「未分類」カテゴリーアーカイブ

正法眼蔵のむずかしさ

「正法眼蔵」のむつかしさ

 道元の「正法眼蔵」は、わが国古典の中で最も難解なものとされています。筆者もなんとか道元の真意を読み解こうとしていますが、理解の難しさの理由の一つとして、道元はじつに巧みにピントをずらして論述しているせいだと感じています。それはもちろん、禅では答えを直接明示せずに、あくまで修行者自身に気付かせることが教えの根本だからでしょう。それにしても、道元がピントをずらす巧みさには、しばしば驚嘆するのです。
 「隠し絵」というものがありますね。子供向けの絵本によくある「この森の中に動物が隠れています。それはなんでしょう」と言う類いです。そのごく高級なバージョンと考えていただければいいでしょう。

 「正法眼蔵」の解説書はたくさん出されています。しかし、そのほとんどは、原文をそのまま和訳したものに過ぎません。原文は当時の多くの文書と違ってかな交じりの文で、比較的読みやすいのですが、そのまま現代文に訳してもほとんど意味がわからないのです。そうではなくて、その奥に隠されている真意を読み取らなければならないのです。真意がわからなければ正しい訳もできるはずがありません。へたな外国語通訳と同じで、「言っていることはわかるけど、意味がわからない」ことになるのです。
 
 筆者の尊敬する元東京大学医学部教授で、文部大臣だった橋田邦彦先生は、「20年にわたって正法目蔵を研究してきた。そして今でも毎日それを勉強している」とおっしゃっています。橋田先生が「正法眼蔵」の解読を志されたころ、永平寺の眼蔵会講師であった岸沢惟安師(1865-1955)による解説書が部分的に出版されていました。しかし、橋田先生は現代の解説書は一切斟酌されず、ただ、東京大学図書館で見付けた「正法眼蔵御抄(註1)」を手掛かりにしながら独力で理解することに努められたのです。正しい判断だったと思います(筆者も岸本師の著書を読んでみましたが、手に負えませんでした)。

註1「正法眼蔵」の解説書。弟子詮慧が道元から直接聞いたことを、その弟子経豪が記したもの。すでに当時から、「正法眼蔵」が難解であったことが知れます。なお、「正法眼蔵」を漢文で翻訳したものもあると聞きます。当時の人々にとって漢文は教養の必修科目で、道元の仮名交じり文より理解しやすかったのかも知れません。

 筆者も87巻のさまざまな部分を読む時、最初はさっぱりわからないことがしばしばです。何日も考えます。そうしていますと、あるとき「スッ」と腑に落ちることがあります。
 このことを念頭に入れていただいた上で、次回お話しする「正法眼蔵 即心是仏」をお読みください。

仏性ー仏教の混乱(1,2)

仏性‐仏教の混乱(1)

 「狗子仏性」「即心是仏」「非心非仏」など、禅の公案には「仏(性)」に関するものがたくさん出てきます。さらに仏教全体を通しても「一切衆生悉有仏性」という重要な言葉があります。道元は「正法眼蔵 仏性巻」で、「これこそ釈尊の教えの根本であり、代々の祖師が悟り、伝えて来たものである」と言っています。
 しかし、肝心の「仏(性)」とはなんですか、と言われてもよくわからないところがあります。試しにネットで調べてみますと、
 例1)仏の性質・本性
 例2)悟りの境地
 例3)人間だけが持つ覚者(仏=ブッダ)になれる可能性

わが国の仏教研究の碩学中村元博士は、
「仏性の意味を平たく言えば“いのち”といってよい。だれにもこの“いのち”がそなわっていて、それゆえに、みな平等であるというのがこの経典(涅槃経)の中心思想である」(「仏教のことば 生きる智慧」中村 元編著)
考えるまでもなく、1)と3)はまったくちがいます。第一、1)でさえ、「仏とはなにか」の答えにはなっていません。一方、3)では「仏」とは釈迦のことなのですね。「神」ではないのです。阿弥陀様も観音様も「仏」、先祖の霊も「仏」なのです。キリスト教では神は唯一絶対の存在、キリストはキリストと厳密に区別されているのとなんと大きな違いでしょう。これが仏教の混乱の元だと筆者は考えています。その理由は後ほど示します。

 ちなみに「一切衆生悉有仏性」は、「大般涅槃経」にある言葉ですが、その意味はこれまでほとんど、

 ・・・いかなる凡夫であっても、そのままで仏性、すなわち悟りの萌芽を持っている・・・

と解釈されています。つまり3)の解釈ですね。「一切衆生悉有仏性」についても宗派によって解釈の違いがあり、「衆生の中にはブッダ(覚者)になれない者もあるという説 (法相宗) 、人間に限らず、山川草木や生類すべてに仏性があるとする説(天台宗)、それらの精神性をもたないものは仏性がないとする説(華厳宗)など、じつにさまざまですます。仏教の中心課題の解釈がこのようにバラバラではどうしようもありません。現在でもそうなのです。

 いかなる宗教でも「神」がバックグラウンドにあるのは論理的必然です。しかし、おかしなことに、仏教では神とか絶対者とか宇宙意識というような概念が出てこないのです。いや、隠されているのです。その理由はおそらく、釈迦仏教が、それ以前のインド思想であるウパニシャッド哲学のアンチテーゼ(対立命題)として出て来たものだからでしょう。ウパニシャッド哲学では、梵(ブラーフマン)という絶対者(神)との合一を理想としているからです(梵我一如思想)。これが仏教では絶対者の存在が曖昧な理由なのでしょう。

浄土系思想は、仏教史の中でも革新的な思想です。以前お話したように、釈迦以来の仏教が自力本願を旨としているのに対し、浄土系思想では、なんと他力本願を本旨としているからです。筆者は、浄土思想を確立した法然こそ、仏教史上龍樹(ナーガルジュナ)を超える大天才だと考えています。しかし、唯一、浄土系思想で絶対者のようなものが出てきますが、それは阿弥陀如来であり、まだ絶対者とは言えない存在、つまり如来の一つなのです。

