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論理は神理(2)その1‐3

その1 筆者のこのブログシリーズには、近現代の有名な僧侶や、仏教研究家に対する批判が多いことは承知しています。それゆえ、それらの僧侶たちを尊敬していた人たちの反発を受けることがよくあります。筆者が仏教に関するさまざまな本を読むとき、「なんか変だ」と感じることが多いのです。論理の矛盾と言ってもいいかもしれません。そこでそれらをよく読んでみると誤りであることが分かるのです。論理とは何か。筆者は論理は神理だと思っています。たんなる独断や偏見ではないはずです。今回はその例を一つ挙げます。最近経験したことです。今回のブログは、筆者のメインテーマからは外れますが、筆者が普段どんなことを考えているか「閑話休題」としてお読みください。

 NHKに「知恵泉」という番組があります。ご存じの方も多いでしょう。今回は「千年企業~時をかけろ!世界最古の匠のわざ~」でした。番組の冒頭、早稲田大学大学院ビジネススクール教授の入山章栄さんが、「日本には1000年続く企業が6つある」と。日本人として誇らしいことですね。その一つは金剛組と言う建築会社で、創業は578年!聖徳太子が創建した大阪の四天王寺の維持を使命として作られたとか。系図には39代の名前が書かれているのですから驚きですね。

 その1400年続いた金剛組には何度も危機がありました。その一つが1932年第32代治一が先祖の墓の前で自死したことに現れています。時代の変化に付いて行けず、深刻な経営難に陥ってしまったからです。しかしそれを切り抜けたのがその妻よしえさんでした。よしえさんは建築に関してはまったくの素人でしたが、自ら33代当主になり、その後四天王寺五重塔の再建を引き受けて見事に金剛組を立ち直させました。

 その五重塔は残念ながら、わずか5年後の大阪空襲で焼失してしまいました。問題はその後です、再建は他のゼネコン(大林組)に任され、鉄筋コンクリート造りで完成されました。現在のそれです。つまり、金剛組は外されたのです。それを知った棟梁は「俺の骨は塔の下に埋めてくれ」・・・無念の言葉です。「鉄筋コンクリートとは!」と今では誰でも思うでしょうが、台風で壊れ、再建したと思ったらわずか5年で焼失してしまったのですから、「燃えない、丈夫なものを」という四天王寺側の気持ちもわかりますね。

 その後金剛組も鉄筋コンクリート工法を取り入れ、当の四天王寺の金堂をはじめ、各地の寺社建築ばかりか、学校などの近代建築を次々に作り続けました。バブルの頃ですから、「給料・ボーナスも右肩上がりだった」。経営者としては笑いが止まらなかったでしょう。一時は木造の寺社建築が40億円、鉄筋コンクリートによるビル建築100億円になったとか。

 ところが他の建設会社との競争が激しさを増し、結局40億円もの負債を抱えてしまった。また倒産の危機が訪れたのです。その様子を見た同じ大阪のゼネコン高松建設が救いの手を差し伸べた。「こんなに立派な会社を潰したら大阪の恥や」・・・会長の高松孝育さんの言葉です。そして金剛組を高松建設グループに吸収合併し、債務の一部を引き受け、金剛組を存続させたと言うのです。つまり金剛組は伝統的な高度の木造技術による寺社建築に特化し、高松率いる企業グループの一員として再スタートしたのです。「めでたしめでたし」ですね。

 この番組のゲストとして招かれたもう一人が、リゾート運営会社代表の星野佳路さんです。星野さんは現役バリバリのすぐれた経営者です。そのため、この千年企業金剛組の事情もよくわかっていました。

 筆者はこの番組を2回視聴しました。この番組のテーマは「千年企業の存続・繁栄の知恵とは」でしたので、素人の筆者でもとても興味があったのです。ただ、前回見た時、星野さんがふと漏らした言葉が引っ掛かりました。(たしか)「金剛組はゼネコンにはなれなかった」と言ったと思います。この言葉は、番組の趣旨「千年企業の存続・繁栄の知恵とは」に反すると思ったからです。「何か変」だったのです。幸いにも再放送がありました。そこで筆者は2回目の放映をビデオに録り、ネットで得た知識も加えて、くわしくこの問題を検討しました。その結果番組の意図とは異なり、金剛組は倒産していたことが分かったのです。つまりNHKの言うことは正しくなかったのです。

