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霊は存在するー東日本大震災のケース

 「神が存在することを証明してくれたら宗教を信じる」と言う人は多いようです。しかし、そもそも神は証明できるような存在ではありません。また「神とは」のいかなる定義も超越しています。筆者は生命科学の研究者として生きてきましたが、あるとき「生命は神が造られた!」と直観しました。貴重な体験でした。しかし、「神の存在を証明してほしい」という人たちの気持ちもよくわかります。そこで今回は霊的世界が実在することの具体例をお話します。以前、筆者自身の霊的体験についてはお話しました。筆者が属していた神道系の教団では、霊が存在するかどうかなど問題にならないほど、ごく日常的なことでした。筆者自身もイヤというほど体験しています。今回は東日本大震災での多くの人が体験した霊について、その一部をお話します。

 東北大震災で2013年8月に放映されたNHKスペシャル「亡き人との再会・被災地三度目の夏に」で、4つの例が生々しい証言をもって放送され、多くの反響を呼びました。

 例その1)震災で3歳の長男を亡くした遠藤さんは、その後も息子がそのまま生きてそばにいる気配を感じていたそうです。ある日、食事の支度が整ったので「○○ちゃんもこっちで食べなよ」と言ったところ、部屋に残してあった子供用自動車のアンパンマンの警笛が突然、ぴかぴか光って「ブ-ブ-」と鳴ったそうです。

 例その2)車で被災地を通った人が、薄闇の中で、元スーパーがあった場所にたくさんの人が並んでいるのを見た。

 例その3)車で走っていると、薄暗がりから人が出てきたので止まると、「僕は死んだんでしょうか」と聞かれた。

 例その4)(毎日新聞の報道)千葉仁志さん(37歳)は、お姉さんを津波で亡くしました。ところが10日ほどしてから、親戚の男性から「大丈夫だったんでしょ」と言われたそうです。驚いて確かめると、震災の翌日その男性がいた避難所に姉が同僚3人と手をつないでやって来て「稲渕(千葉さんの実家)は大丈夫?」と聞いた。一家の無事を伝えると「良かった」と言って去ったそうです。

 例その5)タクシーの運転手さんが、たしかに客を乗せ、帳簿に記録までしたのに、出発しようと後ろを振り返ると誰もいなかった(こういうケースを集めて卒業論文にまとめた学生がいます)。

 いずれのケースも昼間や夜早い時間の出来事で、夢ではないことはいうまでもありません。こんな話はいくらでも報告されています。東日本大震災は、霊的体験の問題をNHKや有力新聞で、なんどもニュースとして取り上げられた点でも画期的なことでした。

 霊的世界は、神界とは比較にならないほど低位にあります。ただ、隔絶したものではなく、連続しています。また、神と言っても最高神より低位の神もあることも事実です。筆者は龍神とコンタクトしたことがあります。憑依されたと言ってもいいかもしれません。それこそ「ギリギリ」と締め付けられる強烈な体験でした。筆者自身が龍神と分かったわけではなく、あまりの苦しさに駆け付けた教祖の言葉でした。

澤木興道師(1-3)禅語「谿声山色」「諸行無常」「悉有仏性」

澤木興道師(1)禅語 谿声山色

 筆者のブログを読んでいただいている人の中には、かなり踏み込んで禅を学んでいる方もいらっしゃるようです、そこで、今回はもう少し立ち入った話をさせていただきます。

 澤木 興道師(1880 – 1965)は、昭和を代表する曹洞宗の名僧と言われています。自分の寺を持たず、清貧を旨とし、ひたすら仏教の教えを説いて回り、「本来の仏の心に戻れ」と説き続けた人です。もと駒澤大学教授。内山興正師、西嶋和夫師、村上光照師など、多くの人に影響を与えました。西嶋師や村上師などは、澤木師の影響で人生の方向を変え、出家したほどです。
 しかし、筆者には師が釈尊や道元の思想を正しく理解していたとは思えません。その理由を、澤木師が、
 ・・・世界の人がたった一つの信仰をするというのなら、これにしてもらいたい。そうしたら世界中の人が、一切文句がなくなると確信している(註1)・・・
と絶賛する道元の「正法眼蔵・谿声山色巻」を題材にして、述べてみたいと思います。

