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そもそも「五蘊皆空」の解釈を間違えているのです

そもそも「五蘊皆空」の解釈を間違えているのです(1)

前回、龍樹(ナーガールジュナ)の「空」理論と禅の「空」理論とは違う、とお話しました。基本テーマが変わるなどということは、他の思想ではありえないことでしょう。しかし、それが起こるところが仏教なのです。それがわからないと仏教はわからないと思います。

では、一体どこで「空」理論の変化が起こったのか。前回、「中国に仏教が伝来してからだろう。中国は、『ものがない』などとはおよそ考えない国民性だから」とお話しました。今回はもう少し突っ込んで考えてみたいと思います。

「般若心経」の冒頭は、
 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 
(観自在菩薩が深遠な知恵を完成するための実践をされている時、五蘊がすべて「空」であることがわかった)

ですね。その後に色即是空・・・の一節が続きます。五蘊が皆「空」であることを見極めた、と言うのですが、ここに鍵があると思います。五蘊とは、色・受・想・行・識の五つの蘊、すなわち集まりです。つまり人間の認識作用のことを言っているのです。受蘊(感受作用)、想蘊(表象作用)、行蘊(意志作用)、識蘊 (認識作用)のくわしい説明は次回以降に回して、あの中村元博士による五蘊皆空の解釈は:

・・・存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれ(観世音菩薩)は、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものを見とおしたのであった(下線筆者)・・・

となっています。中村元博士は東京大学名誉教授。わが国を代表する仏教学者であり、文字通りの碩学と筆者は尊敬していますが・・・。
ことほどさように、五蘊とは人間の認識作用だったものが、いつのまにか「モノの有る無し」になってしまったのです。この重大な思い違いは、おそらく日本で、近年に起こったのでしょう。

これで松原泰道師(M師)やひろさちやさん(H師)が「すべてのものには実体がない」と解釈している理由がわかりました。
五蘊皆空の正しい意味は、人間の認識作用の内容を言っているのであり、その対象としての「モノ」の有無の問題ではないのです。 ここは「色即是空」を解釈する上できわめて大切なポイントです(あとでくわしくお話します)。

そもそも「五蘊」の解釈をまちがえているのです(2)

前回、「五蘊皆空は、人間の認識作用のことを言っているのであり、それを『モノ』にまで拡大してしまったことが、そもそもの誤りだ」とお話しました。今回は、補足として「五蘊」について説明させていただきます。

筆者の解釈は次の通りです。

色蘊  –  人間の体(眼や耳、皮膚などの感覚器官)と、認識する対象、すなわちモノ
受蘊  -  見る、聞く、嗅ぐ、味わう、皮膚感覚などの感覚
想蘊  - (「あれはバラだ」とする判断のための)知識
行蘊  -  「バラを取りたい」などの気持ち
識蘊  –  「きれいなバラだ」と判断する価値基準。

つまり、想蘊とは、「きれいだ、バラだ」という区別判断をするための情報や価値基準。つまり、受蘊で感覚したものを想蘊が同定し、その内容を識蘊が識別・判断し、行蘊が「あれを取りたい」と思う。すなわち、「五蘊」とは、人間の認識作用(見て聞いて・・・判断し、行動する)を意味しているのです。

