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岸根卓郎氏批判-田中善積様(2)

意識は量子論で説明できる?

  そもそも人間の意識を量子論と関連付けて解明しようとする考えは、けっして岸根氏の独創ではありません。おそらく量子の不思議な性質が人間の心の不思議さと似ているので両者を関連づけようとしてきたのでしょう。多くの人が関心を持ち、イギリスのB・ジョセフソンもその一人です。B・ジョセフソン(1940-)は、弱く結合した2つの超伝導体の間に、超伝導電子対のトンネル効果によって超伝導電流が流れる現象を発見し、33歳で日本の江崎玲於奈博士とともにノーベル物理学賞を受賞した量子力学の権威です。彼はその後、ケンブリッジ大学でMind–Matter Unification Project(精神-物質統合プロジェクト)を指揮し、人間の心や意識を科学的に解明しよう研究しています。さらに、テレパシーやサイコキネシス(念力)、さらには幽霊まで科学的に明らかにしようとしているのです。しかし、このプロジェクトが始まって以来15年以上経ちますが、成果はまったく上がっていないのです。B・ジョセフソンは謙虚な人ですから、「これらの問題は量子論がもっと発達するか、まったく別の理論によらなければ解明できないだろう」と言っています。これが科学的態度です。

 いずれにしましても岸根氏は当然、著書でこれら他の研究者のことに触れなければなりません。それが科学のルールです。これだけでも岸根氏は失格なのです。

 一方、前述のマックス・テグマークも「やがてうちの研究グループは意識を数式化できる」と思い切ったことを言っていますが、どうでしょう。

 筆者も、人間の意識はどこから来ているのか、科学的に解明できるのかについて強い興味を持っています。そのために量子力学のコペンハーゲン解釈について調べ、B.ジョセフソンやM.テグマークの著作も読んでいるのです。その上で岸根氏の論説は受け入れ難いと言っているのです。

参考文献2「科学は心霊現象をいかにとらえるか」ブライアン・ジョセフソン著、茂木健一郎・竹内薫訳(徳間書店)

岸根卓郎氏批判について-田中善積様(追伸1)

 以前、読者の田中善積様から、筆者が岸根卓郎氏の考え「意識は量子論で説明できる」を批判したのを読んでいただいて、「岸根先生が真面目に量子物理学を一般人でも分かるように書かれたものを、一刀両断して切り捨てるようにご批判されています。「道」を求めている方の態度として、いかがなものでしょうか」とのご指摘がありました(筆者の回答を含めて、詳しくは以前のブログをお読みください)。

 真面目なご質問ですから、もう少し詳しくお話します。まず、コペンハーゲン解釈とは、量子の不思議な性質に関するもので、

「量子(光子や電子やニュートリノやクォークなどの素粒子)の物理状態は波と粒子の状態が重ね合わさっている。そして観測されると粒子として確定される(波束の収縮)」

という考えです。N.ボーアやW.ハイゼンベルグの理論を基礎としています。その他にもさまざまな解釈があり、その一つが意思説です。意思説には「観測されると」の個所を「人間の意思によって観測しようとすると」と飛躍したところに問題があるのです。さらに、岸根氏がよく使う量子のゆらぎ現象(註2)も「あたかもテレパシーのようだ」と、やはり「人間の意思に似ている」と見なすのです。このように、複数の検証不可能な仮定の積み重ねに基づいており、科学理論としての要件を満たしてはいません。しかも、有力な反証(実験結果!註1)もあるのです。

 このように、岸根氏の論説は、文字通り砂上の楼閣なのです。けっして筆者の判断は、田中様がおっしゃるような「岸根先生が真面目に量子物理学を一般人でも分かるように書かれたものを、一刀両断切り捨てるようにご批判されています」などではないことがおわかりいただけるでしょう。

 現在有力視されているもう一つの考えは、多世界解釈というもので、観測者の世界が枝分かれするとみる立場です。1957年、H.エバレット(1930-1982)が提案しました。A(たとえば波)とB(たとえば粒子)、2つの状態の重ね合わせを観測すると、観測者はAを見た分身とBを見た分身に分かれる、と考えます。ハーバード大の理論物理学者マックス・テグマーク(1967-)もこの考えを支持しています(参考文献1)。