その2)ビデオをよく見てみますと、くだんの星野さんの言葉は「高度成長の時代、鉄筋コンクリート工法を取り入れたのはゼネコンになるチャンスだった。しかし競争が激しく生き残れなかった」でした。これは明らかに番組の主題「千年企業の存続・繁栄の知恵」とは正反対です。そこでさらにビデオを止め、そこにあった高松建設との吸収合併についての新聞記事を読んでみました。すると「金剛組の40代目社長は退陣し、高松建設の副社長が新社長になった」と読めたのです。経営陣の交代ですね。それは取りも直さず金剛組は倒産したことになります。じつは新会社も「金剛組」と呼ばれますが、むしろ「新金剛組」というべきです。会社が他の大手に吸収合併される時、元のブランド名だけ残すことはよくあることです。金剛組が倒産したことの何よりの証拠は、系図から40代の名前が消え、39代で終わった事実です。さらにそれを裏付けるのが、旧・金剛組は高松建設に吸収合併される前に、大阪地方裁判所へ自己破産を申請している事実です(別の資料で調べました)。しかも高松建設は債務の一部ではなく全部を引き受けているのです。これもNHKのミスですね。

 筆者はもちろん、金剛組が高松建設の一グループとして、木工の高度な伝統技術を生かした寺社建築部門に特化して残ったことは「よかった」と思っています。しかし、金剛組の歴史は1430年で終わったのです。これはあきらかに番組の趣旨とは矛盾します。やっぱり「何か変」だったのです。

 筆者はNHKの特集番組(「特集」や「スペシャル」など)からじつの多くのことを学んでいます。それらは「NHKならでは」のものばかりで、尊敬しています。しかし、「金剛組」のように「はじめに趣旨ありき」で、内容はそれに沿ったものではなかった番組は他にもあります。筆者は「歴史探偵」という番組もよく見ますが、そこでもこのような趣旨と内容が矛盾するものもあるのです。

 以上、いかがでしょうか筆者が多くの僧侶や仏教研究家を批判するのは、彼らの著書をを読んでいるとき、「?」と感じることが少なくないのです。それが、くわしい検討の第一歩です。(次回に続きます)

その3)この番組でもう一つ興味があった論点があります。「家訓」についてです。金剛組の江戸時代の当主が16条の家訓(哲学ですね)を残しているとか。その一つが「他と競争するな」、もう一つが「寺院建築以外に手を出すな」だとか。昭和の金剛組はその両方の「家訓」に反することをしてしまったのです。前述の星野さんは、リゾート運営会社の社長で、さすがに現役バリバリです。ゲストの一人早稲田大学大学院ビジネススクール教授の入山章栄さんは「家訓」とも言うべき経営哲学についても述べています。そこが専門家たるゆえんでしょう。星野さんに「お宅の会社の家訓は何ですか」と尋ねたところ、「家訓などありません。強いて言えば『つぶすな』でしょう」。入山さんが「私の言ったことが全否定されてしまった」と、(こだわりなく)言っていました。当然でしょう。

 じつは筆者はかねて「経営学?」と思っていました。ビジネススクールというものにも少し疑問を持っています。なぜなら、筆者の研究生活にも「哲学」などなかったからです。新しい局面には新しい哲学が必要であることは、長い経験から感じていました。研究の新しい局面(研究は常に新しい局面に面しています)には、それに合った新しい哲学が必要なのです。「家訓」など、古い哲学としか言いようがないでしょう。星野さんはホテルの経営者の仕事を父から受け継ぎました。しかし、その後の外国資本によるホテルが林立するようになり、激しい競争になったとか。そこで星野さんは、土地建物は投資家に持ってもらい、「運営」に専念するという新しい経営方式に変化させました。この柔軟性こそ、「家訓などない」ことの証拠でしょう。