したがって、「五蘊皆空」とは、中村元博士や鈴木大拙博士が言うような、

・・・存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いた・・・

の解釈は誤りだということがおわかりいただけるでしょう。

聖書は唯一絶対か

聖書は唯一絶対か(1)
 筆者はキリスト教を素晴らしい宗教だと考えており、国内外の教会に通ったこともあります。その前提で以下の話をさせていただきます。
 友人に熱心な信者がいます。その宗派は、第二次大戦中「いかなる理由であれ、人を殺すことは神の摂理に反する」と兵役を拒否したことでも知られています。当時のドイツや日本で、兵役を拒否すれば、シベリアや網走刑務所送りなど、過酷な結果になったはずです。それでも曲げなかった信念に驚き、尊敬しています。
 それらの信者は、聖書を神の言葉であると絶対の信頼を置き、人生の規範としていたのでしょう。今回は、1)聖書の内容は絶対かと、2)聖書は神の真理のすべてを網羅しているか、の二つの素朴な疑問についてお話させてください。
 1)について:聖書がキリストを通じて伝えられた神の真理であることは間違いないでしょう。しかし、聖書の中には神話、つまりフィクションや、直接のキリストの言葉ではなく、当時の言い伝えや、使徒たちの受け取り方の違いや誤解もあったはずです。聖書をまとめるに当たって、使徒たちのキリストの言葉についての調整(結集)あったことがその証拠です。近代の人々には、それに合った新しい解釈も必要なのではないでしょうか。
 2)について:聖書が神の真理のすべてを網羅しているとは、とても考えられません。キリストという一人の「人間」が生きたのは限られた時間であり、出会った人たちも当然、限定されます。キリストが伝えたのは真理の一部に過ぎないことは間違いないでしょう。
 筆者は科学者として生きてきました。「いかなる定説も信じつつ信じない」という、科学に対する基本的スタンスを取り続けています。というより、長年科学研究に携わって来ることによって得た「智慧」です。その視点に立てば、「新しく表われて来る事実には、既存の定説では解釈できないものがたくさんある」はずです。その場合には新しい法則、つまり真理があるのではないかと考えます。科学者として当然の態度だと思います。
 これをキリスト教信仰で言えば、つぎのようになるでしょう。聖書にある数々の教えが、当時の人たちすべてに当てはまるとはとても考えられません。さらに、2000年後、そのこれだけ価値観が多様になった現代人のすべてに当てはまるとも思えないのです。そういう意味で聖書は絶対とは思えません。聖書以外の神の摂理も知る必要があると思うのです。
 「キリストは神の言葉を伝える唯一の人間か」というのも筆者の疑問の一つです。イスラム教のムハンマドも神の意志を伝えた人でしょう。聖書が唯一とは思えないのです。その意味で、大乗仏教を考えた人たちも、釈迦には及ばなくても、やはり神の意志を伝えた人たちだろうと思います。それゆえ筆者は大乗仏教も尊重するのです。
 じつは禅は経典を通り越して、直接神の真理に達することを目指しています。つまり、私たちでもイエス・キリストと同じように、神の真理に達することができるというのです。キリスト教とは決定的に違うところですね。
 筆者がキリスト教信者について不安を覚えるのは、ときに聖書を絶対視するのあまり、頑なになることです。ある宗派が輸血を拒否する理由を、「血は人間の魂であるから」として理解できます。それが輸血に変わる医療の発達を促すことも。しかし、交通事故や大きな手術でなどで、緊急輸血が不可欠な必要なケースでさえ拒否するのはいかがなものでしょう。近代文明を拒否して100年前の風俗を通しているアメリカのあるキリスト教村のケースには、やはり違和感があるでしょう。
これらが筆者の宗教感です。

アインシュタインの言葉:何も考えずに権威を敬うことは、真理の最大の敵である。

 聖書は唯一絶対か(2)

  以前このブログで聖書は唯一絶対と考えている(と思われる)後輩にささやかな疑問を呈したことがあります。その人は誠実そのものの人柄ですからもちろん「やんわりと」でした。今回はその続きです。
 マタイ伝5・3に「こころの貧しい人は、幸いである、天の国はその人たちのものである」という一節があります。クリスチャンではない筆者でも知っている有名なパラドックスですね。この言葉はちょうど「歎異抄」にある「善人なおもて往生を遂ぐ、いはんや悪人においておや」と類似の、困惑がかえって魅力になっている「さわり」の部分です。
 じつは聖書のこの言葉は誤訳なのです。山浦玄嗣(つぐはる)さんという市井の医者(自称です)がいらっしゃいます。東北の辺境の一山村(これも自称)で唯一のクリスチャンの家庭に育った人です。山浦さんは「心貧しい人・・・」の一節に疑問を抱き、60歳から新約聖書が書かれている古代ギリシャ語を学んで「この疑問を解こう」と決心しました。その結果、誤訳であることを知ったのです。
 山浦さんによると、「心貧しき人」とは、私たちが理解している「品性低劣な人間」ではなく、奴隷や最貧の人たちのように、「惨めで、望みなく、頼りなく、心細い人でも神様はお救い下さる」とのキリストの力強い励ましの言葉だったのです(’11年版ベスト・エッセイ集『人間はすごい』文芸春秋社)。
 このように、現代に私たちが読む聖書は唯一絶対ではなかったのです。筆者が学生のとき、熱心なクリスチャンだった語学教官が「キリストは、ちょうど円と直線の接点のように、神が地球に降臨された唯一の例である」と言いました。「神は人間とは遥かに隔絶した存在である」というのがキリスト教の基本的教えですから、キリストがこの世に現れたのは矛盾することになってしまいます。筆者は子供心にも「この説明はおかしい」と感じました。