 この仏教における混乱を初めて打開したのがしたのが、あの道元なのです。

仏性‐仏教の混乱(2)

 くりかえしますが、あらゆる宗教が絶対者をバックグラウンドにしているのは論理的必然です。それなのに仏教ではそこがきわめて曖昧なのです。筆者が仏教を学んでいますと、いつも何か引っ掛かるものがありましたが、いま、その原因の一つはこの曖昧さにあるように思いました。もちろん禅でも事情は同じです。禅を学んでいますと必ず神とか宇宙意識のような絶対者の存在が背景にあることがわかります。なのにいつもそれが漠然としているのです。そこを打破したのが、あの道元なのです。

 道元は、たとえば「一切衆生悉有仏性」の意味としての、

 ・・・いかなる凡夫であっても、そのままで仏性、すなわち悟りの萌芽を持っている・・・

という一般的解釈について強い疑問を感じていました。わが国の高僧に尋ねても納得ゆく答が得られず。そのために中国へ渡ったという話もあります。そして道元が把握した「仏性」の意味はこれらとはまったく違いました。たとえば、「正法眼蔵 第三巻仏性」の冒頭には、

 ・・・釈迦牟尼仏言 一切衆生 悉有仏性 如来常住 無有変易(むうへんやく)。これわれらが大師釈尊の獅子吼の転法輪なり・・・

とあります。大乗経典の「大般涅槃経」の一句をそのまま引用しているのですが、道元は「一切衆生、悉有仏性」を「一切の衆生、つまり自然界におけるすべてのものは仏性である」と解釈しているのです。それは、これに続く言葉・・・すなわち悉有は仏性なり・・・から明らかです。「衆生は悉く仏性(ブッダになれる可能性)を持っている」という意味ではないのです。「悉有は仏性なり」、つまり、すべてのものは仏の顕現であるという意味なのです。次の道元の道歌もまさにそれを示しています。

 峰の色 渓の響きも みなながら 釈迦牟尼の声と姿と

明らかに釈迦牟尼仏=仏(ほとけ)=宇宙原理=神と考えていますね。さらに道元は、

・・・ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて(仏の家に投げ入れて)、仏のかた(方)よりおこ(行)なはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる(「正法眼蔵 生死巻」)・・・

の一節も、明らかに仏=宇宙原理=神を示しています。つまり、道元こそ、釈迦仏教を乗り越えた人なのです。禅が仏=宇宙原理=神を根本原理としていることは、さまざまな公案や書物を読めばおのずと明らかです。

即心是仏‐「正法眼蔵」(3)

  道元が仏(神)の存在を認めていた理由

 この「正法眼蔵・即心是仏」で道元は、
いはゆる正伝しきたれる心といふは、一心一切法、一切法一心なり。
つまり、「いわゆる仏祖が正しく伝えて来た心とは、すべての存在のことであり、すべての存在は心の姿である」と言うのです。

古徳云く、「作麽生(ソモサン)か是れ妙浄明心山河大地(センガ ダイチ)、日月星辰(ニチガツ ショウシン)」・・・心とは山河大地なり、日月星辰なり。
 また昔の高僧達も、「清浄にして明らかな心とはどういうものか、それは山河大地であり、太陽や月や星である・・・心とは山河大地であり、太陽や月や星である」
と言っているのです。
つまり道元は、悟りに達した者のみの心が認識する山や川、日月や星こそ真の実在である(だから発心し、修行し、菩提、涅槃に入るように努めなさい)と言っているのです。悟りに達した者の眼で見た自然とは、仏(神)の目で見た自然だというのが論理的必然です。道元自身がそうと自覚していたかどうかはわかりません。しかし、
ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる(「正法眼蔵・生死巻」)
の仏とは、まさに神仏の「仏」ではないですか。

 筆者は、人間には本来仏(神)性があり、ふだんは潜在意識の中に眠っている。それが修行や禅の学ぶことによって顕在意識、そして神仏と通じるようになると考えています。それが悟りなのです。しかし、なにも禅の修行だけが、神の心に通じるための必須要件なのではありません。すぐれた芸術家や科学者は、常人以上の努力と集中力によって偉大な成果を挙げています。漱石は禅を学んだそうですが、芥川や谷崎についてはそういった話は聞きません。「モーツアルトの音楽には神の心が感ぜられる」と言う意味のことを小澤征爾さんが言っています。天才とは「生まれながらに神の心に通じている人」ではないかと思います。しかし天才でなくても神の心に通じることはできるのです。それは懸命な努力によって成し遂げられるのだと思います。イチローがどれだけ努力と工夫を知っているかをご存知の人は多いでしょう。

 話を元に戻します。道元は禅思想のバックグラウンドが仏(神)であると認識していたはずです。それは道元の書いたものや言った言葉から明らかです。本人がそれをどこまで認識していたかどうかはわかりませんが。

菜根譚と唯識思想

菜根譚と唯識思想

 先日、NHK「こころの時代」で、興福寺貫主多川俊映師が「唯識で読む菜根譚」と題するお話をされていました。菜根譚は、中国明時代の洪応明(1781‐1836)の作で、儒教・道教・仏教などを参考にした人生訓です。

論語の教えは、たとえば「衛霊公篇」には、

 ・・・子曰く 君子もとより窮(きゅう)す 小人窮すればここに濫(みだ)る・・・

(孔子と弟子たちが国を追われて放浪中、餓死の危険さえあった時、弟子の子路が「君子でもどうしようもなく困ることがありますか」と、少し皮肉の意味も込めて言った言葉に対する、孔子の答えですね。子路は孔子の答えを聞いて躍り上がって喜んだそうです。)

とあります。たしかに素晴らしい言葉ですね。ただ、論語に書いてある教訓の多くは、君子のためのもので、実践するのはなかなか難しいです。それに対し菜根譚は大衆のためのもので、すぐにでも実行できるものが多いのです。多川師の紹介する菜根譚の一節、

