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無字の公案

禅問答について(2)無字の公案

 前回、夏目漱石が禅に興味を持ち、鎌倉の禅寺の老師に「父母未生以前本来の面目は何か」という公案を与えられたとお話しました。これは、今回お話する「無字の公案」とともに、初学者に与えられる代表的な公案です。

 先日、NHKの「こころの時代」で、ある禅寺のM住職(68歳)のお話がありました。この人は若い頃人生に悩んで禅宗に入り、師匠から無字の公案を授けられたと言います。2年間必死に考えてもわからず、山田無文師(1900‐1988、以前お話した、澤田興道師の高弟です)を尋ねました。山田師に「お前は何をしに来た」と問われ、「自分とは何かが知りたくて来ました」と、ちょっとカッコをつけて(本人の言葉)答えたとか。そして「無字の公案の意味がどうしてもわかりません」と答えたところ「そのまま一生悩んでおれ」と言われ、「ハッ」とわかったそうです。
アナウンサーが「どうわかったのですか」と聞いたところ「言わぬが花ですが」と断りつつ、「何かが知りたいような自分など無いことがわかった」と(註1)。それが無字の公案の答えだったと解釈し、「その後も禅の道を歩もうと決心した」と言うのです。師匠から「山の坊主にはなるなよ」とのはなむけの言葉をいただき、今では、外国人を含む若い人達のための座禅会を開き、お寺主催の地域のためのイベントも開催しているそうです。

 無字の公案とは、趙州(じょうしゅう778-897、唐時代の禅師)の有名な公案です。公案集「無門関」の評者無門慧開が第一則としたのは意味があるのです。すなわち、

 僧問う、「狗子(くす)に還(かえ)って仏性有りや」 (犬にも仏としての本性がありますか)
(趙)州云(いわ)く、「無」。
 
このM住職の解釈は誤りです。なぜなら、 趙州は「従容録」第十八則で、

 僧、趙州に問う、「狗子に還(かえ)って仏性有りやまた無しや」。
 州云く、「有」。

と反対のことを言っているからです。つまり「有る」とか「無い」の問題ではないのです。それをM住職は「無い」だと解釈してしまったのです。M住職が禅に専心した道を歩んだことは結構なことだと思います。しかし、最初与えられた公案の解釈を誤ったまま、というのはいかがなものでしょう。筆者が「臨済宗系宗派で、初学者の者に公案を授けるのには疑問だ」と言うのはこのことです。あくまで修行が進み、あと一歩で悟りに達しそうな修行者のためのものだ、と思うのです。初学者に公案など与えれば、かえって混乱し、修行の妨げになるのではないでしょうか。

 次回、「父母未生以前のこと」とともに、この公案についての筆者の解釈をお話します。

(註1 筆者の記憶に頼った論述ですから、言葉に少々不正確なところがあるかもしれません。ご寛容ください)

禅問答について(1)父母未生以前のこと

禅問答について(1)父母未生以前のこと

 禅には公案というものがあり、禅問答の形で禅師が弟子に悟りへの重要なヒントとして与えるものです。曹洞宗が「只管打座(ひたすら坐禅せよ)」を重んじるのに対し、臨済宗では坐禅とともに、禅問答も重視します。もちろん曹洞宗でも公案を題材にした禅師の講話も行われています。「道元禅師語録」にも「上堂 挙す・・・」という一文で始まる講話が多くあります。「挙す」とは主に公案を題材にした講話のことです。

 そもそも禅問答の目的は、修行僧がそれまで慣れ親しんできたモノゴトの考え方を打破して、新しいモノゴトの考え方に移るためのものです。前にもお話しましたように、言語というものはモノの本質を表わすには大きな制約があります。あくまで方便なのです。修行僧に要求せられるのは、まずそのことを認識することです。さらに肝心なことは、新しいモノゴトの観かたとは何かを体得することです。

 前回紹介した哲学者井筒俊彦博士は、「宋の時代の禅問答は問いと答えの間には意味の上でのつながりはない」と言いました。それでは他の、修行が進んでいない者にはチンプンカンプンで参考にはならないでしょう。あくまでもあと一歩で悟りに達しようという者にとってのみ最後のきっかけとなるからです。夏目漱石も「父母(ぶも)未生以前に於ける、本来の面目如何」という公案を円覚寺の釈宗演老師から授けられ、熱心に参禅したことが知られています。六祖慧能大師の有名な公案です。その参禅体験は小説「門」や「夢十夜」にも描かれていますが、漱石がこの公案の意味を解することができたかたかどうかは読み取れません。初学者に対してまず与えられる公案には、この「父母未生以前・・・」の他に、「無字の公案」というものがあります。それらの意味については後ほどお話します。

