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志慶真文雄さんと浄土の教え(1)

志慶真文雄さんと浄土の教え(1)

 志慶真さんは沖縄県うるま市で小児科医院を開くかたわら、二階に聞法(もんぼう)道場をつくり、仏教講演会、仏教読書会などを開催していらっしゃいます。聞法とは、おもに浄土真宗で使われる言葉で、仏教の教えを聞くことです。
 志慶真さんは 「十歳のある日、夜空の星を見ながら、自分がいずれこの地上から消えてしまうという恐怖感とむなしさに襲われた。その日を境に生きていくのがつらくなり、誰か助けてくれという悲鳴をあげながら過ごしてきた」と言います。そして大学時代、「歎異抄」に関する聞法を通して、浄土真宗に出会ったのです。以後二十年にわたってそれを続け、沖縄に帰って開業し、「まなざし仏教塾」を開きました。現在は、ビハーラ医療団(註1)にも属し、「仏教の基盤に立った医療活動をしていきたい」と言っておられます。
 筆者が志慶真さんのことを知ったのは、2014年11月のNHK教育テレビ「こころの時代」でした。経歴も、テレビ映像から伺えるお人柄も誠実そのものの人で、深い印象を受けました。
 しかし、筆者には、そのおっしゃっていることで心に響くところはまったくないのです。浄土の教えを深く学んだ結果、どんなところに感銘したのか、視聴者に何を伝えたいのかが読み取れないのです。たとえば、

tannisho.a.la9.jp/seishi_wo_koerumichi_ge.html
http://manazasi-letter.com/index.php?2014%C7%AF(%CA%BF%C0%AE26%C7%AF)

をお読みください。ふしぎな気がします。誠実に生き、ひたむきに仏教の教えを学び、広めようとしている人を批判するのは大きなためらいがありますが、やはり見過ごすことはできません。ビハーラ医療団についても、その趣旨はあくまでも終末期のカウンセリングであって、けっして志慶真さんのおっしゃるような「仏教精神に基づく医療活動」ではないはずです(註1)。

 志慶真さんがテレビで「仏説無量寿経は宝の山です」とおっしゃっていましたのには驚きました。「仏説無量寿経」については、以前、このブログシリーズでお話しましたように、弥陀の四十八願という、「阿弥陀仏がすべての人を救うために立てた誓い」が書いてあります。しかし、そのエピソードがすべてフィクションであることは考えるまでもないでしょう。フィクションから何を学ぶというのでしょうか。さすがに浄土真宗当局の中にも「事実だ」と言うことに不安があるようで、「釈迦のようなすぐれた人が深い瞑想の結果感得したことだ」と註釈を付けています。しかし、これは宗教でよく見られる「逃げの論法」なのです。そう言われてしまえば議論は終わってしまうからです。

 筆者は、志慶真さんは法然の思想を誤解されていると思うのです。法然の著作をよく読めば、法然自身、「仏説無量寿経」の内容など重視してないことは明白なのです。法然や親鸞は、そんなものを飛び越えて、一気に他力本願の思想を理解したのです。筆者がそう考えた理由についてはのちほど改めてお話します。志慶真さんは他の宗教にも目を向けるべきだったと思います。
 今、わが国の仏教が滅びつつあるのはだれの目にも明らかです。志慶真さんのような浄土の教えの理解では、その衰退を止めようがないと思うのです。志慶真さんも読者の皆さんも、筆者のこの提言を虚心に受け止めていただくことを祈っています。

註1 ヒバーラ医療団とは、ネットで検索しますと、浄土真宗の教えを学び、ビハーラ(仏教ホスピス)運動を推進する医療関係者・ビハーラ関係者のネットワーク組織。1998年7月に内田桂太(岩手県立磐井病院院長、田畑正久(東国東国保総合病院院長)、田代俊孝同朋大学教授の呼びかけで発会。全国組織で会員は多くが医師などの医療関係者であり、同時に僧籍を持つ。毎年、各地で「仏教と医療を考える研修会」を開催。とあります。

佐野洋子さんの死生観(1,2)

佐野洋子さんの死生観(1)

