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死生観

         中野禅塾だより (2015/12/18)

 死生観(1)

ある小さな会合で、「あなたの死生観は何ですか」と尋ねられたことがあります。筆者の著書を話題にした会合で、質問した人の声の響きからけっして好意的なものではないと感じました。死生観など、軽々しく、しかも初対面の人間に聞くものではないと思います。人の心の奥底の問題ですから。
 死は誰にとっても最大の不安でしょう。歳を取れば否応なしに死のことも考え、それに対する心構えをするのが自然の成り行きでしょう。長年神の愛を説いてきた女性が突然ガンであることを宣告されて「神はヒットラーだ」と罵ったケース。宗教学者として、死後の霊魂の存在が人々の宗教に対する最大の拠り所であることを熟知しながら、悪性のガンになって煩悶し、霊魂の存在など認めないことを自分の知性だと頑張った岸本英夫博士。お墓など絶対に作らないと宣言していた吉村昭さんがお墓を作って亡くなり、その考えに同調していた妻、津村節子さんが夫の遺影を飾り、毎朝コーヒーを供えているケース。出家得度し、仏の愛を説いて来た瀬戸内寂聴さんが、病気になってあまりの苦しさに「神も仏もあるものか」と叫んだケースなどについては以前触れました。

 後期高齢者のある知人が「僕はいつ死んでも悔いはない」と言うのを聞いて、「あんなこと言わない方が・・・」と思いました。裸の坊さんが月を指して「を(お)月さん幾つ、十三七つ」と言っている禅画で有名な仙厓和尚の臨終の場で、「何か最後の名言」をと待ち構えている弟子たちに「死にとうない」と答えて当惑させたエピソードはよく知られています。あの一休さんにもそんな話があります。二人とも案外本音だったのではないでしょうか。

 筆者が軽々しく死生観など口にしないのは、どんな人でも「そのとき」になってみなければ分からないと思うからです。筆者の元同僚や後輩にもガンで亡くなった人が何人もいます。退院して久しぶりに学科の会議に出席したその姿を見て、あまりの憔悴振りに驚いたことがあります。隣の研究室の人で、ごく親しく付き合っていましたから、何度もお見舞いにも行きました。しかし彼は終始少しも乱れる様子はありませんでした。15年経った今でも感動しています。
 筆者が長年多くの人の死を見聞きした経験では、どんなに善い人でも、若い人でも、節制や運動にも関係なく、「そのとき」は来たようです。アッという間の人も、苦しみ通しだった人も、痴呆症にもなり6年も施設に入った人もいました。「そのとき」は避けようがなく、否が応でも受け止めるしかないようなのです。

 筆者には死生観などありません。ただ家内には「過剰な高額治療だけは止めてくれ」と言ってあります。お金は大切なものだからです。

死生観(2)

  前回、立派に死を受け入れた筆者の友人についてお話しました。筆者と一緒に最終講義をするのを楽しみにしていましたが、3か月後のそれも待てずに逝ったのです。
 
 親しく付き合っていましたから、病気になってからの心の推移は想像できます。体の不調を覚えて病院へ行き、「疑いがある」と言われたこと。検査が進み、だんだんその疑いが濃くなって行ったこと。最後にそれが決定的になり、体調もさらに悪化したこと。そんな時、だんだん迫ってくる死への恐れや、家族の将来を考えて夜も眠れなかったことでしょう。しかし、どんなに不安であろうと苦しもうと避けられなかったのです。よく言われることですが、人はこういう時、まず「そんなはずはない」とその状況を強く否定し、つぎに天を呪い、最後にあきらめの境地になると言います。そのとおりなのでしょう。
 それでも彼は終始平静を保ったと、筆者には見えました。お葬式でまだ1歳そこそこのお孫さんを見て、彼も幸せだったろうと救われました。

 前著「禅を正しく、わかりやすく」にも書きましたが、筆者は6年前大変苦しい状況に陥りました。病気ではありませんが。そのとき筆者が長年書き溜めて来たノート3冊を繰り返し読みました。昔から「これはよい話だ。苦しい時には自分を支えてくれるだろう」という文章の一節を、さまざまな本や新聞から書き抜いて置いたものです。しかしいくらそれらを読んでも心は休まりませんでした。さらに悪いことには、体調まで悪くなったのです。視野の中に光が見える症状、心臓の動悸などです。眼科に行っても医者は首をかしげるばかり、内科へ行って「不整脈ですか」と聞いても、「そうではない」との返事。心臓の動悸は、初めの頃は一日数回でしたが、後には5分に1回にもなりました(ところが問題が解決してみると、これらの症状はピタリと治まったのです)。
 不思議なことに、とにかく全力で戦わなければいけないその時に、ともすれば「このままでいいんだ」と現状を肯定する気持ちが働くのです。そのための理屈まで考える始末。
結果としてはそれを抑えて戦い抜きましたが。