註1 量子コンピューターにおいて、外部から侵入した光子や電子の影響によって量子ビットの状態が確定してしまう量子エラーは人間の意思とは無関係に生じることなど。

註2 2つの電子を実験的に一つに重ね合わせると、必ず一方は右回り、他方は左回りに自転している。それぞれを北と南に放出し、十分に遠くまで離れた時点で、北に置いてあった観測装置を用いて、飛んできた電子の自転を調べる。仮にそれが右回りだったとすると、南へ飛んで行ったもう片方の電子は左回りである。それは観測しなくてもわかっているということが実験的に証明されています。あたかも一方の電子が他方の電子に瞬間的なテレパシーを送ったように思える不思議な現象です。

参考文献1「数学的宇宙」谷本昌幸訳(講談社)

冥界からの電話 佐藤愛子さん(1-3)

その1)以前のブログで「意識はどこから来たのか」についてお話しました。結論から言いますと、筆者は「人間の意識は肉体の意識(顕在意識)と魂の意識が重ね合わさったたものだ」と考えています。今回は霊魂の存在について、佐藤愛子さんの「冥界からの電話」(新潮社)を元にお話します。ここでは、霊魂とは魂が肉体を離れたものとお考え下さい。

 亡くなった人が霊魂となってあの世で生きていることがわかったら残された家族の慰めはどんなに大きいだろうか・・・かねて筆者が考えていることです。あの東日本大震災で、たくさんの霊的体験をした人のことは、テレビでも本でもさまざまに伝えられました。有名な話に、津波で三歳の息子を亡くした若いお母さんの体験談があります(以前、このブログシリーズでも紹介しました)。・・・震災の2年後のある日、中学生の娘と主人と、震災後に生まれた次男とで食事をしていた時です。〇〇ちゃんと離れて食べるのもなんだから、私が祭壇の方を振り向いて『〇〇ちゃん、こっちで食べようね』と言った途端、〇〇ちゃんが大好きだったアンパンマンのハンドルがついたおもちゃの車が、いきなり点滅したかと思うと、ブーンと音を立てて動いたのです。『アッ〇〇ちゃんだ』と叫びました・・・そう思ったらうれしくてたまりません(「魂でもいいからそばにいて」奥野修司著新潮社)。

 佐藤愛子さんの「冥界からの電話」(新潮社)は、高林圭吾という医師が、実際に体験した霊魂との電話でのやり取りです。本の帯には、「これは本当にあった話です。無理に信じよとは言いません。信じるも信じないもあなたの自由です。「死」は「無」ではなかったのです-。ある日、死んだはずの少女から電話がかかってきた。一度ならず、何度も。そして生きていた頃と変わりない声で会話を交わす。いったいこれは何だろう・・・。死は人生の終点ではない。肉体は消滅しても魂は滅びない。死はつづく世界への段階です。まだ続きがあるのです」とあります。

 冥界電話のそもそものきっかけは、高林医師が、将来医師になることを希望する高校生たちに講演したことから始まります。講演は主催者の意図とは違ったものになってしまったため、高林医師はその後ずいぶん落ち込んでしまったとか。そこへ一人の女子高生から手紙があり「とても感激しました。もともと国文志望でしたが医学部受験にチャレンジします」とありました。手紙には住所もなく、名前もただ「ひふみ」とだけ書いてありました。しかし携帯電話番号らしきものが書いてあったので電話すると、はたして「ひふみちゃん」が出ました。手紙にあった通り、「猛勉強して医科大学を受験する」との返事でした。そして1年後彼女は見事に某公立医科大学に合格したのです。知らせの電話を受けた高林先生が「合格祝いにご馳走したい」と言うと、彼女は喜んでそれを受け、「当日友達と一緒にそのボーイフレンドの車に便乗して行く」と。・・・しかし当日彼女は来なかったのです・・・。2週間後の夜、携帯が鳴り、「突然ですが、あなたはひふみをごぞんじですか」との電話があったのです。よく聞くとそれは彼女の兄からであり、「あの日ひふみは交通事故で死にました」・・・・。