 ・・・人の小過を責めず、人の陰私(人には知られたくない陰の部分)を発(あば)かず、人の旧悪を念(おも)わず、三者以て徳を養うべく、また以て害に遠ざかるべし(人から悪く思われない)・・・

別の項目には(以下は和訳で)、

 ・・・他人の悪いところを責める場合は、あまり厳しくしすぎてはいけない
相手が受けとめられる範囲を考えて責める必要がある・・・

 ・・・一所懸命にがんばるのは美徳であるが、度を越すと人間らしさが失われて
楽しめない。さっぱりとして無欲なのは立派であるが、枯れすぎては生きている意味がない・・・

 ・・・友人と交わる際には義侠心が大事な要素だ。人間らしくあるには赤子のような純真さが大切だ

どれも、誰にとっても身につまされる内容ですね。このように菜根譚はさりげない言葉ですが「ハッ」と胸を突くものが多いのです。

 多川師は、「どんな読み方をしてもいい。浄土真宗なら浄土真宗の立場から、法華宗なら法華宗の視点で、というように。ただ、何かをベースにしなければ本当に読んだことにはならない。」と言っています。多川師自身は「唯識をベースにしている」と。アナウンサーの「菜根譚と唯識には矛盾するところはありませんか」との問いに対し、「まったくありません」。多川師は、

 ・・・唯識思想は、文字通り「ただ意識だけがある」、すなわち「一人一世界」、つまり、同じモノを見ても人によって見方が待ったく異なるものだ。そのことをはっきり認識しないと誤解が生じる。人びとがお互いに理解し合うためには、唯識思想が有効だから・・・

と言っています。しかし、以前お話したように(註1)、唯識には思想として構造的な欠陥があります。それをベースにするのはいかがなものでしょう。興福寺はずっと唯識思想を尊重してきました。しかしそれが足枷になって、外に踏み出すことができないのではないでしょうか。その事情は他の宗派とて同じでしょう。筆者が仏教の宗派に一切とらわれずに東洋思想を学んでいるのは、この弊に陥りたくないからです。菜根譚には、

 ・・・人の寝静まった夜更けに、独り座禅を組んで自分の心をみれば妄想が消えて
真実の物事が現れてくる・・・

などもあり、むしろ禅をベースにしていると言ってもいいのです。いや、菜根譚を読むのには、いかなるベースも必要ないのです。

註1 筆者の以前のブログ「唯識思想」をお読みください。

死と向き合う

死と向き合う‐NHK「団塊の世代・誰にでも訪れる”死”-どう考える?」より

 キリスト教のシスターで、聖心女子大学教授鈴木秀子さんは、これまで千人以上の人の死を見送ってきました。その枕元で手を握りながら言います「死はいかなる人にも例外なくやって来ることをもう一度確認して下さい。人生の終わりというのは、この世を卒業して自分の意志で向こうの世に生まれ変わって行くすばらしいチャンスです」と。そして、「吐く息ごとに、不安や心配が一つひとつ出て行きます。過ぎ去ったことはすべて許されます(註1)」と話し掛けて、穏やかな死を迎えさせているとか。本当に尊い行為ですね。
鈴木さんご自身は以前、階段から落ちて4時間の臨死体験をした。時間のない、明るくてあたたかい世界だった。神の世界のすばらしさを実感した」と言っています(註2)。

 「神に対する深い信仰を持っている人の臨終は、そうでない人とは全く違い、最後まで平静を保って見事だ」と、ある長年ホスピ((終末期医療)に携わっていた人は言っています。以前このブログシリーズでも、「末期ガンの患者を見舞いに行ったらあまりにも平静だったので驚いた。その人はキリスト教信者だった」という友人の経験談を紹介しました。

 ただ、神や天国の存在を信じられない人たちにとってはこれらの話は説得力が弱いでしょう。「今まで神仏などまったく信じて来なかったのに、この期に及んで神仏に頼るのは・・・」と正直に告白する末期ガン患者もいました。

 鈴木秀子さんはさらに、「死を間近にした人の多くの人が『仲違いして疎遠になった人と和解したい』と言った」ことを紹介しています。また、あるガン患者の「残された家族のことが気掛かりです」に対して、「それはあなたの思い上がりです。人はちゃんと生きて行く力を神から与えられているのです」と答えています。味わい深い言葉ですね。

 全国で100か所以上開いて来た「ガン哲学外来」主宰の順天堂大学教授桶野興夫さんは言います。「今までの医療は高度は技術の施行者だった。医師は死を前にした人々に寄り添う気持ちが薄かった。その強い反省からこの「ガン哲学外来」と開いた」と言っています。樋野さんはまた、「ただ相談者の話を聞くだけではなく、対話するすることが大切だと気づいた。解決はできないけど解消はできる」とも言っています。この「外来」に集まったガン患者たちは「患者同士が、お互いの悩みを吐露し合って、気持ちがずっと楽になった」と話しています。
 樋野さんは死の不安におびえる相談者と30分から1時間かけてゆっくり対話し、「どうせ死ぬなら自分のことばかり考えないで、人の役に立つようなことを考えたらどうですか。死はあなたの最後の大仕事ですよ。頭を切り替えることが大切です」とアドバイスしているそうです。つまり、「悩みはあってもちょっと優先順位を変えさせ、本人が自ら変わるように手助けするのです」と。

 番組では、ある重いガン患者が、「今まで抗ガン剤の副作用に苦しんだ。またガンが再発し、医師から『前よりもう少し強い副作用があります』と言われ、もうあの抗ガン剤の苦しみは味わいたくない。それよりも残された毎日のささやかな時間を楽しみたい」と、治療を断った談話を紹介していました。たしかにそれも重要な選択肢ですね。

註1)「過ぎ去ったことはすべて許される」かどうかについては疑問です。筆者はこの問題についてさまざまな方向から調べたことがあるのです。たしかに神はすべての罪を許して下さいます。しかし、それには大切な条件があるのです。つまり、瀕死の人に向かって「そのままで許されます」と言うのは、有効かもしれませんが、疑いもあるのです。方便とは言え、間違ったことを言うのはいかがなものでしょう。