(註1 筆者は、そもそも、道元の思想は「正法眼蔵」のうち「現成公案編」に集約されていると思います。前著「禅を正しく、わかりやすく」(パレード社)でも述べましたように、「谿声山色」を含む他の巻は「現成公案編」の解説にすぎません。澤木師は「現成公案編」の重要さがわからないまま、下記のような解釈をしているのだと思います。)

それはさておき、澤木師は著書「正法眼蔵講話‐谿声山色」(大法輪閣)で、道元の「正法眼蔵・谿声山色巻」の一節、
「恁麼時の而今(いんもじのにこん)は、我も不知なり、誰も不職なり汝も不期(ふご)なり、仏眼(ぶつげん)も覰不見(しょふけん)なり。人慮(にんりょ)あに測度(しきたく)せんや」を、

・・・眼が開けさえすれば、別に何もことさらに知ることは要らない。それは別に勉強して、書物で調べるということでもなければ、聞いて知ったんでもない。つまり現なまの全体をいずれにも曲げられないで見ることである・・・

と解釈しています。また、「山色の清浄身にあらざらん、いかでか恁麼ならん」を、
・・・山色が清浄身であり、渓声が広長舌であるから、桃の花を見てかくのごとく道を明らめ得られるのである(註2)。「恁麼」というのはかような道理と言うことであって・・・
と解説しています。しかし、これらはおよそ的外れの解釈です。明らかに澤木師は「恁麼(註3)」や、「而今」の意味をわかっていないのです。これらは禅を理解する上でのキーワードです。「而今」の意味は別のブログですでにお話しました。「恁麼時の而今」の正しい意味は、
 
 ・・・「空」すなわち、「一瞬の体験」にあっては、「〇〇である」と判断することなどできず、「恁麼すなわち、なにかあるもの(を体験した)」としか言いようがない・・・

という意味です。道元のこの巻の冒頭に突然「恁麼時の而今」が出て来るのは、「空とは体験である」という思想が「正法眼蔵」の主旨だからです。「恁麼」や「而今」の意味がわからないことは、道元の思想そのものがわかっていないということなのです。
 
「山色の清浄身にあらざらん、いかでか恁麼ならん」の正しい解釈は、

 ・・・谿声山色(谿川の音や山のありさま)が仏の清浄な姿でなければ、どうして空、すなわち体験を『なにかあるもの』と言えようか・・・

です。
 
 澤木師はまた、「しるべし、山色谿声にあらざれば、拈華も開演せず」を、

・・・山色谿声の道理は全宇宙イッパイということで・・・(中略)・・・宇宙イッパイが仏である・・・(中略)・・・しかし、その門口のところに、もしゃもしゃしている我痴、我見、我慢、我愛のこの煙幕を取れば谿声山色そのまま法性真如であり正法がそのまま実相である・・・

と解釈しています。澤木師も「谿声山色」を「谿川の声、山のたたずまいが、そのまま仏法の表われだ」と解釈してます。ちなみに「宇宙イッパイ」とか「宇宙とヒタ一枚」が澤木師の常套句です。弟子たちもよく使う言葉です。紙数の制限からくわしい検討は省きますが、要するに澤木師の思想のエッセンスは、
 
・・・我欲を捨てなさい。地位や財産、美醜などのこの世の価値は仏道とは何の関係もない。それらから離れれば仏、すなわち全宇宙と一体(宇宙イッパイ)になれる。谿声山色はそのまま仏の姿である・・・

でしょう。つまり、道元の「谿声山色巻」は一見、澤木師にとって、その思想を述べるのに好都合だったのでしょう。しかし、それでは仏教の通俗的解釈になってしまいます。道元がそんな通俗的な解釈をするはずがありません。そもそも谿声山色の解釈がまちがっているのです。その理由は次回お話しますが、端的に言いますと、ここでも道元は「空」の理論を説いているのです。
「拈華微笑(註4)」の意味は、どの本を読んでみても「以心伝心」と書いてありますが、じつは「空」を表わしているのです。なぜ道元の「谿声山色巻」で「恁麼」とか、「而今」とか、「拈華微笑」など、「空」を表わす言葉がつぎつぎに出て来るのか、そこを読み取らなくてはいけないのです。

