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この世に借りを残して逝くな

 以下のお話はすべて筆者の故郷の中学同級生たちに関わる事実です。

 友人S君のところへ突然Y君から電話がありました。「心臓にペースメーカーを入れた。大腸ガンの手術をしたが、他にも転移していた」・・・。「こんな内密な事実を、今まであまり話したこともない僕にどうして電話してきたのか」と、S君が筆者にメールしてくれたのです。

 じつはY君のことは以前から聞いていました。経営していた町工場の資金繰りが最近とみに悪くなったことも含めて。一方、近所に住むK君は退職金を手にした後、クラス会の流れのコーヒー店で「僕が払う」と気前の良いことを言っていた・・・。そういう噂を耳にしたY君がK君に近づき、言葉巧みに大金を貸りたのでしょう。一向に返さないうちにK君は亡くなってしまったのです。友人S君とK君は、とても信頼し合っていた仲で、しょっちゅう行き来して来たと筆者も聞いていました。S君が、末期ガンになったK君をお見舞いに行くと、「じつはY君には大金が貸してあるが、一向に返してくれない」・・・と言ってるうちにK君の調子が悪くなり、「明日も来るから」と言って話を止めさせてS君は帰った。翌日行ってみると、何やら病院の様子があわただしい。「変だと思って聞いてみると。K君は昨日亡くなってた。残念だった」とS君が筆者に言ったのです。K君は秘かに「ホッ」としたでしょう。筆者も義憤を感じて、共通の友人にも相談したのですが、「借用書も見つからない」と、沙汰止みになっていたのです。

 S君からそのメールをもらった時、すぐに筆者は「恐らくY君は、自分のこの恐ろしい状況は、あるいはK君の怨念と関りがあるのではないかと考えていたのではないか。その苦しみから少しでも逃れようと、K君と親しいことを知っていたS君に突然電話してきたのでは?」と感じました。Y君の病状は予断を許さないところまで来ています。

 K君はこの世に大きな心残りをして亡くなりました。そうさせたY君の罪は、借金に加えて重いです。もちろんY君の病気はK君の怨念などによるものではありません。しかし、K君は自分が犯した不業績の「付け」を今払っているのです。彼の不安と恐れは相当なものでしょう。筆者はY君にこの世に借りを残して逝くなと言ってやりたいのです。K君の遺族にお金を返せばどれほど気持ちが楽になるか。それを言ってあげたいのですが・・・。

 「あいつは許せない」とか、「あの時のあいつの仕打ち!」と繰り返して思い出している人も少なくないでしょう。しかし、許せないことを許して心残り作らないことは、とても大切なことです。許せば神から許されるのです。

眼横鼻直(1-2)

(1)「永平元禅師語録(道元禅師語録)註1」にある有名な言葉です。

  1. 上堂。山僧叢林を歴(ふ、以下、カッコ内は筆者)ること多からず。ただ是れ等閑に天童先師に見(まみ)えて、当下(ただち)に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手還郷す。ゆえに一毫も仏法無し。任運に且(しばら)く時を延ぶるのみなり。朝朝、日は東より出で、夜夜月は西に沈む。雲収(おさまっ)て山骨露(あらわ)れ、雨過ぎて四山低(ひく)し。畢竟如何。良久して云く、三年に一閏に逢い、鶏は五更に啼く(以下略;筆者)

 読み下し文:上堂して説法した。山僧(私:道元)は、(中国)諸方の叢林をあまり多く経歴したわけではない。ただ、はからずも先師天童如浄禅師にお目にかかり、その場で眼は横、鼻はまっすぐであることがわかって、もはや人にはだまされなくなった。そこで何も携えずに故郷に還ってきた。それゆえ私にはいささかも仏法はない。ただ天の導きに任せて時を過ごしているだけだ。毎朝日は東に昇るし、毎夜月は西に沈む。雲が晴れ上ると山肌が現れ、雨が通りすぎると周囲の山々は低い姿を現す。結局どうだというのだ。(しばらくして言うには)三年ごとに閏年が一回やってくるし、鶏は五更(午前四時)になると時を告げて鳴く(以下略)。

解説1)臨済・黄檗ネットより、

 眼横鼻直、読んで字の通り、あたり前の事実を、ありのままに見て、しかも、そのままである真実を頷(うなず)き取る。道元禅師でさえ四年の歳月がかかったのです。易しくて、難しい事実です。私達は果たしてすべてを、見るがまま、聞くがまま、あるがままに受け取っているでしょうか・・・他人の意見、自分の主義主張にとらわれて、本当の姿を見失っているのではないでしょうか ・・・