 冥界との電話はいよいよ本題に入ります。この前の電話から12日後、またひふみの兄(某医科大学の学生と名乗っていた)から電話がありました。しかし、その話し中に突然彼の声が途絶え、「先生・・・ひふみです」・・・以下の物語は佐藤さんの原著をお読み下さい。かいつまんで言いますと、彼女は自分が死んだことを自覚しており、兄に憑依して電話をかけさせ、兄が気を失っている間に自分が携帯に割り込んでいたのです。それから何か月にもわたって「ひふみさん」との電話でのやり取りを楽しんでいた高林先生はふと、「ひふみちゃんはいつまでも現界に留まっていてはいけない。幽界から霊界へと向上していかなければ」と思ったのです。責任を感じてひふみちゃんにそれを強く勧めました。

 そのころ、自分もひどい霊的体験をした佐藤愛子さんを知り、出会って彼の不思議な体験を話したのです。二人は大いに共感しました・・・

その2) 佐藤愛子さんは書いています。・・・その後5年にわたって「ひふみちゃん」からの冥界からの電話は続き、結局ひふみちゃんは高い霊界(神界?)に昇って通信は途絶えました。

 高林先生は「なぜ自分にだけこんな体験をするのか」と深く悩み、佐藤さんや有名な霊能者である中川昌蔵師や相曽誠治師などのアドバイスを受けて「自分は審神(さにわ)者(「降臨した神」が本物かどうかを確かめる特別な能力を持った人:筆者)として働け」との天の啓示でゃないか」とも考えました。しかし、その後、当時のどの新聞にもひふみちゃんの交通事故の記事などなく、兄が某医科大学の学生であることも嘘だったのです。兄はその後の電話で「あの大学とは合わなかったので退学した」と説明しましたが・・・。

 ・・・そこで、ある有名な女性霊能者に霊視してもらうと、ものすごく大きな真っ黒な狐霊が、真っ赤な大口を開けて愉快そうに笑っているのが見えたそうです。高林先生は狐霊の仕業と聞いて、憤懣の面持ちでした・・・結局、高林先生は黒い狐霊説を黙殺しました。それで筆者(佐藤さん)も黙殺しました。

 いかがでしょうか。筆者は高橋圭吾医師の本名(T先生とします)もクリニックの本当の場所も知っています。小児アレルギーの専門医であることは事実です。なぜなら、筆者はT先生と会ってお話したことがあるからです。開業される前にお会いした時にも心霊的なお話をされていました。その内容は今でもよく覚えています。T先生が心霊現象に強い興味を持つようになったのは、お父さんが長野県で御嶽教の熱心な指導者であり、神降ろしや神伝治療をしているのを幼時から目の当たりにしていたからだそうです。筆者は御嶽教についての知識はありません。たぶん山岳信仰(山伏)の一つでしょう。ただ、「神降ろしには細心の注意が必要だ」とだけ言っておきます。

 筆者は、T先生の体験については、やはり上記の女性霊能者が言っていることが正しいと思います。ご自分が「審神(さにわ)者としての天命を受けた特別な者だ」と考えるのは、むしろT先生の人間的弱点だと思うのです。そこへ狐霊に付け込まれたのではないかと気がかりです。いわゆる神界には高級神から、龍、狐狸、蛇、天狗・・・などのいわゆる自然霊まであります。よく新・新宗教の教祖が「○○神が私のところへ降りてこられた」と言いますが、その大部分はこれらの自然霊なのです。前記のように、降臨した「神」が本物かどうかを見分ける特別な能力を持つ人を審神(さにわ)者と言い、とても重要な役割ですが、T先生は「こういうことが起こるのは、自分は審神者としての天命を受けた特別な者であるからだ」とお考えになるより、先生が冥界通信した相手が何者かを審神することの方が先決と思います。大口を開けて笑っている狐霊がとても心配です。T先生、危険です。

その3) はじめに:筆者のブログシリーズでは、禅を中心にした仏教についてお話しています。それに加えて、今回のように「意識」や霊魂についても話題にしています。それらを抜きにして禅は理解できないと思うからです。