註2 霊雲志勤禅師が桃の花を見て悟った有名なエピソード。「谿声山色巻」でも道元が紹介しています。
註3「恁麼」とは、「なにかあるもの」の意。宋の俗語と言われています。
註4 拈華微笑(拈笑華微 ねんしょうかび、とも)。文献にはなく、後に誰かが禅宗を箔付けするために創作したエピソードとも言われています。筆者も同感です。じつはよく禅の本質を突いているのです。

澤木興道師(2)禅語:「諸行無常」

 このシリーズでは、さまざまな禅語について、澤木師の解釈と比較しながらお話しています。他人の説を批評するのは本意ではありませんが、比較しないと筆者の考えもよく伝わらないと、あえて澤木師を対照として取り上げさせていただきました(以下「禅を語る」《大法輪閣》から。なお、この本は澤木師の講演を筆録したものですから、文章としての不完全さには甘んじなければなりません。澤木師は寺を持たず、清貧の生涯を送った人です。それゆえ多くの人々の共感を呼び、全国各地に招かれて講演しました)。澤木師の思想のエッセンスは「我執を捨てれば仏と一体(宇宙いっぱい)になる。坐禅をすれば仏になる」でしょう。

 澤木師は、仏教用語我痴の意味を説明するのに「正法眼蔵・現成公案巻」の一節、

「仏道をならふといふは,自己をならふなり。 自己をならふといふは,自己をわするるなり。自己をわするるといふは,万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり・・・」を引用して、

 ・・・「おまえは何だ」と言われて、何だかわからん・・・偉そうな顔をしてまわりに言うて聞かせているけれども・・・。下役に怒っている重役さんでも、自分がわからん.分からんと言うのは、自己の仏性が分からん。仏さんとちっとも違わんということが、はっきり分からん・・・

と説明しています。明らかに澤木師はこの一節を「どんな人にも仏性があることを自分自身は分からない(我痴)」と解釈していますが誤りです。じつは、ここでも道元は「空」理論の説明をしているのです。すなわち「自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」とは、「純粋経験にあっては見る自己も見られているモノ(他己)も無くなる」という意味です。

 また、「色にあらず、また空にあらず、楽しみもなく、また愁いもなし」の詩を、

・・・色といえば有形なる物質ですよ。空といえば何もないことですよ。楽しみがあって、楽しみがなくなるのが愁いですよ。だから、楽しみがあれば、それがなくなるのが愁えだから、それもやがて・・・(中略)・・・愁えのくる元が楽しみですよ・・・

と言っています。「空といえばなにもないことですよ」とは!なんども繰り返しますが、「ある」とか「ない」の問題ではないのです。拙著でも述べたように、「空」は、日本語ではどうしても「からっぽ」とか、「空虚」のように受け取ってしまうため、「なにもない」と解釈してしまうのでしょう。「空」と「無」をどう区別するかを、わが国の僧侶達は古くから頭を悩ませてきたのです。いや、悩ませてきたのならまだいいのです。悩みもせずに言葉そのままに弟子たちに伝えてきたのでしょう。それにしても澤木師は「空」の意味がまったくわかっていない、としか言いようがありません。「空」の意味がわかっていなければ、禅がわかっていないということです。 

 澤木師はさらに、

・・・(「証道歌(註5)」には)「諸行は無常にして一切空なり、すなわち是如来の大円覚」とあって、無常ということは味気ないことで、この味気ない瞬間に永遠の道を解決するのである・・・

と言っています。
澤木師が「無常」を「無常観」、すなわち虚無的なものと解釈していることは、「私は日露戦争に従軍して・・・わずか一昼夜の戦闘で・・・わずか一里もない狭いところで六千の死傷者を出したのを見て無常を感じた」と述べていることから明らかですね。「諸行は無常にして一切空なり」も、およそ澤木師の言うような意味とは違います。江戸時代以降、現代に至るまでのほとんどの僧の解釈そのままです。つまり「諸行」とは「すべてのモノゴト」、「無常」とは言葉どおり「常ならぬ、つまり一瞬」の意味、つまり、「諸行は無常にして一切空なり」の真意は「すべてのモノゴトは一瞬の体験である」です。

(註5 永嘉真覚(665-713唐時代の僧)の著。六祖慧能の法を一晩で嗣いだと伝えられています。證道歌は独特の韻を踏んだ247句1814文字より成る偈頌。澤木師自身による訳書があります。)

