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死後の世界と生まれ変わり‐スピリチュアリズム(1-4)

死後の世界と生まれ変わり‐スピリチュアリズム(1)

 ところで、19世紀半ばから、既存の宗教とは異なる、精神世界の新しい潮流が起こりました。一般にスピリチュアリズム(心霊主義)と呼ばれているものです。一つは霊界通信、すなわち、霊感の強い人が、霊的世界からのメッセージを受け取るものです。一方、、退行催眠による前世療法と呼ばれる、おもにアメリカの精神科医が行う精神疾患の治療から得られた霊的世界の仕組みについての知識です。そして第三は、「前世を語る子供たち」という、特殊な子供たちに関する研究です。

 それらの内容をざっとまとめてみますと、

 1)死後の世界があること。すなわち、人間は死んでも霊魂として残る。霊魂は不滅であり、生まれ変わりを繰り返し(註1)、魂の向上を図りながら、限りなく神に近づいて行くことが「生きる目的」であること。
 2)現世は人間の魂の向上の場であること。すなわち肉体の死後、魂は中間生(前世と現世の中間)に戻る。そこで、いわゆる守護霊に再会して、現生での人生をビデオのように再現してもらい、この世に生まれて来るにあたって自ら決めていた課題を十分果たしたかどうかを確かめる。それが不十分であることを自覚したら、やはり守護霊と相談して、もう一度人間の世界に生まれて来るかどうかを決定する(このとき課題についての記憶は心の深奥に隠される:註2)。
 4)再びこの世に転生して来て、課題が隠れたトラウマ(カルマ)となって人生の過程でさまざまな問題を起こす(じつはそういう問題が人生で起こるように、自ら仕組んでいた)。これらの問題に出会った時、それを魂の向上にとって正しい判断で対処することが課題の達成になる。
 5)魂はグループとして存在し、ある人生では夫婦として、別の人生では親子として生き、時には夫婦や親子の関係を替えてさまざまな問題を生じさせ、それを解決する。

 このスピリチュアリズムの潮流は大きな驚きとなって受け止められました。なにしろキリスト教でも仏教でも霊魂とか輪廻転生という思想はなかったのですから(註3)。人は死んでも魂として残り、適当な方法によれば死者にも再会できるとは、遺族にとってどれだけ慰めになるかわかりませんし、生きている人にとっても死は怖くないと大きな安心感をもたらすからでしょう。

 何度もお話していますように、筆者は霊的世界の存在を信じています。それどころか、何度も悩まされてきました。ただ、「生まれ変わり」があるかどうかはよくわかりません。神道教団に属している時、なんどか見聞きしてはいましたが。

 死後の世界があることの証明には、上記のように、次の三つのアプローチがあります。第一が、特別に霊感の強い人(霊媒ともチャネラーとも)を通じて行われる、高級霊からの霊界通信です。第二は精神科医による治療法としての前世療法です。そして第三が、前世を語る子供たちについての調査研究です。これら三つのスピリチュアリズムについて、順次お話して行きます。
 筆者は30年前、、神道系の教団に入ったころ、スピリチュアリズムにも興味を持ちました。次回からお話するシルバーバーチ、「前世療法」のブライアン・ワイス、「前世を語る子供たち」のイアン・スチブンソンなどの名前を懐かしく思い出します。

註1この問題については後ほど項を改めてお話します。

註2「なぜ課題は現世に生まれるにあたって消されてしまうのか。課題がわかっていれば、人生がずっと楽になるのに」との質問がありました。筆者は「課題がわかっていれば答えがわかっていることになり、魂の向上にはならないからです」とお答えしました。

註3キリスト教では人は死ねば霊魂は墓の下に眠り続け、人類最後の日に最後の審判が行われ、天国へ行けるか地獄へ落されるかが決められるとされています。一方仏教では、もともと釈迦は輪廻転生を否定していました。釈迦仏教が、インドの厳しい身分制度であるカースト制の対立命題として出発したからです。輪廻転生を認めればバラモンはバラモンとして、クシャトリアはクシャトリアとして転生する思想を認めることになるからです。筆者のブログで「釈迦も驚く日本の地獄極楽思想」と書きましたのはそこを言っているのです。

死後の世界と生まれ変わり‐スピリチュアリズム(2)

 霊界からの通信は次のようなさまざまな形で行われています。代表的なものもには、「シルバーバーチの霊訓」、アラン・カルデックの「霊の書」、自動書記(自然に手が動いて文字を書く)で行われたモーゼスの「霊訓」などがあります(註4)。まず注意していただきたいのは、スピリチュアリズムにはキリスト教や、イスラム教のような唯一絶対神とは別に、その下にさまざまな階層の神々がいらっしゃるという想定です。日本神道の神々と同じかもしれません。神が人間に直接働きかけるということは絶対にありえません。ある人が「そんなことは、人間がウイルスに話しかけるようなものだ」と言いましたが、そのとおりでしょう。ここでは、中でも代表的なシルバーバーチの霊訓についてご紹介します。

 シルバーバーチの霊訓(霊界通信)
  イギリス人モーリス・バーバネル(1902‐1981)を霊媒として、高級霊団から、人類の魂の向上のために伝えられたメッセージです。この高級霊団は、仮にシルバーバーチ(シラカバ)と呼ぶ古代アメリカインデアンの姿で現れています。これらの霊界通信は、イギリスのハンネン・スワッファー・ホームサークルと名付けられた降霊会(19世紀には、イギリスで盛んでした)で行われました。これまでに「シルバーバーチの霊訓1‐10」(近藤千雄などの訳 潮文社)としてまとめられている膨大な量のメッセージです。現代でもシルバーバーチの霊訓の普及は、各地の勉強会や、スピリチュアリズム普及会・シルバーバーチ霊訓総合サイト http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/などで行われています。

いまお話したように、シルバーバーチの霊訓は大部のものですが、たとえば、

 ・・・物的身体の存在価値は、基本的には霊(自我)の道具であることです。
霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。
身体が存在できるのは、それ以前に霊が存在するからです。霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します(「シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来」p194)・・・

・・・死が訪れると、霊はそれまでに身につけたものすべて――あなたを他と異なる存在であらしめている個性的所有物のすべて ――をたずさえて、霊界へまいります。意識・能力・特質・習性・性癖、さらには愛する力、愛情と友情と同胞精神を発揮する力、こうしたものはすべて霊的属性であり、霊的であるからこそ存続するのです(「同」p256)・・・

