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永平寺・禅の世界について(1-2)

永平寺・禅の世界(1)

 先日NHK特集「永平寺・禅の世界」が放映されました。冬季には1mを越す雪が降る厳寒の土地です。雲水たちによる真摯で厳しい修行の様子が改めて認識され、身が引き締まる思いがしました。パソコンもテレビも、新聞・雑誌もなく、私たちが言う、いわゆるリラックスする時間もないようでした。冬季の3か月間は外出もせず、ときには1日10時間も坐禅をして過ごすとか。道元以来800年にわたってほとんど変えられることなく続けれらえることにも感動しました。さらに、修行に励む修行僧たちの清らかな容姿が印象的でした。

 番組では、「正法眼蔵・現成公案編」の一節、

 ・・・佛道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に證せらるるなり。萬法に證せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり・・・

が繰り返しナレーションで語られました。その意味は、単頭(指導者)の

 ・・・自分の我見、我を(修行によって)落としていくと、迷い自体が少なくなっていく・・・自分が考えていたような「私」を一度投げ出したとたん、僧たち一人ひとりは宇宙の、大自然の姿そのままだ・・・自分が今置かれていることを「我」を捨てないで務めていれば、迷いの中にあるのは当然でしょう・・・「迷中迷」の中にあるわけですから、自分の内側でなにが自分に欠けていているのか、何を自分が欲していて、なぜそいう思いが湧いて来るのかを整理してゆくことが必要なのではないか・・・

の言葉から明らかなように、道元の言葉「自己をならふ、自己をわする」、とか「身心脱落」の意味を、「我見、我を捨てること」と、文字通りに理解しています。そしてナレーターは「自己をわするるといふは萬法に証さるる」を、「我を捨てれば、森羅万象すべてによって悩みや苦しみから解放される」と説明しています。さらに、「坐禅とはひたすら自分の内面を見つめて、我見や強い自我がないかどうかを検証して行くこと」と言っていました。もちろんこれらのテレビで紹介された言葉は、永平寺当局によって厳密に監修されているはずです。つまり、これらが禅についての永平寺の公式な見解でしょう。

しかし、道元の真意は別のところにある、と筆者は思っています。

 まず、「我見、我を捨てること」は、仏教のどの宗派でも言われていることです。道元がわざわざ、禅のハイライトとも言われている「正法眼蔵」のこの個所で取り上げるはずがないでしょう。じつは道元はここで、「空」の理論を説いているのです。筆者はこれまで繰り返し、「空とは、見る(聞く、嗅ぐ、味わう、触る)という一瞬の体験だ」とお話してきました。一瞬の体験においては、「我」も「他、すなわち対象となったモノゴト」も「ない」のです。「体験」だけがあるのです。それを「自己の身心および他己の身心をして脱落せしむる」を指すと思うのです。さらに、「萬法に証せられる」とは、「一瞬の体験で観た(聞いた・・・)モノゴトの姿こそ真実を表わしている」と言う意味だと思います。

 筆者の解釈が、道元思想の本家・永平寺当局の解釈とどれだけ違うかおわかりいただけると思います。

永平寺・禅の世界(2)

 永平寺では12月1‐8日の8日間、坐禅三昧と言って、それだけに専念する期間があります。それが終わると、その期間に修行僧たちの心に浮かんだ疑問を、先輩僧が見守る中で、導師に尋ねるセレモニーがあります。テレビでは、一人の修行僧が、

 ・・・もし我見起こる時は静座(じょうざ)して観察せよと言われていますが、非思量(註1)の坐禅の中において観察せよとはどのようなことでしょうか・・・

と尋ねると、導師は、

 ・・・さて「思量」「非思量」との「言語」にとらわれる道なし。自己の正体を参究せよ・・・

と答えました。たとえセレモニーとは言え、これは不親切な答えではないでしょうか。下記の註1を読んで下さい。「非思量」とは、「何も考えないこと」です。けっしてNHKテレビ「永平寺・禅の世界」で言っていたような、「自分の内面を見つめる」ではありません。そんなことをすれば、あれこれ考えてしまいますから。修行僧の言うように、あれこれ考えが浮んでしまったら静かにそれに気付き、「アッ。考えたな」と気付いて、気にしなければいいのです。