 絵本作家でエッセイストの佐野洋子さん(1938‐2010)の大人の絵本(挿絵は北村裕花)のことは、NHK番組「ヨーコさんの言葉」で知りました。単行本「ヨーコさんの言葉 それが何ぼのことだ」(講談社)になり、早速読みました。その中にとても感動的な一章があり、ご紹介します(少し多くの部分を引用させていただきますが、本の売れ行きにマイナスでなく、プラスになることを願っています)。

フツーに死ぬ

 医者はレントゲン写真をビューアーにはさんで、
 少し沈痛な面持ちをしていた
 「ガンですね。一週間かもう少しもつか」
 フネ(愛猫:筆者註)を連れて帰った。
 フネはじっとめをつぶって 置いたままの姿勢だった。
 そばに水を置いてスーパーに行った。
 一番高いかんずめを十個買った。
 白身の魚のあまりのうまさに、
 パクパク食べてガンがだまされるかもしれん。
 レバーなんぞペロペロ食べたら、もしかしたら ガンも負けるかもしれん。
 高いったって安いものだ。
 しかし奇跡は起こらないだろうとも思う。
 小さな皿にスプーン一さじをとり分けて
 フネの鼻さきに持って行った。
 匂いをかいでフネは一さじ分を食べた。
 私は勇んでもう一さじを入れた。
 フネは口を閉じたまま私の目を見た。
 「ねえ、食べな」と私は言った。
 フネは私の目を見ながら
 舌を出して白身を一回だけなめた。
 私の声に一生懸命こたえようとしている。
 お前こんないい子だったのか、知らんかった。
 ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
 なんと偉いものだろう。
 時々そっと目を開くと、
 遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。
 静かな諦念がその目にあった。
 一週間、私はドキドキハラハラ浮わついていたのに、
 フネは部屋の隅で、ただただ 
 静かに同じ姿勢で、かすかに腹を波打たせているだけだった。
 見るたびに、偉いなー、人間はダメだなー、と感心した。
 二週間過ぎると、風呂場のタイルにうずくまるようになった。
 熱があって 冷たい所に行きたいのか、暗いところで 邪魔されたくないのか。
 ちょうど一月たった。 フネは部屋の隅にいた。クエッと変な声がした。
 ふり返ると少し足を動かしている。
 ああ、びっくりした、死んだかと思ったよ。
二秒もたたないうちに、またクエッと声がして、フネは死んだ。
全然びっくりしなかった。
私はフネを見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。
この小さな生き物の、
生き物の宿命である死を
そのまま受け入れている目に
ひるんだ。
その静寂さの前に恥じた。
私がフネだったら、わめいて
うめいて、その苦痛を呪うに違いなかった。
私はフネのように、死にたいと思った。
人間は月まで出かけることが出来ても、
フネのようには死ねない。
フネはフツーに死んだ。

感動的なお話しですね。しかし、これはウソだと思います。犬や猫など、人間以外の生き物には死の不安はないと筆者は考えます。危険を避ける本能はあると思いますが。ウソと言って悪ければ文学です。文学では人を救うことはできません。猫の死生観と言うより佐野さん自身の死生観でしょう。佐野さんはたしかにきっぱりとした人生観をお持ちの方です。それについては次回お話します。

佐野洋子さんの死生観(2)

 筆者の年齢になりますと、友人達が集まったとき、よく死生観の話が出ます。同年代の人たちの訃報が次つぎに来ますし、わが身にも色々不具合が出てくるからでしょう。中には「僕はもういつ死んでも後悔はない」と言う人がいます。しかし筆者は心の中で即座に「ウソだ」と思います。もちろんニコニコと聞いていますが・・・。そのときになってみなければわからないと思うからです。高名な禅師仙厓が死の間際に「死にとうない」と言って弟子たちを驚かせた有名な話があります。

 友人の一人がガンの生検を受けたときの気持を話してくれました。「検査結果は来週お話しますので、家族の方と一緒に来てください」と看護婦さんに言われたとき、「いや一人で大丈夫ですと言った。たとえガンと宣告されても絶対に動揺などしないとの自信があったからだ」と。「それでもぜひ」と言われて、「まあ、相手の立場もあるだろうから」と、次の週に奥さんを連れて行ったそうです。「結果は白だったけど、ひょっとしたら自分一人で行ってガン宣告を受けたら、帰りの電車ではどうだったかなー」と言っていました。そのへんが正直なところでしょう。