 前回ご紹介した「冥界からの電話」では狐霊や蛇霊などを神と思い込むことは危険だとお話しました。普通これらを自然霊と言います。自然霊にとっては「冥界からの電話」など造作もないことです。こちらが強い関心を持てば・・・。筆者の知人には、近所の祠の熱心な信者がいます。なんでもご霊験があらたかなのだとか。筆者も見てきましたが、たくさんの幟が奉納され、知人の名前もいくつかありました。しかし、それらを単純に神だと信じるのはとても危険なことなのです。自然霊が「神」と称して「降臨」し、予知や霊界通信や、一定の「ご利益」を現わすのも難しいことではありません。そういった類のものを頭から否定することもまた、正しくありません。ただ、そういった世界にどっぷり漬かることが危険なのです。俳優の丹波哲郎さんは、よく「あの世」のことを書いていましたね。それなりに功績はありましたが、抜け出せませんでした。また、稲川淳二さんのように「ほんとうにあった怖い話」をし続けることも正しくないと思うのです。そういうことばかり考えていると、そういう世界と「波長」が合ってしまうのです。稲川さんも子月が変わりましたね。「冥界からの電話」の当事者T先生はとても良い方で、誠実な医者です。しかしお父様以来の山伏信仰に「はまって」いたのだと思うのです。そういう「異界」は、「あると認めて」早く卒業しなければいけません。

 こういう問題は、昔からあります。ことに神道の世界では、前にお話した「審神(さにわ)」がとても大切なこととされてきました。「今降りている霊的存在の正体を見極めること」です。「触らぬ神に祟りなし」と言いますね。ふつう「あいつはちょっと癖があるから下手に関わるのはやめておこう」と言う意味で使われています。しかし、本来の意味は、「素性のはっきりしない『神』には近づかない」です。下手に近づけば、負の「ご利益」があるのです。

 よく旅行に行ったついでに有名な神社や寺院を訪れ、いろいろな願い事をする人がありますね。それもよくないことがあるのです。せいぜい、「近所まで来ましたのでご挨拶申し上げます」が正しいのです。筆者は、近所の神社の役員をさせていただいていますが、神様に願い事はしません(若いときはよくそうしましたが)。神仏は感謝だけをするものです。もうすでに十分神の恩寵を受けているのが人間なのです。

 また、よく日本の新宗教、新々宗教が、法外なお布施を要求しますね。もうそれだけでその宗教はインチキだとお考え下さい。

 筆者はかねがね、いつかはこのことをブログ上でお話したいと考えていました。今回ちょうどよいきっかけが得られましたのでご紹介しました。

而今(2)

その1) 而今(にこん、じこん)は禅の重要な概念と言われています。「いま」の意味ですね。一般的には「過去を悔やまず。未来を憂うことなく、今、この瞬間を大切に生きなければならない」と解釈されています。道元禅師(註1)や筆者の解釈は異なるのですが、「この瞬間を大切に生きなければならない」も大切な言葉ですから今回はそれに沿ってお話します。

 筆者が家族ぐるみで付き合っている友人が突然ガンと診断され、「治療をしなければあと半年の命だ」と言われました。本人に告知すればどれほどショックを受けるでしょう。彼の縁者には抗ガン剤による副作用で苦しみぬいて亡くなった人もいるのです。費用のことも気がかりです。いくら親しくても筆者が判断することはできません。あくまで本人と家族が決めることです。期限は迫っていました。

 数日後、彼の長男から「抗ガン剤治療をうけることに決めた」との連絡を受けました。スマホで孫のメッセージ画像を見せて必死に説得したとか。筆者も他に選択肢はないと思っていましたので、心からホッとしました。その息子が言ったことが尊いのです。「抗ガン剤の副作用があるかもしれない。抗ガン剤が効かず、半年後に死ぬことになるかもしれない。でもお父さんの今日が良ければいいように、そういう一日、一日が続くように、家族ができることに最善を尽くします。突然こんなことになってしまった。でも逆に、どんなよい方向に事態が展開するかもしれないからこの方法を選びました」と言ったのです。

