2) 筆者は40歳代のころ大きなピンチに会いました。「この先どうなっていくんだろう」と思う日々でした。そのときいろいろな本を読んだり、人から頂いたアドバイスに、とても参考になった言葉が二つあります。その一つは、「不安がすべて現実になるわけではない」というものです。とかくピンチの最中には次々に悲観的なことを考えるものですね。しかし、結果はこの言葉通りになりました。大部分は取り越し苦労に終わったのです。もう一つは「そのとき起こった事態を一つずつ解決していけばいい」というものです。その言葉を聞いてとても安心しました。「あれもこれも」と同時に考えるので不安になるのですね。
時永さんのコメント(続):「ピンチの時ほど、その危地にあって右往左往する自分を背後から一切全て見つめている何かがいる事を、自分が心のどこかで意識していたのではないでしょうか」
筆者の感想:とても良い言葉ですね。筆者の言う「神に通じる『本当の我』では」と思います。
時永さんのコメント:特に最近は法然の思想を理解できればなと考えています。法然の思想は修行も観経もあったもんじゃないというような大きさがある感じがしますね。法然についての塾長の過去の投稿も再読させていただきます。塾長のおっしゃる通り、今後も倦まずたゆまず勉強を続けていきます。『無門関』を読んでも、「何を言っているんだこれは・・・」としか今は思えませんが、やはりあのエピソードたちの背後には神性が潜んでいるのでしょうか。不思議なものです。しかし続けることで見えてくるものもきっとあるのでしょう・・・・何もかもが中途半端な自分ですが、確かに種を取った!と今際の際に言えるように日々努力していきたいものです。塾長の今後の投稿を楽しみにしております。
筆者の感想:法然の思想も、その真意を理解し、実践すれば「悟り」に達することができるはずです。浄土系宗派の僧侶を含めた大部分の人は、ほとんど理解していないと思います。