 2)愛知学院大学禅研究所「禅語に親しむ」より、

・・・当たり前のことを当たり前に認得して人に瞞(だま)されないというのです・・・「朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。」というのも、自然の法則にかなった当たり前の現象です。しかし、われわれの日常生活は、我見我執に執われた自我意識を中心にしてまわっています。その為、当たり前のことや当たり前の現象を、自分の立場を中心にして自分勝手に認識しようとします。そのことが、当たり前でありのままの事実から知らず知らずのうちに離れていってしまい、誤った認識をすることとなります。結局、自己中心的な我見我執に振り回され、心は、右に左に揺れ動き定まらないでいます。それ故、実体のない多くの悩みや苦しみを抱え込み、迷える凡夫(ぼんぷ)としての明け暮れをしているのが実情です・・・

 3)鏡島元隆「道元禅師語録」より

 ・・・眼横鼻直は、ごく当たり前のことであって、それはもののあるがままの相(すがた)であるといえよう。だが、このごく当たり前のことがわかるために、道元は如浄の下で身心脱落するまで生命がけの修行をしたのである。したがって、身心脱落して見られたもののあるがままの相と、それ以前のもののあるがままの相とは、天地の違いがある。それを一言でいえば、それ以前のものは「我」に執われて見られたものであるが、それ以後のものは「我」の執われを脱け出たものである・・・

じつは、これらの解釈はいずれも誤りなのです。以下は次回に。

眼横鼻直(2)

筆者のコメント:前回ご紹介したいずれの解釈もあたり前の事実を、ありのままに見るのが大切だとしていますね。じつはそれは誤りです。それぞれ言ってることはもっともですが、それらはすべて「仏法」になってしまいます。そのため道元の真意を伝えられません。なによりの証拠は、道元は「宋から学んできたのは特別な仏法などではない」言っていることです。筆者も道元の言う通りだと思います。筆者の解釈は、・・・いかなる高尚な理論も、じつは当たり前のことを言っているのだ・・・です。当然でしょう。言葉は似ていても意味は全然違います。上記三つの解釈は、まさにここがわかってないのです。

 あの物理学者ジョリオ・キュリーが「いかなる大発見も、ここにこうしてインク壜(ビン)が置いてあるのと同じように、当たり前のことだ」と言っているのと同じでしょう。

註1「永平元禅師語録(永平略録)」は、道元の孫弟子寒巌義尹(ぎいん。永平寺二世懐奘えじょうの弟子。1217-1300)が道元の「永平広録」10巻その他を携えて1264年に南宋へ渡り、道元の師天童如浄門下の同僚だった無外義遠などに校閲を依頼した結果です。義遠は、もとの全10巻から全1巻に抄出し、「序」と「跋」を加えました。さらに義尹は、同じく如浄門下である退耕徳寧や、虚堂智愚にも「跋」を求め、「永平元禅師語録」としました(この経緯から「永平略録」とも通称されます)。義尹は4年後帰朝し、本書を永平寺に招来し、更にそれは宝慶寺寂円禅師に伝わった。したがって、「略録」は「広録」そのものの縮刷ではありません。

筆者はすでに「永平元語録」の完訳しています。これから少しづつその内容についてご紹介します。

欧米に寝たきりはない

安楽死?嘱託殺人?(4)

 この驚くべき報告(中央公論社刊)は、宮本顕二医師(北海道中央労災病院院長)・礼子医師(認知症)によってなされました。なぜ欧米には寝たきり老人がいないのか。その理由は、高齢者が終末期を迎えると食べられなくなるのは当然で、経管栄養や点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからだと言います。そして多くの患者は、寝たきりになる前に亡くなるのです。欧米ではほとんどの高齢者は自立している。歩けなくても、心が子供や病院に頼ることがないという意味です。ヘルパーやドクターの訪問が充実しており、問題がない限り自宅でテレビを見て、または外の景色を見て過ごす。家族は土曜日に兄弟が交代で、親をパブに連れ出す。「一人でいられる」というのが彼らの誇りなのです。イギリスやオランダやスエーデンでも同様です。その理由は、何と言っても長く培われた個人尊重の精神でしょう。機械の助けまで借りてどうして個人と言えるか?でしょう。意識がないことは、たとえ息をしていても死である。当然、胃ろうや中心静脈栄養と等の行為は再生を妨げるため、悪である・・・。つまり「誇りを捨ててまでして、1年や2年延命しても意味がない」と多くの人が考えているのでしょう。日本人と人生の価値観が違うのです。