註2)アメリカなどには、臨死体験を真面目な科学として研究している人もたくさんいます。日本でそういう研究をすれば、周囲から強い反発があるはずです。国民性の違いでしょう。研究の結果、脳の特定の部分に弱い電気刺激をすると、被験者は体外離脱を体験することが確かめられています。さらに、「トンネルの向こうにまぶしいほどの光が見えた」とか、「すばらしい花園があった」というような臨死体験は、じつは人間の防御機構の一つとしてDNAの中に組み込まれており、死に瀕した時それが「幻想」として発現するのだと言う科学者もいます。つまり瀕死の人が見た風景がほんとうに天国だったのかどうか、疑問もあるのです。

資本主義の行き詰まり‐東洋思想は世界を救う(1-7)

資本主義の行き詰まり‐東洋思想は世界を救う(1)

 先頃、ある会社のトップとお話したさい、「禅の目で見た世界経済について、どう思いますか」との質問がありました。先日、NHKスペシャルで3回にわたって「マネーワールド」を放映してましたね。とてもわかりやすく、現代の資本主義の問題点がまとめられていました。「もう資本主義は限界に達しており、打つ手がない」と言う。
 そこで今回のブログシリーズでは3回に分けて、「資本主義の行き詰まり‐東洋思想は世界を救う」について筆者の考えをお話します。

 番組の要旨はこうでした。すなわち、約250年前に世界は資本主義の時代に入りました。「国富論」の著者アダムスミス(1723-1790)は、「人類が欲望のままに活動すれば『見えざる手』が社会を繫栄に導く」と言いました。たとえばアメリカ大恐慌のあと、公共事業の拡大で雇用を確保したように、「何かつまづきがあっても、必ずその打開策が出てくる」と言うのです。

 まず、産業技術が飛躍的に発展し、大量の製品が作られるようになった。先進国はその販路として植民地を作った。あとでも言いますフロンテイアです。しかし、植民地になるような国の数には限界があり、その動きも止まったのです。そこで次に金融を各国経済の重視するようになりました。国境を超えた為替取引きなどで、いわゆる金融空間です。たとえばアメリカなど、世界150か国以上に投資しています。しかし、地球の大きさや国の数は有限です。金融投資に基づく資本主義には必ず限界があるのです。これが第2のフロンテイアです。そしてとくにグローバル企業は、より早く、より効率よく、より手ごろなものを過剰なまでに追及システムに変貌した、スーパー資本主義と言えるものになっていると言います。
 「世界の富豪62人の資産総額は、36億人の資産の総額に匹敵する」とか。グローバル大企業の収益と国家予算を並べると、上位100のうち、企業の占める割合が7割を超え、スーパーマーケットのWalmartは、なんとアメリカ、中国、ドイツ、日本、フランス、イギリス、イタリア、ブラジル、カナダに続く第9位なのです。それほど格差が広がったのですね。イギリスではホームレスの若者が78万人と増え、アメリカでは実に7人に1人が貧困層なのです。

グローバル大企業の問題点

 これら企業のグローバル化、肥大化にはさらに、次の大きな問題があります。

 1)租税回避:たとえばIT企業のアップルは、採算の高い部門を意図的に税率の安いアイルランドに移し(タックスヘヴンですね。イギリスとドイツの法人税がそれぞれ20%と16%に対し、アイルランドは12.5%)、しかも、アイルランド政府公認のペーパーカンパニーに利益を配分した結果、最終的な税率はなんと0.005%だったのです。これでは本店があるアメリカや、支店のあるEU各国に納められる税金は激減し、そのために福祉や教育に使うお金が足りなくなったのです。そして、ちゃんと法定の税率で税金を納めている企業との間に著しい不公平が生じるのです。アップル社に対し、アメリカ議会は糾弾の公聴会を開きました。それに対してアップル社側は「法的には何の問題もない」と反論しました。それはそうなのですが、ここに資本主義の大問題があるのです。ちなみにグローバル企業全体により回避された税金は、世界全体で総額24兆円に上ると言います。

 2)途上国への損害賠償請求:グローバル企業が途上国に投資して共同で事業を行う時、ISD条項というのがあります。「相手国の対応によって計画通りのビジネスができなかった場合は、相手国が責任を負う」というものです。南米エクアドルでは、アメリカ石油会社による損害賠償請求が国家予算の3分の1にも達するとか。さらに、他企業の分も合わせると国家予算の半分にもなるというのです。資本主義のルールが国家を破滅してしまうのです。エクアドルの政府職員の言葉「市民にこれだけの損害を与えてまでお金が欲しいのはどうしてなの」は、まさに「発展しなければならない」という国家の資本主義的基本方針に対する深刻な疑問ですね。外国企業を導入する以前には、人々は貧しいながらも安定した生活を送っていたのです。
 
 資産2300億円のアメリカの大富豪は「アメリカはチャンスの国です。一生懸命に努力すれば豊かになれる。貧しい人達は努力を怠っているのだ」と言っていました。まさに古い資本主義自由思想ですね。しかし、それは「能力のある人」だけに当てはまり、大部分を占める一般大衆にはとても無理です。そして、富裕層は政治団体に多額の献金をしています。「私たちは政治家に要求することはない。しかし、献金された政治家は私たちを忘れないはずだ」と言うのです。ある経済学者は「過去30年間に採択された政策の45%は富裕層の主張だ」と言っています。格差が広がるのは当然すぎるのです。

 このように、もはや国家はグローバル企業をコントロールできない事態になったのです。

 一方、格差を縮めようと革命を起こした社会主義国家ソ連は1991年に破綻しました。富を平均化し、富の個人所有を認めないようにすると、人々の働く意欲が下がってしまうのです。ここに大きなジレンマがあるのです。