 ことほどさように、キリスト教にも絶対視するあまりの矛盾があるのです。もちろん、以前お話したように、キリスト教はすばらしい宗教だと考えている前提で述べています。

 禅は、修行によって悟りに達することを究極の目的にしています。悟りの状態とは、神と同一化し、神の声を直接聞けるようになることなのです。神と人間はけっして隔絶した間柄ではないのです。ここがキリスト教とはまったく異る点です。

龍樹の「空」と禅の「空」とは異なる

龍樹の「空」と禅の「空」とは異なる(1)

 読者から質問がありました。かいつまんで言いますと、
 ・・・M師は臨済宗の著名な禅師です。M師やHさんが、禅の基本思想である色即是空の意味を、「あらゆるモノは変化し、他のモノと関係し合っているから実体はない、とする解釈はおかしい」との、あなた(筆者のこと)の指摘はちょっと納得できない・・・
というものです。
 たしかに、筆者の「空」の解釈と、M師やHさんの言っている「空」の意味はまったく違います。筆者も、両者がなぜこんなに違うのか、ずっと疑問でした。そこで、読者からの上記の質問を機に、改めてこの問題を考えてみました。その途中、ふと、その理由に思い当たりました。
 すなわち、M師やHさんは、龍樹(ナーガルジュナ)の「空思想」が、禅の「空思想」の基盤だと思ったのではないでしょうか。じつは、龍樹の「空思想」と、禅の「空思想」とはまったく別なのです。「般若経(初期バージョン)」が成立したのは紀元前後、龍樹は2世紀から3世紀頃の人、「般若心経」が成立したのは4世紀です(後期の「般若経」には、龍樹の「空思想」が色濃く入っていますが・・・)。そして、達磨大師が中国へ禅を伝えたのは6世紀です。その後、禅は唐時代(7世紀から10世紀)に大きく発展しました。
 そもそも、中国にはそれまでに、老荘思想など、「無」に関する独自の考え方がありました。そのため、龍樹の「空」思想もその線で受け止められたに違いありません。老荘思想は、道教の中心思想であり、中国人のモノの考え方に深く浸透していました。ちなみに老子は紀元前6世紀(?)の人、荘子は紀元前369?-286?の人です。つまり、中国へ「空」思想が伝えられた時、いわんやその後禅が発展したころには、中国人には「空」はまったく違った意味で受け取られたのでしょう。
 およそ、どんな思想でも根本理念が変化することなどありえないことですが、仏教ではそれが起こったのです。驚くべきことですね。以前お話したように、仏教がわかりにくい理由の一つは、その思想がどんどん拡大解釈されて行ったためだと思います。つまり、M師やHさん(なん度もやり玉に挙げて申しわけありません)は、龍樹の「空思想」でもって300年も後に発展した禅の「空思想」を解釈するという誤りを犯してしまったのではないかと思います。そもそも龍樹は、M師やHさんのように、「モノのあるなし」を言っているのではありません(龍樹の思想については別にくわしくお話します)。

 以前、筆者が後輩のIさんに、「仏教を知るには歴史的展開を知らなければなりません」と言ったのはこういうことです。
 
禅は「わかったか、わからないかの世界」だと言われます。したがって、100冊の本を書こうと、1000回の講演をしようと、わかった人が書いたものでなければ意味がないのです。