筆者なら、「あれこれ考えていることに気が付いたら、こだわらずに受け流せ」と言うでしょう。
 
註1「非思量」とは、唐の禅僧薬山惟儼(いげん)が、座禅の際の心の在り方を問われて答えた言葉です。坐禅・瞑想のやり方は古来、修行僧たちの重要な課題でした。その「コツ」を薬山惟儼(745-828)が述べた次の問答があります(「景徳伝灯録」巻十四薬山章 景徳伝灯録研究会編 禅文化研究所刊 )

僧有りて問う「兀兀地(ごつごつち)に什麼(なに)をか思量す」(どっかりと坐って、なにを考えるのですか)。
師(薬山)云く「思量箇不思量底」(思量しないところを思量するのだ)。
僧云く「不思量底如何思量」(思量しないところをどのように思量するのですか)
師云、「非思量」〈思量にあらず〉。

道元も「正法眼蔵」の中で、繰り返し坐禅・瞑想の方法について述べています。すなわち、
「正法眼蔵・普勧坐禅儀」で、

 ・・・兀兀と坐定して思量箇不思量底なり。不思量底如何思量。これ非思量なり。これすなはち坐禅の法術なり・・

と、薬山の言葉を引用しています。

密教(1-3)

密教(1)

筆者はこのブログシリーズでこれまでに禅だけではなく、浄土の教え、法華経、唯識、華厳など、さまざまな側面から仏教について学んできました。しかし、密教については意図的に避けてきました。密教とはその名のとおり、師から弟子へ密かに伝えられて来たからです。しかし、最近、それを学ぶきっかけが得られましたので、本格的に学んでいます。まだ緒についたばかりですが、ちょうどNHK「心の時代」で正木晃さんの「マンダラと生きる」が始まりましたので、それと並行してお話して行きます。

密教とは
密教とは、仏教史上最後に現れた思想で、紀元後5~6世紀ごろインドに現れ、9世紀初頭にわが国の空海が唐の恵果(けいか)のもとを訪れた頃には大きな勢力になっていました。空海は恵果門下の最優等生として後事を託され、わが国にマンダラの図を初め、修行の道具をもたらしました。正木さんが「密教は仏教の最終ランナー」と言っているのはこのような事情からでしょう(ただしこの発言には重大な問題がありますので、後でくわしくお話します)。

密教マンダラとは
密教で瞑想や儀式で用いられる絵画のことで、大きなものは4m四方もあります。9つの区画に円や四角を置き、中にさまざまな如来や菩薩像を描いた金剛界マンダラや、四角の多重構造を持ち、中心に大日如来像(宇宙の最高神)を描き、その周りに多数の如来、さらに菩薩像を描いた胎蔵マンダラが代表的なものです。極彩色で、強い対称性を持っているのが特徴です。わが国では空海が唐から持ち帰ったものが代表的です(註1)。胎蔵マンダラは「大日経」を視覚化し、金剛界マンダラは「金剛頂経」を視覚化したものとされています。胎蔵マンダラとは、大日如来の慈悲が全宇宙のいたるところ、ありとあらゆるものに働いていることを修行者に体感させる手段です。一方、金剛界マンダラとは、全宇宙をあまねく満たしているすべての如来によって形作られている大宇宙の真実を、眼に見える形にしたものです。両者を修行に用いることによって、密教の梵我一如思想(正木さんの言葉:筆者)をによって体験させようとする手段です。マンダラ瞑想とか観想と言います。

