読者の皆さんには、それでもなかなか納得していただけないのです。そのお気持ちはよくわかります。いえ、筆者はそれらを実体験できたことをほんとうに幸運だったと思っているのです。

 しかし、
読者の皆さんには、自分が体験できないからと言って、「ない」とか「受け止められない」と決めつけないでいただきたいのです。「見えたり感じたりする人もいるのだ」と思って下さい。あのマザーテレサは、インドコルカタのキリスト教系の学院の一教師だったのですが、休暇のため避暑地へ向かう汽車の中で「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くようにという啓示を受けた」と語っています。それが「神の愛の宣教者会」の創立につながり、「見捨てられた人々」の救済のための人生を送ったのです。筆者は、テレサと修道女たちによるの神への奉仕の様子を長編のドキュメンタリーテレビを見て、涙が止まりませんでした。
明治以前の人に、テレビや電話というものを説明するのに、いくら「遠くにいる人と話したり、その人の姿が見えたりする」と言っても、理解させることは到底無理でしょう。現代の私たちが存在を確信しているのに。

 神は実在されます(2)

 先日、NHKテレビ「心の時代」で、チヤプレンのお話が出てきました。チヤプレンとは、以前お話しましたように、末期ガン患者のような、もう治る見込みがほとんどなく、ホスピスに入り、死を迎える人たちの心に寄り添うお仕事です。キリスト教に古くからある制度で、仏教系の臨床宗教師と違って国内外で制度として確立し、当然ながら生活も保障されており、ノウハウの伝統もあって安心できます。大阪の淀川キリスト教病院はその一つで、牧師藤井理恵さんは26年に亘って多くの患者に接して来られました。上記のテレビ番組はその体験談です。

 藤井さんが紹介していたある患者は、40代の主婦で、中学・小学生3人の娘たちを残しています。その人は交友関係も広く、病室にはたくさんの花や励ましの色紙が飾られていたそうです。しかし、最後の日が近付いてくると「あんなものは何の支えにもならない」と言い、頬が引きつるようになったとか。死に対する恐怖と、残された子供たちに対する心配からそれらのものも受け付けなくなったのでしょう。藤井さんが招かれて病室を訪れ、いろいろお話するうちに、聖書の言葉、
「死の陰の谷を行くときも、私は禍を恐れない。あなたが私とともにいて下さるから(旧訳聖書詩編23編4節)」とか、
「私を信じるものは死んでも生きる(新訳聖書ヨハネの福音書11章25節)」の言葉を聞いて心が休まり、頬の痙攣もなくなったそうです。
 よいお話ですね。しかし筆者には、これらのお話を聞いて不安もあります。本当にこの患者さんはこれらの言葉を信じたのでしょうか。ここでも神様がいて下さることと、死後の世界があることが大前提になっていますね。幼時からのクリスチャンは別として、「この期に及んで」それらを心から信じることのできる人は少ないのではないでしょうか。以前の別の番組で、「チヤプレンの言葉を聞いて納得できるかどうかは、その患者のそれまでのキリスト教信仰の深さによって大きく異なる」と、チヤプレンとしての経験の長い人が話しておられました。前記の主婦は、敬虔なキリスト者として過してきた人ではないようでした。そういう人が本当に安心立命できたのか気掛かりなのです。

 また、「あなたのお話を受け入れなかった患者さんはいませんでしたか」とのアナウンサーの問いかけに対し、藤井さんは、
 ・・・59歳の男性患者さんで、大きな会社の役員でした。「私は自分の信念に基づいてこれまでの人生を送って来た。死を迎える今もその信念に従って行く」と、逆に私にその信念を熱っぽく語った方がいらっしゃいました。でも亡くなられたあと、遺族の方から「最後はベッドの上で両手を挙げて『沈んで行く、沈んで行く。助けてくれ』と叫んでおられたそうです・・・
少し怖いお話ですね。
 藤井さんは、人生の途中で方向転換し、神学部の大学院まで出て牧師となり、チヤプレンとなったと言います。つまり、けっして生え抜きの信者ではないようなのです。そういう藤井さんが、神や死後世界の存在を実体験を通して確信していらっしゃるのかをお聞きしてみたいのですが・・・。

法華経と良寛さん(1-4)

法華経と良寛さん(1)