龍樹の「空」と禅の「空」とは異なる(2)

 このシリーズでは、表記の問題についてお話していますが、次に進む前に、筆者が例としている、M師やHさんの考えと龍樹の「空」思想の違いについてお話します。
 じつは、これらの人たちは、龍樹の「空」思想を完全に誤解しているのです(言うまでもなく、これらの人たちの解釈は、禅の空思想とも違います)。龍樹は、それ以前の上座部仏教徒、とくに「説一切有部(以下有部)」に対する批判として「中論」を書いたのです(龍樹の思想については次回以降お話します)。
 つまり、「龍樹」と「有部」の論争のポイントは、「ものごとの本性(原理、あり方)が、それ自体として存在するかどうか(自性の有無)」であって、「もの(般若心経で言う色シキ)の有る無しではない」のです。M師やHさんが「もの(色)などない」と言うものですから、筆者が「では、それらの人たちの頭をポカンとたたいてみてください。『痛いっ!』と言ったら、ものはあるじゃないかと言ってやればいい」と言うのはそのことです。
 M師たちはさすがに「空」は「無」とは違うことを承知していました。そこで、「無」でない「空」を説明するために、龍樹が「空」を説明した時と同じの、「すべてのものは他のものとの関係においてのみ成り立つ」という「縁起の法則」と、同じく釈迦の基本的教えとされて来た「すべてのものは変化する」との「無常」の法則を引っ張って来ざるを得なかったのでしょう。意識的にか、本当にそう思っていたのかは分かりませんが。つまり、この人たちは二重の誤りを犯していると思います。第一に龍樹の「空」の解釈についての誤りと、第二に「色即是空」を「ものには実体が無い」とした誤りです。

 ちなみに、鈴木大拙博士、澤木興道師、山田無文師、西嶋和夫師、中村元博士らは、このうち一番目の誤りを犯していると思います。
 
龍樹の「中論」はむつかしいのですが、よく読めばおのずとわかることなのです。私たちはよく勉強しなければなりません。

歎異抄の呪縛 

歎異抄の呪縛から早く脱するべきです(1)

 前にもお話しましたように、このシリーズでは決して禅だけに限るのではなく、他の仏教宗派から、キリスト教、スピリチュアリズムと、幅広く精神世界について考えていきたいと思っています。そうすることが禅を深く知るために不可欠だと思えるからです。そこで今回は、浄土系宗派について私見を述べさせていただきます。

 わが国の浄土系宗派は、栄西や道元が禅をわが国へ紹介する以前、すでに平安時代に盛んになりました。親鸞の言う「七高僧」の六番目、恵心僧都源信が有名です。次が法然、親鸞の師ですね。この二人が現代に至る浄土系思想の源流となった人たちです。親鸞の著書では「教行信証」がよく知られています。「歎異抄」は親鸞自身の著作ではなく、弟子の唯円(異説あり)が、親鸞の死後混乱した教えを正すために書かれた本です。

 「歎異抄」に関する本は、今でも五木寛之さんや、梅原猛さん、ひろさちやさん、山折哲雄さんなどにより、次々に出版されており、その人気の高さがしのばれます。しかし筆者は、「日本人は早く歎異抄の呪縛から逃れるべきだ」と考えています。今言いましたように、「歎異抄」は、著者唯円が師親鸞の死後、その教えを不肖の弟子たちが勝手に解釈し始めたのを「歎(なげ)いた」ものです。すなわち、
◎わざわざ十以上の国を超え、はるばる京の親鸞のもとに尋ねて来て、「念仏の他に浄土に往生する道があるのか」と尋ねる弟子、◎「すべての人が救われると言うのなら、何をしても許される」という「本願誇り」の弟子、◎文字の一つも知らずに念仏している人に向かって「おまえは阿弥陀仏の誓願の不可思議な働きを信じて念仏しているのか、それとも、(南無阿弥陀仏の)名号の不可思議な働き信じて念仏しているのか」と言って相手を脅かす弟子、◎弟子の取り合いをする者など、およそ親鸞の教えとはかけ離れた、自分勝手な拡大解釈をしている者たちを諭した「親鸞のお言葉」に過ぎないのです。
 さらに重要なことは、日本人は、よく知られた「◎善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」のパラドックスに「しびれ」ているにすぎないのです。「歎異抄」の第二条には、・・・自力で修めた善によって往生しようとする人は、ひとすじに本願の働きを信じる心が欠けている(自力になる:筆者)。だから阿弥陀仏の本願(他力)に叶っていない」との親鸞の言葉の真意が明記されています。パラドックスでも何でもないのです。このように、「歎異抄」には、親鸞の教えを勝手に解釈している、出来の悪い弟子達を嘆く親鸞の言葉が書かれているだけであり、何ら新しい教えなど書かれてはいないのです。