マンダラ図形は神の世界を表わす

マンダラとよく似たものにアメリカのナヴァホインデイアンが儀式に用いる図形があります。また、中世のキリスト教聖女ヒルデガルト(1098-1176)が瞑想の結果、神の世界を表わすものとして、密教のマンダラそっくりの図形を描いたことも知られています。一方、精神科医C.G.ユング(1875‐1961)が、精神を病む人々がマンダラによく似た図形を描くことに気付き、マンダラは心の秩序や統合性と全体性の原型であり、病んだ人間が自らを治癒しようと、ほとんど無意識に試みるときに出現すると考えました。ユングは人間の心には無意識の部分があること、その無意識の奧底には人類共通の集合的無意識が存在すると考えました。この考えに基づき、ユング派の精神科医が、治療のためにマンダラ型の塗り絵を考案し実用化されています。
これらの事実を踏まえて正木晃さんは「マンダラは人間の無意識に通じる神の世界を表わしているのではないか」と言っています。さらに、「それまでの仏教では経典の解釈や坐禅を通じてその心理を学ぼうとしてきた。それに対しマンダラ図により一瞬にして視覚的に仏教の深奥を理解できる」と言っています。正木さんは「たとえば禅の坐禅・瞑想はかなり難しいが、マンダラ瞑想は実践しやすい」と言っています。それも「密教は仏教の最終ランナーだ」とする理由でしょう。

マンダラ瞑想
密教の重要な修行法としてマンダラ瞑想(観想)があります。マンダラを前にして座り、手にマンダラに描かれた如来や、菩薩が結んでいる印契(手印)を結び、口に対象となる如来や菩薩をたたえる真言(マントラ、呪文)を唱え、心にはそれらの如来や菩薩の姿をありありとイメージする瞑想法です。正木さんは「マンダラ瞑想は専門的な訓練を受けた密教僧が瞑想に用いる道具であり、一般人にはかなり難しい」と言っています。マンダラ図が掲げられている寺は限られていますし、そこで観想することなどできないからです(観想には、大きなマンダラ図が必要です)。

註1空海が持ち帰った彩色両界曼荼羅(根本曼荼羅)の原本および弘仁12年(821年)に製作された第一転写本は教王護国寺に所蔵されていたが失われた。京都・神護寺所蔵の国宝・両界曼荼羅(通称:高雄曼荼羅)は彩色ではなく紫綾金銀泥ですが、根本曼荼羅あるいは第一転写本を空海在世中に忠実に彩色再現したものと考えられています。現代にもそれらを再現したものが多くの寺で見られます。書籍またはネットでお調べください。

密教(2)密教の悟り

空海の師恵果(けいか)が「空海こそ後継者」と思ったのは当然でしょう(註2)。なにしろ空海はすでに室戸崎の御厨人窟(みくろど)の洞窟で修行中に、おそらく最高の悟りに達していたのですから。恵果は空海に即座に密教の奥義伝授を開始し、大悲胎蔵の学法灌頂(かんじょう註3)と金剛界の灌頂を行った。ちなみに胎蔵界・金剛界のいずれの灌頂においても彼の投じた花は敷き曼荼羅の大日如来の上へ落ち、両部(両界)の大日如来と結縁した、と伝えられています(註4)。

註2 伝教大師最澄も空海と同じ遣唐使船で渡り、やはり密教(法華経とともに)を学んでいます。しかし現在に至るまで密教と言えば空海と言われるのは、最澄、つまり天台宗が密教と法華経を融合させてしまったからかもしれません。つまり正当な密教ではなくなったのです。
註3 頭頂に水を灌いで諸仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のことです。

註4 床に敷かれたマンダラ図に後ろ向きに(目隠しをして、とも)花を投じ、落ちた如来や菩薩と縁を結ぶことになる儀式です。

密教は仏教の救世主?

正木さんはさらに、「密教は、当時のインド大乗仏教の劣勢を挽回するためにの方策として、台頭しつつあるヒンドウ―教の要素を取り込んだ。その一つはヒンドウ―教の神々を密教に帰依したという理屈を付けた。毘沙門天や弁財天、大黒天などがそれだ」と言います。さらに、「密教は条件付きで欲望を容認している」とも言っています。そして「もう一つがマンダラを用いる新たな瞑想の開発だ」とも言っています。
じつは、インドから仏教が駆逐されたのは、インド人には性癖として根強い「現世利益崇拝(つまり人間の欲望)」があり、そういうものを否定したブッダの思想を受け入れがたい体質があったからです。密教がヒンドウ―教の現世利益思想を取り入れざるを得なかった理由はここにあるのです。けっして密教の言うような「人間の欲望の肯定が修行に役立つ」というような高邁な理由からではないのです。

密教は仏教の堕落?