 道元が公案の研究を退けて「只管打坐」と言ったのは、師である宋の如浄の教えでもあったのでしょう。如浄は、衰退しつつあった中国の禅の「最後の輝き」だったと言われる人です。如浄が禅問答を退けたのは、おそらく、修行僧たちがあまりにも公案の研究に埋没し、意味のないやり取りばかりしていたためでしょう。現在の臨済宗における禅問答にもそれが感じられます。とくに、漱石がそうであったように、修行の進んでいない者に対していきなり公案を与えるのは、かえって害になると筆者は考えています。

 そもそも、禅問答の絶対条件は、師の境地が十分に進んでいるかどうかでしょう。すぐれた禅師でなければ当意即妙の「一言」など吐けるはずがありませんね。未熟な禅師と、未熟な修行者との間に行われる禅問答は茶番でしょう。師匠が与えた「公案」に対して修行者がどんな答えを出そうと、「それはちがう」と言えばいいのですから。筆者も臨済宗系の宗派で禅問答が行われているのを見ましたが、形式に流れているように思われました。

 ここに禅問答の大きな問題があります。これが如浄や道元が突いたとこでしょう。

坐禅・瞑想について(1)不思量と非思量

坐禅・瞑想について(1)不思量と非思量

 坐禅・瞑想の経験をお持ちの方は多いと思います。「要点は何も考えないこと」と指導されたでしょうが、どなたも「難しい」とお考えでしょう。眼を半眼に閉じればたちまち、さまざまなことが頭に浮かび、おそらく「考えないこと」は一分と続かないでしょう。坐禅・瞑想のやり方は古来、修行僧たちの重要な課題でした。その「コツ」を薬山惟儼(745-828)が述べた次の問答があります(「景徳伝灯録」巻十四薬山章 景徳伝灯録研究会編 禅文化研究所刊 )

僧有りて問う「兀兀地(ごつごつち)に什麼(なに)をか思量す」(どっかりと坐って、なにを考えるのですか)。
師(薬山)云く「思量箇不思量底」(思量しないところを思量するのだ)。
僧云く「不思量底如何思量」(思量しないところをどのように思量するのですか)
師云、「非思量」〈思量にあらず〉。

道元も「正法眼蔵」の中で、繰り返し坐禅・瞑想の方法について述べています。すなわち、
「正法眼蔵・普勧坐禅儀」で、
 ・・・兀兀と坐定して思量箇不思量底なり。不思量底如何思量。これ非思量なり。これすなはち坐禅の法術なり・・
と、薬山の言葉を引用しています。
 この「非思量」が大問題で、さまざまな解説がなされています。たとえば、
1)曹洞宗東海教化センターHP:
 ・・・「思量」とは思いめぐらすことであります。「非思量」とは思いめぐらすことにとらわれないことであります・・・
2)goo国語辞書:
・・・すべての相対的な観念を捨てた無分別の境地・・・
3)長福寺HP:
 ・・・何も考えないと決めるのではなく、頭を開け放し入ってくることを受け流す、体で感ずるこの感覚で坐禅をすることが大切なのです・・・
4)ビジネスマンの人間力育成をサポートする有徳経営研究所株式会社セミナー(www.utok.jp/)では、澤木興道師の言葉「非思量とは人間的思惑を外した世界」を引用しています。
5)小川隆博士(駒澤大学教授)は、
 薬山の上記の問答を(筆者簡約、以前お話した井筒俊彦博士の論述を参照してください)、
 ・・・モノを一つひとつのモノとして認識することを拒否することを不思量と言い、それによってモノの存在を成り立たせている神(宇宙原理)そのものに同化する(以前お話した青原禅師の言う「山ではない山」)ことを非思量と言った・・・
と解説しています(「語録の思想史」岩波書店)。

 いかがでしょうか。これらいずれの説によっても、「坐禅・瞑想のコツ」が納得できた人がいるとは思えません。じつは、筆者の不思量と非思量の解釈、そして実行している「コツ」はこれらとはまったく違うのです。

中野禅塾だより(8)霊的世界はある(その5)

中野禅塾だより(8)霊的世界はある(その5)

「神(仏)が存在する証拠を見せてくれたら信仰する」・・・。そう言う人は少なくありません。信仰とは正反対の気持ちですが、話を進めます。霊的世界が存在することの証拠でしたら、筆者はたくさん出せます。
 以前お話したように、筆者は10年間神道系教団に属し、「霊感修行」をしました。40歳代から50代にかけてのことです。その間にさまざまな霊的現象を見聞きし、自分でも体験しました。もちろんそのことは職場では一切話しませんでした。そんなことをすれば研究者としての資質が疑われたはずです。