などの言葉があります。

 筆者はもう30年以上前に「シルバーバーチの霊訓集」を読み、スピリチュアリズムの概要を知りました。

註4 わが国では大本教教祖出口なお(1838‐1918)の「お筆先」が有名ですね。自動筆記ですが、出口なおは文盲でした。夜真っ暗になっても筆を走らせいたとか。「さんぜんせかい いちどにひら九(開く) うめのはな きもん(鬼門)のこんじん(金神)のよ(世)になりたぞよ」「つよいものがちのあ九ま(悪魔)ばかりの九に(国)であるぞよ」という痛烈な社会批判を含んだ終末論です。

死後の世界と生まれ変わり(3)前世療法

 前世療法とは、ブライアン・L・ワイス博士(1944-、元マイアミ大学医学部精神科教授)などによって盛んに行われた神経症の治療法です。退行催眠と呼ばれる治療を通じて、さまざまな霊界事情が患者の口を通して伝えられました。

 まず留意していただきたいのは、欧米では、死後の世界や生まれ変わりについての真面目な研究や治療が社会的に承認されていることです。日本でしたら、大変な非難を受けることでしょう(註5)。

註5 わが国には、明治大学情報コミュニケーション学部にメタ超心理学研究室(石川幹人教授)があります。勇気ある行動と思います。

 もともと、「わけがわからないほど水が怖い」とか、「あの子が生まれた時から憎い」というような異常な神経症の治療法として、患者を深い催眠状態に導き、その葛藤が生じた過去の体験(本人が忘れてしまった幼時体験)」を突き止めようとする退行催眠という手段があります。あるとき ブライアン・L・ワイス博士は「異常に水がこわい」というキャサリンという患者に退行催眠を行っていました。そのときワイス博士は「あなたの症状の原因となった時にまで戻りなさい」と、言いました。するとキャサリンはまったくワイス博士が予想しなかった答えを口にし出したのです。

 ・・・アロンダ・・・私は18歳です・・・時代は紀元前1836年です・・・大きな洪水が・・・水がとても冷たい・・・子供を助けないと・・・息ができない・・・

つまり、キャサリンは幼時体験ではなく、前世にまでさかのぼってしまったのです。そしてキャサリンは、過去生があること、前世と現世の間に中間生があること、そこで指導霊に出会い・・・という、最初にお話した、死後の世界や生まれ変わりなどの霊界事情がわかって行ったのです。キャサリンのこの「水が異常に怖い」という真理の原因が突き止められ、それから解放させることによって病気が治ったのです。
 この治療法は、その後多くの医者によって追認され、前世療法として確立されました。それによってさまざまな人々の神経症が治されて行ったのです。

 この前世療法は、「人間の肉体が滅びても魂は残り、不滅であること」や、「中間生に戻って指導霊から、現世で課題がちゃんと果たされたかどうか」、「課題が十分に果たされなかったと判断された場合には再び人間界に転生すること」「人間界は課題を果たすための場であること」、「何度も生まれ変わりをり返し、課題を果たしながら魂を向上さて行き、神に近づくこと」「それが人間がこの世に生きる意味であること」などという、驚くべき事情がわかって行ったのです。

 この思想は一世を風靡し、現在わが国でも、民間で前世療法が行なわれ、あとでお話する福島大学の飯田史彦さんの著述・講演活動にもつながっています。ただ、次回お話するように、催眠により前世を突き止めようとするこの方法には大きな問題があり、注意が必要です。

「前世療法‐米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘」ブライアン・L・ワイス 山川紘・山川亜希子訳(PHP文庫)

死後の世界と生まれ変わり(4)イアン・スティーヴンソンの研究

 「生まれ変わり」についての研究でもう一人著名な人物に、イアン・スティーヴンソン(1918‐2007)がいます。「前世を記憶する子どもたち」(日本教文社)などにまとめられた研究態度はきわめて厳正で、世界中から厚い信頼が寄せられています。スティーヴンソンはインドを初めとするアジア各地、欧米などで広く調査し、多くのケースについて詳細に調査しました。それらの詳細については上記の著書をお読みいただくとして、ここではそれらの研究の端緒になった事例である、日本の「勝五郎の生まれ変わり」のケースをご紹介します。

 「勝五郎(小谷田勝五郎、江戸末期1814-1869)は、武蔵国多摩郡中野村(現在の八王子市東中野)で生まれました。8歳のころ、突然兄と姉の前で、「おれはもとは程久保村(中野村の隣村、現日野市程久保)の藤蔵という子どもで、6歳の時に疱瘡で亡くなった」と言った。はじめは聞き流していた家族も、あまりに具体的で詳細な話に、祖母が勝五郎を連れて程久保村へ出向いて調べたところ、まさしくその両親も実在し、家のたたずまいや周りの景色も、勝五郎の話そのまま、さらに藤蔵の墓まであったと言います(註6)。その話は村ではもちろん、日本中で大評判になり、あの平田篤胤も実際に勝五郎やその父親に会って話を聞き、「勝五郎再生記聞」(岩波文庫収録)を残しています。さらに小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)も、イギリスとアメリカで随筆集「仏の畠の落穂」の一編として、「勝五郎の転生」を発表しています。「仏の畠の落穂」は創作集ではなく、八雲が興味を持った日本人の宗教的な心情を示す事項を資料として紹介したものです。イアン・スティーヴンソンが読んだのはそれだと思われます(註7)。

註6藤蔵の墓は現在も残っています。藤蔵が4年後に勝五郎として生まれ変わったことになります。くわしくはネットでお調べください。「勝五郎の生まれ変わり」として、たくさんの記事が出ています。
註7スティーヴンソンの研究によりますと、そうした子供たちが示す行動には、「本当の親のところへ連れて行って」などと訴える事以外にも、死亡時の状況(およびそれと類似した状況)への恐怖があり、特定の乗り物や火や水、銃火器などへの恐怖が見られること、「前世」の人物と同様の食べ物や衣服の好き嫌い、前世と同じような発話や動作、前世の死に方に関連した先天性欠損(指の一本がないことなど)とか、あざ(母斑)などが見られることもあると言います。スチーブンソンの挙げている生まれ変わりのほとんど決定的とも言える証拠は、およそ喋れるはずのない外国語を話す子供のケースがあることです(真正異言)。

 「前世を語る・・・」で、特徴的なのは、大部分が子供たちによるもので、 スティーヴンソンもこの「勝五郎の生まれ変わり」の話に感銘を受け、この研究を始めたと言います。彼の研究態度は、きわめて慎重で、さまざまな可能性を考え、最後まで残されたものを、それらの可能性では解釈できないものとしているところに科学的良心が知られます。スティーヴンソンは、世界各地で調査し2600ものケースについて実地調査し、「前世を記憶する子どもたち」「前世を記憶する子どもたち2」には、厳選した、合わせて52例の生まれ変わりの事例が報告されています。彼の研究は「アメリカ精神医学雑誌」という一流誌でも紹介され、その科学的研究姿勢が高く評価されています。