 重要なことは、このような格差が広がったことが、人々に将来に対する不安を抱かせ、簡単に国粋主義者に替えてしまうことだと言います。「難民流入は私たちの仕事を奪う」との主張の裏にはこのような国民の「いらだち」があるというのです。一方、「人々がIS(イスラム過激派)に走るのは、お金をくれるからであり、他に収入の道がないからだ」という当事国の人々の言葉には無視できない者がありますね。

 資本主義は限界に達し、社会主義もダメでした。ではどうしたらいいのか。これが大きな課題なのです。番組では最後に「価値観の改革が必要だ。しかし、それが何かはわからない」と言っていました。

 筆者はこの新しい価値観こそ、東洋思想の再認識だと考えています。

資本主義の行き詰まり‐東洋思想は世界を救う(2)

  資本主義の失敗に対する対する国家のてこ入れ

 1929年に始まったアメリカ大恐慌は、政府によるニューデイール政策(公共事業)で切り抜けました。リーマンショックも政府投融資で打開しました。このように、今までは資本主義の失敗は国家によるテコ入れで解消できていたのです。これがアダムスミスの言う「見えざる手」なのですね。しかし、最近では、極限まで金利を下げても、停滞から抜け出せないのです。資本主義はもうどうしようもないところまで来ているのです。
 そのため、「人類の繁栄の終わり」とか、「資本主義の歴史的転換点だ」とか、「資本主義が役目を終わった」、「人類が一度も経験したことのない事態」と言う経済学者も出てきました。つまり、植民地や金融空間に代わるフロンテイアは残されていないと言うのです。

 番組では、「このように限界に達した資本主義の問題を解決する試みはないではない」と言います。たとえば、シェアリングエコノミクスがあると。アメリカに本拠を置く配車サービスのウーバー社の業績は、GMやフォードのそれを超えたと言います。
 一方、フランスではエアビーアンドビー社が斡旋し、自宅の空き部屋を貸すシェアリングビジネスが急成長しました。サービスを受けた人は、わずか7年で2万人から1億人と急速に増加し、同社は8年で3兆円の時価総額となったと言います。さらに、オランダでは新しい経済形態が発達しつつあると。すなわち、各家庭がそれぞれモノを買うという、これまでの経済方式とは異なり、家庭同士で品物を無償で貸し借りしたり、料理を少し多めに作り、他の人に材料費だけで分けることも行われているそうです。経済学者ジレミー・リフキン氏は、「2050年には、これら共有型経済と資本主義が並び立つ」と言います。

 一方、アメリカでは、元資産運用会社の重役として、巨額の富を得ていたモリス・パール氏は、その仕事に疑問を感じて退職し、「国を愛するミリオネアーズ(億万長者でしょう」という団体を立ち上げました。1)自分たち富裕層への増税と、2)最低賃金のアップを掲げて活動し、賛同者も増えていると言います。

 スペインの人口3000のある村では、「衣食住については一切ビジネスの対象としない」と決めているそうです。土地の個人所有を認めないで、村が管理して住民に提供する。食物は村営の農場で作って住民に安く提供する。残った食べ物は村の工場で付加価値の高い製品として国内外に販売すると言うのです。このやり方は、資本主義における国のあり方に一石を投じるものとして世界から注目されているのです。

 しかし、少し考えれば、こういったやり方が問題解決にはならないことはすぐわかります。たとえば、配車サービスが広まれば、タクシー会社に深刻なしわ寄せが来るのは眼に見えていますね。民泊施設(一般住宅)に取り巻かれたパリのある老舗ホテルの経営者は「悪魔が来た」と言っています。もちろんその人は、資本主義の恩恵を受けた富豪などではありません。
 家庭同士の品物の貸し借りは結構ですが、それが国レベルまで拡大すれば小売業には大打撃でしょう。いまお話した「国を愛するミリオネアーズ」の活動には多くの議員が反対しているとか。また、スペインのあの村のような「衣食住については一切ビジネスの対象としない」政策を世界でどこまで受け入れられるか疑問ですね。経済学者ヨーゼフ・シュンペーターは「新たな経済が旧来の経済を駆逐する、創造的破壊が避けられない」と言っているのです。

 はたしてAI(人工知能)は新たなフロンテイアになるでしょうか。じつは逆です。工場労働のかなりの部分が、自動制御されたロボットに置き換わっています。パソコンソフトの急速な発達は、素人でも熟練した会計士のような会計処理ができるようになっています。つまり、ブルーカラー、ホワイトカラーを問わずに専門職が奪われていくでしょう。

 つまり、これらの方式が第3のフロンテイアになるのかどうか、不安が残るのです。どれ一つ資本主義の根本問題を解決するとは思えないのです。

 番組で司会者の爆笑問題の太田さんが最後に言っていた「人間の価値観を変えるしかない」は、重みがありますね。ただ、残念ながらその内容については全く触れられていませんでした。

 筆者はそれこそ禅の思想だと思うのです。次回はそれについて筆者の考えをお話します。
 
資本主義の行き詰まり(3)禅による価値観の変換(i)

 世界の富豪62人の総資産が、貧しい人々36億人のそれと同じであること、イギリスではヤングホームレスが78万人もいること、経済大国と言われるアメリカでは、7人に1人が貧困であること・・・経済格差は極端にまで大きくなりました。

 前回お話したNHKスペシャル「マネーワールド」の結論として、「人間の価値観の転換が必要ではないか」と言っていました。筆者も同感です。しかし番組ではその「新しい価値観」がどんなものなのかについては、触れられていませんでした。筆者は、それこそ東洋思想‐中でも禅だと思っています。以下、その理由についてお話します。

 禅では貧富、優劣、利害、得失、善と悪など、一切の比較を否定します。それどころか「悟りと迷い」の概念さえ否定します。人間が頭で考えた価値の判断を嫌うのです。「もっと豊かにとか、もっと便利に」などという資本主義の基本思想など初めからないのです。昨今の、世界各地での紛争の原因である、宗教(じつは宗派)の対立など、禅の思想からはありえないことです。
 さらに、「〇〇は□□である」というような概念の固定化も嫌います。これらはともに禅の目的である「悟り」、すなわち、「心の平安」の障りになるからです・・・と、ここまではどの禅の教科書にも書いてあります。しかし、「それはそうだろうが、今一つピンと来ない」というのが多くの人の感想ではないでしょうか。