 いかがでしょうか。この人間としての誇りこそ、以前ご紹介した小島ミーナさんや、「嘱託殺人事件」の林優里さんが必死なって守ったことなのです。「おむつなどされたくない」、「人工呼吸器など着ければ言葉が話せない。言葉も話せなくては生きる意味がない」、「自分で死を選ぶことさえできない」・・・つまり「人間としての誇りは捨てたくない」。じつは林さんは本来の主治医になんども「人工呼吸器を外してください」と頼んでいたのですが断られました。そこでSNSで未知の医師に頼んだのです。

安楽死を容認している国々

スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、アメリカ(カリフォルニア州など6州)、カナダ、オーストラリア(ビクトリア州)、大韓民国

安楽死に関する日本の判例
(1962年(昭和37年)の名古屋高等裁判所の判例では、以下の6つの条件(違法性阻却条件)を満たさない場合は、違法行為となると認定している。

  1. 回復の見込みがない病気の終末期で死期の直前である。
  2. 患者の心身に著しい苦痛・耐えがたい苦痛がある。
  3. 患者の心身の苦痛からの解放が目的である。
  4. 患者の意識が明瞭・意思表示能力があり、自発的意思で安楽死を要求している。
  5. 医師が行う。

安楽死?嘱託殺人?(3)

 この問題についてすでに2回ブログでお話しました。その続きです。前々回お話した、

小島ミーナさん(スイスで安楽死をした)についてのNHKの報道に対して障害者団体から激しい非難を受けて、今回は大分トーンが変わりました。

NHKスペシャル「患者が命を終えたいと言った時」(2020/12/26)(註1)

 この番組では2人の患者について紹介されていました。一人は末期ガンのAさん52歳。Aさんには小学1年生の娘に、「病気と闘う姿を見せながら死ぬか」、あるいは「鎮静剤によって安らかに死ぬ姿を見せるか」.の選択肢がありました。鎮静剤は痛みをやわらげることはできますが、死に至る可能性も大きい薬です。つまり安楽死薬ですね。NHK取材班は継続してAさんに密着し、新城拓也医師とのやり取りを記録しました。Aさんは後者を希望し、新城医師に「明日の午後お願いします」というところまで来ました。驚くべきことに、新城医師には前回お話した「京都嘱託殺人事件」の林優里さんからも「死なせてほしい」とのメールが来ていたのです。「返事はしなかった」と。新城医師は、当日鎮静剤を用意してAさんを訪れましたが、もう一度「薬剤の投与を延ばしますか」「耐えられますね」と繰り返し、「私の言うことがわかりますね」と確認しました。結局、投与を止めましたが、固唾を飲んでAさんの反応を見ていた筆者には、Aさんが新城医師の提案を受け入れたとは決して思えませんでした。Aさんは翌日亡くなりました。新城医師は患者と共に涙する医師としての良心に溢れた誠実な人とお見受けしましたが、このやり取りには疑問が残りました。

 もう一人の患者はBさん。病気はALS(筋萎縮性側索硬化症)。だんだんすべての筋肉が弱って行き、最後には自分では呼吸もできなくなる。林優里さんと同じです。5年前に罹り、当時は呼吸補助装置を付けていましたが、人工呼吸器を着けるかどうかの段階に来ていました。長男の結婚式には呼吸補助装置を付け、車椅子で挨拶しました。医師は荻野美恵子さん(国際医療福祉大学市川病院)。荻野医師はBさんと同じような神経難病の患者を40人も担当してきた、経験豊かな人です。

 Bさんは一貫して「人工呼吸器を着ければ話すこともできない。病状が進めば自分で死ぬこともできない。家族にこれ以上負担を掛けたくない」の態度を取り続けていました。「自分で死ぬこともできないとか、話すこともできない」は重要な点で、後でも述べますが、人間としての尊厳にかかわることです。.Bさんの奥さんは「家族全員が泣いて頼めば人工呼吸器を付けるでしょう。しかしそれは本人の意思にに反することです・・・」と言っていました。