 澤木師はさらに道元の、「まさに正法にあはん(会わん)とき、世法を捨てて、仏法を受持せん。つひに大地有情とともに成道するをえん」を、

・・・正法が現成したならば、世法の利害得失、生まれる、死ぬる損得、禍福、吉凶、これらはみな世法である。この世法を捨てて仏法を受持するときは己を捨てて法ばかりになるんじゃから、己というものが忽然としてなくなれば、宇宙一ぱい、だから大地有情とともに成道することをえん。こういう請願を起こすのである・・・

と解釈しています。この解釈は誤りです。道元の真意が「世法の利害得失、生まれる、死ぬる損得、禍福、吉凶」などの卑俗なことにあるはずがありません。「正法眼蔵」は道元の格調高い哲学、すなわち、「革新的なモノゴトの観かた」を伝えているのです。澤木師はけっきょく、自説「この世の価値に執着する自我を離れよ」と結び付けたいのでしょう。道元の思想は、そんな下世話な考えとは次元が違うのです。
この一節の真意は、

 ・・・正しいモノゴトの観かたに出会ったとき、それまでの考え方(世法)を捨てて、仏法(正しいモノゴトの観かた)に従おう。そうすれば自分だけでなく、そういう観かたで把握された自然(モノゴト)のすべてが正しく、あるべきように姿を表す(現成する)のだ・・・

です。ちなみに「大地有情とともに成道する」は、禅でよく言う表現です。「モノゴトの体験によって初めて、観られるモノ(他つまり大地有情)が現われ、観られたモノが現われたことで、観た者の存在が証明される」という意味です。そして、「体験そのものだけがあり、そこには自も他もない」のです。「体験の主観的部分が私、客観的部分がモノ」なのです。「モノが現れる」と言いながら「モノはない」と言っていますが、これらの文章は矛盾していないのです。それらが「自他一如だ」、これが禅の要諦です。

澤木興道師(3) 禅語「三界唯一心、心外無別法」「悉有仏性」

澤木師はまた、

・・・仏教には「三界唯一心、心外無別法」ということばがある。三界唯一心、つまりすべてのものはみんな心で、現実にあるのか、ないのかわからない。あるのか、ないのかいうのはわかりゃせぬ。われわれの心でみな作っているのだ。自分にとっていい世界、悪い世界というのを、めいめいが自分で作っている・・・

と言っています。「三界唯一心、心外無別法」というのはやはり道元の思想の根幹に触れる言葉です。しかし澤木師の言うような意味とは異なります。澤木師はすぐに「いい」とか「悪い」の問題にしてしまいます。禅思想では、「三界唯一心、心外無別法」を「唯仏是真」とも言い、「正法眼蔵」や、「永平広録」などの道元の著作や、各種の「公案集」の随所に出てきます。「心の働きであるモノゴトの体験こそ、真の実在である」という意味なのです。「心」を澤木師のように解釈してしまうのが麻薬宗教の「麻薬」たるゆえんでしょう。澤木師が、麻薬宗教から一歩も出ていないことは、これらの証拠から明らかです。

澤木師はさらに、

・・・涅槃経の中には「悉有仏性(しつうぶっしょう)」という。だれでも仏さんとちょっとも違わず。法華経というものの中には「諸法実相」と。実相ということは般若ということで、般若の知恵ということで、一切のものがなんの差別もない、みんな平等なんじゃ。学問があろうがなかろうか、金があろうかなかろうか、器量が好かろうか悪かろうが、皆ことごとく諸法実相じゃ・・・(中略)・・・この実相でないものは、世界に何にもない。これがすなわち仏法というものですよ。誰でもみんな仏さんとちっとも違わない。自分のすることが皆これ仏様の行である。この仏様の行はだれでも出来る。それは、合掌すれば仏様と一枚になる・・・

