「色即是空」の別の解釈?

 青山俊菫師(1939‐2010駒沢大学文学部卒、曹洞宗正法寺住職、愛知専門尼僧堂々長)は、

・・・空(くう)とは、道元の言う「本来の面目」のことです(註1)。「本来の面目」とは、すべての存在(山、川などの自然。人も含めて)は仏性の表れだということです。

 道元はそれを歌にして、

 春は花、夏ほととぎす秋は月、冬雪きえですずしかりけり (「笠松道詠」)

と詠んでいます。

 悟りに至った人はそれを見る(聞く、嗅ぐ、味わう、触る・・・以下同じ)ことができるが、悟りに至っていない人には見えない。見えるようになるための修行は、六波羅蜜(註2)を行じること。すなわち、布施、持戒、忍辱、精進、禅定の六つです・・・。

と言っています(「般若心経を読む」1996すずき出版より)。

註1「正法眼蔵・弁道話」

註2六波羅蜜寺のHPから

布施:人のために惜しみなく何か善いことをする。善行には有形と無形のものがあります。有形のものを財施といいます。お金や品物などを施す場合です。
無形のものは、
 知識や教えなどの法施
 明るく優しい顔で接する眼施・顔施
 温かい言葉をかける言施
 恐怖心を取り除き穏やかな心を与える無畏施
 何かをお手伝いする身施
 善い行いをほめる心施
 場所を提供する座施・舍施、などがあります。

 施しは、施す者、施しを受ける者、施すもの、すべてが清らかでなければいけません。欲張りのない心での行いを施しといいます。あえて善行として行うとか、返礼を期待してはいけません。また受ける側もそれ以上を望んだり、くり返されることを期待してはいけません。

持戒:本分を忘れずにルールを守った生き方で、人間らしく生活することです。自分勝手に生きるのではなく、互いに相手のことを考えながら、仲良くゆずりあっていく生活です。

忍辱:悲しいことや辛いことがあっても、落ち込まないで頑張ることです。物事の本質をしっかりとおさえて、時には犠牲的精神を持って困難に耐えることです。

精進:まずは最善をつくして努力すること。良い結果が得られても、それにおごらず、さらに向上心を持って継続することです。

禅定:心を落ち着けて動揺しないこと。どんな場面でも心を平静に保ち、雰囲気に流されないことです。

智慧:真理を見きわめ、真実の認識力を得ること。人は誰でも生まれながらにして仏様と同様の心を持っています。欲望が強くなると、単なる知識だけで物事を考えるようになります。知識ではなく智慧の心を以て考えることです。(六波羅蜜寺の「六波羅蜜」の説明は、大変わかりやすいので、引用させていただきました。)

筆者のコメント:青山師の「般若心経」の空(くう)」の解釈は誤りです。なぜなら、それでは肝心の「色即是空・空即是色」の「即」の意味が無視されてしまうからです。さらに、上記の六波羅蜜は、人として大切な心得でしょう。しかし、そんなことだけでは100 年たっても「見える人」にはなれないでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です