 じつは佐野さん御自身が乳ガンになり、7年後に亡くなられました。

 佐野さんは「死ぬ気まんまん」(光文社)で、
 ・・・「何よりも命が大事だというのはおかしい。私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ」と。そしてガンの脳への転移を医師から告げられると、「これで老後の心配がなくなった」。ガンが大腿骨にまで転移して痛いので、這うように病院に行ってもタバコは止めなかった。病院はもちろん禁煙だから帰りのタクシーで吸負うと思っていたが、タクシーも禁煙だったため、病院帰りに新車のジャガーを買った。車にさえ乗れば右足は動くから、自分の車でたばこを吸うためにである・・・「余命はあと2年です」と言われた時「これで老後の心配な無くなった」。「2年間の治療費はどれぐらいになりますか」と聞くと、「一千万円くらいでしょう」と言われ、「それくらいの値段のジャガーを買った」・・・
 これらの言葉はそのまま佐野さんの心を表わしたものだと思います。佐野さんは最後に骨髄にまでガンが転移して、「あまりの痛さにパジャマのひもを柱に縛り付けた。そうしなければ2階まで這い上がって行ってベランダから谷へ身を投げるかもしれないから」だ。そういう自分さえ客観的に眺めていた人なのです。まったくすごい人です。
 それは、いくつかの著作を読めばわかります。ちなみに「最後に『クエッ』と言って死んだのは愛猫のフネではなく、2年間寝たきりだったお父さんでした。

 ある、筆者の著書に関連して開いていただいた集まりで、「あなたの死生観は何ですか」と聞かれたことがあります。批判的な響きがありましたので、適当に答えておきました。しかし、親友にさえ言わないことを初対面の人間に言うはずがありません。筆者の心の奥底の問題ですし、第一、そのときになってみなければわからないからです。
 よく言われることですが、ガンが宣告された人はまず、「そんなはずがない」と、いろいろな別の病院へ行く。検査が進んで、だんだん本物のガンだとわかると、「神も仏もあるものか」「どうして私だけが」と怒る。次に「あと10年生かして下さい」というように神と取引する。さまざまな本を読んだり、新興宗教を尋ねたりする。そしていよいよダメだとなると、うつになり、最後に静かな諦めが来るそうです。(EC・ロス「死ぬ瞬間」読売新聞社)。ただ、前述の佐野洋子さんは、「私にはそういうのがぜんぜん当てはまらない」と言う。
  作家であり、僧侶でもある瀬戸内寂聴さんが、病気で激しい痛みが続いた時、「神も仏もあるものか」とテレビで公言したことがあります。驚いたNHKの渡辺あゆみアナウンサーが「でもあなたは僧侶ですし、仏教の教えについての講演や本もたくさん出していらっしゃるではないですか」と聞くと、「私は小説家ですから」と切り返していました。ことほどさように、筆者は小説家の死生観など信じていません。そのことは、吉村昭や津村節子さんを例として、以前に書きました。
 一方、佐野洋子さんの人間観は、これらの人とは次元が違うようです。「死ぬというのは当然のことだ。みんな仲よく元気に死にましょう」と言うのですから。
佐野さんは言います。
 ・・・どんなに冷静沈着な人でも、頭で考えることと気持ちの底の底は自分でもわからないのだ。
 その時にならないとわからないのだ。
 奥さんも医者もわからなかったのだ。
患者の言葉の向こう側の言葉でないものは、その時が来ないとわからない。
理性や言葉は圧倒的な現実の前に、そんなに強くないのだ・・・

筆者もまったく同感です。

臨床宗教師について(2)その不安

臨床宗教師について(2)その不安

 筆者は、ときどき「臨床宗教師になりたいと思います。研修はどんなものか教えてください」というメールをいただきます。先日、ご返事したものをご紹介しますと、

 ・・・メール拝読しました。臨床宗教師研修は、東北大学、龍谷大学、高野山大学、大谷大学などで開催されています。東北大学だけが年に何回か、いわゆる短期研修の形で行われています。あとの大学では大学院の課程として行われていますので、入学しなければなりません。あなたのご希望によれば東北大学のコースが適当と思われます。全国臨床宗教師協会事務局(連絡先:)へお問い合わせください。そのほかにキリスト教系のグリーフケア(悲嘆)アドバイザー研修制度、および上智大学グリーフケア人材養成講座があります。これらも大学院のコースではありませんので、あなたのご希望に沿うと思われます(連絡先:)
 