 多くの生まれ変わりのケースに共通する性質として、事例のほとんどが幼児で、3歳くらいで突然「ぼくは生まれる前は・・・」と語り始め、7歳くらいまで続き、だんだんその話に触れなくなり、12歳にもなると、そんな話をしたことさえ忘れてしまうと言います。近年、NHKでも「生まれ変わり」に関する番組を制作し、放映するようになりました。まことに画期的なことだと思います。昨年の放映ではアメリカの少年のケースで、「僕はハリウッドで俳優をしていた。名前は・・・」と言い、実際に50年前の本人の写真や経歴まで突き止められました。

 ただ、これらの研究には問題もあることを留意しなければなりません。最近視聴したケースで印象的なのは、現在東京に住んでいる女の子のケースです。5歳のころ「私は阪神淡路大震災で死んだ・・・」と。あまりに不思議な話なので母親が詳細な記録を残していました。話の内容は具体的で「実家は淡路島の海の近くで魚屋をしており・・・向こうに橋が見え・・・」と言っています。しかし、NHKが現地調査した結果、どうしても場所が特定できませんでした。番組を見ながら、筆者はすぐに、「だれかの前世と混線しているな」と感じました。後にスティーヴンソンの研究を知りましたが、彼も「そういうことはありうる」と言っていました。前述のように、スティーヴンソンはこのような可能性を厳密に排除して、最後に残ったケースを「生まれ変わりだろう」と言っています。

 次回以降お話しますが、スティーヴンソンは、前回お話したブライアン・ワイスなどの退行催眠による前世療法については疑問を提出しています。

文献:「前世を記憶する子どもたち」 「前世を記憶する子どもたち2」(笠原敏雄訳 日本教文社」

志慶真文雄さんと浄土の教え(2‐6)弥陀の本願はフィクションです

志慶真文雄さんと浄土の教え(2)弥陀の本願はフィクションです(1)

 前回、「志慶真文雄さんは浄土思想を誤解しているのでは?」とお話しました。今回はその根拠について述べます。その前に、まず浄土思想の成り立ちについて簡単に触れます。それを知らなければ志慶真さんの考えのどこに疑問があるのかおわかりいただけないと思うからです。

 浄土思想
 法然を宗祖とする浄土宗の信者は公称600万人、親鸞を開祖とする浄土真宗は、本願寺派、大谷派合わせて信者1400万人と、浄土系教団はわが国最大の宗教教団です。ことに親鸞の弟子唯円(如信とも、覚如とも)による「歎異抄」の中の言葉、「善人なをもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」は、広く日本人に知られていますね。なお、「歎異抄」ついては当ブログシリーズで検討しました。
 
 法然や親鸞の時代(平安時代末から鎌倉時代初期)は、相次いだ戦乱や天災や飢饉により、人々は大きな苦しみにあえいでいました。その状況は鴨長明の「方丈記」に活写されています。また仏教思想の「末法の世」が平安時代中期の1052年に始まるとされたのも民衆の不安を一層高めていたのです。これらの社会情勢から、法然や親鸞、栄西や道元、一遍や日蓮などによる新宗教が次々に生まれたことはよく知られています。宋へ渡って禅を学んだ道元も、同僚の中国修行僧から、「あなたはなぜここまで学びに着たのか」と聞かれ、はっきりと、「日本の民衆を救うためです」と答えています(慧奘「正法眼蔵随問記」講談社学術文庫)。

 阿弥陀信仰
 そんな社会情勢の中で法然により開かれた浄土宗や、親鸞による浄土真宗は、ひたすら阿弥陀仏様におすがりして現世の苦しみから逃れ、極楽へ往生することを願う、いわゆる他力の信仰です。釈迦以前のウパニシャッド哲学から、初期仏教、そして大乗仏教から、最後の禅に至るまで、すべてが自力による救済を目指していることを考えれば、法然の思想がいかに革新的だったかがおわかりいただけるでしょう。法然はやはり天才です。

 浄土教宗派の根本経典は「仏説無量寿経(以下無量寿経)」「仏説観無量寿経(以下観経)」「仏説阿弥陀経(以下阿弥陀経)」です。「阿弥陀経」には極楽浄土のすばらしさと、そこへ行きましょう」と書かれてあり、「観経」には、古代インドマガダ国のビンビサーラ王とイダイケ妃、アジャセ皇子の悲劇と、釈迦によって救われるエピソードが、そして「無量寿経」にはこれからお話する、弥陀の本願が書かれています。

 弥陀の本願
 とは、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩と呼ばれていた時に立てた「すべての衆生が救われないうちは、私は最高の悟りは得ない」との四十八の誓いです。
そしてその十八番目がわが国の浄土系宗派でとくに重要視されている、
 設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法(設《も》し我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽《しんぎょう》し、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、若し生ぜずば、正覚を取らじ、唯五逆と誹謗正法は除く(下線筆者)です。

筆者訳:たとえ私が悟りを得ることができたとしても、すべての人達が、まごころを持って、わが西方極楽世界に生まれたいと願い、あるいはそのような思いが十回も繰り返えされたときには、必ずやわが国に生まれます。しかし、それでも彼らがわが国に生まれなかったら、私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪(父殺し、母殺し、阿羅漢つまり聖者殺し、仏の体を傷つける者、教団を破壊する者)を犯す者と、仏法を謗(そし)る者は除く。

 じつは、この唯除五逆誹謗(正)法の一文が、これがその後の浄土思想にとって大きな問題となったのです。なぜなら、「すべての大衆を救う」と言っておきながら例外を設ければ、論理が自己矛盾しますね。

志慶真文雄さんと浄土の教え(3)弥陀の本願はフィクションです(2)

まず、五逆誹謗正法とは、
 五逆:父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢(初期仏教の最高の悟りに達した聖者。もはや学ぶことがないという意味)を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけることを言い、一つでも犯せば無間地獄に落ちると説かれています(五逆を主君・父・母・祖父・祖母を殺す罪とする説もあります)。
 誹謗正法:仏教の正しい教え(正法)を軽んじる言動や物品の所持等の行為。
などです。

しかし、前回お話したように、「すべての衆生を救う。ただ、五逆の罪と誹謗正法とを除く」の文章は明らかに自己矛盾があります。(後述するように、「五逆」の規定そのものがおかしいのです)。この例外規定が古くから浄土系の僧侶達、すなわち仏教の専門家すら悩ませてきました。なんとか矛盾を矛盾としてではなく、この主要な大乗経典を解釈したかったからです。そこで中国唐時代の僧善導(613-681唐代の浄土教の僧)は、「観経正宗分散善義(観経) 巻第四」において、大経(無量寿経)第十八願文から〈至心信楽欲生我国〉と〈唯除〉以下を除き、「称我名号」を加えて、