 なんとかそういう自分を支えたいと、本格的に禅を学び直したことは前にお話しました。いま考えますとこれは筆者にとってとても良い経験でした。「ピンチはチャンス」とはよく言ったものです。日本人なら一生の間に本格的に禅を学ばない手はありません。いずれきちんとお話しますが、禅はインドで基礎が作られ、西域を経て中国で発展してわが国へ伝えられました。栄西や道元のお蔭ですね。ところが中国ではその後の国家体制の変化もあり、今では禅の系譜は途絶えてしまったのです。曹洞宗では、禅の正統は道元の師、宋の如浄から道元に伝えられたと言います。あながち身びいきな言葉ではない、と筆者は考えます。

 道元の「正法眼蔵」はわが国古典の内でも最も難しいものとされています。しかし原文は漢文ではなく、かな交じりの日本語で書かれているのです。こんな幸運を受け止めなくでどうするのでしょう。

カントと「空」理論(1)

         中野禅塾だより (2015/12/16)

カントと「空」思想(1)

 前著「続・禅を正しくわかりやすく」でもお話したように、禅の「空」思想は、以前紹介した西田幾多郎の「純粋経験」理論とも、カント(イマヌエル・カント,1724-1804)の観念論思想ともよく似ています。すなわち、
 「純粋理性批判」(岩波文庫)においてカントは(一部筆者が簡約)、

 ・・・われわれは認識に当たってモノ自体、つまりモノそのものに触れるのではない。それは未知のXである。われわれが認識するのは現象であるにすぎない。われわれが認識するものは素朴に考えれば、いかにもそこにあるように見えるが、じつはそれはモノそのものではない・・・モノそれ自体存在するものではなくて、われわれの心の内にしか存在しえないものである・・・

と言いました。カントはこの考えを超越的観念論と名付けました。この思想はフィヒテ(1762-1814)やヘーゲル(1770-1831)に受け継がれて発展し、ドイツ観念論哲学の系譜と名付けられました。私たちがごく自然に「モノがあって私が見る」というモノゴトの見かたは、じつは19世紀、産業革命に伴って起こった、モノが大事、科学万能の唯物思想に馴らされている見かたに過ぎないのです。とリあえず現時点では読者の皆さんは「モノゴトの認識法には唯物論的見かたと観念論的見かたの二つがある」と思って下さい。

 要するにカントは、

・・・われわれが「モノがある」と認識しているのは、じつは「モノの本体(カントの言うモノ自体:筆者)ではなく、私たち一人ひとりの教養や感性によって判断された結果の「モノの像」を見ているだけなのだ。「見ている」という現象だけが真実だ。モノがいかにもそこにあるように見えるのは、それまでの経験や、さらに「他の人もそう思っているから」そう判断しているだけだ・・・

と言っているのです。「空」の思想とよく似ていることがお分かりいただけるでしょう。つまり、洋の東西を問わず、こういう考えは文化の発展に伴っておのずと出て来たのでしょう。ただし重要なことは、禅の「空」思想は、けっしてモノ自体を否定していないことです。「色」ですね。そして単に二つのモノゴトの見かたがあると言っているのではありません。「色と空が一如である」、つまり、「色即是空」、これこそ禅がカントらの西洋哲学とは決定的に違う東洋独自の思想だ、と筆者は考えています。

 「一如」とか、「不一不異」を全身で理解するのは容易ではありません。禅の修行の目的はそれを体得することにあると言っても過言ではないのです。それについては今後お話していきます。

仏教とキリスト教は同じ?

