NHK「心の時代・禅の知恵に学ぶ」で、山川宗玄師(岐阜県美濃加茂市正眼寺師家)は「人間が生きて行く上では常に課題(公案)が生じる(現成)。それを解決していくのが人生の修行だ。それを現状公案と言う」とおっしゃっています。ちなみに、「大辞林」第三版の解説では、
・・・現実に完成している公案。真理は常にすべての存在の上に、ありのままにはっきりとあらわれているということ・・・
とあります。一方、ある人は「正法眼蔵・現状公案」の意味を、・・・現象界のすべてが活きた仏道だ・・・と解説しています。
別の人は、・・・「正法眼蔵」の数多の巻のなかでも、この現成公案の巻は最重要の部類に含まれるものと考えて相違ないと考える。75巻本の首巻となっているのも、もちろん偶然ではないはず。現成公案とは、ずばり「悟りの実現」を意味する言葉であり、この巻で著述されている内容は、仏法の根幹である「悟り」をテーマとしている。「現成」は「現成正覚」の略で、より本意に近い訳を当てるとすれば、悟りとは目の前に実現されている、というほどの意味となるだろうか・・・と言っています。
ことほどさように解釈はさまざまですね。
以前お話したように、筆者も「現状公案編」は「正法眼蔵」のハイライトと考えています。そして、現状公案の意味を、「すべてのものはあるべきようにある(公案)、しかし見て(聞いて・・・)初めて現れる」・・・つまり、「空」の概念を言っているのだと解釈しています。山川師の解釈とまったく異なりますね。山川師は「公案」の意味を「修行僧が無意識のうちに持っている固定観念を壊すための課題」と、ふつうの意味でとらえていらっしゃいます。現成公案は、明らかに道元の「正法眼蔵」の言葉に由来していますから、一般的な意味で考えてはいけないと思います。一方、「大辞林」の解説と一部は筆者の考えと同じですが、肝心の「現成」の意味が異なります。筆者の解釈は、道元「正法眼蔵・現成公案編」の一節、
・・・たき木(薪)、はひ(灰)となる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、先あり後あり。前後ありといへども、前後際断せり。 灰は灰の法位にありて、後あり先あり。かのたき木、灰となりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人の死ぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひ(習い)なり。このゆゑに不生といふ。 死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐ(位)なり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおも(思)はず、春の夏となるとい(言)はぬなり・・・
をよく説明できます。すなわち、道元は「薪が(燃えて)灰になるというふうに、モノゴトを『流れ』として見てはいけない。見るという一瞬の体験こそ真実の姿をとらえているのだ」と言っているのですから、筆者の解釈が正しいことがおわかりいただけるのではないでしょうか。