若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚(問ひていはく、四十八願のなかの《第十八願の》ごときは、ただ五逆と誹謗正法とを除きて、往生を得しめず。いまこの「観経」の下品下生の中には、謗法を簡《えら》びて五逆を摂せるは、なんの意かあるや。

としました。つまり、唯除五逆謗法という例外項目を削除したのです。その理由を「質疑(質疑応答)」の形式で次のように述べています。簡約しますと、

問い:おたずねします。(大無量寿経)阿弥陀仏の四十八願のうち第十八願には、「ただ五逆と誹謗正法とを、救済の対象から除外する」としていますが、「観(無量寿)経下品下生」には、「謗法した者を除外して、五逆を犯した者は救済する」と言っているのはなぜでしょうか。

答え:お答えします。「第十八願」で、「謗法と五逆とを除く」と言っているのは、この二つの罪悪は重大であり、もしそれを犯せば地獄に落ちて未来永劫救われないのです。ですから、阿弥陀如来は「その罪を犯すと極楽往生できない」と抑止(おくし:してはいけないという警告)なさっているのであって、方便なのです。じつはそれらの人々も救済されないわけではないのです。

 要するに善導は「これは阿弥陀如来の警告に過ぎず、実際にこれらの罪を犯した人を救済するかどうかの問題ではない(から気にする必要なない)」と言っているのです(筆者には言い逃れとしか聞こえませんが)。この「功績」により、親鸞は「教行信証」の中で、善導を浄土思想の発展に貢献した七高僧の中の第五としています。

「日本仏教入門 基礎資料で読む」角川選書
「観経疏・散善義」(廣瀬杲著、神戸和麿訳注「曇鸞 浄土論註、善導 観経疏」中央公論社
〈大乗仏典中国・日本篇 第5巻〉

志慶真文雄さんと浄土の教え(4)弥陀の本願はフィクションです(3)

 熱心な浄土真宗の門徒であり、自宅の一部を開放してその教えを広める活動をされている志慶真文雄さんの、「無量寿経は宝の山です」という考えの反証として、このブログシリーズを始めました。
 じつは、筆者は「大無量寿経」がフィクションであることは論証の必要もないほど明白なことだと思っています。

さて、法然です。
 浄土宗の開祖である法然(1133 – 1212、源空とも、親鸞の「正信偈」にある七高僧のうち第七)は比叡山第一の学僧と言われた人です。しかしやがてそこを去り、京都東山の麓大谷に住んで「浄土の教え」を説きました。すなわち、法然は、前述の善導が撰述した「仏説観無量寿経(観経)」の注釈書である「観無量寿経疏」(以下「観経疏」)の中の、「一心に弥陀の名号を専念して」という文を重視し、ひたすら南無阿弥陀仏を唱える専修念仏を唱道しました。法然の主著「選択(せんちゃく)本願念仏集」にも「偏依善導」(ひとえに善導一師に依る)と明記してあります。

 じつは、法然のこの主著を読んでみても、重要な教えなどほとんど含まれていないことに気付きます。それでいいのです。法然は「ただ、南無阿弥陀仏とだけ唱えなさい」と言いたいだけなのですから。今まで述べてきましたように、仏教の大道は「自力による自らの救済」です。法然はその原理に逆らって「絶対他力」を説いたのです。よく、「法然が『ただ南無阿弥陀仏とだけ唱えなさい』と説いたのは、文字も読めず、高僧の説法を聞く機会もほとんどない当時の大衆にとっては、この簡単なお題目と唱える以外には救済される道はなかったからだ」と言われます。しかし、そうではなく、これこそ浄土の教えの根幹だからです。それを見抜いた法然はやはり天才としか言いようがありません。

唯除五逆謗法についての法然の受け止めかた
 法然は、その主著「選択本願念仏集」大橋俊雄校注(岩波文庫)において、「この問題は、善導が『観経疏』で示す『抑止門』ですでに解決している」と、納得しているのです。
さらに、
 ・・・「観経」の文疏を條するの刻(とき)、すこぶる霊瑞を感じ、しばしば聖化に預かれり。すでに聖の冥加を蒙って、しかも「疏」の科文を造る・・・
と。
つまり法然は、善導が「観経疏」の執筆中に、霊瑞を感じてその中で聖化(阿弥陀さまの御化導)を頂戴された。そしてお経のどこまでが正宗分(本文)で、どこからどこまでが序分であるかという科文(分類書)を作ったと言うのです。

筆者のコメント:法然に「霊瑞を感じてその中で聖化(阿弥陀さまの御化導)を頂戴された」と言われては、筆者の検証の範囲を超えます。浄土教では、法然は善導の生まれ変わりだとも言います。いわゆる「ひいきの引き倒し」のたぐいでしょう。

 いずれにしても、法然が、なぜ大乗仏教の根本経典の一つ「観経」そのものではなく、その解説書である善導の「観経疏」に依拠したかの理由はここにあるのです。つまり法然は、善導に従って五逆誹謗正法は意味のないことと考えてわざわざ省き、「ただ南無阿弥陀仏と唱えよ」としたのでしょう。いや、「そ知らぬ風を装って」、この例外項目を無視したのと考えられます。ここが親鸞とは大きく違うところなのです。それについて次回お話します。

志慶真文雄さんと浄土の教え(5)‐弥陀の本願はフィクションです(4)

 親鸞(1173 –1262)は「教行信証」の著者で、現在の信者数公称1400万人の、わが国最大の仏教宗派の開祖ですね。法然を文字通り唯一無二の師と仰ぎ、その衣鉢を継いだと、生涯にわたって述べています。弟子唯円の書いた(異説も)有名な「歎異抄」第二章にも、有名な言葉、

・・・地獄は一条住みかとかし(たとえ法然上人にだまされて地獄へ堕ちても、親鸞はなんの後悔もない:筆者訳)・・・
と言っています。

唯除五逆謗法についての親鸞の受け止めかた
  親鸞は、「教経信証」の冒頭で、
・・・わが宗旨は、「大無量寿経」をもっとも大切な聖典とする(筆者意訳)・・・

と言っています。つまり、親鸞が依拠したのは、法然のような「観経疏」ではなく、根本経典である「大無量寿経」へと戻っているのです。親鸞がなぜ「大無量寿経」にまで遡って依拠せざるを得なかったのかは、唯除五逆誹謗正法がどうしても気になって仕方がなかったのでしょう。まず、「尊号真像銘文」で、

・・・唯除五逆誹謗正法といふは、唯除といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ(罪人を嫌い)誹謗のおもきとが(重き咎)をし(知)らせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり(下線筆者)・・・

