「谿声山色」について、これまでのほとんどの解釈は「谿川の音、山のたたずまいのすべてが仏法の表われだ」というものでした。澤木興道師もこの解釈でした。しかし正しい意味はそうではありません。前回もお話したように、これは「空」の理論を説明しているのです。まず「正法眼蔵・谿声山色」で道元が紹介している、3人の禅師が「悟った瞬間」のエピソードを列挙してみます。
第一は、東坡居士蘇軾(そしょく)、廬山にいたれりしちなみに、谿水の夜流する声をきく(聞く)に悟道す。
蘇軾は「谿川の水がゴウゴウと流れている音を聞いて悟った」のですね。
第二は、香厳智閑(きょうげんちかん)禅師、あるとき、道路を併浄(へいじょう)するちなみに(道路を掃いているいるときに)、かはら(カワラケ)ほとばしりて、竹にあたりてひびき(響き)をなすをきくに、豁然(かつねん)として大悟す。
香厳智閑は「掃除をしていて飛んだカワラケが竹に当たってカチンと言った音を聞いて悟った」のです。
第三は、霊雲志勤(しごん)禅師は、三十年の辨道なり。あるとき遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見(もうけん)す。ときに春なり、桃華(とうか)のさかりなるをみて、忽然(こつねん)として悟道す。
霊雲志勤は「遠くの里に桃の花が咲いているのを見て悟った」のです。
上で述べたように、従来の解釈では筆者の知る限りすべて、「谿川の音、山のたたずまいや桃の花の咲いている様子が仏法の表われだ」としています。では香厳智閑が「竹にカワラケが当たった瞬間」はどうでしょう。「自然のありさま」とは言えませんね。じつはこれら3つのエピソードに共通しているのは、「聞いた瞬間」「見た瞬間」です。つまりその時「ハッと」悟ったのです。この禅師たちはいずれもモノゴトには別の観かたがあることがわかったのです。それこそ「空」の理論なのです。
道元が「正法眼蔵・谿声山色巻」で「恁麼(いんも)」とか「而今(にこん)」などの「空理論」に関する言葉を使っている理由はここにあります。筆者が「正法眼蔵のハイライトは現成公案編であり、「空」の理論を説いている。谿声山色巻は現成公案編の説明だ」と言っているのはこういうことです。「恁麼」とか「而今」の意味はすでに別のブログで説明しました。
さらに、道元が蘇軾が悟道したエピソードの紹介の最後のところで、
・・・居士の悟道するか、山水の悟道するか・・・
と言っているのは、純粋な経験にあってはワレと対象の区別がなくなるからです。それゆえ「悟りを開くのは居士か山水か(つまり両者とも)」と言っているのです。まさに「空」理論ですね。このように、「谿声山色巻」は「空理論」で解釈したほうがよほどすっきりするのです。
それにしても、筆者は「道元はなぜいつも、こんなに持って回った言い方をするのだろう」と思います。いや、筆者はわかっているのです。禅では答えを言ってはいけない。あくまでもヒントを与え、本人自らに納得させることを本旨とするからです。それはなによりもこの巻で道元が紹介している、次の香厳智閑のエピソードからわかります。
香厳智閑は長い間、大潙禅師の元で修行していましたが、どうしても悟ることができません。とうとう諦めて「どうしてもわかりません。教えてください」と言いました。大潙禅師は「教えればあとできっと後悔する」と言いました。そこで一切の修行を止めて大潙禅師の元を遠く離れ、以前の恩師の墓守となったのです。そしてある時突然、カワラケが竹に当たる音を聞いて自得したのです。そして今さらながら大潙禅師の温情に感泣し、大潙禅師の住む山の方角に向かって拝礼しました。
禅はあくまで自得すべきものなのです。すぐれた禅師は皆、「答えは言わず上手にヒントを与える」のが巧みです。「正法眼蔵」がわかりにくいとされるのはこういうわけです。それを読んでいますと、つくづく道元は凄いと思います。悟りはいかに清貧の人生を送ろうと関係ないのです。「わかったか、わからないか」の世界だと言ったのはこのことなのです。わかった時の喜びは何ものにも代えがたいのです。そしてわかれば奇跡が起きます。