本物の信仰-浅原才一と庄松

 以前のブログで「浄土系宗派の僧侶ですら法然の思想を理解していない」とお話しました。筆者は、心の底から法然の教えを理解したのは、清原満之と暁烏敏(あけがらすはや)に加えて、浅原才市と庄松だったと思います。この二人は純朴そのもので、法然の教えを心の底から受け入れました。浅原才市(1850-1932)については以前のブログ(2016/7/4)で紹介しました。石見の下駄職人で、幕末から昭和7年の死まで、阿弥陀如来を心から信じて生きた人です。生業の下駄造りで出たカンナの削りくずに、すなおな信仰の気持ちを書き続けました。その内容は素朴ですが、心に響きます。

 
    ええな せかいこくう(世界虚空)が

    みなほとけ(仏)

    わしもその中 なむあみだぶつ 
    ねるも仏
    おきるも仏
    さめるも仏
    さめてうやまう なむあみだぶつ
    むねに六字のこゑがする
    おやのよびごえ
    慈悲のさいそく
    なむあみだぶつ

    目にみえぬ慈悲が 言葉にあらわれて 
    南無阿弥陀仏と 声でしられる
    死ぬるは浮世のきまりなり
    死なぬは浄土のきまりなり     
    これが楽しみ 南無阿弥陀仏
    世界をおがむ 南無阿弥陀仏  
    世界がほとけ 南無阿弥陀仏   

 庄松:江戸時代の終わりころ、讃岐に庄松(1800-1872)という熱心な浄土真宗の信者がいました。文字も読めず、数も数えられなかったと言います。貧困そのものの人生で、縄ないや草履作りをしていたが、その合間にも子守りや寺男をして暮らしました。その人となりは 「庄松ありのままの記」(永田文昌堂、顕道書院など)に記録されています。無学な人でしたが、よほど確かな信仰を持った人のようで、ある人が「阿弥陀さんが人を救うと言うが、果たして阿弥陀さんにすくわれるかどうか」と聞くと、庄松の言うには、「お前はまだ阿弥陀さんに救われていないな」と答えたとか。「庄松ありのままの記」は、ネットでも読め、You tubeでも視聴できます(wwwb.pikara.ne.jp/h-kimm/syouma1.html)。その一節に、

・・・・庄松、平常つねに縄をない、或は草履を造り抔など致し居て、ふと、御慈悲の事を思い出すと所作を擲(な)げうち、座上に飛び上がり立ちながら、仏壇の御障子をおし開き、御本尊に向ひて曰く、「ばーあ ばーあ」。これは大慈大悲の御尊容、御なつかしく思ひ立つなり。所詮いわゆる親は子供の寝顔に見とれ、問わず物語の体にて独言ひりごとに喜ばれたるの体なり・・・・
:庄松は普段には縄をなったり、あるいは草履を作るなどしており、ふっと、阿弥陀さんのお慈悲を思い出すと、仕事を投げ出して仏壇に駆け寄り、お障子をおし開いて、阿弥陀さんに向かって、「バァーバ、バァーバ」(註2)と言った。という話である。
註2 讃岐地方では、大人が子供をあやすしぐさに「バァーバ、バァーバ」と言う。両手で顔を隠しておき、しばらくして後、手を開いて顔を見せる。そのときに発することばが「バァーバ、バァーバ」です。幼児は安心して声をあげて喜ぶ。親子の信頼感は「ばーあ」でひとしお深まる・・・・。

特別な悟りなどない-澤木興道師

 澤木興道師(1880‐1965・曹洞宗)は、自分の寺を持たず、清貧を旨とし、「本来の仏の心に戻れ」と説き続け、昭和時代とても人気の高かった人です。もと駒澤大学教授。内山興正師、西嶋和夫師、村上光照師など、多くの人に影響を与えました。西嶋師や村上師などは、澤木師の影響で人生の方向を変え、出家したほどです。