としています。つまり、法然とおなじ「罪を犯したものは・・・」ではなく、「罪を犯せば・・・」との善導の抑止(おくし、警告)の考え方ですね。そして、「教行信証・行巻」の巻末にある「正信念仏偈」の中で「善導独明仏正意(善導、独り仏の正意を明かす)」と、法然上と同じように善導を讃歎しています。

 そしていよいよ「教行信証」です。こんどは、「観経」にある、アジャセ王の物語(註1)を引用し、最終的には五逆の大罪を犯した者も釈迦の教えにより救われるとしたのです。親鸞はまず、救いがたい三種の病、すなわちこの世で最も重く、治しがたく、死に至る病を説明しています。三種類の病とは、五逆、誹謗正法に加え、一闡提(信不具足、つまり仏法を信ぜず誹謗する者)の三つです。アジャセはこれらの三つの重い病に侵された象徴的な存在として描かれているのです。親鸞はこの三種類の重病を治すには、適切な治療を施す名医と良薬が必要であると言っています。その適切な治療を施す名医に当たるのが、よき指導者(釈迦のような指導者、善知識)であり、良薬にあたるのが、本人の「深い改悛の情」であると言っています。

 親鸞の困惑は、「教行信証・信巻」に、
 ・・・それ諸大衆に拠るに、難化の機を説けり。いま大経(大無量寿経:筆者)には「唯除五逆誹謗正法」と言ひ、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人」と言(のたま)へり。観経(観無量寿経)には、五逆の往生を明かして謗法を説かず。涅槃経には難治の機と病とを説けり。これらの真教、いかが思量せむや・・・
筆者抄訳:・・・いったい、さまざまな大乗経典によると、そこには教え導くことの困難な人のことが説かれているが、いま「大無量寿経」では、「ただ五逆の罪を犯したものと、正しい教えを誹謗するものとは、救いの対象から除く」と言い、「観経(前述のように善導の「観経疏」はその注釈書)」には、五逆の人の往生を、明らかにしているけれども、教えを誹謗する人の救いは説かない。「涅槃経(大般涅槃経)では、救い難い人とその心の病について説いている。これらの真実の教えは、どのように伺ったものであろうか・・・
と述べていることからもわかります。つまり、「教行信証・信巻」は、まさに「唯除五逆誹謗正法」を説明するために書かれているのです。

註1アジャセ王の父殺し:アジャセ(アジャータシャトル)、前5世紀ごろのインドのマガダ国王。父のビンビサーラ王を殺し、母のイダイケ妃を追放して王位に付いたが、のちにその犯した罪におののき、苦しんだ。その後釈尊に救われ、仏教教団の保護者になった「王舎城の悲劇」と呼ばれる有名なエピソード)。

 そもそも五逆謗法がおかしいのです
しかし筆者は、これは明らかに法然の考えからの後退と考えています。おそらく親鸞は弥陀の本願、すなわち「一切衆生の救済」の趣旨から言って、「唯除五逆誹謗正法」との「矛盾」に困惑し、煩悶し、無視することができなかったのでしょう。「教経信証」はまさにその「矛盾」をみずから納得するために書かれたはずです。つまり、「観経」に書かれている、父親を殺した古代インドのアジャセ王でも釈尊による救われたことを例として、「五逆を犯した者も救われる」と説いたのです。
 しかし、そもそも、「大無量寿経」の、例外規定そのものがおかしいのです。「父や母を殺すのは重罪である」と言うのは、「兄弟ならいいのか」「他人ならいいのか」となってしまいますね。「阿羅漢(聖者)を傷付けること」も同様です。いかなる人を傷付けてもいけないのは当然でしょう。さらに、「仏教教団の和合を乱すこと」が最も重い罪なら、どのような不条理がその教団にあっても、一切不平を言ってはいけないことになります。「仏身を傷付けること」など後代の者達にとって不可能です。法然はさすがにそれをわかっており、さらりと受け流した。しかし、親鸞はそうはできなかったのでしょう。やはり法然の方が思想的には上だったと思います。

以上、「大無量寿経や観経などフィクションであり、ただ南無阿弥陀仏と唱えることこそ浄土の教えの本質だ(註2)」と理解した法然はやはり天才です。

註2じつはここにさらに深い意味があるのですが。のちほどお話します。

金子大栄「教行信証入門」(岩波文庫)
山折哲夫「教行信証を読む」(岩波新書)

弥陀の本願はフィクションです(6)まとめ

 熱心な浄土真宗の門徒であり、沖縄県うるま市で自宅の一部を開放してその教えを広める活動をされている志慶真文雄さんの、「無量寿経は宝の山です」という考えの反証として、このブログシリーズを始めました。「無量寿経」がフィクションであることは論証の必要もないほど明白です。法然の思想は別にあるのです。志慶真さんはフィクションから何を得ようとされるのでしょうか。志慶真さんが教えを広める活動をしていらっしゃるのは尊いことです。しかし、教えを広めるためには、経典類の科学的な検証が不可欠だと筆者は思います。

 「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」。これが法然の思想そのものです。しかし、その真意はもっと深いところにあると考えています。それは浄土宗系の僧侶でさえわかっていないと思います。東日本大震災の被災地のある僧侶が「葬式仏教のどこが悪い」と言ったのは「居直り」でしょう。法然の著作のどれを読んでも、「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」としか書いていないのです。この法然の真意を理解したのが親鸞です。ただ、「唯除五逆謗法」だけは気になってしかたがなく、「教行信証」を書いたのですが、「それは法然の思想からの後退だ」とお話しました。

 一方、「歎異抄」で、親鸞の教えのあまりの単純さに不安を抱き、「もっと重要な秘儀などがあるのでは」と、はるばる東国から十何か国を経て京の都まで尋ねて来た弟子に、「他になにもない」と親鸞が言ったのは当然でしょう。以前のブログで、「歎異抄は、出来の悪い弟子たちの心得違いを諭すための書であり、崇高な思想などない。日本人は早くその呪縛から逃れるべきだ」とお話したのは、この理由からです。現在でも「歎異抄」を「最高の書である」と尊重する人は多いのですが・・・。

 思想家小林秀雄が「日本仏教は衰退する」と言ったのはもう70年も前のことです。それは現在一層拍車が掛かっています。宗教者でも何でもない葬儀社が法事を代行していますね。以前、筆者は親しい友人の葬儀で、葬儀会館に雇われた僧侶の読経のあまりのいいかげんさに驚ろいたことがあります。第一、仏教に故人の供養の思想はありません。わが国の仏式の先祖供養は、古来の素朴な神式のものと仏教が習合したものなのです。筆者もけっして、仏式の葬儀を否定はしませんが。