 良寛さんは子供たちと手まりをつき、かくれんぼをしながら遊ぶおだやかな生活振りが知られていますね。しかしじつは、良寛さんは「碧巌録」や「無門関」「従容録」などの禅の語録を完全に読み解いて我がものにし、いつでもそれを漢詩や偈の一節に引用することが出来た人なのです。筆者が「道元以来の人」と言うのはそういう意味なのです。その博識ぶりについては随時お話します。良寛さんがすぐれた和歌も残していることはよく知られていますが、万葉集を白文のまま、つまり、返り点もない状態で理解することが出来たのです。書の達人でもあり、筆者は北大路魯山人が、良寛さんの「いろは・・・」の字を臨書した作品を見たことがあります。あの傲慢と言われた魯山人でさえ、「良寛さま」と言っているのです。良寛さんの学識はまちがいなく当代随一だったでしょう。

 筆者はこのブログシリーズで、有名故人には敬称を付けず、現代の人には「さん」と呼ぶポリシーで紹介しています。ただ、良寛さんだけはどうしても呼び捨てにはできません。

 よく、「良寛は法華経の精神に基づいて衆生済度に努めた」と言う人があります。たとえば、
 
 思想家吉本隆明さん(1924‐2012)にも「良寛」という著書があり、本のキャッチコピーには「農村共同体にたいする僧侶の在り方に新しい地平線を開いた」とあります。また、以前このブログシリーズでご紹介した、北川省一さんは、マルクス・レーニン主義に共感し、農民運動や労働運動の活動家として、活躍しました。しかし、共産党の方針に反対したため除名され、その後次々に起こした事業にも失敗したと言います。そういうどん底の状態にあった時良寛さんに出会い、救われたそうです。その理由は「良寛は、社会の矛盾に怒る人生だったが、最終的にはそれを乗り越え、『世の中の人々を助けよう』と越後に帰り、村の人々や子供たちを分け隔てなく愛する境地になったところだ」と言います。労働運動に挫折した省一さんは、「良寛さんのように民衆の中に入り、彼らと親しく付き合いながら世の中を改革することを運動の原点にすればいいのだ」と、自分と重ね合わせたのでしょう。

 しかし、これらの人たちは良寛さんをまったく誤解していると思います。なるほど良寛さんは「法華経」に傾倒し、当初はその精神の一つである衆生済度を重要な使命と考えていたでしょう。「法華讃」を読めばよくわかります。それなら当然、故郷越後に帰ってから、人々の「済度」をするはずでした。しかし、実際には良寛さんは衆生済度などまったくしなかったと思います。良寛さんはひたすら自由に生きた人だと思うのす。つまり、衆生済度の境地さえ超えてしまった人なのです。「済度」など、禅が最も嫌う「はからい‐意図的な行動」だからです。それでは「自由」とは言えません。良寛さんは、だれに対してもわけ隔てない、自然で自由な付き合いをしたのです。それが自ずと人々の心を慰めたのだと思います。良寛さんは、越後という一地域の人々を「済度」しただけではないのです。伝えられる人となりや言動、残された多くの歌や詩を通じて、200年後の私たちの心を癒し続けているのだと思います。
 
 筆者のこの考えは、前回お話したように、良寛さんと親しく接した、越後の大庄屋解良(けら)栄重の、
 ・・・師更に内外の経文を説き、善を勧むるにもあらず・・・其の話、詩文にわたらず、道義に及ばず、優游(ゆうゆう)として名状(めいじょう)すべきことなし。ただ道徳の人を化(か)するのみ(良寛禅師奇話第四十八段)・・・で示されています。

 良寛さんが、新潟三条大地震(1828死者1500人)で末の子を亡くした友人の酒造家山田杜皐(やまだとこう)に送った手紙:
 ・・・地震は信(まこと)に大変に候。野僧(私)の草庵は何事もなく、親るい中、死人もなく、めで度存候。うちつけに死なば死なずて永らへて、かゝる憂きめを見るがはびしさ(私も突然に死んだらよいのに死なないで生き長らえて、このような辛い目をみることは苦しいことだ)。しかし災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。かしこ(下線筆者 「良寛全集 下巻」 東郷豊治編著 東京創元社)・・・
は、私たちとって驚くべき内容ですね。東日本大震災で家族を失った人にそんなことを言ったらどうなるでしょう。しかし、良寛さんは「法華経」の真理を完全にわがものとしたからこう言ったのでしょう。