少し引用が長くなりましたが、これが澤木師がいろいろな場所で、繰り返し説いた思想の骨子であると思われ、紹介しました。「悉有仏性」を澤木師が文字そのままに「すべての人には仏性がある。本来は仏である」と理解しているのは明らかですね。「悉有仏性」はそういう意味ではないのです。「悉有仏性」をそんなふうに解釈しているのは、親鸞など、浄土系の人々であり、同時代人である道元は、その解釈を「永平広録」で厳しく批判しているのです。すなわち道元は、はっきりと「悉有は仏性である」と言っているのです。「すべてのものが仏性(仏の法則)に従う」、つまり、「宇宙に存在するすべてのモノ(悉有、禅ではよく山河大地と表現します)や現象を、人がモノゴトとして体験することが真の実在だ」という意味なのです。「諸法実相」についても、澤木師はまちがって解釈しています。正しい意味は、「(釈尊が見つけた)正しい観かたで観たこの世のすべてのモノゴトこそ、真実だ」という意味です。

 筆者が尊敬する橋田邦彦先生(元東京大学医学部教授・文部大臣)は、澤木師とほとんど同時代の人です。もちろん、澤木師のことは知っておられたでしょう。しかし、橋田先生はそういう専門家たちの著書を一切無視して、独自に「正法眼蔵」の解読を試みました。私たちもその理由を考えなければなりません。へたに弟子になれば、師の影響を受けないはずがありませんから。あの良寛さんも曹洞宗出身ですが、そこを飛び出した人なのです。澤木師の弟子村上光照さんは、論理を一切離れ、修行専心の生活を送っておられます。

禅語(3)而今(にこん)

禅語(3)而今(にこん、今ここに)

 作家の中野孝次さん(1925-2004)の座右の銘が「而今」でした。 禅を学ぶ者にはなじみの言葉ですね。これまでほとんどの禅師や仏教研究家がその意味を、
 ・・・過去はもう過ぎたのでこだわるな。未来はまだ来ないので心配するな。今を大切に、今だけのことを考えなさい・・・
と解釈しています。しかしこの言葉の真意はまったく別なのです。
 
 このホームページで「空とは見る(聞く、嗅ぐ、味わう、触る)という一瞬の体験だ」とくりかえしお話しています。今回のブログはそれに関連するものです。それを念頭にして「而今」の意味を考えてください。この言葉の本来の意味は、「体験(現象)が起こるのは、今ここでの一瞬であり、ものごとはその時だけ現われる」です。生きている間に次から次へと一瞬の体験(現象)が続くのです。当然ですね。まさにそうとしか言いようがありません。道元も「正法眼蔵・現成公案編」で、

 ・・・たきぎ(薪)はひ(灰)となる。さらにかへりて(返りて)薪となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさき(先)と見取すべらかず。知るべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後際断せり。灰は灰の法位に住して、後あり先あり。かの薪、灰となりぬるのち、さらに薪にならざるがごとく、人の死ぬるのち、さらに生とならず、しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆえに不生という。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。これゆえに不滅という。生も一時のくらゐ(位)なり、死も一時の位なり、例えば冬と春との如し。冬の春となるをおもはず、春の夏となるといはぬなり・・・

(筆者訳:薪が燃えて灰になるとか,薪は先、灰はのち、生きているものが死ぬ、と考えるのは普通の見方である。しかし正しい観方によれば、薪とか灰とか云う物があるのではなく、「私達がそれらを観る」という体験そのものがあるだけで、それが真の実在なのだ。だから、薪を観る体験も、灰を観る体験も、その一瞬、「今」だけだ。その時が過ぎればそれらの体験が直ちに消えるのは当然だ。だから生とは、一瞬一瞬の「今ここ」の生(なま)の体験の連続であり、死も同様の体験なのだ。つまり、死と生とは別の体験なのだ。春は春の体験、夏は夏の体験と同じことだ)

と言っています。なかなか難しい言葉ですが、要するに、
 ・・・見る(聞く・・・)という、今、ここの一瞬の体験にこそモノゴトの真実が現れるのです。過去は消えた、未来もない。あるのは今この一瞬だけなのです。「生き方」の問題などではなく、事実そのものを言っているのです。事実の正しい認識があってこそ、生き方の指針も道徳も成り立つのです・・・

これこそ而今(いま、ここ)の正しい意味なのです。

 これまで、ほとんどの禅師や仏教研究家が上記のような解釈をしていました。それがどれほど多くの人が禅を学ぶ上での障害になってきたかわからないのです。「禅はわかったか、分からないかの世界」とはこういうことなのです。

地獄を見た人は神に出会う(1,2)

地獄を見た人は神に出会う(1)