 それどころか、近年では、ネット上、旦那寺でもなんでもない寺の僧侶を派遣するサービスさえあります。遺族はその料金表から適当なセットを選べばよいのです。さらに、子孫が遠方に移住して、寺と檀家との距離がますます開き、無縁仏が増えています。東京に巨大なお墓ビルが出来ました。全自動式で、カードを入れれば「わが家のお墓」が眼前に出てくるのには驚ろかされました。

 僧侶たちが少しでも早く本当の教えとは何かに気が付かないと、わが国の仏教は滅びます。あのキリスト教でさえ信者は減少しているのです。

 

生命は神が造られた(1)ー筆者の信仰の原点

生命は神が造られた(1)‐筆者の信仰の原点

 「生命の起源は何か」は、ギリシャの時代からの人間の永遠の疑問ですね。現在、唯物史観の立場から、次のようなさまざまな説があります。

 オパーリンの化学進化説:
 最初の生命発生以前に有機物が蓄積していたはずです。「原始地球の環境で無機物から有機物が合成され、有機物同士の反応によって生命が誕生した」とする仮説です。化学進化説と言います。

 生命の素材隕石由来説:
 宇宙から飛来する隕石の中には多くの有機物が含まれており、アミノ酸など生命を構成するものも見られると言います。さらに彗星中のチリにもアミノ酸が存在することも確認されています。これは地球上で汚染されたものであるという可能性が捨てきれませんでしたたが、NASAなどの研究チームが南極で採取した隕石を調べたところDNAの塩基であるアデニンとグアニン、ヒポキサンチンとキサンチンが見つかったため、この説を裏付けることとなりました。

 パンスペルミア仮説:
 「宇宙空間には生命の種が広がっている」「地球上の最初の生命は宇宙からやってきた」とする仮説です。あのDNA二重螺旋で有名なクリックなども支持していました。
 地球を水惑星とも呼ぶその水も隕石が持ってきたことは確実なようです。

 筆者は、生命科学の研究者として過ごして来ました。現代の自然科学はもちろん唯物思想に立っていますから、筆者もそういう立場で研究してきましたし、上記の生命の起源のさまざまな説について知っていました。オパーリンの「生命の起源」など、懐かしく思い出します。
 今でも宇宙物理学が好きで、関連のテレビ番組は欠かさずに見ています。それによりますと、私たち人類は上記のように「偶然の積み重ねで生まれた」とされています。しかし、筆者はその考えに疑問を持っています。前著でくわしく述べました(註1)が、そんな偶然は、たとえば1兆分の1の、1兆分の1の、また一兆分の1の確率でしか起こらないことなのです。つまり、ほとんど「ありえない」ことなのです。

 ごく最近、39光年先に地球型惑星が見つかり、「生命が存在するかもしれない」と話題になっています。しかし、たとえ生命が存在しようと、それはごく原始的な生命でしょう。そんなものなら、地球の奥深く、100℃以上の、酸素のない暗黒の世界にも居ます。人間のような高度の知性を持った生命体とは分けて考えなければなりません。数年前から世界の国々が連携して地球外知的生命体からの電波を探求する研究が行われています。そして、ロシアで早速「これは!」と思われる信号をキャッチしたと大々的に報道されました。しかし、結局それは地球起源の雑音でした。中国では昨年、直径500mもある電波望遠鏡が完成しました。地球外知的生命からの信号を捉えるためです。UFOは昔から私たちの興味の対象でした。「わかった。わかった。しかし地球のどこかに着陸したことがあるのか」。これがフェルミのパラドックスです(註2)。

 筆者は15年ほど前、多くの人々の協力を得て、ある酵素たんぱく質の遺伝子構造を突き止めることが出来ました。そのDNA構造を調べている時、突然、「生命は神によって造られた」との思いが湧き出たのです。その時は別に生命の起源などについて考えていたわけではありません。「ある日突然に」でした。その気持ちは今も変わりません。そうとしか思えないのです。生命というものが偶然の積み重ねで起こるとは考えられないのです。生命が地球上で化学進化の結果できようと、隕石によってもたらされようと、問題ではありません。それも含めて神の御業だと思うからです。
 人間宇宙論という説があります。「神は自分の偉大さを客観的に知りたいと、それを明らかにするであろう人間という知的生命体を作った」というものです。筆者には神の御心はわかりませんが、宇宙には、われわれ人間以外の知的生命はないだろうと考えています。その思いに基づいて著書の第2作をまとめました(註1)。

註1「続・禅を正しく、わかりやすく」(パレード社)
註2 フェルミのパラドックスとは、物理学者エンリコ・フェルミ(1901-1954、ノーベル物理学賞受賞者。原爆開発にも関わった。しかし、広島・長崎の惨状を知り、責任を感じて自死)の考えで、地球外生命の存在の可能性の高さと、そのような文明との接触の証拠が皆無である事実の間にある矛盾のことです。

五蘊と脳の働き-浅野孝雄さんの考え(1-3)

脳科学と仏教‐浅野孝雄さんの考え(1)

NHK「こころの時代」心はいかにして生まれるか‐脳科学と仏教の共鳴」より

 浅野孝雄さん(1943-、埼玉医科大学名誉教授)は、脳外科医師。幼少時から熱心な浄土真宗信者であるお母さんの信仰を目の当たりにし、お経を読まされ、講話も聴いた。内容には疑問を持ちながらも影響を受けて来た。専門の脳外科医として活躍するうちに、どうしても患者に意識とか心について話さなければならなくなった。そして自然に脳の働きと仏教思想との関連に興味を持つようになったと言います。そこで上記の自分の原風景をベースにして、まず自分の心を理解しようと、改めて仏教を勉強した。そして、浅野さんは「古代インド仏教と現代脳科学における心の発見」(産業図書)を著わしました。

 番組によると、浅野さんは、仏教の代表的思想である五蘊の考えと、脳のさまざまな働きには大きな共通性があることに気付いたと言います。
 すなわちブッダの考え、
 ・・・人間存在は炎のようなものだ・・・修行僧よすべては燃えている。貪欲の火によって。嫌悪の火によって。迷いの火によって燃えている誕生・老衰・憂い・悲しみ・苦痛悩み・悶えによって燃えているのだ・・・(「燃える火の教え」中村元訳 註1)

を引用しつつ、五蘊を脳の各領域のそれぞれの働きと次のように関連付けています。まず、
 ・・・五蘊とは炎のような人間の心を構成する五つの要素。これらが互いに影響を及ぼしながら一つの大きな炎を作り上げる。それが心だ・・・