 では、なぜ禅では比較が否定されるのでしょうか。それは「空」の概念が基本だからです。もう一度「空」の概念をまとめますと、「私があってモノを見る」という、ごく普通のモノゴトの見かたとは異なり、「私がモノを見るという一瞬の体験こそ真相だ」というモノゴトの観かたです。一瞬の体験には一切の判断はありません。禅でよく言う「鳴らぬ前の鐘を聞け」とはこのことです。「アッ鐘の音だ」と判断してしまったら、もう「一瞬」は通り過ぎているのです。つまり、「一瞬体験」には一切の価値判断が伴わないのは当然ですね。禅に価値の比較などあるはずがありません。

 「〇〇は□□である」というような概念の固定化についても、同じことです。「絶対」などあり得ないのです。たとえば、「アメリカは間違っている。社会主義は絶対である」と考え、あの60年安保を「戦った」誰が、ソ連の崩壊を想像したでしょうか。あの時ソ連はデフォルト、つまり債務不履行という経済破たんが起こったということを。そして今は、勝ったはずの資本主義が、どうしようもないところに来ているのです。
 禅が概念の固定化を嫌うのは、やはり「空」思想に合わないからです。「空」思想で言う「一瞬の体験」には概念の固定化などないのです。概念など、常に移り行くのです(註1)。「限りなくゼロに近い一瞬の体験の連続」、これが禅で言う人生なのです。

 現代人が持つ「もっともっと豊かで便利な生活がしたい」という欲望が幻想であることはすぐにわかります。私たちは限られた資源(空気も水さえ)しかない宇宙船地球号(名言ですね)に乗って宇宙を旅しているのですから。今の世の風潮を見ていますと「ねずみ講」を連想します。無限連鎖などあるはずがありませんね。有限ならばまず社会の格差が広がり、やがて破綻するのは当然です。

 価値観の転換しか将来はないのです。それが東洋思想、ことに禅であることは、お分かりいただけたでしょうか。「なんとまだるっこしい」と言わないでください。資本主義は250年かけて現在の姿になりました。東洋思想の価値が世界の人々に浸透するのに、50年や100年などなんでしょう。

 わかった人から頭を切り替えて行けばいいのです。「私がいてモノを見る」という見かたから、「モノを見るという体験こそが真実だ」と頭を切り替えることが、悟りの第一段階なのです。筆者の敬愛する良寛さんは、あの道元以来の禅の達人です。その良寛さんは、「貧しいけど心豊かな人生」を体現して見せてくれたのです。当時の人の中には、いや現代でも、良寛さんを「変わった人」と思う人は少なくないと思います。しかし、私たちはもっと良寛さんの人生を味わってみるべきではないでしょうか。

「太鼓の音に足の合わぬものを咎めるな。その人は別の太鼓に聞き入っているのかも知れぬ」(H.D.ソロー)。

 私たちは早く別の太鼓に耳を傾けるべきではないでしょうか。
 
 次回は、禅のどこが「空」思想や、「概念の固定化の否定」を表わしているかを、公案を例にしてお話します。

註1この「常に変化する」はよく言われる「縁起の思想」とは違います。つまり、龍樹(ナーガールジュナ)の「空」思想とも違うのです。それについてはいずれお話します。

資本主義の行き詰まり(4)禅による価値観の変換(ii)

麻三斤・趙州狗子

「資本主義の行き詰まり‐東洋思想は世界を救う」のシリーズで、禅の思想の基本の一つに、「概念の固定化の否定がある」とお話しました。今回はその根拠を有名な公案、麻三斤趙州狗子を例として説明します。
 
麻三斤は、「無門関」第十八則にある洞山守初(910-990、宋の禅師)の公案です。

 問い:如何是仏(仏とは何か)
  (洞山はちょうど扱っていた麻の束を取り上げて、) 
 洞山:麻三斤

と答えたのです。麻三斤は公案の中でも特に重要で、たくさんの解釈があります。
1)小川隆さん(駒沢大学教授)さんの解釈:
 ・・・三斤の麻で作られた衣で覆われた人間の心。即心是仏のこと・・・
2)Aさんの解釈:
 ・・・もちろん、このことの本質は、“麻”にあるのではありません。本質は、洞山禅師がすくい上げて示した“麻”が、一切世界を極め尽くしていることにあるのです。この“一掴みの麻”が、全てを永遠のものとし、“仏性”の輝きを放っていることにあるのです・・・
3)Bさんの解釈:
 ・・・重さ三斤の麻があれば、僧侶のお袈裟一着が作られる。仏とはお袈裟を着ているおまえ自身であり、おまえを離れては存在しない。南方に竹が、北方には木が多いのは自然本来真実の姿であり、おまえにはおまえの仏としての形があり、他の者も同様だ・・・
4)HP「世界宗教用語大辞典」では、
 ・・・心眼を開けばどんなものにでも仏を見ることができる・・・
5)Cさんの解釈:
 ・・・たとえ大地を叩く槌(つち)が、うっかり外れることがあったとしても、仏から外れる存在はこの宇宙に一つもないと悟ってきた仏教である。仏は無量無辺で永遠なのだ・・・洞山和尚は、その事実を、目前に投げ出して見せた。行こうと思えば歩き、止まろうと思えば止まる。疲れたら休み、楽しければ喜び、悲しければ涙する。赤色は赤と見て、白色は白と見る。決して外れることがない。仏の自由性が、見事に露にされているのだ・・・