 「神の存在を信じられるかどうか」が、信仰の一つの分かれ目になっているようです。「神も仏もあるものか」と、大病のあまりのつらさに叫んだ瀬戸内寂聴さん、東日本大震災の惨禍を目撃した釜石の僧侶芝崎恵應さんは論外です。ただちに仏の道を説くのを止めるべきでしょう。そんな資格はありません。
 筆者がここでお話しているのは、もっと真摯に神仏を求めている人たちのことです。「神が実在することが実感できないから、今一つ信仰の道へは入れない」とか、「神仏が実在することを証明してくれたら信仰に入る」と言う人は少なくありません。筆者もある人から直接そう言われたことがあります。その人たちの気持ちはよくわかります。現代でさえ、いわゆる淫祠邪教はいくらもあるからです。財産をすべて剥ぎ取られ、その団体の雑役夫になっている人は数限りなくいます。もちろんこれらも今回のお話の論外です。

 しかし、死ぬほどの苦しみに出会った人は、じつは神のすぐそばに居ることに気が付かなければなりません。願ってもないチャンスなのです。瀬戸内寂聴さんや芝崎恵應さんは、この貴重なチャンスを自ら放棄してしまったのです。筆者はある人が、長い苦しみの果てに信仰の真髄を得たことを知っています。その間の心の遍歴を書いたお手紙を読んで感動しました。キリスト教を通じてでした。
 キリスト教や仏教がなぜ現代の日本人にすなおに受け入れられないのか。仏教に関しては、これまでその病根についてなんどもお話してきました。キリスト教についても、ほとんどの人はたんなる生活習慣の一部になっているに過ぎないでしょう。浄土の教えやキリスト教はすばらしいのですが、そのほんとうの良さがわかっていない人が大部分なのです。

 佐藤初女さんをご存知でしょうか。弘前市で自宅を開放し、重い病気や家庭内の不和、事業や受験の失敗など、さまざまな悩みを抱えている人たちを受け入れ、心のこもった食事を提供して来た人です。自殺を考えている時、知人から「だまされたと思って行きなさい」と諭され、訪れた人もいるそうです。後に多くの支援者の協力により、車で一時間の岩木山の麓に「森のイスキア」という施設を建て、悩める人たちの心の支えになりました。佐藤さんは敬虔なキリスト教信者で、信仰に裏付けられた活動でした。「でした」と過去形で書きましたのは、惜しくもつい先月亡くなられたからです。94歳でしたからその人生の尊さは十分果たされたでしょう。

 佐藤さんは17歳のとき結核に掛かり、じつに17年間もの闘病生活を送りました。青春のすべてが病苦との戦いだった、と言ってもいいでしょう。しかし佐藤さんは、「神も仏もあるものか」の方向へは行かず、一生掛けてキリストの教えを体現したのです。「地獄を見て神に出会った」のですね。
 ここに真の信仰者のすごさがあります。この佐藤さんの活動を聞いて、「神が存在する証拠を見せてくれたら信仰する」と言う人たちはどう感じるでしょう。佐藤さんの生きてこられた道のりは、神は見えなくても聞こえなくても実在されることの、なによりの証拠ではないでしょうか。

地獄を見た人は神に出会う(2)
 前回お話した佐藤初女(さとうはつめ)さんは、17歳のときからじつに17年間も結核を患った人です。青春の大切な時期すべてと言ってもいいでしょうね。その佐藤さんは「私は死を恐れるとか、恐れないとか、そのような気持ちはありません。現在刻まれている一瞬一瞬を真摯に受け止めることが死の準備となると考えています」とおっしゃっていました。次は「おむすびの祈り」(PHP出版)に書かれた言葉です。
 佐藤さんは40年以上、悩みを持つ人を受け入れ、食事を共にし、お話を聞いてきた人です。夜中に電話があるかもしれないからと、枕元に電話機を置いて寝たとか。突然夜半に玄関の戸をたたかれ、「こわかったけど、その人には切羽詰まった事情があるのだろう。もし神様だったら受け入れるだろう」と、扉を開けたそうです。「つらいと思ったことはありませんか」との質問に対し、しばらくためらったあと、恩師であるカナダ人神父の言葉、
 ・・・奉仕のない人生には意味がない。奉仕には犠牲が伴う、犠牲の伴わない奉仕は秦の奉仕ではない・・・
が心に深く残っているとおっしゃっていました。40年以上も人のために奉仕を続けることがどれほど大変なことか、察するに余りありますね。佐藤さんは、17年もの闘病の間に信仰が深化し、この奉仕活動につながったのだと思います。筆者はこのお話を聞いて、「人生にはムダはない。神さまはムダはなされない」と思いました。
 佐藤さんは病を押して、友人のためになろうと向かう電車の中で出会った不思議な体験について書いていらっしゃいます。
・・・そのとき座っていた向かいの窓のあたりに濃い白い霧のようなものが流れるのを見ました。何か書いてありますので目を凝らしますと『友のために命を捨てるこ。とほど尊いものはない』とありました。しばらくして恩師から手紙をいただきましたが、その中になんと同じ言葉があるではないですか・・・
というものです。もちろん筆者はこの佐藤さんの神秘体験を信じます。

