クオリアー茂木健一郎さん(1‐3)

1) 今回は「人の感覚や意識は脳科学で説明できるか」についてお話します。筆者のテーマと深い関係があるからです。

 茂木健一郎さん(1962~)は、とても有名な人ですね。茂木さんの「クオリア(註1)」や、「アハ体験(註2)」説は多くの人が聞いたことがあるでしょう。東大理学部・法学部(英米法)卒の、多才な人です。著書には「脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか」(講談社学術文庫2019)など。

 たしかに、「きれい」と感じる感覚や「ひらめき」は、たんに視覚や痛覚のような脳の神経活動とはまったく違うもののようです。あるいは別のメカニズム(脳の働き)によるものかもしれません。C・A・ルイスはそれをクオリアと名付けたのです(下記)。クオリアばかりではありません。「好き・嫌い」、「すばらしい」、「美味い・不味い」とかの感覚は人間だれでも持っているものですが、そのメカニズムについては、ほとんどわかっていません。人間の意識というものが、脳神経の活動とどういう関係にあるのかも重要な課題ですが、それについてもほとんどわかっていないのです。ことほどさように、脳の科学は未開拓の分野なのです。

 茂木さんがクオリアやアハ体験に着目したのは高く評価されます。ただ問題は茂木さんの独創性についてです。筆者も含めて、多くの人がクオリアやアハ体験は、茂木さんの独創的概念だと認識していたと思います。しかし違うのです。その事情をSF作家の瀬名秀明さん(1968~)が一刀両断しています。

・・・・「クオリア」「アハ体験」「1回性の人生」などは、別に茂木(健一郎)さんがつくった言葉ではないし、茂木さんが初めて言い出したことでもない。でもあたかもそれらを自分で考えたかのように語ることで、茂木さんはポピュラリティ(知名度:筆者)を獲得した。読者は作家が自分の言葉で語っていると思い込みたいものなのだ。誰かの引用など読みたくないわけである。茂木さん自身はこのことについて何のコメントもしていない。だから少なくとも科学者としてウソはついていない。さて、茂木さんは自分を欺いているかどうか? それはわからないが、茂木さんはペルソナ(見てくれ:筆者)を使い分けていると思う。そして少なくとも一部の読者を誤解させていると思う・・・・(http://news.senahideaki.com/article/39094472.html

筆者のコメント:調べてみましたが、そのとおりで、上記のようにクオリアやアハ体験は茂木さんの独創ではなかったのです。そして瀬名さんの言う、「茂木さんは、あたかもそれらを自分で考えたかのように語っている」には筆者も同感です。ただ、茂木さんは、テレビ、雑誌、インターネットなど幅広いジャンルで活躍しているため、 ついつい説明が後回しになっているのでは?正しくは「クオリアをキーワードとして脳と心の関係(心脳問題)についての研究を行っている」でしょう。ただし、学術誌に肝心の研究論文がほとんど出ていませんので、研究者として評価するのは難しいでしょう(わずかに2つ。その一つを読んでみましたが、独創的な部分はないようでした)。茂木さんによると「現在休業中」)。溢れる才能で頭の中が放電状態になっているのかもしれません。

註1クオリアとは:「きれい!」とか「すてき!」というような人間の知覚で、1929年、哲学者C・A・ルイスが言い出した言葉です。

註2アハ(Aha)体験:「ひらめき」のこと。ドイツの心理学者カール・ビューラーが提唱した心理学上の概念。(次回に続きます)

2)茂木さんのことを鋭く批判している人がもう一人います。大槻義彦さんです・・・・。そうです。20年ほど前、「目に見えない世界はあるか」の関連番組に、反対派の旗頭としてよく出ていた人です。以下、言い回しだけは筆者の一存で穏やかなものに変えました。大槻義彦さん  茂木さんがスピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんと2006年に『新潮45』別冊『ANOYO』で「脳とスピリチュアリズム」と題した対談を行ったことことについて、「これは江原のイカサマに免罪符を与えているだけでなく積極的に江原イタコを科学的に保障する役割を果たしていることになる」と述べ、「茂木氏はオカルトを信じたり、サポートしたりしているが、科学者としてはあるまじきこと」、「脳科学者の肩書を返上すべき」と批判した。  クオリアについても大槻さんは「脳科学の分野の一つではない。なぜなら定義されていないからだ。質量、温度、長さなどの単位を持たず、測定ができない」と述べている。大槻さんは「科学は物質・物体の存在、つまり実在と不可分」であるとし、「実在でないもの、つまり仮想的なものを研究するのは科学者ではない。茂木氏はこの意味で科学者ではなく、文芸評論家、宗教評論家、よく言えば心理学者である」と評している(「いまやオカルト研究者?!脳科学者・茂木健一郎へ噴出した批判(月刊『テーミス』2008年6月号)。