正木さんは密教の悟りは梵我一如と言います。梵我一如とは、大日如来、すなわち大宇宙と「我」とは本質が同じだと言う意味です。しかし、これは正木さんの大失言なのです(註5)。たしかに密教の悟りの目的はマンダラ瞑想を通じて大日如来(宇宙神)と「我」を一体化させることにあります。しかし、仏教を真剣に学んでいる人なら、梵我一如と聞けば、直ちに「それは仏教の堕落だ」と言うでしょう。なぜなら、梵我一如思想はブッダ以前のヴェーダ信仰の思想だからです。ブッダはまさに、ヴェーダ信仰のアンチテーゼ(対立命題、ヴェーダ信仰を越えるもの)として創出されたものなのです。ブッダの教えはその後、初期仏教、そしていわゆる大乗仏教(浄土思想、唯識、華厳)と、営々と発展・深化しました。それを梵我一如などというヴェーダ信仰の基本理念に戻ってしまったら「堕落」のそしりを免れないのは当然でしょう。

註5 ちなみに「マンダラ観想と密教思想」(春秋社)の著者立川武蔵さんは「(金剛介マンダラを観想することによって)聖なるものと俗なるもの(人間)を合体させる」と言い、松長有慶さんは「密教」(中公文庫)の中で「われわれの身体と言葉と心の三者が仏のそれらと本質的に同一であることに気付き、それらを合一させる」と表現しています。

密教(3)

正木さんは「密教は、インドで生まれた仏教の最終ランナーであり、インドで生まれた仏教の究極のかたち。ブッダ以来、長期にわたって育くんできた知恵の集大成だ。マンダラは過去の遺物でではなく、とくに日本のマンダラに秘められている知恵こそ、21世紀という時代を生きる私たちにとって、心身両面にわたる最高の糧となるはずです」と言っています(ここは重要なところですからご記憶ください:筆者)。確かに密教は仏教思想の最後に出現しました。紀元5‐6世紀のインドでした。そして空海が唐の恵果から密教の奥義を伝えられ、わが国もたらしたのは806年でした。しかし、正木さんのように「仏教の最終ランナー」と言えば、それまで営々と築かれて来た仏教思想をご破算にして、元のヴェーダ信仰に戻ってしまうことになるのです。

以前、唯識思想について横山紘一さんの考えをご紹介しました。横山さんは「唯識こそ 21世紀という時代を生きる私たちにとって、心身両面にわたる最高の糧だ」と言うのです。双方とも、下世話に言えば「手前味噌」でしょう。以前のブログで「唯識思想には原理的な欠陥があり、それまでの仏教からの勇み足だ」とお話しました(その論拠は該当するブログをお読みください)。

それにしても正木さんが「密教の梵我一如思想」と言うのは、あまりにも不注意ではないでしょうか。

マンダラ塗り絵

正木さんは難しいマンダラ瞑想法に代わって「マンダラ塗り絵」を推奨しています。マンダラ塗り絵とは、マンダラ様の単純な模様を描いた白図に5色くらいの色で自己流に塗り絵をする作業です。前述のように、もともとユング派の精神科医が精神疾患の療法として工夫したものです。マンダラ塗り絵は、正木さん自身の著書を含めて日本でも容易に手に入ります。それにより「自分を知るために」実践することを勧めています。ただ、マンダラ塗り絵にも一定の効果はあるでしょうが、やはりちゃんとしたマンダラ瞑想とは「似て非なるもの」のように思われます。

補遺 高野山金剛峰寺で、今でもマンダラ瞑想が行われているかどうかはわかりませんが、それとは別に、修行僧の中でも特別な人に虚空蔵求聞持法修行が許されています。簡単な真言とは言え、1日2万回づつ50日(1万回なら100日間)唱え続けます。それでも奇跡が起こらなければ、初めからやり直すという厳しい修行法です。それは空海が唐からマンダラ瞑想法を持ち帰る前に自ずから実践・成就したものですから、高野山におけるマンダラ瞑想法自体の意義が疑われてしまうのです。