法華経と良寛さん(2)
 良寛さんはひたすら自由に生きた人だとお話しました。良寛さんの別の詩に、

 ・・・行人我を顧(かえり)みて咲(わら)い。何に因(よ)其(そ)れ斯くの如きと。頭を低(た)れて伊(これ)に応えず。道(い)い得ても也(また)何ぞ似ん。箇中の意を知らんと要(もと)むるも 元来祇(ただ)這是(これこれ)のみ・・・(谷川敏明校注「良寛全詩集」春秋社)
(通りすがりの人が私が子供たちと遊んでいるのを見て、「坊主のくせにお経を読まず、一体何をしているのだ」と笑った。私は頭を垂れるのみだった。私の真意を言おうとしても「ただこれが私です」としか答えようがない)

とあります。じつは、祇(ただ)這是(これこれ)のみの言葉には重要な意味があるのです。良寛さんの「法華讃10(註1)」には、
 (お釈迦様が悟りで得られた最高の真理など)

 ・・・是非思慮之所及・・・人有若問端的意 諸法元来祇如是

つまり、考えてもわからないことだ。もし人が一言でそれを言おうとしたら、「ただこのままです」と言う他はない。
とあります。「法華経で言う最高の悟り・阿耨多羅三藐三菩提の内容は、ただ最高の境地に至った人だけがわかる。言葉で言い表すことなどできない」とお話しました。そのとおりでしょうが、なんとかそれを知りたいものですね。そういう意図でこのブログシリーズを続けています。以前お話したように、その一つは、「是非、善悪、有無、貴賤、迷悟などの分別(はからい)を捨て、ただありのままの姿こそ大切だ」だと思います(註2)。道元は、「中国宋の如浄禅師のところで学んで来たものは『眼横鼻直(眼は横、鼻は直)』ということを知っただけだ(「永平元禅師語録」)と言っています。良寛さんの有名な詩に、

     生涯、身を立つるに懶(ものう)く
     騰々、天真に任す
     嚢中、三升の米
     炉辺、一束の薪
     誰か問わん、迷悟の跡
     何ぞ知らん、名利の塵
     夜雨、草庵の裡(うち)
     双脚、等間に伸ばす

(立身だの出世だのに心を労するのがいやで、すべて天のなすままに任せて来た。いま自分には、この頭陀袋の中には乞食でもらって来た米が三升あるだけ、炉辺には一束の薪があるだけ。迷いだの悟りだのということは知らん、まして名声だの利得などは問題ではない。私は夜の雨がしとしとと降る草庵にあって、二本の脚をのびのびと伸ばしている。それだけで満ち足りている。)

これがとりもなおさず良寛さんが「法華経」から学んだところであり、悟境でしょう。

註1「法華讃」の現代語訳は、竹村牧男「良寛『法華讃』評釈」(春秋社)による。

註2 じつは、阿耨多羅三藐三菩提にはもっと深い意味があるのですが、追々お話して行きます。第一、「是非、善悪、有無、貴賤、迷悟などの分別(はからい)を捨て、ただありのままの姿こそ大切」などは、別に「最高の悟りを得ていない」私たちでもよくわかることですから。

法華経と良寛さん(3)

 良寛さんが「法華経」で学んだものには次の二つがあると思います。
 第一は、「法華讃8」にある、
 ・・・人人 箇の護身府有り。一生再活して用うるも何ぞ尽きん・・・
(人間には一つのお守りがある。一生の間に何度使っても、そのはたらきはなくなることはない)
ここで言うお守りとは、仏性、つまり仏としての素質のことでしょう。これは法華経の主題の一つです。
 第二は、前回もお話した、諸法元来祇如是(しょほうがんらいただかくのごとし)です。良寛さんは、「お経も読まずに子供と遊ぶとは」と非難する村人に対し、「私はこのままの私です」と答えたのですが、「祇如是にはもっと深い意味がある」とお話しました。それは、「阿耨多羅三藐三菩提、すなわち最高の悟りは、諸法実相、つまり、人間も山も川も木も草も、すべてそのまま法華、すなわち宇宙の真理の現われである」と言うことです。前回お話した、「法華転63」の

 風定花尚落  風が止んだというのに花が散っている
 鳥啼山更幽  鳥が啼き山色渓水の眺めが一層幽邃となる
 観音妙智力  この風光こそ観音の妙智力であり
 千古空悠々  千古空々悠々たる清浄身である