 臨床宗教師とは、終末期の患者さんの死の恐怖を軽くするためのカウンセリングです。キリスト教ではチャンプレン、仏教ではビハーラ僧とも呼びます。とても重要な役目で、筆者もますます発展していただきたいと思っています。ただ、筆者には、次の点でまだまだ大きな不安があります。

 第一に「お金はだれが出すか」です。上記のメールの方は現在介護士として働いておられるそうで、臨床宗教師になっても、当然生活が保障されなければならないでしょう。キリスト教系の団体では、古くから信者の金銭的奉仕の精神が広く行き渡っていますから、それによる援助の可能性は高いでしょう。一方、仏教系ではどうでしょうか。筆者の知るかぎり、ビハーラ僧を制度として雇い、給料を出している病院はただ一つです。上記の東北大学の臨床宗教師研修制度の修了生は2016年までに約140名ですが、担当の先生に直接聞いたところ、大部分の人は給料をいただけるような組織には属していないとのことです。つまり、すでにどこかの寺院の住職として生活の保障をされている人以外は、活動するとすればボランテイアとしてなのです。筆者が知っている数少ない終末カウンセリングの成功例は、僧侶として生活の基盤を持っている人と、キリスト教系大学の先生です。
 そもそも、心という重要な問題について、原理的に短期研修では無理ではないでしょうか。たしかに研修が終わった後も何回かフォローアップ研修が行われていますが、それでも、どうしても付け焼刃になってしまうような気がします。

 一方、介護士制度は、ご存知のように、国民が一定額の介護保険料を出し、それに基づく国の正式な制度です。現在、私たちは医療保険とともに介護保険料を払っています。とくに後期高齢者保険料は高額です。関係機関では、将来、臨床宗教師が国の正式な資格となることを目指しているいるとのことです。しかし、それが認められたとしても、国民が「終末期カウンセリング保険」制度まで受け入れるかどうかです。そもそも介護活動は、食事を作ったりや買い物など、一日も欠かすことのできない実務です。それゆえ、国民のだれもが納得しやすいでしょう。一方、終末期カウンセリングは、さまざまな人の心の問題だけなのです。そういういわばソフトのサービスに対して国民は保険料を払わおうとするでしょうか。つまり、はたして制度として納得するかどうかです。 いわんや個人的に謝礼を払える人などごくわずかでしょう

 第二に、講師の側、つまり、今のわが国の仏教僧たちには終末期カウンセリングの実務経験はほとんどないはずです。当ブログシリーズで何度も取り上げてきましたように、その宗教的素養についても不安があります。東日本大震災のあと、わが国の代表的仏教宗派から多くの僧侶が現地に派遣され、遺族の声に耳を傾けよう(傾聴)としました。しかし、「全く無力だった」と涙ながらに挫折を告白していた、見るからに誠実そうな僧侶もいたことを知らねばなりません。仮設住宅の扉に「傾聴お断り」の張り紙をされたところもありました。「ビハーラ僧は病院へ来るな」という声もあるのです。たしかに、葬式のイメージのある僧衣を着て、死の予感におびえる人たちの病棟を歩き回られたら、たまったものではないでしょう。研修を受けて終末期の患者さんのところへ何度か行っても、結局最後まで宗教的なことは何も話せず、ただ、よもやま話だけをして終わった僧侶もいます。

 日本人の大部分は仏教徒ですが、事実上は無宗教であることはよく言われていますね。いったい、いままで無宗教だった人に、はたしてカウンセリングができるのかどうか危ぶまれるのです。上記の東北大学の研修では、仏教の僧侶のみならずキリスト教の神父(牧師)さんや神道の宮司さんも講師となっています。形の上でも仏教徒であった人、キリスト教徒、無宗教の人たちも対象になることを想定しているからでしょう。しかし、多様な終末期患者に対して掛け持ちで(そうしない金銭的な保証が得られない)カウンセリングなどできるのでしょうか。ある終末期の患者さんが「今まで宗教など信じていなかったのに、この期に及んで宗教的カウンセリングを受けるのは・・・」と正直に言っていました。