読者のコメント(11)

読者のコメント(11)
 読者からの新しいコメントがありました。信仰に関する大切なことだと思いますので、ここでも、あらためて取り上げさせていただきます。
筆者のブログ「新島襄と神の啓示」に対する高橋順子さんの御意見

 1)「クリスチャンが聖書に頼り過ぎていることが、今の日本のキリスト教界の低調化の原因では?」という筆者の意見に対して:
 ・・・私は、クリスチャンです。聖書は神の啓示によって書かれた書であり、キリストを知るための書です。キリストこそが神です。それを信じる者がクリスチャンです。聖書がなかったら、何をもってキリストに倣えばいいのでしょう。とクリスチャンは考えます。未信者の方の感覚も理解できます。キリストを信じているかいないかで聖書の価値は全く違うと思われます・・・

筆者の感想:敬虔な信者のお言葉を聞き、心洗われる思いがしました。筆者の甥も熱心なキリスト者で、あるカソリック教団の機関紙の編集に携わっています。筆者の元にも毎月送ってくれます。それらを読みますと、わが国のキリスト教界は、いわゆる(言葉は悪いですが)「ジリ貧」だと言います。その理由と思われるものを、甥の編集上の手助けになればとブログに書いたのです。結論から言いますと、わが国のキリスト教は、あまりにも聖書に頼り過ぎているため硬直化していると思います。これに対し仏教は釈迦以後、インドはもちろん、中国、そしてわが国で次々に優れた思想家が現れ、仏教思想を革新し続けてきたのです。それが大きな発展をもたらしたと思うのです。キリスト教も新しい活性化がぜひ必要だと思います。時代とともに常に革新続けて行かなければ、いかなる宗教も、組織も衰退するのは自然の理でしょう。
 あなたが新・旧どちらに属する方かわかりませんが、ぜひあなた自身の生の信仰体験をお知らせ下さい。すぐに甥に転送します。きっと機関紙編集上の大きな刺激になると思います。

2)筆者のブログ「人工知能(AI)は宗教に取って代われるか」に対する高橋順子さんのご意見:

 ・・・宗教とは、救済とするならば、自分自身以外の何かに求めているのが宗教ではないでしょうか。そして信心なくしては意味がない。人が作ったと知っているものを信仰できたとしても救いはないと思います・・・

筆者の感想:おっしゃることはよくわかります。ところが中国にはすでに関連するAIの会社があり、お金を払って会員になると、個人ごとに「相手」が設定されます。こちらが若い男なら、「相手」は若い女性というように選べます。こちらのさまざまな個人情報を送ると、AIはそれらを記憶し、処理して、その人の現状を分析し、将来を判断できるようになると言うのです。それ以降、何か相談があってこちらの思いを訴えたり、聞きたいことを尋ねると、「その人に最もふさわしい答え」を教えてくれると言います。AI技術は急速に進歩していますから、すぐに「相手」は画像になり、まるで生身の人間が相談に乗ってくれていると思えるようになると思います。いつでも若くて素敵な女性が親身になって相談に乗ってくれるのです。男女・年齢を問わず、孤独な人間を温かく、やさしく癒してくれるでしょう。けっして「バカバカしいこと」と思ってはいけないと思います。旧来の硬直した宗教より、はるかに有効な癒しの手段になるかもしれません。筆者はけっしてその流れを肯定しているわけではありませんし、問題は大きいと思いますが、これが現実なのです。

筆者が垣間見た精神世界(1)

筆者が垣間見た精神世界(1)

 読者の方からコメントがありました。

・・・ご縁があって辿り着き、幾つかの記事を興味深く読ませて頂きました。そして私にも同様の経験がありましたので、思わずコメントさせて頂いている次第です。精神世界の話は、できる人できない人ハッキリ別れますよね。私も数名話せる人はいますが、悲しいかな親友や親には殆ど話せず、アレルギーのように疎まれるので ^^;・・・たまに真理を追求し続けている方と出会うと、なんとも言い難い喜びが心に芽生えます。ぜひ学びのアウトプット続けてください。きっと同じ真理探求者の理解に役立つと思います・・・