 筆者は、「霊が実在する」ことを信じています。今回は、そのうちの一つをご紹介します。それは15年くらい前、筆者が国際学会でベルギーへ行った時のことです。現地でのツアーバスで、九州のある大学の先生の隣席になりました。ご専門は心療内科で、長年大学病院で診療に当たった来られた人です。たまたま「拒食症」のことに話が及びますと、ある興味ある症例について話してくださいました。それは次のようなものです。

 ある若い女性拒食症患者の診断の一つとして、実際に食事をするところを見てみますと、突然、まるで犬のように食器に顔を突っ込んで食べ始めたのです。驚いてその理由を尋ねますと、「何かが私の体の中に入ってきて、お茶碗を持って箸で食べようとすると、それを強く妨害するのです。『相手』に食べようとする動作を見せないため、隙を窺ってパッと食べ物に口をつけるのです」と言ったそうです。その先生は「死霊のようなものがその人を餓死させようとして、食事をするのを妨害するのではないか」と思ったそうです。

 先生は医学部教授で、「それまでは心霊現象など信じたことなどなかったが、その時ばかりは霊の存在をありありと感じ、鳥肌が立った」そうです。若い女性の中には、極端なダイエットをする人がいます。それを続けていますと、だんだんモノが食べられなくなります。体が「この少ない量でいいのだ」と判断して、「食べなければいけない」と思っても食べられない状態になるのです。筆者は毎年、一般市民向けの「ダイエット講座」を開いていましたし、神経科学を研究していましたから、専門家としてそういう知識もあります。そしてその状態がさらに嵩じると、そういった「死に誘う霊」が取り憑くことがあるのです。それは、筆者が神道系団体に属していた経験からも納得できるのです。

 「触らぬ神に祟りなし」という言葉がありますね。ふつう「あの人は苦手だから近寄らないでおこう」という意味だと取られていますが、本当は「神霊にはむやみに近づくな」と言う意味なのです。霊的なものが見えたり聞こえたりする人がおり、世の中にはそれを「よし」とする風潮もありますが、素人は妄りに近づいてはいけないのです。筆者の知人に、「野面にある祠を信仰し、沢山のご利益をいただいている」と言う人がいます。しかし、それは一方できわめて危険な行為なのです。筆者はその友人には黙っていますが・・・。普通の人には霊が見えたり聞こえたりしないのは、その人を守るため、ちゃんとそうなっているのです。この問題については後ほど改めてお話します。 

悟りの境地(1,2)

悟りの境地(1)

 「悟りとは何だろう?その境地とはどんなものか?」禅に興味を持つ人ならだれでも知りたいところでしょう。「〇〇の音を聞いた瞬間」「〇○禅師の一言で」・・・古来悟りの瞬間がさまざまに伝えられてきました。しかしその内容は、それこそ「悟った人」にしかわかりません。しかしヒントは色々見つけ出せます。たとえば、以前ご紹介した青原惟信(生没年不詳、黄龍祖心(1025-1100)の法嗣、「嘉泰普灯録」巻六、続蔵/禅宗全書六‐三八八下」)の次の言葉があります。筆者訳でお話しますと、

 ・・・三十年前、未だ禅の世界に入っていない時、自分にとって、山は山と見え、水は水と見えた。その後、すぐれた師匠に出会って、悟りの契機を得た段階では、山は山でなく、水は水でない、と見えるようになった。それが落ち着いた今になってみると、あい変らず、山はただ山に見え、水はただ水に見える・・・

その解釈として井筒俊彦博士はつぎのように言っています(前回の関連ブログと合わせてお読みください。例によって難解な哲学的表現が使われていますので、筆者の簡約を記します)。すなわち、

 ・・・言葉というものはモノの真実を表現するには大きな制約がある。むしろ真実を歪めている。今、「山」と言ったとき、それは「山」の真相を表現しているのではない。禅問答では師匠が言葉を逆用して、言葉でがんじがらめになった弟子の思考の殻を打ち破る。その結果、弟子が目にした山は「タダの山ではない山の真相だ」というものです。そして「山でない山」こそ、根源的に無限定で、絶対にあるものとして把促しがたい究極者である「一者(註1)」そのものなのだ・・・

註1 これが哲学者の性癖で、簡単なことをわざわざむつかしくし、勝手に造語しています。要するに、私たちの言う「神とか、宇宙意識」のことと考えればいいと思います。「山でない山」とは神の創造物、というより、神の一部、神そのものだと言っているのです。