 法然の天才性は、大衆に向かって「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」と説いたところにあるのです。比叡山第一の学生(がくしょう)と言われたほど、旧来の仏教書を読み解いていた法然が「南無阿弥陀仏」という言葉の重要さを見抜いた上での名号なのです。文字も書けず、教えを聞く機会もない当時の苦しむ民衆にたいする教えとしてこれ以上のものはないでしょう。親鸞のすばらしさは、彼自身も法然に劣らないほどの比叡山のすぐれた学生であったにもかかわらず、法然の教えを忠実に守ったことにあります。
 いかがでしょうか。これが「歎異抄」の実体なのです。上でお話しした多くの仏教解説者が言う「歎異抄の特別なありがたさ」などないのです。そんなものを読むより、ただ、心から「南無阿弥陀仏」と唱えることの方が、よほど法然や親鸞の教えを正しく受け取っていることになるのです。「日本人は早く『歎異抄』の呪縛から脱してください」と筆者が言っているのはこのことなのです。

歎異抄の呪縛から早く脱するべきです(2) 

 誤解しないでください。筆者は浄土系思想はすばらしい教えだと思っているのです。
禅も優れた思想なのですが、難解で、その教えを自分の血肉とし、いざという時の心の支えとするのは容易ではないのです。一方、法然の思想は、一見、簡単なのですが、それを心から信じることのできる人はごくわずかだと、筆者は思っています。つまり、浄土系思想も決して安易ではないのです。要するに、人間は自分に合ったものを選べばよいのでしょう。

 「弥陀の本願」について
 浄土教の根本経典である「仏説無量寿経」に説かれる、法蔵菩薩が仏に成るための修行に先立って立てた四十八の願のことで、その第十八願がとくに重要です。すなわち、
設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法
 ・・・もし私が仏となるには、すべての人々がまことの心をもって、深く私の誓いを信じ、私の国(極楽)に往生しようと願って、少なくとも十回、私の名(南無阿弥陀仏)を称えたにもかかわらず、(万が一にも)往生しないということがあるなら、私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪を犯す者と、仏法を謗る者は除くこととする・・・
というものです。すなわち、ここに「南無阿弥陀仏と唱えなさい」の典拠があるのです。

 筆者は以前、金沢の人と話し、たまたまこの「弥陀の本願」に及んだことがあります。その人は「この話を事実だと信じている」と言うので、大変驚きました。高等教育を受け、社会の第一線で活躍中の人でしたから。
 前述のように、筆者は浄土系思想をすばらしいと思っていますが、もちろん「弥陀の誓願」など、単なる「お話(フィクション)」だと考えています。法然もそうだったに違いありません。それは、唯除五逆誹謗正法の取り扱い方から明らかです。じつはこの一文は、古来、浄土系宗派の大問題だったのです。すなわち、五逆とは、父殺し、母殺し、仏陀を傷付ける、徳の高い僧侶を殺す、僧の和合を乱す。謗法とは、仏の教えを誹謗することです。「これらの大罪を犯した者だけは救済の対象から除く(唯除)」と言うのです。それがどれほどおかしいかは明らかですね。殺していけないのは父母ばかりではありませんから。
 浄土系思想の先達たちは、さまざまな「へ理屈(と筆者には思えます)」を付けて、この矛盾を「説明」しています。しかし、法然だけは、サラリと受け流しているのです。それは法然の著作を読めばわかります。にもかかわらず、このエピソードを事実だと信じている人がいたので、驚いたのです(金沢は加賀一向一揆があったことなど、親鸞にゆかりの深いところですから、ご当地のその人は疑ってもみなかったのでしょう)。
 