 筆者も現役時代は、周囲にはそういう話は一切しませんでした。何一つ良いことはないと思ったからです。そこで今回は、筆者が神道系の教団で修行をしていた時の体験の一つをお話します。筆者は10年にわたって、いわゆる霊感修行をしていました。

 修行の一つに「丹田対話」というのがありました。臍下丹田の丹田(註1)ですね。両人対座して目をつむり、約10分間、お互いの「丹田を通じて」会話するのです(もちろんイメージですが)。指導者にあらかじめ、「あとでお互いに感じたことを話し合ってください」と言われていました。もちろん、ほとんどの人は、なにかを感じることなどありません。お互いに適当に感想を述べ合うのが通例でした。
 ところがあるとき筆者が、新入会員の方と「丹田対話」をしていますと、相手の体が透けて見えるのです。目をつむっているのに「見える」というのはおかしいですが、まあお聞き下さい。目をつむっていても、その方が前に座っていることは想像できますね。どう「見ても」その人の体が透けて見えるのです。若くてきれいな女性だったので、「それを意識するからか」とも思いましたが、焦りました。あとの「感想」で、「あなたの体が透けて見えました」などとは言えませんから。

 驚くべきことに、相手の女性から先に「あなたの体が透けて見えました」と言われたのです。びっくりしました。あとで、こっそり会員名簿をみて、翌日電話しました。「じつは私も同じようにあなたが透けて見えたのです」と言いますと、別に驚いたふうでもなく、「私は霊感に関する会を主催しています」と言うのです。その教団では新入会員でしたが、じつは経験豊かな霊能者だったのです。さらに驚いたことに「昔あなたとヨーロッパで一緒でした」と、当然のように語るのです。
 そのときはまだ一度もヨーロッパなど行ったことありませんでしたから、すぐに「前世のことだな」と思いました。続いて「よかったら一度私の会に参加されませんか」と言うのには心が動きました。いわゆる霊能者の彼女ですから、もっとくわしく「前世の様子」が聞けるはずでした・・・。しかし、けっきょくそこへは行きませんでした。前世の気持ちを思い出しでもしたら、筆者の「今」が壊れてしまうと思い、「これ以上深入りしてはいけない」と感じたからです。
 
 でもいまふり返って、「もっと聞いてみればよかった」と、残念な気もします。

 いかがでしょうか、これはもちろん事実で、今もある、当時の「修行記録帳」に記録してあります。皆さんだったらどうしますか?

註1よく武道で相手と対峙する時「臍下丹田(へそ下三寸)に力を入れる」と言いますね

芭蕉俳句と禅(1,2)

芭蕉俳句と禅(1)

 芭蕉(1644‐1694)の俳句が禅の心を反映していることはよく知られています。以下は小築庵春湖編「芭蕉翁古池真伝」(早稲田大学古典籍総合データベース、ネットで読めます)にあるエピソードです。禅の師仏頂(1642-1715)は常陸の国鹿島の根本寺住職。芭蕉は深川に住んで間もないころ、江戸に出て仮住まいをしていた禅師と運命的な出会いをし、川向うの臨川庵に参禅する日々を送ったと言います。貞享元年(四十一歳)、野ざらしの旅の途中、悟りを得たとか。悟りとは、芭蕉の言葉で言えば物我一致(智)すなわち、物(自然)も他人もすべてが我と一つである、という自覚です。その心境は、高橋怒誰(どすい、本名喜兵衛。近江蕉門の重鎮)あてた書簡(内容はネットで検索できます:筆者)からわかります。すなわち、怒誰(どすい)が禅の修行を進めていることについて、

 御修行相進候と珍重、唯小道小枝に分別動候て世上の是非やむ時なく、自智物をくらます処、日々より月々年々の修行ならでは物我一智之場所へ至間敷存候。誠御修行御芳志、頼母敷貴意事に令感候。仏頂和尚も世上愚人に日々声をからされ候。