     仏教とキリスト教は同じ?(1)澤宮優さんの信仰

澤宮優さん(ノンフィクション作家)が「’10年版ベスト・エッセイ集 散歩とカツ丼 文芸春秋社刊」に書いています。かいつまんで言いますと(一部文章の前後や、てにおはを筆者の責任で変えさせていただきました)、澤宮さんは、

 ・・・30歳を目前としたとき、プロテスタント教会で洗礼を受けたが、長い間悩みを抱えていた。それはキリスト教が頭ではよく理解できても、僕の肌にもうひとつ合わないということだった・・・思い余って、協会の名誉牧師で文芸評論家の佐古純一郎先生に悩みを吐露した。「僕の家は浄土真宗ですし、仏教が肌に合うように思うのですが」。佐古先生は「仏教もキリスト教も同じなんだよ」と答えた・・・2年後京都広隆寺へ誘われ、小さな井戸を示し、佐古先生曰く「これはいらすの井戸と言って、いすらえるの井戸がなまったものだ。じつは秦氏が中国からキリスト教の一派ネストリウス派(中国では景教)を日本へ伝えたんだよ。その根拠がこの井戸だよ」・・・だが以後も僕は教会から逃げようとした。しかし仕事や精神的なことで行き詰ったとき、僕の足はいつしか教会へ向いていた。もう逃げられないな、と観念するしかなかった・・・

 本題に入りますと、澤宮さんは、仏教がキリスト教と同じであることの証拠として、
 1)平安時代には景教の宣教師によって漢訳の聖書が日本へ持ち込まれており、親鸞もそれを読んでいた。つまり、仏教もキリスト教の影響を受けて成り立っている。たしかに浄土真宗はキリスト教の教えによく似ている。
 2)親鸞の悪人正機説(註1)はイエスの教えの「汝の敵を愛しなさい」と意味は同じである。
 3)阿弥陀如来の阿弥陀とはサンスクリット語の「アミターユ」と「アミターバ」を漢字に当てはめたもの。前者が「寿命無量」、後者が「光明無量」という意味で、聖書の「まことの光」と「まことの命」と同じである。

(註1)歎異抄にある「善人なおをもて往生をとぐ、いはんや悪人においておや」

これらの証拠もあって、けっきょく澤宮さんは「僕はそれまで仏教とキリスト教、この二つを別物と考え、極めて浅い次元で信仰を選ぼうとしていたことを本当にに恥ずかしく思った」と言う。そして「僕がイエスという十字架を、背負ってゆくしかないなと決心したのはこの井戸を見てからだった」と言っています。

読者の皆さんは、澤宮さんのこの告白を読んでどうお考えでしょうか。もちろん信仰は自由で、その動機は本人だけのものでいいのです。
 筆者は以前、熊本城を訪れた時のことを思い出します。美しい石垣を「武者返しと言う」との説明を読んでいた隣の40代の女性が、「銀杏返しとはこのことなのね!」と興奮していました。いえ、武者返しとは石垣の構造の名であり、この城を銀杏城と呼ぶ。銀杏返しとは江戸時代の女の髪型で、3者はまったく関係がない、ということを城好きの筆者はわかっていたのです。つまりこの女性は、あちらをかじり、こちらをかじって得た知識を寄せ集めただけの、自分の「発見」に興奮しているのです。

 仏教とキリスト教は同じ?(2)

 前回お話した澤宮優さんの考えは恐らくキリスト教、仏教双方から反発、あるいは牽強付会説として無視されたでしょう(澤宮さんと同様の考えは、わが国のキリスト教信者の一部にもあります)。それに対し今回はまったく別の観点からキリスト教と仏教の一宗派の思想との類似性についてお話します。

 仏教の一宗派とは浄土系宗派、つまり、浄土宗や浄土真宗のことです。これらの宗派は仏教史において特異な地位を占めます。すなわち、仏教は釈迦の時代から今日に至るまで自力による救済を旨とし、修行僧には伝統的に六波羅蜜などの厳しい戒律が課されておりますし、坐禅・瞑想は重要な修法です。わが国の華厳宗の代表的寺院である東大寺の大仏は冥想の姿であり、真言宗の阿字観瞑想、空海が悟りを開いたきっかけとなったとされる有名な「虚空蔵求聞持法」は、現代でも高野山の奥深くで、限られた僧による厳しい修行として実践されています。もちろん曹洞宗や臨済宗などの禅道場では坐禅・瞑想が主要な修法ですね。
 これらの仏教の流れにおいて浄土思想はきわめて異質です。つまり、厳しい修行によるのではなく、「ただひたすら南無阿弥陀仏と唱えれば救われる」と言うのですから。もちろん浄土宗の根本経典である「浄土三部経」は大乗経典のうちでも最も早く成立しました。しかし何と言っても、一切の戒律の遵守や修行を無視し、「ただひたすら南無阿弥陀仏と唱えなさい」という法然の他力思想は独特のもので、法然の天才性・独創性を如実に示しています。よく言われるような、文字は読めず、高僧の教えを聞くチャンスもない当時の大衆の救済だけではないのです。貴族や武士、さらには現代人にも立派に当てはまる重要な教えなのです。そして親鸞こそ、法然の思想を正しく理解した人です。しかしその弟子たちの中にはよく理解せず、自己流の解釈をした者が多かったのです。筆者が「歎異抄は不肖の弟子たちが親鸞の考えを正しく理解していないことを『歎いた』ものであり、新しい思想などはない」と言うのはこのことです。
 ことほどさように、法然の思想は阿弥陀如来という絶対神による無条件の救済であり、まさにキリスト教におけるエホバの神、イスラム教におけるアッラーの神と同じです。その意味でキリスト教と仏教は似ているのです。澤宮さんの言うような「悪人正機説はイエスの教えの『汝の敵を愛しなさい』と意味は同じである」などの根拠とはまったく違うことがお分かりいただけるでしょう。