 しかし、たとえ自分が信じる宗教でも、盲信がいけないことは明らかですね。それでは自分の尊厳をないがしろにすることになります。自分の尊厳をないがしろにした宗教など、あってはならないのです。筆者は、ちゃんと唯除五逆誹謗正法についての法然の考えを確かめており、なおかつ浄土系思想のすばらしさを確信しているのです(その理由については、別の機会にお話しさせていただきます)。

○○さんにとって神仏とは

このコーナーでは、筆者が主に作家のみなさんにとって神仏とはどういうものかについてお話します。そして最後には筆者にとっての神仏とはについても付け加えます。

(1)加賀乙彦さんにとって神仏とは

 加賀乙彦さん(1929-)は作家。精神科医時代に出会った死刑囚たちを描いた小説「宣告」では、当然、信仰の話にも及んだ。その時、遠藤周作に「神はいないと疑っているようでは、無免許運転のキリスト者だね」と言われ、「グチャット頭を殴られた感じで何も書けなくなった」。現在、17世紀に日本人として初めてエルサレムの地を踏んだ、ペトロ岐部の生涯について執筆中。58歳で受洗。「洗礼を受ける直前、非常に気持ちが楽になり、ふわふわ漂う感覚になった神秘体験をした」。
筆者は加賀さんの信仰について、いささか疑問を持っています。遠藤周作さんの言う通りだと思いますから。

 筆者は作家の瀬戸内寂聴さんの神仏に対する考え方と、それからかけ離れた行動には不可解な点があります。さらに、同じく作家の津村節子さんと夫の吉村昭さんの、墓に対する考え方についても疑問を持っています(それらについては後ほど改めて述べさせていただきます)。その津村節子さんは吉村昭さんが亡くなられた後、喪失感に悩み、友人の加賀乙彦さんに相談に行きました。

津村さんの質問に対する加賀さんの答え:

津村さん:(亡くなられた)奥様にあちらで会えると思っていらっしゃいますか?
加賀さん:会える
津村さん:あちらの世界があると思っていらっしゃる?私はどうしてもそうは思えない
     んですけれども
加賀さん:あるかどうかわからない。わからないけれども、あるということに賭けなさい。人は”無限”が何であるか知らないけれど、無限が存在することは知っているでしょう。それと同じで、「人は神が何であるかを知らないでも、神があるということは知ることができる。信仰によってわれわれは神の存在を知り、天国の至福においてその性質を知るであろう(パスカルの「パンセI」より)」と。けれども、キリスト者は自分たちの信仰を理由づけることはできません。理由づけることができない宗教を公然と信じている。

筆者のコメント:なんとも歯切れの悪い対話だと思います。加賀さんは、なんとかして神の存在を信じよう、「信じている」としているようです。「(あちらの世界が)あるということに賭けなさい」とは!信仰は賭けでしょうか。ちなみに、「無限がなんであるか知らないけれど、無限が存在することは知っている」ことと、「人は神がなんであるかを知らないでも、神があるということを信じることはできる」ことには、論理学的には何の関係もありません。

 以前お話したように、筆者は神の存在を心から信じています。長年、生命科学の研究に携わってきた筆者はある時、「生命は神によって造られたに違いない」とありありと実感しました。筆者の神秘体験については、のちほど改めてお話します。

<(2)志賀直哉にとって神仏とは(評価の定着した故人については敬称を省略します)