井筒博士はさらに、「それだけでは終わらない。『山でない山』から、ふたたび『ただの山』に戻らなければならない」と言うのです(以下原文で紹介します)すなわち、

 ・・・なぜなら「山は山にあらず」という矛盾命題の指示する絶対的無意味の次元から、人はさらに翻ってまたふたたび「山は山」という有意味性の次元に戻らなくてはならない・・・但し、今度は山と言う結晶体(つまりタダの「山」:筆者)を動きの取れない結晶体としてただ眺めるのではなくて、根源的非結晶性(「山ではない山」)が結晶体に転ずる形而上学的瞬間を通じて山を見るのであるけれども、この境位においては「山」は山を分節的に指定し指示する、が、同時にそれは山という分節を超えて絶対非分節的な「存在(宇宙真理でしょう:筆者」をも指示する(下線筆者、同p367)・・・
 ・・・絶対無分節者(神または宇宙意識でしょう:筆者)は、いわばどうしても自己自身を分節せずにおられない。「無名(山でない山:筆者)」は「有名(タダの山:筆者)」に転じていかずにはおられないのです。そして禅の観想的意識は、本源的形而上的「一者」が次第に自己分節を重ねつつ、ついに具体的事物事象の世界として完全に現象化された形で現れるところまで、「一者」の自己分節の全行程をくまなく辿るべく定められているのであります(下線筆者「意識と本質」岩波文庫p399)・・・

と言っています(哲学者独特の造語の多い難解な文章だと思いますので注解を入れました)。井筒博士のこの論述で、筆者が一番納得が行かないところは、太字の部分です。つまり、なぜ「絶対的無意味の次元から、人はさらに翻ってまたふたたび「山は山」という有意味性の次元に戻らなくてはならない」のでしょうか。「一者(宇宙意識、神:筆者)には、山でない山を元の山に戻そうとする意志がある」と、井筒博士は言いたいのでしょう。井筒博士は神の心がわかるのでしょうか。「観想的意識(坐禅で得られた観察)」では哲学の説明にはなりませんね。

 次回は、この「山」の課題について、筆者の考えをお話します。

悟りの境地(2)

 青原惟信(宋時代の禅師)の詩、

 ・・・三十年前、未だ禅の世界に入っていない時、自分にとって、山は山と見え、水は水と見えた。その後、すぐれた師匠に出会って、悟りの契機を得た段階では、山は山でなく、水は水でない、と見えるようになった。落ち着いた今になってみると、あい変らず、山はただ山に見え、水はただ水に見える・・・、

は、悟りの境地を表わしたものとしてよく知られています。前回、哲学者井筒俊彦博士の解釈を紹介しました。筆者の解釈は次のとおりです。すなわち、この詩は、有名な禅語「色即是空」を表わしたものです。色即是空とは、人間によるモノゴトの認識のしかたには2種類あり、それを合わせた姿がモノの真実の姿だと言っているのです。

 まず第一の段階、「山は山と見え、水は水と見えた」は、「私がいて山を見る」という、ごく普通のモノゴトの見かたで見た山や川のことを言っています。
 ついで第二の段階、「悟りの契機を得た段階では、山は山でなく、水は水でない、と見えるようになった」とは、「空」のモノゴトの観かた(文字を替えていることにご注意ください)を意味します。「空のモノゴトの観かた」については、すでになんどもお話したように、「私がモノを見る(聞く、嗅ぐ、味わう、触る)一瞬の体験」のことです。 
 そして第三の段階、「落ち着いた今になってみると、あい変らず、山はただ山に見え、水はただ水に見える」とは、「空」で観たモノも「色」で見たモノも、じつはモノの表裏を表わしているのであり、モノの真相は、それらを合わせたものだというのです。このとき「ただ山に見える」と言っても、最初の「山」とは明らかに異なります。「色」と「空」のモノゴトのみかたが重なった状態なのです。

 人間の苦しみや悲しみは、モノを「色」の見かたで見るために生じるのです。では、「色」の見かたと「空」の観かたのどちらが大切でしょうか。もちろん後者なのです。「空」の観かたこそ、神(仏)の目で観たモノの姿だからです(後ほど改めてその理由をお話します)。しかし、「色」の見かたでみたモノも間違いなく存在するのです。
 
 「空」のモノゴトの観かたを心の底からわかるのは容易ではありません。「私がいてモノを見る」という認識の仕方が、人間が物心ついてから、そして周囲の誰もが「あたりまえのこと」としてきたのですから、「色」の見かたから「空」の観かたに180度、頭を切り替えるには修行が要るのです。第一、昔はいま筆者がお話してきたような、順序立てた解説などなかったのですから。

 上で、「空」で観たモノも「色」で見たモノも、モノの表裏を表わしているのであり、モノの真相は、それらを合わせたモノだとお話しました。じつは「合わせたモノ」とか「重なった状態」とか言う表現は正しくありません。「一体」でもありません。筆者は前著で「両者が振動している」と表現しましたが、禅では絶妙な言葉、一如で表しています。ここに禅の真骨頂があります。このことが腹の底からわかるために、修行者たちは命懸けで修行をしてきたのです。そしてこれが一つの悟りなのです。
 
 これが筆者の解釈です。いかがでしょうか。