 彼の長男は禅のことなど知りません。筆者のブログも読んではいないでしょう。しかし、ギリギリの状況で選んだ判断が、はからずも禅の要諦だったのです。

 友人は仏様のような人です。人を傷つける言葉も、大きな声を出したのを聞いたこともありません。そんな人でも報われることが少ない人生だったと思います。人生の帳尻は合ってしかるべきでしょう。奇跡が起こることを信じています。

註1 筆者の解釈については、当ブログシリーズをお読みください。 道元は「正法眼蔵・大悟巻」で・・・いはくの今時は、人人の而今なり。令(たとい)我念過去未来現在、いく千萬なりとも今時なり。而今なり。人の分上はかならず今時なり(たとえ、どれほど過去や未来のことを思おうと、それは現在の私が考えているものだ。人間の本性は必ず今だ:筆者訳)・・・と言

その2)矢方美紀さん「乳がんダイアリー」

矢方美紀さん(26)は、元アイドルグループSKE48の中心メンバーで、現在はフリーのアナウンサー。ナレーターやアナウンサーの仕事をし、本格的な声優を目指している人です。2017年秋に乳ガンであると診断され、翌年4月に左乳房と付近のリンパ節の摘除手術を受けました。長く活動を停止していることを不思議に思ったファンからのメールを受けて、病気のことを発表することにしたと言います。現在では自分のホームページを通じて、定期的に「乳がんダイアリー」動画を発信しています。矢方さんは言います「事情を隠すよりきちんと説明した方がいい。隠して活動すれば、いつかモヤモヤする時もきっと来るだろう。病気を公表して私らしくやりたい」と。

 矢方さんの治療は前記の手術に続いて2か月間は定期的に抗ガン剤の服用、次の3か月は別の抗ガン剤、その後1か月は放射線治療に切り替える他、一日一錠、抗女性ホルモン剤を10年間にわたって飲み続けるという過酷なものです。これらの治療にはかなり深刻な副作用が伴うことはよく聞きます。どうしようもないだるさ、抜け毛、手足のしびれ、体のむくみ、体が火照るホットフラッシュ・・・。矢方さんも抗ガン剤の開始後2週間目から抜け毛が始まり、やがてすべての毛髪が無くなってしまいました。女性にとってどれほどつらいことでしょう。ウイッグを付けていますが「バレていないかなー」といつも気にしている。夏は暑さで「汗がダーダー」。

 筆者は「乳がんダイアリ-」を見て、心から矢方さんを尊敬しています。いつも明るく、「明日は抗ガン剤投与の日。いやだなー。抗ガン剤の後はしゃべる力が入らない。・・・今日は体調が悪いのでもう寝ます・・・ウイッグを取ったらお母さんから『お化けみたい』とからかわれた」。大人の男でも周囲にガンであることを告げるカミングアウトする勇気がない人は大勢います。矢方さんは治療期間中も活発に仕事を続けています。

印象的だったのは矢方さんの次の言葉です。

・・・ガンの当事者になったら世間(ガンではない人たち)とのズレを感じる。「仕事をしてえらいね」と言われるけど、私は当たり前のことだと思っています。それを皆さんに伝えたい・・・。今までは不安と治療のつらさがあった。今後病気がどうなるかわからない。しかし今を楽しむことが大切・・・ギリギリの状況の中で必死になって選んだ言葉がこれです。これこそ而今ですね。

 矢方さんはちょうど一年後の「検査で異常なし」と診断されました。「乳がんダイアリー」は今も続きます。

拈華微笑(山川宗玄師‐1,2)

(その1)

 筆者が尊敬する山川宗玄師(岐阜県美濃加茂市臨済宗正眼寺・正眼僧堂師家)がNHK「心の時代・禅に学ぶ」で、公案拈華微笑について解説していらっしゃいました。公案とは過去の修行僧たちが悟りを開いた時のヒントになったエピソード集が、無門関や碧巌録としてまとめられており、その幾つかを禅の修行の中で師家(師匠)が修行僧に問題として与えます。その代表的な一つに拈華微笑があるのです。