 同じく、敬虔なキリスト教信者であり、「長崎の鐘」や「この子を残して」(中央出版社)の著者永井隆博士(1908-1951) は、原爆に被曝する前から、長崎医大の放射線医学教授として、X線やラジウム照射医療従事者として勤務していました。そしてその深刻な職業病である、慢性骨髄性白血病や悪性貧血の症状が重くなり、余命3年と診断されました。永井博士は、その夜すぐに夫人にすべてを打ち明けたとか。ともに敬虔なクリスチャンであった夫人は、「生きるも死ぬるも神様のみ栄えのためにね」と答えたと言います。その夫人は原爆で二人の幼い子供を残して、わずか数片の骨になってしまいました。
 
 次は筆者の知人から聞いた話です。知人の娘さんの義父も熱心なキリスト教者だったそうです。がんに侵され、余命1ヶ月と言われた時に見舞いに行くと、淡々と読書をしていたのを見て驚いたそうです。

 ご紹介したお話はいずれも、本物のキリスト者ならではの言葉ですね。筆者が「キリスト教はすばらしい教えだ」と思っているのはこういうエピソードからです。神様が実在されることのなによりの証拠ではないでしょうか。

道元と他力思想(1,2)

道元と他力思想(1)
 
 生死の問題は人間最大の課題でしょう。釈迦の最初の教え(初転法輪)以来、仏教は自力信仰を旨としました。道元禅は、その究極の姿でしょう。「正法眼蔵随聞記」には、道元の宋での師匠如浄の道場での厳しい修行のありさまが伝えられています。たとえば、夜遅く坐禅をしている時、つい居眠りしてしまった修行僧の頭を履(くつ)で激しく叩いたとあります。それと対照的なのが法然の他力思想ですね。一切の修行は要らず、「ただ南無阿弥陀仏と唱えよ」と言うのですから。仏教史を勉強していますと、この思想はまったく法然の独創であることがわかります。たしかに浄土思想の根本経典は、「無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経」の、いわゆる浄土三部経で、大乗経典の初期に成立したものです。しかし、はっきりと他力思想として確立したのは法然なのです。いずれくわしくお話します。
 道元禅は代表的な自力思想だとお話しました。しかし、道元は自力とか他力とかには少しもこだわっていません。「正法眼蔵・生死巻」に、

・・・ただわが身をも心をも、はなちわすれ(放ち忘れ)て、佛のいへ(家)になげいれて、佛のかた(方)よりおこなわれて、これにしたがひ(従い)もてゆくとき、ちから(力)をもいれず、こころをもつひやさず(費やさず)して、生死 をはなれ(離れ)佛となる。たれの人か、こころにとどこほる(滞る)べき・・・

とあります。弟子の一人から重要な「生死の問題」についてたずねられた時の言葉と言います。「生死のことは一切仏さまにお任せしなさい」と言うのです。まごうことなき「他力思想」ですね。

暁烏敏 「みなさん、ここで今すぐ死ねるか?」

 暁烏敏(1877-1954)は浄土真宗の僧侶で清沢満之の弟子です。浄土真宗は言うまでもなく他力本願の教えですね。「歎異抄講話」(講談社学術文庫)、「清沢満之集」(岩波文庫)など著書多数。清沢満之とともに、明治以降の浄土真宗宗教史上著名。ただ戦争協力と多彩な女性遍歴により批判も多い人です。

