馬祖禅と石頭禅(1,2)平常心是道・即心是仏

馬祖禅と石頭禅(1)

 馬祖道一(709-788)は、唐時代の禅僧で、南嶽懐譲の弟子、六祖慧能には孫弟子にあたり、禅の黄金時代を築いた人と言われています。馬祖の言葉として平常心是道(びょうじょうしんこれどう)がよく知られています。自分の外に仏を求めるな。ありのままの自分に立ち返れ。自分の中に仏を求めよという教えです。

「平常心」とは、「江西馬祖道一禅師語録」によれば、

 ・・・若(も)し直ちに其の道を会せんと欲すれば、平常心是れ道たり。何をか平常心と謂(い)わん。造作なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡なく聖なきなり。(維摩)経に云う、凡夫行に非ず、聖賢行に非ず、是れ菩薩行なり、と。只だ如今の行住坐臥、応機接物、尽く是れ道たり(下線筆者)・・・

です。一口で言えば、「あらゆるものを差別せず、こだわりを捨て、淡々と生きよ」でしょう。禅でよく言われる「運水搬柴、つまり、水を運び、薪を担うような平凡な日常生活の動作の中に働きが現れている」という意味ですね。わが国の曹洞宗大本山総持寺の開山、瑩山禅師が、師匠の義介禅師(永平寺三祖)から平常心の意義を問われたとき、「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯に喫す」と答えたと言います。
良い言葉ですね。馬祖の教えは、それまで厳しい修行に明け暮れていた僧侶たちにとって新鮮な驚きであり、衝撃を与えました。しかし、この思想は、ともすれば「修行をしなくても、心の赴くままに、やりたいように生きて行けばよい」になりかねず、すでに弟子たちの間でも疑問が生じました。不肖の弟子ですね。「歎異抄」の弟子たちのように。

 そして、馬祖に対抗したのが石頭希遷(せきとう きせん700‐790)であり、石頭は「修行によって『ありのまま』とは別次元にある本来の自己を追求せよ」と説き、「禅の歴史はこれら二つの考えを行ったり来たりした」と言う仏教研究家もいます。

 筆者はそうは思いません。石頭も後代の仏教研究家も、馬祖の思想を誤解しているのだと思います。馬祖が坐禅を否定したのは確かです。それは「景徳伝燈録・巻六」に出て来る次の公案は馬祖道一とその師南嶽懐譲(なんがくえじょう)の話からも推察されます。すなわち、

 ある日、馬祖が坐禅をしていると、師の南嶽がやって来て、質問した。
南嶽懐譲「大徳、日頃坐禅をしているが、什麼(なに)を図っているか」(おまえは何のために坐禅をしているのか)
馬祖「作仏を図る」(仏になるために坐禅をしています。当然でしょうと言わんばかりに)
師の南嶽は、そこで、かたわらに落ちていた一枚の瓦を拾って、黙って石の上で磨きはじめた。
それを見て、馬祖が問う。
馬祖「師 麼を作す」(お師匠様何をしておられるのですか)
南嶽懐譲「磨して鏡となす」(瓦を磨いて鏡にするのだ)
馬祖「瓦を磨いてどうして鏡と成すことができよう」(どうして瓦を磨いて鏡になるでしょう)
南嶽懐譲「坐禅がどうして作仏することができようか」(それがわかっていながら、どうしておまえは坐禅をして仏になろうとするのだ」(以下略)

 なぜ馬祖が平常心是道と言ったのか。おそらく弟子たちがあまりにも「坐禅をして仏になろう」と執心していたためだろうと思います。現代でも「朝3時に起きて掃除。坐禅をして食事の用意。また坐禅・・・」というような厳しい生活している修行僧たちがいます。一方、結婚もせず、家庭も持たず、粗食をし、一切の娯楽も排除し、1日7回、総計5時間にも及ぶ坐禅をしている人たちもいます。「なにがなんでも悟りに達するのだ」と決意し、実践している人たちですね。しかし、そういった生活は、ともすれば悟りにこだわり、仏にこだわることにもなりかねません。「一切のこだわりを捨てること」が禅の基本です。そのため、弟子たちに「そうあってはいけない」と警鐘を鳴らしたのでしょう。

 じつは、筆者は馬祖の思想の根本は平常心是道ではないと考えています。つまり、馬祖はまったく別の、悟りに至る道を考えていたのだと思います。それについては次回お話します。