 ・・・禅の修行が進んでいるとのこと、結構なことです。ただ、枝葉末節に分別が働いて、世俗的な利害に心が安まるひまがなく、自分の小賢しい智恵で物が正しく見えない状況、これが我々の日常ですが、日々、月々、年々修行を積んでゆかなければ、物と我と一致する境地に至ることはあるまいと思います。真剣に仏道修行に専念しているお志がたのもしく、とりわけあなたのお気持ちに感銘を受けております。仏頂和尚も世間の愚かな人々を導こうと、日々声をからして教えを説いております・・・(現代語訳:田中善信「全釈芭蕉書簡集」新典社)。

物我一致
 これこそ、筆者がいつもお話している、「『空』とはモノゴトを見た(聞いた、嗅いだ、味わった、触った)一瞬の体験だ」ですね。そこには見る筆者と、見られるモノゴトの区別はありません。あえて言えば、「見る私は体験の主観的側面、見られるモノゴトは対象的側面」にすぎないからです。禅では自他一如と言います。

芭蕉の悟り

 芭蕉がまだその師仏頂禅師の元で参禅していた頃、ある日、和尚が彼に尋ねて言った。
仏頂「今日のこと作恁麼(そもさん)」(近頃どう暮らしておられるか)
芭蕉「雨過ぎて青苔潤う」(自然と共に暮らしております)
仏頂「青苔いまだ生ぜざる時の仏法いかん」(世界がまだ生ぜざる以前に何が在るか)。
芭蕉「蛙飛び込む水の音」(註1)

註1 この芭蕉の答えには「古池や」の初句はなく、後で俳句の形にするために追加されたものだと言われています。以上、「芭蕉翁古池真伝」より。

筆者の感想:つまり、蛙が水に飛び込んだ「ポチャン」と音を聞いた時、芭蕉はその音が「天地の音だ」と気が付いたのですね。筆者は「香厳撃竹」(香厳が庭を掃いていて、箒の先で払われて飛んだ小石が、かたわらの竹に「カチン」と当たった音を聞いて悟ったエピソードを思い出しました。

芭蕉俳句と禅(2)

 「青苔いまだ生ぜざる時の仏法いかん」と仏頂が聞いたのは、芭蕉の禅の心境の深さを知るための「そもさん(禅問答で言う「さあどうだ」)です。つまり、「雨過ぎて青苔潤う」などと言うが、それでは「天地が始まる前の消息、つまり、父母(ぶも)未生以前の本来の面目)はどうなのだ」、をたずねたのです。それに対する芭蕉の「せっぱ(答えてやろう)」が「蛙飛び込む水の音」です。芭蕉は「ポチャンという水の音が、宇宙の一風景であること、我が身もその一部であることを直覚しました」ですね。

 山路来て何やらゆかしすみれ草
 静かさや岩にしみいるセミの声
 荒海や佐渡に横たう天の川

などの句も同じく芭蕉の禅境を表わしたものでしょう。筆者は蕪村の俳句

   月天心貧しき町を通りけり
  さみだれや大河を前に家二軒
  鳥羽殿へへ五六騎いそぐ野分かな

も好きです。心を歌ったものですね。しかし、芭蕉の俳句は心に沁みます。「古池や」の句を知らない人はいないでしょう。多くの人が俳句と言えばこの句を思い出すのは、それだけの理由があるはずです。

禅を学んでいますと、公案や語録の各所に「悟りとは神と一体化することだ」という意味の言葉が出てきます。禅特有の間接的表現で、ですが。あの空海が土佐の御厨人窟(みくろど)で悟りを得たことはよく知られています。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられています。空海の名は「自分が空と海と一体化した」と直覚したからだと言われています。

 なんどもお話しているように、筆者は、生命は神が作られたと確信しています。それどころか宇宙まで神の創造物だとしか思えません。ビッグバンでは、何もないところで宇宙ができたのです。唯物論の大原則に反しますね。近年、宇宙物理学は急速な進歩を遂げています。しかし、「神」という概念を入れずに「何もないところから何かができる」などと言うことは、永遠に説明できないと思います。