 その澤木師は「特別な悟りなどない」と言っています。すなわち、「悟らうとも思はずに、唯(ただ)座るところに道は現れてゐる。悟りは輝いてゐるわけである。唯座るところに悟りは裏付けになってゐるのである(「座禅の仕方と心得 附行鉢の仕方」代々木書院)。つまり、「特別な悟りなどない。座禅によってわざわざ悟りを求めなくても、座禅した瞬間にもはや悟りはある」といっているのですね。

 筆者は澤木師の著作をいくつも読みましたが、よく理解できませんでした。たとえば、以前のブログにも書きました(2016/4/6)。一部を再録しますと、

 ・・・澤木師は著書「正法眼蔵講話‐谿声山色」(大法輪閣)で、道元の「正法眼蔵・谿声山色巻」の一節、「恁麼時の而今(いんもじのにこん)は、我も不知なり、誰も不職なり汝も不期(ふご)なり、仏眼(ぶつげん)も覰不見(しょふけん)なり。人慮(にんりょ)あに測度(しきたく)せんや」を、

・・・眼が開けさえすれば、別に何もことさらに知ることは要らない。それは別に勉強して、書物で調べるということでもなければ、聞いて知ったんでもない。つまり現なまの全体をいずれにも曲げられないで見ることである・・・

と解釈しています。また、「山色の清浄身にあらざらん、いかでか恁麼ならん」を、

・・・山色が清浄身であり、渓声が広長舌であるから、桃の花を見てかくのごとく道を明らめ得られるのである(註2)。「恁麼」というのはかような道理と言うことであって・・・

と解説しています。しかし、これらはおよそ的外れの解釈です。明らかに澤木師は「恁麼」や、「而今」の意味をわかっていないのです。これらは禅を理解する上でのキーワードです。「恁麼時の而今」の正しい意味は、 

 ・・・・「空」すなわち、「一瞬の体験」にあっては、「○○である」と判断することなどできず、「恁麼すなわち、なにかあるもの(を体験した)」としか言いようがない・・・・

です。

 筆者の上記のブログではさらに詳細に理由を述べていますが、要するに澤木師は「正法眼蔵」、つまり禅が分かっていないと思います。わかっていない人がどうして「特別な悟りなどない」と言えるのでしょうか。

 ちなみに、筆者には村上光照師は特別な人でした。しかし、澤木師の弟子、内山興正師、西嶋和夫師、松原泰道師の著作も読みましたが、澤木師の著作と同様、内容はピンと来ませんでした。

神様はいらっしゃいます(3)

 読者の斎藤利幸さんが、筆者のブログ「神様はいらっしゃいます(2022・1・22)」を読んで、

 ・・・・・・凄く心にしみる話ですね。
ただ、「神」という言葉を使うときには、どのような内容を持たせているのかを教えていただかないと、混乱してしまいます。なぜならば、「神」に対するイメージ(漠然とした思い)は各人で異なるでしょうし、キリスト教のように、全知全能の存在を示すとすれば、仏陀の教えとは決定的に矛盾すると思うからです。
(生意気なことを言って、失礼しました。)・・・・

筆者のコメント:失礼ではありません。斎藤さんの率直なご意見です。まず、

1)神とはいかなる定義もできない存在です。「全知全能」でもあり、上記のブログでお話した「おばさん」の目の前に現れることもあります(註1)。

2)「仏陀の教え」と仏教を区別しなければなりません。「仏陀の教え」はその後2000年の間にどんどん拡大したことを認識することが大切です。ここがキリスト教やイスラム教とは決定的に違うところです。キリスト教には聖書、イスラム教にはコーランというように、教えは一つです。拡大などもっての外でしょう。仏教の思想史についてはすでにブログでお話しました。要約しますと、「仏陀の教え」そのものは、スッタニパータなど、初期仏教にのみ現れていると考えられます。その数百年後、インドの哲学者たちによっていわゆる大乗経典類が作られました。浄土三部経や、大般若経典類、華厳経や法華経などです。その後さらに拡大し、唯識思想や真言密教が成立しました。ことほどさように仏教と言っても内容はきわめて多様なのです。それゆえ、たしかに「仏陀の教え」そのものには仏(神)については避けてありますが、華厳経の大日如来は宇宙の主宰神ですし、禅思想の根幹はまぎれもなく「仏」です。ですから仏陀の教え=仏教とすれば、全知全能の存在と決して矛盾しないのです。