 それにしても、キリスト教や浄土思想の信者の中で、他力信仰の本当の意味を分かっている人はきわめて少ない、と筆者は思うのですが・・・。

禅寺と大蛇の話(1,2)

      中野禅塾だより (2015/12/8)

 禅寺と大蛇の話

  皆さんは次の不思議な話を読んでどのように感じますか?「 ’11年版ベスト・エッセイ集 『人間はすごいな』(文芸春秋刊)」に犬木莉彩さんが書いている話です。

 犬木さんの実家は熊本県人吉市にある禅寺。学生時代の盛夏。何気なく境内への登り口に目をやると、石段の最下段でひも状の物体がうごめいていた。駆け下りて見てみると、なんと長さ2メートル数十センチ、太さ10センチもある大蛇!体にはすり傷もあり、見た目にもかなり弱っていたが、何とか階段を登って行きたい様子。段を越えられず、ずり落ちることも。犬木さんはただひたすら上を目指す姿に心打たれた。少しでも力になりたいと日傘を指し掛け、動きの先に打ち水をしてやった。大人の足なら5分も掛からないところを蛇は2時間も費やし、ついに50段を登り切った。さらに驚いたことに、蛇は石段から30メートル先にある本堂に向きを変えて進み、ついには本堂によじ登ろうとした。慌てて住職である父親を呼んだ。父は顔色を変えずに「そっとしておいてやってくれ」と一言だけ残し、奥へ帰って行った。本堂の入り口には30センチほどの石段があり、蛇は何度もずり落ちたがかなりの時間をかけ、ようやく本堂の中に入ることができた。
 そして、静かに本尊の前までやって来ると、蛇の動きがピタリと止まった。そこはひんやりと涼しかった。2時間ほどして蛇は動き始め、ゆっくりと本堂を一周し、再び来た路を引き返し始めた。心なしか蛇の体の動きが軽く感じられた。それでも石段を数段転げ落ちたりしながらやがて視界から消えた。ほとんど一日がかりの仕事だった。
 翌朝、早くから近所が騒ぐのを聞いて胸騒ぎがし、下の小川に駆け付けると、予感は的中した。あの蛇だった。流されないようにと岩に体を巻き付けて死んでいた。水に漬かったまま数時間たったせいか、身体は数倍にも膨張し、動物園の大蛇にも劣らない大きさになっていた。しかし表情は非常に安らかだった。人がいなくなってから両親と三人で蛇を川から運び出し、蛇が必死によじ登った石段の脇にある百日紅の木の傍らに丁寧に葬り、手を合わせた・・・

 ・・・二十数年後の私は仕事や家庭に追われ、日々の生活は自分のことだけで精一杯になっている。それでも毎年夏になると、あの暑くて長い一日を思い出し、「私は優しさを忘れていない?」と自問する・・・

 犬木さんのこの不思議な体験を読んで、読者の皆さんはどう思いますか?現代の良寛と筆者が尊敬する村上光照師は蛇にも優しく語り掛けるそうです。筆者は「無門関」第一則「趙州狗子」を思い出します。すなわち、
 ・・・僧が尋ねた「狗子(いぬ)にも仏性があるでしょうか」。趙州禅師は答えた「無い」・・・
趙州の真意はいずれお話しますが、今回は言葉通り、「狗子(いぬ)にも仏性があるでしょうか」との僧の質問に対し、「無い」との答えだけに注目します。やはり犬木さんの見た光景は、蛇にも仏性があることの証拠ではないでしょうか。

禅寺と大蛇の話(2)

