読者の伊藤信様から次のようなコメントをいただきました。他の皆さんにも参考になると思いますので、ご紹介させていただきます。
・・・当方は無宗教の者です。日頃思っている事を述べます。釈迦は出家(世俗を離れる)して、仕事はせず托鉢と布施だけで生活をしなければ、悟り(解脱)は得られないと説きました。それで態々乞食になった禅僧も居るとか。しかしこの時代に、そんな生活は出来ません。現に禅坊主は妻帯・肉食、世俗そのものです。安泰寺は自給自足と云いますが、電気水道ガス電話まで自給はできないでせう。仕事をしないと収入は無いですから、電気代はどうやって払っているのでしょうか。坐禅をしても何もならない、と言いながら坐禅をしているとは思えません。悟ったと自称する禅坊主も、何を悟ったのかは口外しません。不立文字、口では云えないと。それでは単なる個人的主観に過ぎないです。禅坊主は現実離れをした事を有り難がって、自己満足している偽善者集団に思えるのです。立派な禅坊主も居られるとは思いますが・・・。
筆者のコメント:伊藤様のご意見は一々ごもっともです。筆者がこのブログシリーズを書き続けていますのは、わが国が世界に誇る文化遺産である禅の教えを正しい方向へ戻そうとするためです。ただ、彼らのために弁護もしたいのです。
1)「禅坊主は現実離れをした事を有り難がって、自己満足している偽善者集団に思える」について:彼らは誰にも迷惑をかけずにやっています。見守ってあげてください。永平寺での禅問答を視聴したことがありましたが、かなり形式的なのが気になりました。
2)「禅坊主は妻帯・肉食、世俗そのもの」について:禅宗の僧侶には妻帯していらっしゃる人も、そうでない人も様々です。元安泰寺住職のネルケ無方さんは前者で、岐阜県正眼寺の山川宗玄師は後者と思います。NHKで視聴したネルケ無方さんのことを紹介した時(筆者のブログをお読み下さい。「なぜ欧米人は禅に興味を持つのか」 2021/9/4)、「18年務めた住職の座を中村恵光師に譲る」とありました。しかし、ネットで調べたところ、子供たちの進学のため大阪へ移ったことがわかり、唖然としました。NHKではその理由には触れられていなかったからです。
3)安泰寺は「年間1800時間座禅する」のが謳い文句です。しかし、教えや問答が一切ありません。「教行一如」が基本なのです。ネルケさんの弟子で、モスクワ大学で素粒子物理学を学んだ青年僧(当時24歳)は、「誰からも答えを得られない問いを抱え、答えを与えてくれる人や場所を求めていた。仏教や座禅に興味があり、そこに答えがありそうな気がした。1年に1800時間も座禅する安泰寺を知ってここへ来た。さらに畑作りや食事作りにも気づきがあります」・・・・・・けっきょくこの人は「ここでは答えが見つからなかった」と1年後、山を下りました。教えや問答のない安泰では無理でしょう。
4)「悟ったと自称する禅坊主も、何を悟ったのかは口外しません。不立文字、口では云えないと。それでは単なる個人的主観に過ぎない」について:おっしゃるようなケースも多いと思います。高野山で言われている「悟ったかどうかの判断」は、「その時、奇跡が起こったどうか」です。悟ったかどうかはともかく、筆者があることが分かったときの「不思議な体験」を、(禁を犯して)著書「禅を正しくわかりやすく」(パレード出版)に書きました。
5)「電気水道ガス電話代」は、托鉢によって手に入れたか(お米だけではない)、協力者の寄附によるのでしょう。