と述べています。すなわち、浅野さんの五蘊の解釈は、

 (ふつう、人間の体や木や草など、形のあるものすべてを表しますが、浅野さんは、モノが外界にあるのではなく、人間が形成
し、知覚するもの。すなわち、意識に上って来る知覚の働きと解釈。つまり唯識的な考え:筆者)=脳の知覚領(以下同じ)
 (美味しいものは美味しい、不味いものはマズイ、痛いものは痛いという知覚が生じるに従って出てくる怨憎会苦や喜怒哀楽の感情。それに伴って生じる情動)=視床下部と脳幹
 (理性的、知性的働き。出来上がったイメージを組み合わせて一つのまとまった形にする)=頭頂葉
 (こうしたい、ああしたいと、自分の中で起こって来る欲望・衝動的欲求。無意識の中から上って来る人間のすべての感情・行動)→煩悩に結びつく=運動領
 (分別・思考・判断など、人間が論理的に施行する能力)=前頭葉

と解釈しています。そして、
 ・・・これらによって人間の高次脳機能を網羅。それらは大脳皮質の(上記の)それぞれの部分に分かれて存在。これらの精神活動が、それぞれ燃えている。これら五つの脳の領域が相互に刺激を与えあって心を生じる。これらのものが統合されなければ意識にはならない。これら五つの火が燃えて大きな炎になる。「それが心だ」とブッダは言った。火のように動的なもの。そのイメージそのものが自然のエネルギー、生命力であり、しかも動的に変化する形。ブッダが自然現象の炎にたとえたところに彼の天才性がある・・・
と言います。

 そして、浅野さんは、「これらの脳領域の働きが理性と情動を作る。そして両者のバランスを取ることが正しく生きること」と結論付けています。
しかし、筆者にはこれらの浅野博士の考えには疑問があります(次回に続きます)。

註1 「ブッダ伝」中村元 (角川ソフィア文庫)(「スッタニパータ」「サンユッタ・ニカーヤ」「ダンマパダ」「テーラガーター」「テーリーガーター」「マハーパリニッバーナ・スッタンタ」などの原始仏典から重要なエピソードをブッダの生涯の歩みに合わせて年代順に紹介する構成になっています)。たとえば、 
 ・・・ガヤー山(伽耶山。象頭山)で修行を続ける弟子たちにブッダは「燃火の教え」を説いたと伝えられています。「比丘たちよ! われわれの心の中はすべてが燃えている。色が燃えている。眼が燃えている。耳が燃えている。音が燃えている。鼻が燃えている。舌が燃えている。味が燃えている。身体が燃えている。接触するものが燃えている。思考が燃えている。何によって燃えているのか。貪欲・瞋恚・愚痴の三毒、煩悩によって燃えているのだ。誤った三毒を除くならば、苦悩の原因は除かれる。正しい認識と正しい行動をすることによって、一切の束縛を解脱し、涅槃の境地に達することができる・・・

脳科学と仏教ー浅野孝雄さんの考え(2)

 前回、浅野孝雄さんの、「仏教の五蘊の思想を大脳のさまざまな部分の働きに対比させる」という考えには疑問があるとお話しました。以下筆者の考えについてお話します。

筆者の解釈では、
 色蘊  –  人間の体(眼や耳、皮膚などの感覚器官)と、認識する対象、すなわちモノ
 受蘊  -  見る、聞く、嗅ぐ、味わう、皮膚などで感覚したものをイメージとして形成する働き
 想蘊  - 「あれは〇〇だ」と分析し、識別する働き
 行蘊  - 「〇〇を取りたい」などの情動
 識蘊  – 「きれいな〇〇だ」などの価値判断する働き

となります(註2)。たとえば上記の〇〇がバラだとしますと、バラは色蘊、それを写した目の網膜上の画像が受蘊。「これはバラだ」と分析するのが想蘊。「きれいだ」と判断するのが識蘊。「取りたい」と思うのが行蘊です。

 つまり、受蘊で感覚したモノを想蘊が同定し、その内容を識蘊が識別。行蘊が「あれを取りたい」と思う。すなわち、筆者は「五蘊」とは、人間の認識作用だ(見て聞いて・・・判断し、行動する)と解釈しているのです。つまり、五蘊のそれぞれが縦につながってモノゴトを認識し、それに基づいて行動する仕組みを言っているのです。浅野さんの解釈とは違うことがおわかりいただけるでしょう。

 筆者の解釈を別の譬えで説明しますと、

 ここに人工知能(AI)を持ったロボットが階段を下りるという場面を想像してください。まず、ロボットにあるカメラ(人間の眼ですね)のセンサーが状況をとらえます(テレビ画面とお考え下さい。人間の網膜です)。これが五蘊のうちの受蘊です。しかし、それが階段であるか、平地であるかはわかりません。「なにかあるモノ」が写っているだけです。それが階段であることを識別するにはAIが持っている記憶の中から同じようなものがないかを識別して、「階段だ」と分析します。それが想蘊です。つぎに、ロボットのAIは、「このまま進むと危ない」と判断します。識蘊ですね。そして「注意して降りよう」とします。これが行蘊です。

 これに対し浅野孝雄さんは前述のように、「五蘊とは人間の脳の働きを構成する五つの要素であり、それらが相互に影響をおよぼしあって心を形成す」ると解釈しています。つまり、浅野さんの考えでは、「五蘊はそれぞれ対等な精神活動であり、それの相互作用によって心が形成される」と言うのでしょう。

 個々の五蘊について、浅野さんの考えと筆者の考えとをくわしく比較しますと、

1)受蘊について:浅野さんは、眼や耳、鼻、舌、皮膚などの感覚器官によるイメージの形成(筆者の言う受蘊)と、脳による「これは〇〇である」という分析(筆者の言う想蘊)、そして「きれいだ、きたない」などの感想とか好み、つまり判断(筆者の言う識蘊)を受蘊に混ぜて入れています。
2)想蘊について:浅野さんは「理性的、知性的働き」と解釈していますが、それは浅野さんの識蘊の解釈、すなわち、「分別・思考・判断など、人間が論理的に施行する能力」と同じです。つまり、両者をごっちゃにしています。

以上が、浅野さんの思想と筆者の考えとの違いの第一点です。

註2 五蘊について、浅野さんの理解とは異なる他の人の解釈もあります。たとえば、増谷文夫「阿含経典(1)」(ちくま学芸文庫)では、
 ・・・人間を分析して、肉体的要素と精神的要素に分け、精神的要素を四つに分った。ここに「色」というのは、その肉体的要素を指す言葉である。そして、その精神的要素については、さらにそれを分析してそれを四つの要素に分った。「受」というのは感官のいとなみ、すなわち、受動的感覚である。「想」というのは表象作用、つまり、感覚によってイメージを造成するいとなみである。また、「行」というのは、その表象にたいして、快もしくは不快を感じ、追求もしくは拒否の能動的意志の作用にうごく段階である。そして、最後に「識」とは意識、すなわち理性のいとなみがはたらく段階である・・・
とあります・・・