 世尊、昔、霊山会上に在って、花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆な黙然たり。惟(ただ)迦葉(かしょう)尊者のみ、破顔微笑す。世尊云く、「吾に正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相の微妙法門あり。不立文字教外別伝 摩訶迦葉(まかかしょう)に付嘱(ふしょく)す(「無門関第六則 世尊拈華」)。

(ある日のことブッダは霊鷲山での説法において大衆にむかって静かに金波羅華〈こんぱらげ〉という花を高くかざして示された。このとき大衆はその意味が分からず、ただ黙ったまま何の言葉も出せなかった。このとき一番弟子の迦葉尊者だけが破顔し微笑したのである。この微笑にブッダは迦葉こそわが真意を解した。「吾に、正しき智慧の眼(法眼)をおさめる蔵があり、涅槃〈悟り〉に導く絶対なる法門がある。この法門は言葉によらず、文字によっても教えられない。微妙の法門である。この我が真実の法の一切を摩訶(まは)迦葉に伝える。

 山川師は、「師匠から拈華微笑の公案を与えられて一応は合格したが、何か引っかかるものが残った。その後派遣されて和歌山県の興国寺へ行った。本尊は釈迦牟尼仏で、通常の座禅ではなく、花をかざした(拈華)お姿だった。2-3年後、たまたま来訪した観光客に『これは珍しいブッダのお姿ですよ』と説明し、釈迦牟尼仏を指さしたとき、ハッと気づいた。『花が咲く』は『咲(わら)う』だ。花が咲き、花が笑い、迦葉尊者が笑い、ブッダが笑った。天地が笑い、神仏が笑い、花が笑った。その笑いの中で一つになった。それを了解しました。そのとき初めて私は霊鷲山でブッダが話をされているところへ私も行けたなと思いました。禅の目的は己事究明(己とは何かを知ること)です。以前、師からこの問題を与えられた時、一応は答えられましたが、そこのところがわからなかったのです。今まで本の中で知っていたことが自分の問題として解けたということです」。

「わかった」という体験を口で表現するのは山川師にとってもむつかしいでしょう。もちろん公案についてはいろいろな解釈があってもいいと思います。筆者が山川師のこの説明を理解できなかったのかもしれませんし、山川氏が「ハッと気づいた」のが誤りだったとは思いません。ただ、どうも山川師のこの解説は正しいとは思えないのです。

その2)

 まず、釈迦がこんな芝居じみたことをするでしょうか。それだけで筆者は「?」と思うのです。禅を学ぶとき、もちろん仏教を学ぶときも、こういう判断はとても大切だと思います。事実、このエピソードが載っている「大梵天王問仏決疑経」は、後代、中国で作られた偽経とされているのです。筆者は偽教などに基づく教えなど信じる気持ちはありません。

 一方、なるほど公案集「無門関第六則 世尊拈花」として取り上げられていますから禅の公案と言っても差し支えないでしょう。その前提に立ってお話します。おそらく禅宗の誰かが、このエピソードを創作したのだと思います。たしかに禅の要諦を表す概念だからです。しかし、山川師のみならず、この言葉を引用する人は必ずこのことを、まず明言しなければならないはずです。

 ちなみに、「無門関」の評者無門慧開は、第六則の頌(じゅ:感想)で、「花などひねって 尻尾丸出し 迦葉の笑顔にゃ 手も出せはせぬ」と一笑に付しています。ただし、「それは公案として答え丸出しだ」と言っているので、むしろその公案としての意義を肯定しているのです。

 「拈華微笑」という公案について筆者の解釈はすでにお話しました。一口で言えば「空(くう)」の概念を示していると思います。言うまでもなく禅の重要な概念ですね。山川師と筆者の解釈のどちらが正しいのかはわかりません。しかし筆者の解釈によれば、般若心経の「色即是空・空即是色」に意味もよくわかるのです。さらに、カントやヘーゲルなどのドイツ観念論哲学とも通じるものがあります(筆者のブログをお読みください)。そういう普遍性があることが、筆者の解釈の良さだと思います。優れた思想というものは時代や国を問わずに現れても何の不思議はありません。むしろ当然のことと思います。禅思想が世に出たのはそれらに先立つこと1500年以上前のことで、素晴らしい東洋の知恵なのです。