 もちろん筆者は、これからの臨床宗教師やチャプレンの活躍を心から願っています。そして上で紹介した「臨床宗教師になりたい」と言う人たちに「情報提供などについて、できる限りお役に立ちたい」と返事しました。しかし、ブログを読んでいただいたことが臨床宗教師になりたいとのきっかけになったとすれば、筆者にも責任が生じます。上記の筆者の感想をお考えの上、すでにこれらの研修を修了した人たちの意見も聞いてから参加を決断されることをお勧めします。

三界唯一心‐ そもそも三界の解釈がまちがっている(1、2)

三界唯一心‐ そもそも三界の解釈がまちがっている(1)

 「正法眼蔵」には第四十一・三界唯心巻があります。道元が三界唯一心・心外無別法について触れた部分です。三界とは、ためしにネットで調べてみますと、

・・・仏教の世界観で、生きとし生けるものが生死流転する、苦しみ多き迷いの生存領域を、(1)欲界、(2)色界、(3)無色界の3種に分類したものを三界といいます(註1)。
(1)欲界はもっとも下にあり、性欲・食欲・睡眠欲の三つの欲を有する生きものの住む領域です。
ここには地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6種の生存領域(六趣、六道)があり、欲界の神々(天)を六欲天といいます。
(2)色界は前記の三欲を離れた生きものの住む清らかな領域をいいます。絶妙な物質(色)よりなる世界なので色界の名で呼ばれています。
(3)無色界は最上の領域であり、物質をすべて離脱した高度に精神的な世界です。ここの最高処を有頂天(非想非非想処)と称します(註2)・・・

こういう説明は多いのですが、まずこの解釈に問題があるのです。そこで、そこからお話します。三界と言うのは世界とか空間ではなく、心の状態のことなのです。ついでに言いますと、六道という言葉についても同じような誤った解釈があるのです。六道と言うのは、やはり、世界とか空間ではなく、心の状態のことなのです。ここをはっきりさせないと道元の思想はわかりません。

註1 釈迦はこの三界や六道での輪廻から解脱しているとされています。
註2 以前のブログで「地獄極楽思想は日本独自のものだ」とお話しました。
源信(942‐1017)が仏典類をよく調べて「往生要集」を書いたと言います。
地獄極楽思想は、この三界とか六道を誤解したものでしょう。

 三界や六道を、上記の引用「生きとし生けるものが生死流転する、苦しみ多き迷いの生存領域(空間)としてしまうと、当然、輪廻転生と言う概念に至りますね。しかし、そもそも釈迦が輪廻転生について話すはずがありません。
 以前のブログで「そもそも釈迦仏教は、それ以前のヴェーダ信仰の対立命題として始まった」とお話しました。インドでは古くから輪廻思想がありました。しかし、それは、カースト制度という厳しい身分制度の理論的根拠となっていたのです。たとえば上位のバラモン(宗教者)やクシャトリア(武士)階級の人間は、死後も高い世界に至り、また生まれ変わるときにバラモンやクシャトリアになる。一方、バイシャ(一般市民)は上位の天空界へは行けない。さらにスードラ層は輪廻のサイクルからも外れていると言うのですから。
 「それはおかしい」と言ったのが釈迦なのです。釈迦が輪廻転生説を口にするはずがありませんね。そんなものは、明らかに後代付け加えられたものです。さらに、釈迦は「死んだ後はどうなるかなど、よくわからないことについては話題にするな」と言ったのです。無記と言います。インドの大衆から熱烈な歓迎を受けたのはこのためなのです(註3)。釈迦の思想をたどっていきますと、あくまで現実に即したものであり、大乗経典類のような観念的なものとは異なることがよくわかります。

註3 その後仏教がインドから駆逐されてしまった理由の一つもここにあるのです。すなわち、現代に続くインドの根強い身分制度の恩恵を受けている「上流階級」の人間が、釈迦仏教を排斥したのは当然でしょう。ちなみにもう一つの理由が、インド人には国民性ともいうべき強い現世利益志向があるのでしょう。これらの理由にマッチしたのが、今に続くヒンズー教なのです。
もちろん釈迦仏教には現世利益思想などまったくありません。

 前置きが長くなってしまいました。次回、本題の三界唯一心・心外無別法についてお話します。

三界唯一心‐ そもそも三界の解釈がまちがっている(2)