 以前のブログ「禅寺と大蛇の話」について、著者の犬木さんからメールをいただきました。それによりますと、「ベストエッセイ」に書かれた犬木さんの記事を読んで、「お世話になっている先生方が『雨月物語・今昔物語を想起させる』と感想を述べられた」とか。それは筆者と受け取り方が違いますので、もう少し説明させていただきます。雨月物語や今昔物語はフィクションですが犬木さんの体験は真実だと思います。
 あの大蛇は、犬木さんの実家である禅寺の本堂に神気を感じたのだと思います。蛇も(犬も魚も虫も、そして山も川も木も草も)人間と同じ神の創造物です。その意味で蛇も人間とまったく対等の「いのち」なのです。死期を悟った蛇は、禅寺の方向に神の世界を感じ、必死になってそこへ近付こうとしたのだと思います。犬木さんは大蛇の努力を見て感動されたのでしょう。筆者もそれを読んで目頭が熱くなりました。

 筆者は「悟りとは神と一体化すること」と考えています。禅寺が神の世界につながる入り口だとして何の不思議はありません。筆者はいつも坐禅・瞑想を神棚の下で行っています。犬木さんの体験は、かねて持っておりました筆者のこういう考えを、まさに現実として見させていただいたのだと思います。筆者は以前、好きな植物の世話をしていて、「ハッ」と心が通じ合った気がしたことがあります。

 それにしても、死んで水の中で何倍にも膨れ上がった蛇を抱きかかえ、埋葬して供養して下さった禅師のお父さん、お母さんには頭が下がります。筆者は農村出身で、カエルもトカゲも毛虫も平気ですが、蛇だけは苦手ですから。それをお手伝いされた犬木さんは、掛け替えのない禅の実体験をされたのだと思います。

不登校・引きこもりには坐禅・瞑想を

         中野禅塾だより (2015/12/6)

 不登校・引きこもりには坐禅・瞑想を

 不登校児童を持つ両親の悩みは深刻で、鬱になった母親を何人も知っています。引きこもりは子供ばかりではなく、ニートの大人も沢山いますね。それが何年にもわたり、親が心配のあまり逆に強く叱って刃傷沙汰になったケースも報道でよく見聞きします。

 坐禅・瞑想はこのような場合とても良い治療法なのです。筆者も大学で登校拒否の学生のカウンセリングを何度も経験しました。しかし、これらの人を癒すのはほとんど不可能でした。考えてみれば当然です。初めから心を閉ざしているのですから、こちらの話に耳を貸さないのです。

 この問題に関して、香川県高松市の野田大燈禅師の報四恩精舎四恩の里の活動をご紹介します。そこでは、不登校や、家庭の崩壊などで家族と一緒に暮らせない子供たち、ニートなど社会に適応できない人たちが坐禅・瞑想を基本にして、嬉しいこと楽しいことを生み出す自分を作り上げて行くための訓練をしています。野田師は29歳のとき、サラリーマンだった人生に疑問を持ち、禅の修行生活に入り、ゼロからスタートしたのです。

 訓練の基本は、今お話した坐禅・瞑想、規則正しい生活(これらの人たちの中には夜昼逆転の生活をしていた人も多い)、5000平米にも広がるハーブ園での農作業や清掃、四国巡礼の途中や、精舎の中にあるハーブ喫茶を訪れる人たちと接すること、食事の前後に唱える「四恩(父母、社会、ふるさと、大自然)への感謝の言葉」などの実践を通じて、自分を取り戻し、自立して行く手助けをしています。さらに、社会に復帰した後の自活のために陶芸なども指導。野田師の活動は、以前お話した、テイクナットハン師がフランス郊外に開いた「李(すもも)の里」での実践に共通し、禅を生活に生かす一つの大きな道でしょう。

 筆者も坐禅・瞑想を高ぶった心を鎮め、自分を取り戻すめるための有効な修行と考えています。前著「禅を正しく・わかりやすく」でもお話しましたように、筆者は6年前大変苦しい状況に陥った時、禅を本格的に学び直しました。一日3回、それぞれ40分の坐禅・瞑想、かなり長時間のウオーキングを実践して切り抜けた経験があるからです。坐禅・瞑想は何よりもまず心を落ち着かせ、自分を取り戻すのに有効です。

 野田師も言っているように、これらの修行をするにはまず発心(やろうという決心)が必要です。引きこもりの人たちも「何とかしなければいけない」と思っているのですから、ほんの少し心を開けばきっかけがつかめるのです。このように坐禅・瞑想は、大人なら発心し、良い指導者さえ見つければ誰でも実践できます。できれば集団生活をするのが望ましいのですが、何人かの人と一緒に修行すれば十分可能です。