 以下は、筆者がNHKテレビ「こころの時代」で西川玄苔師が語っていた、暁烏敏の講演についての思い出です。

 ・・・それが雪の降る日だった。その寺は半部建てだった。屋根が半部で雪がさっと舞っている堂には大勢坐っていた。暁烏先生は、目がご不自由で、誰かにずっと引っ張って貰って、頭に白い頭巾を掛けてこうずっと出て見えた。その姿がなんとも言えん神々(こうごう)しいんですよ。私は遅れて行ったからもういっぱいで坐れんので、欄干の上に掴まって立って見ておった。あれは尊いお方だな、とその姿を見て思った。ずっと台の所に見えて、それで台の所に座られて、マイクがあって、それで聴衆を見てね、パンパンパンと台を叩いて、「みなさん、ここで今死ねるか!」「ここで今死ねるかね!」と開口一番こう言われた。ドキッとした・・・・。

法然、親鸞の教えを心の底から信じていた人の言葉です。「みなさん今すぐ死ねるかね」とは強烈な言葉ですね。筆者は数年後に、「ハッと」その意味がわかりました。他力本願思想の神髄の言葉だったです。

道元と他力思想(2)浄土思想の原点に戻るべきだ

  釈迦の教えの最初から仏教は厳しい自力が根底にあります。釈迦が最初に説いた教えが、 正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の八正道の修行を果たすことにより涅槃(絶対安心立命の世界)に至る道です。また、よく知られた六波羅蜜とは、布施、持戒、精進、忍辱、智慧の六つの修行によって彼岸(悟り)に至るというものです。これに対し法然の浄土思想は「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」という他力本願思想であり、仏教思想の中ではきわめて特異なものです。

 禅では、仏教諸派の中でも特に厳しい修行が中心になっていることはよく知られています。道元の弟子で永平寺2世の孤雲懐奘によって書かれた「正法眼蔵随聞記」には、道元の宋での師如浄による厳しい指導の様子が伝えられています。すなわち、夜遅くまでの坐禅・瞑想で、つい居眠りをしてしまう修行僧の頭を沓(くつ)で力まかせに殴ったというのです。晩年如浄が、弟子たちに「今までは済まなかった。これも諸君のためであるとわかって欲しい」と言った時、弟子たちは皆泣いて感謝したということです。もちろん弟子の道元が開いた永平寺での修行も厳しかったでしょう。

 しかし、道元はけっして修行に凝り固まった人ではありません。以前お話したように、他力思想もけっして否定していないからです。すなわち、「正法眼蔵・生死巻」には、 
 ・・・ただわが身をも心をも、はなち(放ち)わすれて、佛のいへ(家)になげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがひ(従い)もてゆくとき、ちから(力)をもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ佛となる。たれの人か、こころにとどこほる(滞る)べき・・・

 曹洞宗東海管区教化センターのホームページでは、この道元の言葉を、
・・・生死は仏の御生命であり、真理であります。これを厭い捨てようとすれば、仏の御命を失うことになります。生死の問題に執着すれば、仏の御命を失うことになります。生死を厭うことも慕うこともなくなればそれは仏の心、つまり真理の世界にいるのであります。身心を投げ出して生死に執着せず・・・仏におまかせし、仏さまに導びかれてゆくならば、己は力をも入れず、心をも働かさなくて、それでいて生死を離れることができ、仏となるのであります・・・
と解釈し、道元の死生観だとしています。

 しかし、これはまぎれもなく他力思想ですね。道元が浄土思想をもわがものとしていたことの重要さに気が付かなければいけないのです。さらに法華思想も尊重していたことは、「正法眼蔵」に「法華転法華巻」があることからもわかります。つまり、念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と他宗を激しく排撃した、日蓮とはおよそ次元の違う境地に居たのでしょう。その上で「只管打座」の教えを説いた人なのですね。それにしても、
 ・・・ただわが身をも心をも、はなち(放ち)わすれて・・・
なんとすばらしい言葉でしょう。筆者も心から安心します。

 筆者が、禅塾を開いている傍ら、浄土思想や唯識思想、あとからお話する法華思想、さらには、キリスト教やスピリチュアリズムなど、幅広く宗教を学んでいることは、ブログからおわかりいただけると思います。宗教を幅広く、そして深く学ばなければ、禅そのものも理解できないと思うからです。