 前回お話したように、「正法眼蔵」には第四十一・三界唯心巻があります。道元が三界唯一心について触れた部分です。

この言葉は、もともと「華厳経・十地品」、とくに八十華厳の「三界所有、唯是一心」に由来するもので、心外無別法と対句として使われることが多いです。しかし、この重要な言葉にも誤った解釈が少なくありません。たとえば、

 「曹洞宗東海管区教化センターHP」では、道元の「正法眼蔵・三界唯心」の解説として、

 ・・・全宇宙のあらゆる現象は唯一心の現れだしたものであり、全存在は実在性のないものであるということであります・・・(中略)・・・私たちが認識し存在していると感じている世界は所詮私たちの心が、有る無しと認識しているにすぎないのであり、私たちの心を離れては存在するものではないのであります・・・

と解釈しています。これでは唯識思想と同じになってしまいます。唯識思想については以前このブログでもお話しましたが、要するに
 ・・・この世界のすべてのモノゴトは縁起、つまり関係性の上で現象しており、それを人が認識しているだけである。心の外に事物的存在はない ・・・
という思想であり、以下にお話するように、道元の思想とは違うのです。
 
 前回、「三界とか六道輪廻の思想が、死後の空間などではなく、心のあり方の問題だ」とお話しました。道元はこの前提に従って「正法眼蔵・三界唯心」を述べているのです(註1)。道元はまず、

 釈迦大師道(い)わく「三界は唯、一心にして、心の外に別法無し。心・仏、及び衆生、是の三は、差別無し。一句の道著は一代の挙力(こりき)なり、一代の挙力は尽力の全挙(ぜんこ)なり。

 三界とはただ一つの心である。心のほかにまた別の法はない。心も、仏も、衆生も別のものではない。この一句は、釈迦が一代の総力をあげてなされたものであり、三界唯心とは、釈迦のさとりのすべてである・・・

と言っています。つまり道元は、「三界、すなわち世の中のできごと、つまり、お金や人間の問題についての苦しみは、みな自分の心が見ている世界、物質世界を唯一絶対と考えて、こだわっているから生じるのだ」と言っているのです。
 そしてさらに、三界唯一心の思想は唯識説とは異なることを、

 三界は全界なり、三界はすなはち心といふにあらず

とはっきり述べています。けっして物質的世界の存在を否定しているのではないのです。「あなたが見ている世界は、別の人が見ている世界とは異なり、唯一絶対ではありません。正しいモノゴトの観かたで世界を見ることが大切です」と言っているのです。まさに、釈迦が一代を掛けて達した知恵ですね。

註1そもそも「華厳経」の唯心説自体、唯識説とは異なり 四大種(万物の構成要素とされる、地、水、日、風の四つの元素と、それらによって構成される物質)の存在を認め、それが認識されうるのは心の虚妄分別によると説かれています。

禅の要諦‐今日だけを生きる(1,2)

禅の要諦‐今日だけを生きる(1)

 本年初場所で稀勢の里関が初優勝した時のインタビューの、「今までの道は辛くて長くて大変だったでしょう。どんな気持ちで耐えてきましたか」の問いに対し、「一日一番の気持ちでやってきました。これからもそうして行きます」と言っていたのがとても印象的でしたね。

 今回のテーマは、禅に関するシリーズのまとめとして、もっと後でお話しする予定でした。しかし、現在ガン闘病中の人や、寝たきり老人の介護、認知症の連れ合いや、重い病気の家族の世話など、過酷な状況にあって、先の見えない日々を送っている人がたくさんいます。また大震災や不慮の事故で、かけがえのない肉親を失って取り返しのつかない日々を送っている人もいます。また長い間の引きこもりという、ともすれば家族からもわかってもらえない、つらい人生を送っている人も少なくないと言います。

 このブログシリーズでは、「禅の心を、少しでも苦しんでいる人たちにお伝えできれば」と考えています。もちろん筆者が禅についてわかったことはごくわずかです。しかし、大乗仏教に、「自未得度先度他(たとえ自分が未熟でも、まず他の人を助ける)」という基本的な立場があります。その言葉を拠り処にして発信続けています。
 いま述べた人たちの苦しみは、筆者のこれまでの体験とは比較にならないほど大きいと思います。それでもなんとかエールを送りたいと思っているのです。それらの人たちの多くは筆者のブログシリーズなど読んだことはないと思いますし、今でもそんな心の余裕もないでしょう。しかし、誰かがこれを読んで下さって、友人達にも伝わるかもしれません。