柳宗悦にある人が「白樺の仲間で誰がいちばん宗教的か」と尋ねたところ、「そりゃ志賀だ」と言下に答え、皆が驚いたと、伝記「志賀直哉」を書いた阿川裕之が伝えています。志賀は「無神論者」として知られていたからです。このことについて志賀自身は「僕は宗教の本も読まないし、そういう勉強はしたことがないが、心にそういう要求は若い時から持ってゐたかもしれない」と答えています。「そういう要求」という、志賀直哉(1883-1971)の宗教的心情は、「虫のようなものに対しても、その命をとても大切にした」だったとか。素朴ではありますが、心の根源的部分でしょう。ちなみに志賀は若いころ、キリスト教無教会派の内村鑑三に傾倒していました。一時期放蕩を尽くし、性病にもかかった志賀には、内村のような「品行方正にはとても付いて行けない」と、内村に告白して離れたそうです。しかし、キリスト教入信の痕跡は、作家として立った志賀に、ほとんど残っていなかった。後に、「宗教といふ木は私に挿し芽されていて何年という時を経ったけれども、遂に根を下ろしてはいなかったかもしれません」と述懐しています。ある評論家は、「(柳の言う志賀の宗教的感情は)志賀作品の底にひそむ民族的古層だろう」と評しています。あるいはそうかもしれません。
 
 今日お話しするのは、志賀の徹底した「迷信嫌い」についてです。

 志賀直哉は32歳の初夏、群馬県の鳥居峠へ一人で行った。峠の頂上付近に何体かの石仏が並んでいるのを見て、「この石像を足で蹴倒し、そばにあった夏蜜柑大の石を叩きつけた」と、帰ってきて妻の康子(さだこ)さんに言ったそうです。「何かのために感情が昂(たかぶ)っていたためだろう」と、阿川は推測しています。話はこれからです。

 翌年の7月長女が生まれてわずか56日で夭逝し、さらに2年後、長男も生後3か月で死んでしまった。志賀自身も6年後、坐骨神経痛を患って大変な苦しみが始まり、8か月も寝込んだと言います。しかも痛むのは、お地蔵さんを蹴倒した右の足首から腰にかけてだった。康子さんが「祟りではないか」と恐れ、「人に頼んで石地蔵を供養してもらいましょう」と言ったところ、志賀は「絶対にそれをやったらいかん。神経痛は何時かは治る。石仏の供養などすれば、家族のものが『供養したために治った』と思うに違いない」と答えた・・・有名な話です。ちなみにその後、志賀は山手線にはねられて瀕死の重傷を負い、転地に行った城崎温泉で書いたのが、名作「城の崎にて」です。

 こういうことに関心のある筆者には、地蔵さんを蹴倒すなど、体が震えるような恐ろしいこと、としか思えません。お地蔵さんは多くの場合、不慮の事故で亡くなった子供の供養のために建てた、親の切実な「想い」が籠っているのもなのです。人間の「想い」の宗教的・霊的意味については、またいつかお話します。

 読者の皆さんは、志賀の宗教心をどうお考えでしょう。

(3)津村節子さんにとって神仏とは

 以前のブログ「〇〇さんにとって神仏とは」の中で、作家の加賀乙彦さんにとっての神仏とはについてご紹介しました。そこでは、同じく作家の津村節子さんや夫君の故吉村昭の、墓についての考え方についても触れました。今回はその続きです(評価の定まっている故人については敬称を略します)。

 津村節子さんの、「愛する伴侶を失って」(集英社)での加賀乙彦さんとの対談から(津村さんの質問に対する加賀さんの回答については前回ご紹介しました):

 夫である吉村昭を亡くした津村節子さん(1928-)は、その深い喪失感から、四国遍路に出掛けた。仕事を抱えていたので、ジャンボタクシーで一番の霊山寺から二十九番国分にまで4泊5日。それでも気持ちの整理が付かず、思い余って作家仲間であり、クリスチャンでもある精神科医加賀乙彦さん(1929-)を訪れた。加賀さんもそれ以前、夫人を亡くされていたこともあったからだ。