馬祖禅と石頭禅(2)禅語「平常心是道」「即心是仏」

 前回、馬祖の思想の根本は平常心是道とは別にあるとお話しました。それは、馬祖は即心是佛とも言っているからです。
 すなわち「江西馬祖道一語録」で、
 
 ・・・本より既に迷の無ければ、悟もまた立たず。一切の衆生、無量劫より、法性三昧を出ず。長く法性三昧中に在り、着衣喫飯、言談して祇に対す。六根の運用、一切の施為、尽く法性たり・・・
と言っています。
つまり、
 ・・・初めから迷いというものが存在しないのだから、悟りも立てようがないではないか。すべての人間は、はるかな昔から仏の世界で生きて来た。その中で衣服を着て飯を食い、話をしたりの生活をしてきたのだ。とすれば人間の六根の運用、すなわち、あらゆる行いは、ことごとく法性(仏性)であったのだ・・・

という意味です。初めから迷いがなく、あらゆる行いがことごとく仏性であったとは、人間の本質は仏であると言っているのですね。
さらに、

 即心是(即)佛の言葉は「無門関・第三十則」にも、  
                         
 馬祖、因(ちなみ)ミニ大梅(大梅法常、馬祖の法嗣)問フ、如何ナルカ是レ佛。(馬)祖云ク、即心即佛。

とあります。言葉どおり「心はそのまま仏である」と言う意味ですね。「無門関」の解説者無門慧開は「仏などと言う大それたことを口にするな」とは言っていますが、この第三十則そのものは否定していません。

馬祖自身、
 ・・・汝等諸人、各々自心これ仏なることを信ぜよ。この心即これ仏心なり。(「景徳伝燈録・卷六 馬祖道一」)・・・

と言っています。明らかに「人間の心には仏性が備わっている」という意味ですね(註1)。

「即心是仏は平常心是道とかけ離れているのではないか」と思わないでください。分別を差し挟まない人間の思考や行いは、仏である自分の心の表われですから。即心是仏の仏は筆者の言う、仏(神)につながる本当の我でしょう。そうです、これは臨済の言う「赤肉団上に一無位の真人あり」の真人と同じなのです。「けんめいに坐禅をして、何がなんでも佛になろう」とすれば、自分と佛を対立させ、自分の外に仏を求めることになり、「自分自身が仏だ」という馬祖の思想を妨げることになりますね。

 じつは馬祖や臨済の思想についての筆者の解釈は、仏教の中では異端です。と言うのは、本当の我の存在を認めるのは、仏教以前のヴェーダンタ宗教に沿うものだからです。すなわち、ヴェーダンタ宗教では個我(アートマン)は実体として存在し、肉体が滅びても残ること、「個我と神(ブラフマン)との一体化こそ、修行によって目指すものだ」と言います。釈迦は、ヴェーダンタ信仰に対立する新しい宗教として仏教を打ち立てたのです。(この問題は重要ですから改めて論述させていただきます)。ヴェーダンタ信徒は、道元の言う先尼外道です。
 つまり、筆者の解釈によれば、馬祖も臨済も仏教の主流からは外れることになります。
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註1 道元は「即心是仏」について、馬祖や筆者とは違った解釈をしています。すなわち、「正法眼蔵・即心是佛巻」で、
・・・此の身は即ち生滅有り、心性は無始より以来、未だ曾て生滅せず・・・(中略)・・・南方の所説、大約此の如し。師曰く、若し然らば、彼の先尼外道と差別有ること無けん。つまり、 
・・・身体は生滅するが、心は悠久の過去より生滅せずと言うのがインド人の考え方である(大証国師慧忠師の言葉「もしそうだとすれば、それは先尼《ヴェーダンタ宗教の徒》や外道《仏教以外の宗教の信徒》の説である」を紹介しつつ、
 ・・・即心是仏とは、発心、修行、菩提、涅槃の諸仏なり。(中略)いはゆる諸仏とは、釈迦牟尼仏なり。釈迦牟尼仏、これ即心是仏なり。過去、現在、未来の諸仏ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是仏なり・・・つまり、
 ・・・(どんな人にも仏性が備わっている)そして「悟りを求める心を起こし、修行し、正しい考えを持つようになり、悟りに至れば(仏性が現われる)、それを即心是仏と言う。その境地は古今のすぐれた菩薩たち、さらには釈尊の心と同じだ(筆者簡訳)・・・
と言うのです。このように、道元の考えは馬祖とは異なり、石頭と同じです。それにしても、道元のような大乗仏教徒は、釈迦以前の(以後も続きますが)ヴェーダンタ宗教を否定し過ぎです。以前にも書きましたように、筆者は神の存在も霊魂の存在も実感しています。それゆえ、ヴェーダンタ宗教の言う、神(ブラフマン)と人間の個我(アートマン)との一体化を目指す思想もよく理解できるのです。道元の考えが絶対とは思いません。

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