 筆者のコメント:i)相変わらず厳しい発言ですね。ことに霊能者の江原啓之さんを「江原イタコ」とは!筆者は江原さんの本はほとんど読んでいませんが、霊能者としてまちがっているとは思っていません。したがって、江原さんについての茂木さんの評価を「科学者としてあるまじきこと」とするのは誤りだと思います。理由は以下に示します。

ii)たしかにクオリアやアハ体験についての研究は測定できないのは事実です。しかし、「測定できない」からといって「事実ではない」とは言えません。雷の存在は人類誕生以来誰でも認める事実でしょう。しかし、G・ワシントンによって電気であることを証明されたのはずっと後の1770年代です。それまではたんに測定する方法が無かったに過ぎません。ちなみに大槻さんもその研究者の一人です。

iii)大槻さんが茂木さんを「脳科学者ではない」と断言するのはいかがなものでしょう。現にアメリカでは霊的現象を研究する人は、立派に科学者として認められています。茂木さんはクオリア現象を科学的に検証する方法を模索しているのでしょう。ただ、筆者が気になるのは茂木さんはこの問題に関するちゃんとした研究報告を出していないことです。この意味で「科学者ではない」と言われても仕方がないと思います。

3)筆者は「悟りとは神とつながる本当の我と疎通する状態」と考えています。本当の我は仮定ですが、筆者にとっては確実な存在です。そして「意識」とも関連し、脳神経活動とは別のものと考えています。そういう意味で、「クオリア」や「アハ体験」は、筆者のこの考えと密接に関わっています。そこでこの問題をさらに深く考えてみます。

 以前のブログ「意識はどこから来たのか」(2019・6・13)で、

 ・・・・意識・・・たしかに不思議な現象ですね。その実体について現在二つの考え方があります。一つは、あくまで生物的な現象だとするものです。すなわち、脳の神経ネットワークが一定以上に発達すると意識が生ずるというものです。ジュリオ・トノーニ教授(1960~米ウイスコンシン大学精神科医)は、2004意識の統合情報理論を発表している。統合情報理論では、物質としての脳からどのようにして主観的な意識経験(クオリア)が生じるのか、これを情報理論における情報量の観点から理論化している。アメリカの神経科学者クリストフ・コッホは、トノーニの統合情報理論に関して「意識についての、唯一の真に有望な基礎理論だ」と2010年に述べています。この考えは、次にお話する「意識は魂に由来する」という考えが進んできた現在でも根強いものがあるのです。そのこの考えの延長上に「AI(人工知能)は人間の知能に迫れるか」の問題があります。

 一方、「意識は魂に由来する」という考えは、「人間の意識は肉体の意識と魂の意識が重ね合わせたものだ」とするものです。肉体の意識とは、私たちの思考や感情、つまり、考えたり、泣いたり喜んだりする心の動きです。魂の意識とは、生まれる前からあり、死ねば肉体から離れ、一旦霊的世界に移ったのち、別の人間が生まれる時そこへ入る意識、つまり輪廻転生する意識です。何度もお話しましたが、人間では肉体の意識にこの「神につながる魂」が重ね合わさっています。そして両者は影響を及ぼし合っているのです。たとえば、肉体意識が悪感情を起こしたり、強い怒りを発すると魂を傷付けるのです。人間にはどんな状況でも決して言ってはいけないことがあるのはそのためです。逆に、魂は人間の意識に影響を与えます。芸術家や優れた作家が「パッ」と良い考えが浮かんだりするのは、神界への通路が開き、神の知恵が魂を通じて肉体の意識に流れ込んできたためだ、と筆者は考えています。しばしば、あるいは常に魂への扉が開いているのが天才というものでしょう。悟りもそういう状態だと思います・・・・。

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