とじつにさまざまなのです。

筆者の解釈:筆者はこれこそ、禅では概念の固定化を嫌うことの例証だと思います。「仏とはなにか」と聞かれて、どんな答えを出しても限定的でしょう。第一、仏など定義できるものではないのですから。洞山禅師は「バカなことを聞くな」と、質問を切り捨てたのだと思います。
 よく考えれば、どんな思想でも概念でも、時代とともに、そして国情より変化するものです。たとえばことわざには、しばしば反対の意味のものがあります。
 「三人寄れば文殊の知恵」⇔「船頭多くして船、山に上る」
 「瓜のつるになすびはならぬ」⇔「とびが鷹を生む」
がありますね。誰も「矛盾だ」とは思わないのは、双方とも説得力があるからでしょう。一方、国境など歴史的にしょっちゅう変わっていました。絶対だと思われていた社会主義国家ソ連は経済破破綻し、永遠に続くかと思われて来た資本主義も現在重要な曲がり角に立っています。

趙州狗子

 についても同じことです。「無門関」第一則にある公案です。趙州が、「狗子(くす)に還(かえ)って仏性有りや」 (犬にも仏としての本性がありますか)との修行僧の問いに対し、一方では「無」、他方(「従容録」第十八則)では「有」と正反対の答えを言ったのは、「犬に仏性がある」と言っても概念の固定化になりますし、「ない」と言っても固定化になるのです(問答の内容はなんでもいいのです)。

 「固定観念」という言葉がありますように、人間は一度「そうだ」と思ったら、容易なことでは抜け出せないものです。それが「こだわりの原因となり、悟りの障害になる」と趙州は警告しているのです。

資本主義の限界(5)- 禅による価値観の変換(iii)

拈華微笑・庭前柏樹

 「公案には「空」の思想を伝えるためのモノもある」とお話しました。今回はその例をご紹介します。

 拈華微笑(ねんげみしょう)

「無門関」第六則にある公案です
 世尊、昔、霊山会上(りょうぜんえじょう)に在って花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆な黙然(もくねん)たり。唯だ迦葉(かしょう)尊者のみ 破顔微笑(はがんみしょう)す・・・

つまり、霊鷲山上で釈尊が黙って花をかざしてみたところ、僧たちはその意味がわからなかった。ただ、迦葉尊者だけがその意味を理解してにっこりと笑った。釈尊は「ああ、この男はわかったな」と思い、迦葉に禅の法門を伝えたと言うのです。
 これも有名な公案ですから、多くの解釈がなされています。たとえば、
1)言葉を使わず、心から心へ伝えること。
2)以心伝心で法を体得する妙を示すときの語
3)真理は文字では表現しにくく、言葉は解釈する人や時代によって変わってしまうこともあるため、経典に書かれた教えだけでは伝えることが出来ないと考え、文字や言葉によらず心から心に伝わる“いま、その時”のとらわれない、縛られない真の教えを師から弟子へ、または日々の修練で体験・体得していくことを大切にしています・・・
というものです。出典は「大梵天王問仏決疑経」だと言われていますが、禅を権威づけるために中国で創作された偽経だとも言われています。第一、釈尊がそんな芝居じみたことをされるはずがありませんね。ただ、この公案は、禅の要諦である、「不立文字(文字では表わせない)」や、「教外別伝(教えとは別)」とか、「直指人心(師匠から弟子の心に直接伝える)」とよく合うために、しばしば引用されるのだと思います。
筆者の解釈:釈尊が花を差し出した時、みんなが「パッ」と見た。それが「空」の思想で言う「体験」です。迦葉はその意味をわかったのです。

庭前柏樹(ていぜんはくじゅ)

 以前、このブログシリーズでお話した「無門関」第三十七則にある公案です。すなわち、

 僧、趙州に問う「如何なるかな是れ祖師西来意」
 州曰く、「庭前の柏樹子」
「達磨大師がインドからはるばる中国へ来られた真意とは何か」と尋ねたのに対して、趙州和尚は、「あの庭の前にあるコノテガシワの木じゃ」と答えたというやりとりですね。

さまざまな解釈がありますが、前にお話ししたように、筆者は「あの柏の木田」と言われて修行僧が思わず見た「体験」、つまり「空」思想なのです。
つまり、達磨大師が伝えたのは、「空」という新しいモノゴトの観かたがあるのだと言っているのです。

資本主義の行き詰まり(6)禅による価値観の変換(iv)私の良寛さん(1)

 今回のブログシリーズのまとめは「良寛さんの生き方」にする予定でした。ちょうど先日のNHK「こころの時代」で、アートデイレクター北川フラムさんの「私にとっての良寛」を放送していました。良寛さんの受け止め方は、人さまざまであってよいと思いますが、あまりに独自であれば、事実から離れ、良寛さんの生き方が誤って伝えられる恐れがあります。そこで今回は、この番組の内容と対比しつつお話します。

 なんでも北川さんのお父さん省一さんは良寛研究家だったとか。それゆえまずお父さんの「私にとっての良寛」についてご紹介します。北川省一さんは、マルクス・レーニン主義に共感し、農民運動や労働運動の活動家として、活躍していました。しかし、共産党の方針に反対したため除名され、その後次々に起こした事業にも失敗し、どん底の状態にあった時、良寛さんに出会い、救われたそうです。その理由は「良寛は、社会の矛盾に怒る人生だったが、最終的にはそれを乗り越え、『世の中の人々を助けよう』と越後に帰り、村の人々や子供たちを分け隔てなく愛する境地になったところだ」だと言います。労働運動に挫折した省一さんは、「良寛さんのように民衆の中に入り、彼らと親しく付き合いながら世の中を改革することを運動の原点にすればいいのだ」と、自分と重ね合わせたのでしょう。

 しかし、この判断は2重に良寛さんの人となりを誤解しています。その前に、息子さんのフラムさん自身の「私にとっての良寛」についてもご紹介します。フラムさんは、新潟県や瀬戸内海の過疎の村で、芸術活動を通じて、捨てられて行く村を活性化しようとしている人です。基本的な考えは「人間はすべて平等である。個性の違いはしばしば能力のちがいとされ、疎外される。それではいけない。忘れられていく村にも価値がある。それを世の中にアッピールしよう」とする運動です。フラムさんも「(父の影響を受けて)良寛さんに共感した」と言っています。次回もう一度言いますが、息子さんのフラムさんが、アナウンサーの「フラムさんの活動と良寛さんとはどう結びつくのですか」との質問に対し、「結び付いてほしい。そうでなければ困る」と言っていました。それでは良寛さんの生き方を参考にするのではなく、良寛さんを自分の思想に合わせることになり、本末転倒は明らかです。