 相撲の世界では、昨日の失敗を引きずっても、明日の不安を思っても、絶対に今日勝つことはできないでしょう。稀勢の里の上記の言葉こそ、勝負の世界を生きている人が必死に学んだ教訓でしょう。その経験に基づいた言葉が「一日一番」なのだと思います。

 元横綱で相撲協会理事長だった北の湖さんが、現役時代のインタビューで「ピカッ」と光ることを言っていました。優勝した場所のすぐあとで、アナウンサーの「序盤に2敗された時は『今場所は優勝はダメだ』と思いましたか」と質問に対し、「いやそんなことはありません。一番一番懸命にやろうと思っていました」。「では終盤になって他の力士の負けが込んできたときは『これは行けるかもしれない』と思いましたか」と問うのに応えて、やはり、「いえそんなことはありません。一番一番に全力を尽くすだけだと思っていました」。そして北の湖さんは見事に優勝したのです。

 いかがでしょうか、北の湖さんや稀勢の里さんのような勝負に生きている人の言葉がこれなのです。比叡山の千日回峰行を生涯に2度も達成した酒井雄哉師に「一日一生」という著書があります。すさまじいばかりの苦行を乗り切った人です。北の海さんや稀勢の里さんの言葉と同じですね。だれも助けてくれない、自分一人で耐えなければならない人たちが、はからずも到達した境地なのでしょう。

 じつは、これこそ禅の要諦なのです。禅にもまったく同じ思想があるのです。禅は先人たちが数百年にわたって学んで到達した真理・・・正しいモノゴトの観かたなのです。けっして単なる「はげまし」や叱責などではないはずです。

禅の要諦‐今日だけを生きる(2)

 「空思想」とは、「私がいてモノを見る」という、これまでのモノの見かたとは異なり、「私がモノを見るという体験こそが真実だ」とくり返しお話してきました。「モノを見る」という体験は一瞬です。良いとか悪いとか、きれいだとか汚いという価値の判断は入り込む余地はありません。まずここが大切な点です。そして、体験は一瞬ですから、「限りなくゼロに近い一瞬の連続が人生だ」とも言います。
 「そんなことを言われても」と言う人は多いでしょう。当然です。私たちは物心ついた時からずっと、「私がいてモノを見る」という「モノゴトの見かた」に馴らされてきましたからです。モノゴトの見かたを切り替えればいいのです。簡単ではありません。ある程度の訓練は必要でしょう。それが修行なのです。

 しかし、世の中には「私がいてモノを見るというモノゴトの見かたは真実ではないのではないか」と気が付いた人もいるのです。ドイツのE.カントやわが国の西田幾多郎などです。西田は旧制高校生の頃からそんな疑問を持ち続けていたそうです。それが有名な「善の研究」になって結実しました。カントも西田も後に哲学者になりました。やはり彼らは非凡なのでしょう。
 
 筆者は30年ほど前、大きな問題に直面し、「いったいこれからどうなるのだろう」と不安に駆られた時期があります。次々に心配な要素が出てくるのです。その時相談した恩師から、「目の前の事態を一つ一つ対処して行けばいいのです」と言っていただき、心が休まったことがあります。そしてそのとおりだったのです。心配したことの多くが杞憂でした。そんなことは起きなかったのです。そして数年後、問題は見事に解決しました。それ以降も問題が起きるたび、いつもそれを信条として解決してきました。

 じつは、筆者が以前読んだD.カーネギーの「道は開ける」(創元社)にも同じようなことが書いてありました。苦しくてどうしたらいいのかわからず、ニッチもサッチも行かなくなった人たちへのアドバイスです。カーネギー自身の経験から導き出した人生訓なのです。カーネギーのアドバイスの主旨は「現在と、苦しかった過去、不安でたまらない未来との間にバリアーを作って不安の元を遮断し、今日だけを生きる」でした。どんなにつらい過去があっても、どんなに不安な未来があろうとも、「今日は生きている」と言うのです。「少なくとも今は間違いなく生きている」のですから。名言ですね。

 禅でも同じことを言っているのです。両者は別々に発想されたものでしょう。しかし、まちがいなく、人間が生きて行く上の大切な智慧なのです。