 筆者がとても気になったのは荻野医師の対応です。荻野医師は「人工呼吸器を着けるかつけないかは本人の選択であり、無理強いはしない」と言い続けてました。しかし、腹の中では「それを着けてでも生かしたい」と考えているように筆者には思えました。理由は以下の通りです。

 荻野医師は「本人は本当に自分の人生が終わってもいいと納得しているのかがわからない」と言い、「本当にそれでいいのですか」と繰り返し聞いたのです。Bさんが何度も「ノー」と言ってるにもかかわらず。しかし、Bさんが迷うのは当然でしょう。その上でベターな決断をしているはずですから。筆者には萩野さんはBさんを自分の考えの方へ誘導しているとしか思えませんでした。

 その後、突然Bさんの容態が悪化し、人工呼吸器を付けなければ死ぬ危険が生じました。萩野医師は「家族の負担が増すと言っていらっしゃいますが、病院やへルパーの支援など、別の選択もあるのではないですか」「苦しみを共有するのが家族ではないですか」と。萩野医師の決めぜりふは「奥さんは、『主人が着けると言ったらその医師に従います』と言っています」でした。「Bさんは泣き顔になって感極まった様子でした。『先生が家族に心から寄り添っていただいていることがわかりました。先生が背中を押して下さいました』・・・。

 じつは萩野さんには16年前の苦い経験がありました。80代の母親が40代の息子に「人工呼吸器を外してくれ」と泣いて頼まれたため、それを外し、自死幇助罪に問うれた「事件」です。そのとき母親から萩野医師ににも相談があったのです。萩野医師は「だめです」と。萩野「私にも3人のこどもがあります。でも親が子を手にかけることなど到底できない」・・・。

 筆者が萩野さんの人間性に疑問を感じるのはこういうところです。いいですか、その母親の置かれた状況は萩野さんとはまったく違うのです。萩野さんのように「わが子を手に掛けた」などと言ったらお母さんは生きていられないでしょう。

 Bさんは人工呼吸器を着けました。しかし、じつは問題は今からなのです。萩野医師にも家族にもそれがよくわかっていないのではないかと思います。ヨーロッパには人工呼吸器も、胃ろう(胃に穴を開け栄養を投与)も、経静脈栄養もありません。次回はそれについてお話します。

「空」とは「神」か?Yuriさんからの質問

 Yuriさんから次のような質問がありました。

・・・「空」は「神」でしょうか・・・

筆者:そのとおりです。「こういう読者が現れたか」と思っています。

 Yuriさんの言葉には少し飛躍がありますので付け加えさせていただきます。「空」は神理に通じる手段(モノゴトの観かた)です。なんども繰り返しますが「空」とは、モノゴトのもう一つの観かた、「モノゴトを見る(聞く、味わう、嗅ぐ、触る)という体験」です。体験は一瞬で、その対象的部分がモノゴトであり、主観的部分が「私」です。西田幾多郎やカントは「この体験こそ真の実在である」と考えました。つまり「空」のモノゴトの観かたで見たモノゴトこそが神理(神)なのです。

 しかし、禅のすばらしさは、「モノゴトがあって私が見る」モノゴトも実在の他の側面だと看破したことです。それを「色(しき)」と名付けました。そして「空」と「色」は「同じではないが別でもない(不一不異)」としました。禅ではこれら全体が「神」の世界なのです・・・

 筆者がよく使う比喩でお話します。

・・・人生とは人間は途方もなく大きな円の上を歩いている、とお考え下さい。その円の中心に神がいらっしゃり、歩いている人間に向かって光のビームを照射している。歩みの一瞬、一瞬に生かされているのです。その一瞬、一瞬に体験した世界が「空」なのです。

・・・・・・

Yuriさんの独り言:

・・・ヨガのマントラである神の名前、「オーム」を唱えた後の、静かで穏やかで平和な時間と空間に出現する存在

誰もが感じたことのある感覚
時の流れ
懐かしいと同時に遠い未来であり、今現在

小さい頃、常に過ごす世界
段々と失う世界
取り戻そうと苦しみもがき

古来から世界中の様々な人が道しるべを示している心の状態

深い瞑想や日々の心がけにより意識的に到達できる境地・・・

筆者:Yuriさんは詩人ですね。ちなみに「オーム」と言うのは、神につながる「音」です。仏教では真言と。日本神道では「オー」と唱えます。オーム真理教の「オーム」もそこから来ています。こういうセンスが「空」とは「神」と気付いたのでしょう。Yuriさんのお考えをもっと話してください。取り上げさせていただきます。