註1 ただ、神の名を騙る低級霊もあるとことも認識しなければなりません。新宗教の「神」など、ほとんどその類だと思います。

斎藤さんのご返事:お答えありがとうございました。他の部分も参照させていただきましたが、塾長様の「神」の概念(内容)はキリスト教などでいう「唯一絶対神」であるということでよろしいのでしょうね。そのように解することと、ブッダが最後に教えを説かれた「汝らは、自らを燈明とし、自らを依処として、他人を依処とせず、法(ブッダが説いたもろもろの教え)を燈明とし、法を依処として、他を依処とせずして住するがよい。なにゆえに云々」という、「自燈明、法燈明」仏教の最も根本的な教えとの関係はどうなるのでしょうか。ご教示いただければ幸いです。

筆者のコメント:おっしゃるように、筆者の考える神は「唯一絶対神」です。仏陀が「自燈明・法燈明」とおっしゃったのは、もちろん正しく、筆者など、仏陀の教えでさえ、疑問に思うところは受け入れていません。また、「仏(神)というような、よくわからなものに依拠してはいけない」とおっしゃったのは、あくまでも教えの方便であり、決して仏(神)の存在を否定しているのではないと思います。何よりの証拠は、上記のように、仏陀のはるか後代の弟子たち(インド・中国・日本の哲学者)は、あっさりと仏(神)の概念を取り入れていることです。それが自然の流れでしょう。さらに、仏陀自身も数々の神霊体験もしているはずです。なお、筆者は「あらゆる宗教の基本には神がある」と考えています。

読者のコメントーついにこういう人が現れました(続‐2)

2) 筆者は40歳代のころ大きなピンチに会いました。「この先どうなっていくんだろう」と思う日々でした。そのときいろいろな本を読んだり、人から頂いたアドバイスに、とても参考になった言葉が二つあります。その一つは、「不安がすべて現実になるわけではない」というものです。とかくピンチの最中には次々に悲観的なことを考えるものですね。しかし、結果はこの言葉通りになりました。大部分は取り越し苦労に終わったのです。もう一つは「そのとき起こった事態を一つずつ解決していけばいい」というものです。その言葉を聞いてとても安心しました。「あれもこれも」と同時に考えるので不安になるのですね。

時永さんのコメント(続):「ピンチの時ほど、その危地にあって右往左往する自分を背後から一切全て見つめている何かがいる事を、自分が心のどこかで意識していたのではないでしょうか」

筆者の感想:とても良い言葉ですね。筆者の言う「神に通じる『本当の我』では」と思います。

時永さんのコメント:特に最近は法然の思想を理解できればなと考えています。法然の思想は修行も観経もあったもんじゃないというような大きさがある感じがしますね。法然についての塾長の過去の投稿も再読させていただきます。塾長のおっしゃる通り、今後も倦まずたゆまず勉強を続けていきます。『無門関』を読んでも、「何を言っているんだこれは・・・」としか今は思えませんが、やはりあのエピソードたちの背後には神性が潜んでいるのでしょうか。不思議なものです。しかし続けることで見えてくるものもきっとあるのでしょう・・・・何もかもが中途半端な自分ですが、確かに種を取った!と今際の際に言えるように日々努力していきたいものです。塾長の今後の投稿を楽しみにしております。

筆者の感想:法然の思想も、その真意を理解し、実践すれば「悟り」に達することができるはずです。浄土系宗派の僧侶を含めた大部分の人は、ほとんど理解していないと思います。