も同じ趣旨です。さらに「法華讃7」にある、
 ・・・日は毎朝東より出て、月は毎夜西に沈む・・・の詩も同じことを言っています。
 ただ、「目で見、耳で聞く自然の姿に諸法実相、すなわち法華(宇宙の真理)が表れている」と言われても、読者の皆さんは「そんなこと言われても・・・」とおっしゃるでしょう。しかし、そうとしか言いようがないのです。あえて言えば、「大衆の見る自然と、最高の悟りに達した人が観る自然はちがう」のです(見ると観ると使い分けてあることにご注意ください)。道元や良寛さんにはそう観えていたのです。
良寛さんは、「法華讃19」で、
 ・・・若(も)しくは坐禅し、若しくは経行(きんひん 歩きながらの瞑想)す。二十年前枉(ま)げて苦辛す・・・
(そんなものはムダだった。ただ諸法元来祇如是(しょほうがんらいただかくのごとし)さえわかればよかったのだ)

と言い、前述のように、道元は「宋の天童如浄師のところで学んで来たのはただ一つ、「眼は横 鼻は直というあたりまえのことを知ることだった」と言っています。しかし、それらは嘘です。道元も良寛さんも長く厳しい修行をしてきたからこそ、それがわかったはずです。なによりも道元は常々「只管打坐(ただひたすら坐禅せよ)」と言っているではないですか。

註3 ちなみに良寛さんの「法華転」とか道元の「法華転法華」とは、法華すなわち宇宙の真理が自然や人間、およびそれらの出来事などとして表れているという意味です。

法華経と良寛さん(4)
 まとめ

 1)まず、「法華経」は、釈迦が直接説かれた教えではありません。後世の無名のインドの哲学者たちが、釈迦の思想に啓発されて考え出した思想なのです。それを論証したのは江戸時代中期の富永仲基ですから、道元が知らなかったのは当然です(註4)。良寛さんは富永より50年ほど後の人ですが、当時の事情から富永の説を知らなかったのでしょう。それを知れば道元も良寛さんも大ショックだったと思います。

註4 じつはこの「大乗非仏説」は、大乗経典が成立した当初から言われていましたが、無視されてきたのでしょう。

 2)「法華経」には、やはり、「最高の悟りとは何か」は書かれていません。しかし、言わんとすることはよくわかります。覚者が観る「諸法実相」は衆生が見る「諸法実相」とは違うのです。筆者は、「生命は神が造られた。山や川も宇宙も神が造られた」と確信しています。「諸法実相」の正しい観かたは、そういう自然の観かたと言ってもいいと思います。それを正しい観かたで認識できるかどうかです。それが禅の要諦なのですが、それについては改めてお話します。
 3)「人人箇の護身府有り(人間には生まれながら仏性がある)」と言われても・・・と皆さんもお考えでしょう。それならわざわざ修行する必要はないことになりますね。「しかし、それは隠れている。それを顕わすには修行などが必要だ」と筆者は考えます。「など」の意味についてもいずれお話します。
 4)竹村牧男さんは「『法華讃』を読まずして良寛はわからない」と言っています(前掲書)。しかし、筆者にはそうは思えません。良寛さんが「法華経」をどう学んだかは、子供たちとのびのびと遊んですごした日常生活を見れば十分わかるのです。それは、多くの短歌や漢詩から伺い知れるのです。良寛さんは道元よりすごい人です。なぜなら道元は衣食は完全に保証されていたのに対し、良寛さんは「食まで人に乞はなければならなかった(乞食ですね)」のです。それがどんなに大変だったか。筆者は五合庵に立って蒲原地方をはるかに見渡しながら、「雪の深い冬、炎暑の夏に托鉢して歩くのはどれほどか大変だったろう」と想いを馳せたことがあります。
 5)思想家の吉本隆明さんや、良寛研究者の北川省一さんが、「良寛は衆生済度を行った」と言うのは、すでにお話したように誤りです。あまりにも良寛さんを知らなさすぎます。
 6)「法華讃」は102首あります。いずれにも深い意味があり、難解なものも少なくありません。しかし、ご心配はいりません。それらを理解することもも大切ですが、なによりも良寛さんの日常生活を一つひとつ味わえばわかることです。良寛さんは「法華経」や禅の心を誰よりも実践した人なのですから。