ちょっとわかりにくいところもありますが、「色」は別として、あとは筆者の解釈とほぼ同じように思われます。

脳科学と仏教‐浅野孝雄さんの考え(3)

 ここで、脳の部位と機能について、他の脳科学者の意見では、

 前頭葉(浅野さんの言うの部位):現在の行動によって生じる未来における結果の認知や、より良い行動の選択、許容され難い社会的応答の無効化と抑圧、物事の類似点や相違点の判断に関する能力と関係している。

 頭頂葉(浅野さんの言うの部位):外界の認識に関わる部分
 脳幹(浅野さんの言うの部位):大脳からでるすべての命令や、大脳に向かうすべての情報が通るところ
 感覚領(浅野さんの言うの部位):大脳皮質に存在し,感覚に関与している部分。皮膚感覚や深部感覚などの体性感覚野は大脳の中心後回に,聴覚野は側頭葉に,視覚野は後頭葉に,そして嗅覚野はその付近に,味覚野は体性感覚野と嗅覚野の中間にある。(つまり、浅野さんの言う脳の知覚領には聴覚野はなく、側頭葉にあるとこの人は言うのです:筆者)
 運動領(浅野さんの言うの部位):骨格を支配する脳幹と脊髄の運動神経細胞に神経信号送って運動を起させる
 ことほどさように、同じ脳科学者でも、脳の部位と働きについての解釈はかなり異なるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 浅野さんの思想に対する筆者の疑問の第二点は、浅野さんは五蘊という脳の各部位の神経活動を、ブッダの言葉である「炎のたとえ」に対比しているところです。すなわち浅野さんは、「心とは、五蘊それぞれが炎となって燃え、それらがダイナミックに変化して綜合されたものだ」と言うのです。しかしその対比はまちがっていると思います。なぜなら、ブッダは

 ・・・人間のさまざまな欲望は炎のように燃えている。それを鎮めることが心の平安である・・・

と言っているだけなのです。前回お話したように、浅野さんは結論として、「脳の機能を情動と理性に分けて、それらのバランスを取ることが大切だ」と言っています。しかし、炎となって燃えるのは情動であって、理性はクールなものです。けっして「燃えるもの」ではないはずです。つまり浅野さんは五蘊を脳の各部位の神経活動と結びつけた自分の考えを、都合よくブッダの「炎の思想」に結びつけただけだと思います。

 浅野さんの思想に対する筆者の疑問の第三点目は、浅野さんの言う「情動と理性のバランスの大切さ」についてです。これは、今を問わず、良識ある人間なら当然承知して身を処しているのであり、ブッダに言われるまでもないことですね。つまり宗教思想とは言えない、常識です。これに対し、五蘊を正しく解釈すれば、五蘊皆空という重要な仏教思想に結び付くのです。

 筆者は、浅野さんの言う「大脳の各部分の働きがダイナミックに変化して心を作る」という考えに疑問を呈しているのではありません。浅野の五蘊の解釈自体に問題があるのに、それらをと結び付けていることに疑問を呈しているのです。
 

四国遍路のシーズン

四国遍路のシーズン

 いよいよ春が近づき、遍路のシーズンになります。志す人は毎年20万人にも及ぶとか。1200キロ(1450キロとも)を歩き通す人もいれば、バスツアー、自転車や車で巡る人もいるそうですが、一番多いのは、シーズンごとに10か所くらい歩いて回り、次の回にはそこまで電車で行って、そこから始め・・・という人もいる由。筆者の友人にも四国遍路をした人たちがいます。中には八十八ヶ所所だけでなく、別格二十ヶ所、さらには西国三十三ヶ所巡礼も結願し、最後の高野山や谷汲山へお礼参りもした人もいます。巡礼者たちは、各札所ごとに般若心経や不動明王の真言を唱え、印をいただいて、参拝の証とすると聞きます。
 巡礼の動機は、亡き親族の供養から、新しい自分を見付けるきっかけを見つけるためなど、人さまざまなようです。

 最近、その友人の一人とお話しました。筆者のブログを読んでいただいていることもあり、「四国遍路をどう思うか」との質問も、話の流れで出ました。筆者がこのブログシリーズで、日本仏教に対して厳しい目を持っていることを承知の上での質問でしょう。もちろん筆者は「尊いことだ」と思っています。筆者は以前から四国遍路に興味を持ち、テレビの体験番組から、ドラマまでほとんど見ていると思います。

 弘法大師開祖の高野山のご本尊については、ネットで調べてもよくわかりません。高野山と言っても金剛峯寺をはじめとする各寺院の集合体ゆえでしょう(金剛峯寺の御本尊は薬師如来とあります)。高野山は日本古代神道系の山岳信仰と習合していることが、不動明王をも崇めている理由でしょう。四国八十八か所寺では弘法大師その人を御本尊としていると聞きます。
 崇める対象がさまざまであることは、キリスト教やイスラム教徒から見れば「驚くべきこと」でしょう。筆者にも当惑するところがないではありません。ただ、本来、空海が尊重したのは、大日如来、つまり、宇宙の最高神ですから、空海を拝んでも結局は大日如来に帰依することになり、問題はないでしょう。しかも、筆者が四国遍路を「尊いことだ」と考えるのは別の観点からです。

 筆者には遍路を続けている人の心の変化に興味があります。以下は、体験者の言葉や、テレビ番組の内容に、筆者の感想を加えたものです。
 まず、最初の数日は歩きながら、それまでの人生の苦しかったこと、悲しかったことを次からつぎへと思い出すのでしょう。自分への嫌悪感、思い通りにならない世間に対する不満を繰り返すこともあるかもしれません。しかし、何日か経つと足は痛く、疲れも重なって来るし、単調な景色にも見飽きて、だんだん何も考えなくなり、ただひたすら歩くだけになるでしょう。
 巡礼をしていると、各地の住民たちから接待を受けることはよく知られています。報謝そのものが巡礼したとことになるからだと言います。そして、各札所で真剣に参拝しているうちに、おのずと、「自分一人の力で巡礼を続けているのではない」ことを知るのでしょう。つまり、「歩いている自分」から、「歩かせていただいている自分」に気付くのだと思います。つまり、苦しんだり悲しんだりしている「内向きの自分の目」から「生かされている」という、「外から自分を見つめる」との、思考の逆転が起こるのだと思います。
 これこそ、四国遍路の最大の収穫でしょう。これらのことに気付けるかどうか、それが成功するかどうかとの分かれ目でしょう。一回でわかる人もいれば、100回以上回る人もいます。しかし、10回巡錫しようと100ぺん回っても気付かなくても、それはそれでいいのだと思うのです。