 まず父の省一さんが言うような、良寛さんが「世の中の人々を助けよう」としたことはありません。良寛さんが若い時、世の中の不条理さを知り苦しんだのは事実です。庄屋の跡継ぎとして農民たちとの確執に悩んだこともあり、それが出家のキッカケになったのは間違いないでしょう。しかし、それは18歳までのことです。そして備中玉島の曹洞宗圓通寺で、厳しい修行をしました。そしてそれを見事にやり遂げ、印可(免許)を得たのです。18歳までの社会の矛盾についての苦しみなど、とうに忘れていたと思います。
 この印可により、しかるべき寺の住職にもなれるはずでした。しかし、それを放棄し、修行の旅に出ました。その後の10年間の消息はわかりません。印可を受ける少し前に、道元の「正法眼蔵」の講義を受けて感動したことは、その詩から明らかです。しかし、寺の住職になってその立場に安住し、真摯な修行を忘れてしまった、当時の先輩僧たちに絶望したのです。そしてすぐれた師を求めて修行の旅に出たのでしょう。つまり、良寛さんが絶望したのは、道元の思想とはかけ離れた、当時の僧たちの堕落振りなのです。じっさいにそのことを謳った詩も残っています。筆者抄訳で示しますと、
・・・今どきの僧侶を見てみると、ろくに修行もしないで、朝から晩まで無駄口を叩き、仏法がわかったように大言壮語する。剃髪し、僧衣を着て、俗世の恩愛との縁を断ち切ったときの決意はなんだったのか。俗世の人達は、食べるためには田畑を耕し、着るためには衣服を織っているのに、釈尊の弟子と称し、したり顔して田舎の老婆を騙すばかり。悟りを求めるための修行もしない。なのに名利を求めるばかり・・・
(以下略)

後年の良寛さんの立ち居振る舞いや言葉からは想像もできないような、当時の僧達への激しい糾弾ですね。

北側省一さんやフラムさんのような解釈をしていては、良寛さんの心などわかるはずがないではないですか。

資本主義の行き詰まり(7)禅による価値観の変換(v)私の良寛さん(2)

 良寛さんは(筆者は北川フラムさんのように呼び捨てにすることなどとてもできません。あの傲慢不遜と言われた北大路魯山人でさえ、良寛さんの書に傾倒し、「良寛さま」と言っているほどです)。

 良寛さんは備中玉島の圓通寺で認可を受けたあと、さまざまな高名な僧侶を訪ねたり、思索のための旅に出ました。そして結局10年後、故郷越後に帰り、「飯を乞う(乞食ですね)」孤高の生活に入ったのです。決して世の中のために尽くそうとしたのではないはずです。不条理と戦うより不条理とは決別したのだと思います。その結果、必然的に生じた孤独や貧しい生活に耐え忍ぶ人生の方を選んだのです。子供たちや村人との温かい付き合いは、その後のことなのです。
 
 北川省一さんの言う、「良寛は、社会の矛盾に怒る人生だったが、最終的にはそれを乗り越え、『世の中の人々を助けよう』と越後に帰り、村の人々や子供たちを分け隔てなく愛する境地になったところだ」が誤解であることがおわかりいただけたでしょう。それは北川さんにとって都合のいい解釈に過ぎないと思います。通りがかりの百姓から「遊んでばかりいて」と言われても「これが私です」とつぶやいたこと。放浪中、漁師小屋の失火犯と間違われて殴られた時、それを見た知り合いに助けられたことがあります。「どうして反論しなかったのですか」と聞かれ、「言っても仕方がない」と答えたと。これらが寛容さからであるはずがありませんね。「私には関わりのないことだ」と避けたに違いないではないですか。

 良寛さんは、禅の心、すなわち「正法眼蔵」の精神を体現する人生を送ろうとしたのだと思います。そのためには家族がいないことの寂しさや、雪であろうと雨風であろうと、ひたすら最低の食物を得なければならない苦労も耐え忍んだのです。もちろん、地位や名誉など初めから念慮にありません。なによりもその生き方が、心の自由を得るために受け入れなければならないことだったからです。禅の心とは心の自由ですから。子供たちや純朴な村人、そして良寛さんのうわさを聞いて近付いて来た文化人たちを受け入れ、対等に付き合ったのは、この人たちは、自分の心の自由を乱すものではなかったからでしょう。少しでも理想とは合わない人たちは避けたのだと思います。家庭を持つことは大きな喜びですが、耐え忍ばなければならいないこともあります。良寛さんはそれさえ捨てたのです。そしてそのため生じる孤独には甘んじたのです。もちろん良寛さんは深い人間愛を持った人です。それは詩からもわかります。禅をきわめた人なら、人間に対する限りない愛情を持つのは当然です。禅を学べば学ぶほど、徹底的な人間肯定が背景にあることがわかります。

 資本主義社会は競争原理によって動いています。長時間労働による過労死や自死の痛ましいニュースをよく聞きます。受験戦争や就職戦争・・・競争原理の社会には心のゆとりも自由さもほとんどないでしょう。人間性といかにかけ離れた社会かを思い知らされます。それに引き換え、禅を体現した良寛さんの、豊かで自由な人生に想いを馳せると、筆者は心から「ホッ」とするのです。
 今こそ世界の人々が資本主義や社会主義の限界を知って東洋思想のすばらしさに目覚め、価値観を大きく転換しなければならないのです。それをしなければ人間の未来はないと思います。この先50年かかろうと100年かかろうと、成し遂げなければならないのです。これこそ、この番組で爆笑問題の太田さんがふと漏らした、「日本伝統の価値観」なのだと思うのです。

 これが筆者の「私の良寛さん」です。いかがでしょうか。