 津村さんの言葉:「吉村は生前、先祖が代々住んできた静岡県富士市の旦那寺の住職と大喧嘩して、『死んでしまえば霊なんかない、焼いてしまえばカルシュウムなんだから、もう俺はあの寺には入らない』と言って寺と絶縁した。そして({しかし}ではないでしょうか:筆者)、セカンドハウスのある越後湯沢の町営墓地に墓を建てた」そして、『墓参りに来た人はそこで一緒に飲んでくれ』と言った。私(津村さん:筆者)も死んだら無になると思っている。私も湯沢へ墓参りに行っており、私も(吉村の遺志で)そこへ入ることになっている。家には位牌は無い。写真を飾って、毎朝デミタスカップでコーヒーを供えている」

 筆者のコメント:「死んでしまえば霊なんかない」と言っていた吉村昭が墓を建て、「墓参りに来てくれた人はそこで一緒に飲んでくれ」とは!しかも、津村さんも「私もそこへ入ることになっている」と。さらに、(次回お話しする)加賀乙彦さんとの対談で、「あちらの世界があるとはどうしても思えない」と言っている津村さんが、四国遍路に行くとは!しかもジャンボタクシーで4泊5日。ほとんど四国巡礼のまね事ではないでしょうか。筆者も四国巡礼には深い関心を持っていますが、長くて苦しい徒歩での旅を続ける間に、さまざまに考え、本当の自分に気付くのが、「正しいあり方」ではないでしょうか。したがって、ここでご紹介した吉村・津村ご夫妻は、建前と本音があまりにも違うと思いますが、読者の皆さんはいかがでしょうか。

(4)筆者にとって神仏とは

 読者から質問がありました。「あなた(筆者)にとって、神はどんなイメージですか」というものです。
 以前、このブログで、「生命は神が造られたとしか思えない」と書きました。40年に亘って生命科学の研究をしてきた筆者の実感です。今度の質問は、「それはわかったが、あなたにとって神とはエホバのような存在か」という意味でした。なるほど、神のイメージは人さまざまでしょう。エホバ、ヤハウエ、アッラー ・・・筆者にとって神とはそのような人格神ではありません。眼には見えないが、まぎれもなく実感する存在です。
 ある西洋のクリスチャンが、「『神はとは○○だ』と定義するのは間違だ。いかなる定義も神のみわざを限定することになるからだ」と言いました。その通りだと思います。

 よく、新興宗教の教祖などが、「神の姿を見た」とか、「神の声を聞いた」と言います。しかし、「神と人間の関係は、人間とウイルスとの関係のようなもので、両者の間は隔絶しており、神を見たり聞いたりすることなどあり得ない」と、ある人(かなり修行を積んだ霊能者です)書いていました。筆者も同感です。
 
 じつは、姿を見たり、声を聞いたりした「神」は、じつはもっと低位の存在、たとえばその人の守護霊や、あるいは過去生の自分自身であることがほとんどなのです。とくに注意しなければならないのは、神と称する狐狸の霊だったりすることさえあることです。確かにそれらの霊は、ある程度の霊能力を持っていますから、それを体感して「神とコンタクトできた」と大喜びする人もいます。しかし、それは大変危険なことで、低級霊を信じるということは、それらの眷属(部下)になることなのです。人間が狐狸の部下になるなど、誇りも何もあったものではありませんか。

 ときどき仏像彫刻や陶器製の神像を買ってきて拝む人がいます。また、どこかの土産物店で手に入れた大仏像などを次々に仏壇に収めている人もあります。それらも決してやってはならないのです。下手にそういうものを礼拝すると、「ここに入れば毎日拝んでもらえるわい」と仏像や神像に入ってくる低級霊もいるのです。

 神社や村の祠には、祟りを恐れて祀っているモノも少なくないのです。大宰府天満宮や、東京丸の内の将門塚など、その例です。菅原道真や平将門の怒りを鎮めるために祀っているのです。そのことも十分に考えた上で礼拝することをお薦めします。

 「触らぬ神に祟りなし」と言います。一般には「あの人はうるさいから近づかないでおこう」と解釈されています。しかし本当は、「下手に『神』を信仰すると、とんでもない障りがあることがある」という意味なのです。明治の大神道家本田親徳翁が言いました「最も確かな信心の対象は、産土神(自分の生まれた場所、あるいは、いま住んでいるところの神)だけだ」と。傾聴すべき言葉だと思います。